平成四年 第一六号 殺人・死体遺棄

 

                 被告人        

 

     少 年 の 供 述 調 書 等 の 許 容 性

 

       一九九三年二月九日

 

                 弁護人

 

                 同

 

                 同

 

浦和地方裁判所第一刑事部 御中

_

 

               記

 

  目次    

  

   緒言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6  

  一 本件捜査―本件各供述調書等の作成経過―の概要 ・・・・8  

   1 発端 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8  

   2 村井明巡査部長による「職務質問」 ・・・・・・・・・10  

   3 藤原清裕巡査の「職務質問」 ・・・・・・・・・・・・11  

   4 浦和警察署への連行 ・・・・・・・・・・・・・・・・12  

   5 浦和警察署での徹夜の取調べ ・・・・・・・・・・・・14  

   6 現場への連行及び緊急逮捕 ・・・・・・・・・・・・・15  

   7 その後の取調べ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・16  

   8 弁護人立会の要求、殺意の撤回 ・・・・・・・・・・・18  

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   9 少年鑑別所への移監 ・・・・・・・・・・・・・・・・19  

   10 犯行再現の実況見分 ・・・・・・・・・・・・・・・・21  

  二 本件「職務質問」の違法性 ・・・・・・・・・・・・・・21  

   1 質問開始の要件がないこと ・・・・・・・・・・・・・22  

   2 少年の意思を無視して質問を継続したこと ・・・・・・27  

   3 少年の身柄を拘束していたこと ・・・・・・・・・・・29  

   4 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33  

  三 令状によらない身柄拘束 ・・・・・・・・・・・・・・・34  

   1 農道上での身柄拘束 ・・・・・・・・・・・・・・・・34  

   2 浦和警察署への連行 ・・・・・・・・・・・・・・・・35  

      警職法が定める任意同行の要件が存在しないこと ・・35  

      任意性がないこと ・・・・・・・・・・・・・・・・36  

      保護者等への連絡をしていないこと ・・・・・・・・39  

      まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40  

   3 浦和警察署における取調べ、現場引きあたり ・・・・・41  

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      少年の身柄拘束、取調べの違法性 ・・・・・・・・・41  

      自白獲得のための違法な取調べ ・・・・・・・・・・43  

      少年の特性を全く無視した捜査 ・・・・・・・・・・51  

      違法な引きあたり捜査を口実とした緊急逮捕 ・・・・53  

   4 緊急逮捕手続の違法性 ・・・・・・・・・・・・・・・56  

      緊急性について ・・・・・・・・・・・・・・・・・56  

      理由の告知について ・・・・・・・・・・・・・・・57  

      「充分な理由」のでっちあげ ・・・・・・・・・・・58  

  四 取調べ手続の違法性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・60  

   1 自白獲得を至上命令とする徹夜の取調べ、

     現場引きあたり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・60  

   2 両親との面会を違法に拒否して取調べを続行した ・・・61  

   3 黙秘権の告知がない ・・・・・・・・・・・・・・・・63  

   4 弁護権侵害 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・64  

      弁護士へのアクセスの侵害 ・・・・・・・・・・・・64  

_

      弁護人の立会要求の無視 ・・・・・・・・・・・・・65  

   5 脅迫的言動を用いた取調べ ・・・・・・・・・・・・・66  

   6 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69  

  五 供述の任意性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・74  

   1 少年の年齢・性格等 ・・・・・・・・・・・・・・・・74  

   2 取調べの方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・75  

   3 取調べ時間 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・76  

   4 少年の明確な取調べ拒否の意思を無視した ・・・・・・76  

   5 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・77  

  六 検察官の取調べについて ・・・・・・・・・・・・・・・78  

   1 警察での違法・不当な取調べの影響下にあること ・・・78  

   2 弁護人の立会要求の無視 ・・・・・・・・・・・・・・79  

  七 再現実況見分について ・・・・・・・・・・・・・・・・80  

   1 刑訴法三二一条三項の書面に該当しないこと ・・・・・80  

   2 刑訴法三二二条一項の書面としても許容性が

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     ないこと ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85  

      従前の違法な取調べの影響下にあること ・・・・・・85  

      法的な根拠なしに警察署へ連行したこと ・・・・・・86  

      黙秘権告知の不完全さ ・・・・・・・・・・・・・・87  

      読み聞け、署名がないこと ・・・・・・・・・・・・88  

   3 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90  

  八 結論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90  

  

                                  

   緒言

   検察官は、第一回公判期日において、少年の供述調書一九通(乙一〜一九号)と少年が本件公訴事実を浦和警察署において再現した様子を記載した実況見分調書一通(甲一一四号)の証拠調べを請求した。これに対して、弁護人は、これらの証拠書類は、いずれも許容性の認められないものであると主張した(第一回公判期日及び第五回公判期日における弁護人の陳述)。弁護人が、許容性を否定する理由は、要するに、少年の供述調書については、少年の身柄を拘束した手続が令状主義の要請を無視する違法極まりないものであり、取調の方法も法の要求を潜脱し、少年から強引に自白を獲得するために少年の意思を無視してなされた違法かつ不当なものであって、その内容もおよそ少年の任意の供述とは言い難い、というものであり、そして、実況見分調書については、この書面は刑訴法三二一条三項の準用のある「捜査官の実況見分の結果を記載した書面」ということはできず、「少年の供述」を記載した書面に他ならないこと、そして、その作成過程にはそのほかの少年の調書と同様の問題があるほかに、法が供述調書の要件として求める最低限の手続―読み聞け、署名押印―も履践していないこと、である。

   第二回公判期日から第八回公判期日にかけて、これらの書類の作成過程についての証拠調べが行われ、検察官の請求により本件捜査にかかわった警察官六名の証人尋問が行われ、弁護人の請求により少年の父親の証人尋問と少年の対する被告人質問が行われた。

_  この約一年間にわたる証拠調べの結果、われわれは、これらの書面が刑事裁判の証拠として使用するのにおよそふさわしくないものであることを明らかにした。これまでの証拠調べを通じて、本件捜査に従事した警察官らは、結局誰一人として法を守ろうとする意思がなく、むしろ、警察庁が制定した準則をも、警察官自身が日常的に無視している姿が浮彫りになったのである。本件捜査に従事した浦和警察署所属の警察官や同署に派遣された埼玉県警所属の警察官は、一人の無防備な一七歳の高校生から殺人罪の自白を獲得するために、無法の限りを尽くした。彼らは、自白獲得のためなら憲法や刑事訴訟法、いわんや犯罪捜査規範など取るに足りない、無視しても構わないものであると考えている。本件は、この恐ろしい事実―自白中心主義の刑事裁判の行き着くところ―をわれわれに突き付けているのである。

  

 一 本件捜査―本件各供述調書等の作成経過―の概要

  1 発端

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   一九九一年一一月二二日午後八時三〇分ころ、少年は、パジャマ上下に膝までの長さの白いコート、黒の紐革靴という格好で、自転車に乗って、浦和市大字大門の見沼休耕田内の農道を走っていた。農道に面した植木畑付近にさしかかったとき、その南側の細い道の奥の方から懐中電燈の灯りのようなものが見えた。少年が、灯りに導かれて道の奥に進んで行ったところ、突然、「そこで何をしているんだ」と中年の男性(大畑徹夫)に呼び止められた。

   少年は、逆に、「何があったんですか」と聞き返したが、たちまち、その男性を含む四人の男女(大畑徹夫の他、大畑和子、中村紀子、中村照雄)にその場で取り囲まれてしまった(少年4表〜6裏)。

   少年は、四人の人々に住所氏名等を問われ、「上野等、川口市東川口……」などと答え、「ちょっとその辺で、光が見えたんで来てみました」と答えた。

   少年は「お父さんを迎えに行く途中で急いでいるので、帰して欲しい」と告げたが、四人の男女は少年を取り囲んだまま、彼を家に帰そうとはしなかった(少年8表裏)。

  2 村井明巡査部長による「職務質問」

   このようにして、男性二名が少年を農道上に止めておく一方で、大畑和子と中村紀子は、午後八時三五分、最寄りの大門駐在所に行き、同駐在所勤務(浦和警察署外勤課所属)の村井明巡査部長に対して、「娘が痴漢の被害にあっているかも知れない」「娘の乗っていた自転車と鞄が畑に捨てられている」との届出を行なった。

   村井巡査部長は、自転車に乗って大畑らと一緒に現地に向かった。そして、午後八時四五分ころから、大畑らが見守る中で、少年に住所や氏名を尋ねたり、ここに来た理由を尋ねた。少年は、今までと同じように「上野等、川口市東川口……」「父親を迎えに行く途中で、懐中電燈の灯りが見えたので、入ってきた」と答えている。

   村井は、少年のこの答えに対して、特に不審の念は抱かなかったが、決して少年を解放しようとはしなかった。少年は、九時一〇分前ごろに、「九時までに帰してください」と村井に告げ、村井は、中村照雄から時計を借りて時刻を確認したうえ、「まだ、大丈夫だよ」と答えた(村井6裏)。しかし、午後九時を回っても、村井は少年を帰宅させようとしなかった。少年は、その後も繰り返し、父を迎えに行かなければならないので行かせて欲しいとの希望を述べたが、村井はこれに応じなかった(村井6裏、25裏、少年12裏〜13表、15裏)。

   少年は、しかたなく、細い路地で、自転車のハンドルを持ち、村井巡査部長ら大人たちに取り囲まれたまま、時間が過ぎてゆくのをまった。

  

  3 藤原清裕巡査の「職務質問」

   村井巡査部長は、少年を現場に止めておく一方で、無線で浦和警察署の当直員に応援を求めた。当日当直勤務をしていた刑事一課捜査二係(盗犯担当)所属の藤原清裕巡査は、午後九時三五分ころ、現場に到着した。現場には、他に会田巡査部長、松井巡査部長や浦和西警察の岡田巡査らも現場に来た(藤原2裏)。

   藤原は、現場の細い路地から農道への出口を塞ぐ形で警察用自動車を停車したうえ(少年供述調書添付の図1)、少年をこの自動車に乗せた。

   少年は、この警察用自動車の後部中央の座席に座らせられ、約一時間車内に監禁されたうえ、運転席に座った藤原や途中から少年の隣に座った岡田巡査から厳しく取調べを受けた。

   少年は、はじめ、今までと同じように「上野等」と名乗り、当初は藤原もこの答えに満足している様子であった(少年18表裏)。しかし、しばらく時間が経過して、少年が乗っていた自転車の登録名義の照会回答が来て、少年の自転車が「S」名義で登録されていることが判明するに及び、藤原は、「おまえは上野等じゃないな」「自転車が違うぞ」などと怒鳴り声を上げて、追及した(少年19表裏)。そして、少年は、今度は「M」と名乗ったが、却って「自転車は、Sの持ち物だろう」と追及される結果となった(少年21表)。

  4 浦和警察署への連行

   そして、少年は、自転車はSの家から盗んだものだと告白したのである。

   少年は、その後しばらく自動車の中に閉じ込められていたが(少年21裏)、午後一〇時三〇分ころ、藤原の命令で自動車の外に出されたうえ、二名の警察官に両脇を挟まれた状態で約三〇〇メートル(甲九・一二月二日付実況見分調書添付の「現場付近の見取図bR」参照)離れたガソリンスタンドまで連行されたうえ、そこに駐車してあった警察用自動車の後部中央に、両側から二人の警察官(外勤課岡田警部補と防犯課萱森巡査と思われる―藤原9裏)に挟まれるように座らされて、浦和警察署に連行されたのである(少年22表〜23表)。

   冒頭に述べたように、村井巡査部長は、「娘が痴漢にあったかも知れない」という大畑和子らの届出に基づいて、現場に向かったのであるが、少年に対して、その点についての質問を全くしていない(村井5表〜6表、少年11表〜12表)。藤原巡査も、女子中学生が行方不明となっていることに関しては、少年に一言も尋ねていない(藤原34裏、少年21裏〜22表)。藤原は、「自転車のことで署まで行くから」とだけ告げて(少年23表裏、藤原9表、10裏)、少年を浦和署に連行することにしたのである。

  5 浦和警察署での徹夜の取調べ

   少年を乗せた警察用車が停止していたガソリンスタンドから浦和警察署までは自動車で一〇分前後の距離である。したがって、少年と岡田警部補らが浦和署に到着した時刻は、午後一〇時四〇分前後である。  

  少年は、浦和署の一階のベンチに横に警察官一名に付き添われて座らせられ、約一〇分間待った後、二人の警察官に二階の取調室に連れていかれた(少年24表〜26表)。

   そして、その後、少年は、午前五時一五分ころまで、休憩なしに徹夜で、この取調室を含む二箇所の取調室から一歩も外に出されることなく、五人の警察官によって尋問を受けるのである。その間に、黙秘権の告知も、弁護人選任権の告知も全くなく(少年43裏、49表)、両親と会うことも許されなかった。しかも、警察官は、少年に向かって怒鳴ったり、机を叩いたり(少年39裏〜40表)、「君の後に女の子の霊がいる」と言って威してみたり(少年39表)、少年の弁解を受け付けずに一時間も押し問答を繰り返したりした(少年36表裏)。そして、途中で少年は何度か休憩を求めたり、トイレに行かせて欲しいと言ったが、少年を取り調べた高橋勇夫らは「本当のことを言うまでだめ」と言ってこれを許さなかった(少年37裏、38裏)。

   このような拷問の結果、少年は、午前三時過ぎころから、女子中学生の首を締めたことを供述するにいたり、午前四時過ぎころには、「私の起こしてしまった犯罪」なる文書を作成させられている。

  6 現場への連行及び緊急逮捕

   この徹夜の取調べ行われている途中の、一一月二三日午前〇時一六分ころ、浦和警察署の警察官は大畑恵理紗の遺体を発見し、農道から遺体の発見場所まで板を敷いて歩行帯を作りその上を歩くようにしていた(甲二・一一月二六日付捜査報告書)。

   少年を徹夜で取調べた警察官の一人である増永義孝(刑事一課一係)は、少年に警察官用の服と長靴を着用させて、彼をこの遺体発見現場に連行したうえ、午前六時一五分ころ少年を緊急逮捕した。そして、六時五〇分ころ浦和署に戻された少年は、七時三〇分過ぎころまで取調べを受けた(少年81表)。この時刻から推測して、少年が留置場の房内で就寝した時刻は午前八時を過ぎていた筈である(検察官が留置関係書類の開示を拒否し、弁護人の証拠開示命令の申立てを裁判所が却下したため、これらの正確な時刻を知ることは不可能である)。

   そして、少年は、その三時間後には起こされて、食事を取ったのち午後四時三〇分頃まで取調べを受けるのである(少年49裏〜50表、81表)。

   一方、浦和警察は、少年を緊急逮捕した約四時間後に、少年の案内により遺体と遺留品を発見した旨の、全くデタラメの内容の緊急逮捕手続書を作成して、これを提出して裁判官から逮捕状の発付を受けた。

  7 その後の取調べ

   その後、一二月七日まで、少年は連日、土曜日日曜日も休むことなく、午前午後にわたって、警察官―主として、埼玉県警刑事部捜査一課強行犯担当の南佳邦警部補―の取調を受けた。

   少年は、大畑恵理紗の首を締めて死亡させてしまったことを認めていたものの、動機については「本を買う金が欲しくて女性を襲った」とし、また、「女性の抵抗をなくすために気絶させようと思って、首をしめた」と供述していた。

  しかし、一一月二三日午後の南の最初の取調べの際に、少年が金を所持しているのに金銭目的で襲ったというのは不自然であるとか、少女が全裸で発見されていることを南から厳しい口調で追及され、少年は、セックスが目的であったことを認めた(南3―6裏〜7表、17表裏、南4―12裏)。

   そして、一一月二六日の取調べにおいて、南から大畑恵理紗の財布を奪ったのではないかと追及されたうえに、「殺すつもりで首を締めたのだろう」と怒鳴られたり、机を叩かれたりして脅迫的な取調べを受けた結果、少年はついに殺意をもって被害者の首を締めたことを認める供述をするのである(少年53〜55裏、67表〜69裏、81表裏)。

_  少年が両親と初めて面会できたのは、この殺意を認める供述をした翌日である一一月二七日であり、弁護人と初めて面会したのもその日である。

   それまでの間、少年の父親は度々警察官に「息子に会わせて欲しい」と告げたのだが、浦和署の警察官はこれを拒否した。また、弁護人の選任についても「今はそういうことは考えるな」などと言って、これを妨害していたのである。

  8 弁護人立会の要求、殺意の撤回

   少年は、弁護人に対して、南警部補の脅迫的な取調べに屈して、不本意にも殺人を認めるような供述をしてしまったことを告げた。そこで、弁護人は、少年に、勇気を起こして、このような供述を撤回すること、そして、今後の取調べには弁護人の立会を要求するようにアドバイスした(少年58表裏)。

   そして、少年は、一一月二九日の取調べの際に、南警部補に向かって、「怒鳴られて怖くなって、殺意を認める供述をしたが、本当は殺すつもりはなかった」と告げた(少年59表裏)。少年は、この取調べの際に、弁護人のアドバイス通りに、「これからは弁護士さん立会でやらせて欲しい」と要求した。しかし、南は少年のこの要求を黙殺した(少年57裏)。

   少年は、一一月二九日付の弁護人と連名の「申し入れ書」で、浦和警察署長と浦和地検検事正宛に「私は、今後の取調べに際しては私の弁護人の立会いを求めます。私は、弁護人の立会いのない場所での取調べ、実況見分への立会い等を全て拒否します」と通告した。しかし、浦和警察署の警察官も浦和地検の検察官も、この少年の申し入れを完全に黙殺して、弁護人ぬきでの取調べや実況見分を実行した。弁護人は、一一月三〇日付文書で、浦和地検と浦和警察署あてに、独自に同様の申し入れを行った。しかし、警察官も検察官もやはりこれを無視した。その結果、少年は、内心では弁護人の立会いを希望しながらも、しかたなしに、弁護人なしの取調べや実況見分に応じることになった(少年58表)。

  9 少年鑑別所への移監

_  弁護人は、少年の身柄が代用監獄に勾留され、脅迫的な取調べが行われている点を問題視して、少年に対する勾留裁判についての準抗告を行い、首位的に勾留請求の却下を求め、予備的に少年の身柄を浦和少年鑑別所に移すよう求めた。

   浦和地方裁判所は、一九九一年一一月三〇日、弁護人の予備的主張を認めて、「被疑者はこれまでに何らの非行歴のない一七歳の少年であり、このような被疑者を代用監獄に勾留するときは、そのこと自体により、その心身に重大な悪影響を及ぼすおそれがある。特に、本件被疑者は、……殺意の存否等を巡り微妙な供述をしているのであって、このような被疑者に対しては、代用監獄において、不当な取調べが行われれるおそれもあると考えられるところ、弁護人提出の疎明資料によれば、これまでの取調べにおいても、右懸念が一部現実化しているやに窺われ、被疑者とその親族との接見が不当に拒否された形跡もある」等と述べて、少年の勾留場所を浦和少年鑑別所に変更する決定をした。

   この決定に基づいて、少年は同日浦和少年鑑別所に移された。

_  そして、翌一二月一日からの取調べは全て、浦和少年鑑別所で行われたのである。

  10 犯行再現の実況見分

   ところが、一二月三日午前九時ころ、南警部補他一名の警察官は、少年を浦和少年鑑別所から連れ出し、浦和警察署四階の柔道場で、本件犯行の再現をさせ、同日一一時ころに少年を浦和少年鑑別所に戻した。

  

 二 本件「職務質問」の違法性

   警察官職務執行法二条一項は、「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問することができる」と規定している。

   村井明巡査部長や藤原清裕巡査が本件路上や警察用自動車のなかで少年に対して行なった行為が、警職法二条一項が認める「質問」「停止」として許されるようなものでないことは、既に述べた事実経過とこの条文の文言を対比するだけでも明らかである。

  

  1 質問開始の要件がないこと

    村井が少年と対面した当時、少年において「異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由」はなかったし、また「既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる」事情など何もなかった。

   村井は、大畑和子らから「娘が痴漢の被害にあっているのではないか」との届出を受けた際、「これは大事件だと判断し、すぐに現場へ向かいました」と証言している(村井2裏)。しかし、この証言には明らかに誇張がある。もしも、その段階で大事件だと判断したのであれば、村井は、現場に出発する前に直ちに浦和警察署に連絡をいれた筈である(村井10裏)。しかし、村井は、浦和署に連絡することもなく、私服で自転車に乗って現場に向かったのである。そして、現場に着いた後も、本当に大事件であると認識しているのであれば、直ちに、現場の遺留品等の確認をする筈であろうが、村井は、大畑らが発見したという自転車や鞄の確認すらしていないのである(村井11表)。「大事件」を認知した警察官としては、村井の態度は悠長なものであった。

   村井は、少年を不審者と認めた理由として、@現場は普段は人通りのない、寂しい道であること、A道路から一〇〇メートル位入った場所に来ていること、及びB少年の靴に泥がついていること、の三点を挙げる(村井4表裏)。しかし、第一の人通りが少ないという点は事実に反する。現場は、一見寂しい場所のように見えるが、むしろ通交人が頻繁にある場所なのであって、浦和警察署が二回にわたって午後六時から八時の時間帯に実施した検問の結果によれば、一回目が通行者総数六五名、二回目が六九名に達している(弁護人提出の一一月二七日付及び一一月三〇日付の各捜査報告書写し)。第二の道路から一〇〇メートルくらい入っている点については、右に述べたように人の通行が頻繁な農道の脇道であり、大畑や中村らが懐中電燈を照らしていた当時の具体的状況を考えるならば、この農道を通り掛かった人物が、大畑らの存在に気付いて脇道に入って来たという状況は十分考えられることであり、とり立てて「異常な挙動」と言うほどのものではない。そして、第三の靴に泥がついていたとの証言は、後から付け加えた虚偽の証言である。村井は、少年に対する職務質問を実施した直後と、さらにその五日後の一一月二八日に、その一部始終を記載した捜査報告書を作成しているのであるが、いずれの捜査報告書にもこの「靴の泥」についての記述は認められないのである(村井12裏、13表、15表裏)。村井は、少年に対して、靴の泥に関する質問を全く行っていない(少年28表)。

 さて、村井自身、少年を大畑が言う「痴漢」と結び付ける事情は何一つなかったことを認めているし、また、そのほかに何らかの具体的な犯罪の嫌疑が認められたこともない、とはっきり証言している(村井11裏)。

   だからこそ、村井は、少年に対して、住所・氏名を尋ねただけで、少年の答えに満足して、それ以上の質問をしなかったのである。

     その後、第二の職務質問者である藤原が到着するまでに、少年は一時間も現場に停止させられている。前述のように、村井巡査部長が少年に職務質問を開始する要件がなく、少年を停止させる法的な根拠がない以上、現場に少年を一時間も停止させておくこと自体が違法なのであって、その後仮に状況の変化があったとしても、停止・質問が遡って適法なものになる訳ではない。

   本件においては、村井の質問から藤原が現場に到着するまでの間に、それまでの状況に変化が起こったということすらない。大畑恵理紗の遺体が発見されるのは、更に三時間後である。また、藤原が登場するまでの間に、少年が何らかの犯罪を犯し、あるいは犯罪について知識を有すると認められる蓋然性が増えたという事実も全くない。藤原自身、現場に到着したときには少年には何の犯罪の嫌疑もなかったことを認めている(藤原16裏)。

   藤原は、少年に対する質問を開始するまでに二〇〜三〇分ぐらい大畑夫妻から事情を聞いたと証言するが(藤原17表〜18表)、これは嘘である。藤原から事情をきかれたというようなことは、大畑夫妻は供述していないし(甲一五〜二一号参照)、その後自動車の中で約一時間少年に尋問したとすると、浦和署に一〇時三〇分ころに連行された事実と矛盾する(藤原が、少年が供述するように、現場到着後直ちに少年を自動車に乗せて質問を開始したとすると、時刻が一致する。)。そして、藤原自身がこの職務質問の直後に作成し、その模様を詳細に記載した捜査報告書には、職質の前に関係者から事情聴取したなどということは一言も書かれていないのである(藤原19表〜20表)。

   事情が変化したのは、藤原が自動車のなかで少年に対しての質問を開始して三〇分以上も経過して、少年の自転車の登録名義を照会した段階である(藤原25表)。この結果、少年は自分の氏名に関する供述を変え、結果的には、自転車を盗んだことを告白するのである。しかし、この事情の変化は、少年が現場に停止させられて一時間三〇分以上も過ぎた後に発生したことであって、それまでに行われた違法な質問・停止を遡って正当化するものではない。

  

  2 少年の意思を無視して質問を継続したこと

   警職法二条三項が注意的に規定するように、同法の質問は完全に任意の質問であって、警察官の職務質問を受ける者には答弁の義務はない。

  仮に、警職法の定める質問開始の要件があったとしても、相手方に供述義務を課したうえでの質問は違法である。

   本件において村井や藤原がおこなった質問は、少年に対して、その意思に反して答弁を強制したものであって、明らかに違法である。

   少年は、午後八時五〇分ころ、村井に対して「九時までに帰して下さいね」と要求し、その後も、度々帰宅させて欲しいと訴えているのである。村井は、少年に対して「女の子が一人いなくなっている、これは大事件になるかも知れないので、君にもちょっと話を聞きたいことがあるのでもうしばらく残ってくれ」と告げて少年の承諾を得たと証言するが(村井6裏)、これも嘘である。このようなやり取りは、村井が作成した前述の捜査報告書にも記載されていないし(村井22表〜23表)、村井のそばにいた大畑夫妻も供述していない(甲五〜二一号)。

   村井は、少年が早く現場から立ち去りたがっているのを承知しながら、少年の意思を制圧して、あるいは「まだ[九時には間があるから]大丈夫だよ」などと告げて(村井6裏)、いかにも九時には解放するような口振りで少年を騙しながら、その場に停止させ続けたのである。村井は、職務質問は相手の意思に関係なく続けられるものであって、たとえ相手から「帰らせて欲しい」との要求があっても、警察官は職務質問を続けられるのだと理解しているのである(村井19裏、24表)。村井は、結局、少年の拒否の意思表示を意に介することなく、必要があればいつまでも続けるという心構えで少年を現場に停止させ続けたのである(村井20表裏)。

   藤原の質問が、少年の意思を無視した強制的な尋問であったことは、もっとはっきりしている。藤原は、いきなり少年を自動車の中に閉じ込めたのである。このような狭い所に入れられれば、少年でなくとも「もう帰れないのではないか」と考える(少年18表)のは当然であろう。

  その上、さらに、藤原は、この狭い自動車の中で一時間にわたって少年と押し問答をしたり、時に怒鳴り声を挙げたりしているのである。そして、もう一人の警察官である岡田巡査も参加して、二人がかりで少年を厳しく追及したりもしているのである(藤原31表裏)。

   このような質問のしかたが、相手方に対して答弁の義務を課すものであることは疑いの余地がない。

  

  3 少年の身柄を拘束していたこと

     少年は、村井巡査部長が現場に到着する以前に、既に大畑夫妻によって、自由を拘束されていたのである。

   午後八時三〇分ころに、現場にさしかかった少年は、大畑徹夫に「そこで何をしているんだ」と呼び止められ、たちまち、男女四人に取り囲まれた(少年4表〜6裏)。少年は、彼らから「女の子がいないから、ちょっと協力してくれないか」と求められたときにも、「ちょっと急いでいるんで、早く帰して欲しい」と言って、協力しないことを言明したし、その後も「お父さんが待っているんで早く帰して欲しい」と度々要求した(少年8表裏、9表裏)。しかし、大畑らは少年に寄り添うようにして、少年を取り囲んだままであった(少年10表)。

   大畑夫妻も、少年が時間を気にしており、現場を早く立ち去りたがっていることが判っていた(甲一六・一一丁裏、甲一九・一一丁表裏)。

  それにも拘らす、絶対に少年を逃がすまいと必至になって引き止めていたのである(甲一五・一五丁裏、甲一六・一一丁裏、甲一七・一一丁表)。大畑夫妻らの行為は、事実上の逮捕行為と言うべきである。

     村井巡査部長は、大畑夫妻から少年の身柄の引渡しを受け(大畑徹夫は「お巡りさんが……男を捕まえてくれた」とか(甲一五・一六丁裏)、「男の子をお巡りさんに引き継いだ」(甲一六・一二丁裏)と表現している)、身柄拘束を継続したのである。村井は、大畑夫妻や中村照雄らとともに少年を取り囲むように、その逃走を防ぐような姿勢で、少年への質問を実施している(村井16表〜18表、添付図面、少年14裏、添付図面)。

   村井の少年への質問の内容は極めて単純なものである。住所・氏名、そして、この場所に来た理由はなにか、と言うものであって、これらの質問に少年は端的に答え、村井自身、少年の答えに何の不審も抱かなかったのであるから、その問答はほんの数分で終わったのである。それにも拘らず、村井は、少年を解放することなく、大畑夫妻等とともに少年を取り囲んだ状態で、三〇分間も無言で相対峙していたのである(少年15表)。これは、もはや「職務質問」というよりは、身柄の確保そのものというべきである。

   村井巡査部長は、大畑徹夫から「この男は絶対おかしいから、逃がさないでくれ」と言われたたために(村井26裏)、少年の身柄をなんとか確保しようと考えて、その場に少年を停止させたのであって、少年に質問をするために彼を停止させたのではない。警職法が認める「停止」は質問のための停止であって、相手方の身柄を拘束する手段ではあり得ない(警職法二条三項参照)。村井巡査部長が少年を現場に止めた行為は、警職法が認める「質問のための停止」の範囲を超えて、身柄拘束を目的とする行為であったと言うべきである。それゆえに、村井は、その直後に作成した捜査報告書には「午後九時三五分到着した当署会田刑事ほかに男の身柄を引き継いだ」と記載したのである(村井15裏)。この報告書の記載は、単なる誤記と言って済ませるものではない。当時の村井の行動の客観的な状況からするならば、現場で確保した少年の身柄を刑事課の警察官に引き渡したと見るのが自然であり、村井自身がそう感じていたからこそ、このような表現を彼は用いたのである。

     藤原巡査による身柄拘束は、より明白である。

   彼は、少年をいきなり自動車のなかに入れたのである。

   藤原は、周囲に関係者がいたことと、寒かったことから―すなわち少年の利益のために―少年を自動車の中にいれたのだと弁解するが(藤原22表)、いかにも見え透いた言い訳である。関係者がいた位置と藤原の自動車の位置は一〇〇メートルも離れているのであって、なにも車内に少年を入れなくても、関係者に聞かれることなく少年から事情を聴くことはいくらでもできる。また、当時少年が寒さを訴えたなどという事実もない。ちなみに、藤原が直後に作成した捜査報告書には、このような記載は全くない。少年のためを思って自動車のなかにいれたのであれば、その後車内で「語気鋭く」尋問するなどということはありえないだろう。

   結局、藤原が少年を車内にいれたのも、身柄確保のためであり、少年に事実上の供述義務(答弁義務)を課して、「十分な答えを得るため」(藤原21裏、23表)である。このようなことが、警職法が認める「停止」の範囲を超えていることに、多言を要しないだろう。

  

  4 まとめ

   以上のべたところをまとめると、村井巡査部長や藤原巡査が本件現場に少年を約一時間半にわたって滞留させた行為は、そもそも警職法の定める職務質問開始の要件なしに行われたものであり、少年の意思を無視して少年に供述義務を課して尋問したものであり、さらには警職法が許容する「質問のための停止」の範囲を超えて、少年の身柄を直接拘束したものである。

   村井や藤原の行為は、職務質問と評価することすら困難というべきである。むしろ、犯罪の嫌疑のない人を令状によらないで拘束する行為と評価するのが、適切である。

  

 三 令状によらない身柄拘束

  1 農道上での身柄拘束

   先に述べたように、少年は、村井巡査部長ら警察官が現場に到着する前に、大畑徹夫らによって身柄を拘束されていたのである。当時、少年に対して現行犯逮捕や準現行犯逮捕をするだけの犯罪の嫌疑が存在しなかったことは明らかであるから、この大畑らの行為は違法な身柄拘束というほかない。

   村井巡査部長、そして藤原巡査の行為が、令状なき身柄拘束であることも前述のとおりである。

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  2 浦和警察署への連行

   藤原巡査によって約一時間自動車の中に監禁された後に、少年は約三〇〇メートル離れたガソリンスタンドまで二名の警察官によって連行され、そこに止めてあった自動車で浦和警察署まで連れて行かれた。この行為を適法な「任意同行」と評価することができるだろうか。

  

     @警職法が定める任意同行の要件が存在しないこと

   警職法二条二項は「その場で前項の質問をすることが本人に対して不利であり、又は交通の妨害になると認められる場合においては、質問するため、その者に付近の警察署、派出所又は駐在所に同行することを求めることができる」と規定する。

   藤原巡査が少年に質問しようとする際に、現場で質問することが本人に不利であるとか、交通の妨げになる事情などどこにもなかったことは疑問の余地がなく、この点について説明をする必要はないだろう。

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     A任意性がないこと

   それでは、この警察署への連行を刑訴法一九八条の任意出頭と言うことができるであろうか。藤原による自動車内に少年を監禁したうえでの執拗な尋問によって、少年は自転車盗の事実を告白するに至った。このこと自体、違法きわまるものであるが、いま暫くここまでのプロセスにおける違法に目をつぶり、少年に対して窃盗罪の相当の嫌疑があるものとして考えるとしても、この警察署への連行を、少年の「任意の出頭」というのは非常識である。

   本件で対象となる被疑者は一七歳の少年である。大人であっても数人の警察官に取り囲まれて警察への「同行」を求められてこれを拒否できる人はなかなかいない。まして、自己主張の能力において大人より格段に劣る少年が本件と同様の状態で自らの自由意思に基づいて権限を行使できるとは考えられない。

   つぎに、少年は警察への出頭を拒否する姿勢を示し、警察官も少年の姿勢を了解していた事実である。村井明巡査部長が少年に対して質問をしていた際、少年は「9時までに帰して下さいね」と言った他、度々早く帰宅させて欲しいと言っているのである。これは早く家に帰らせて欲しいことの端的な表明であり、警察署に同行する意思がないことの現れに外ならない。それにもかかわらず、警察官らは少年のこのような意思表示を無視して彼を警察に連行したのである。

   藤原巡査は、少年の意思を確認することもなかった。彼は少年に対して行き先すら告げていないのである。藤原が言ったのは「自転車のことで署まで行く」ということだけである(少年23表裏)。少年は、自分が何処に連れていかれるのか判らず、不安であったと供述している(少年23裏〜24表)。本件少年と同じ立場に立たされた者ならば、大人であっても、同じように心細い心境になるであろう。

   そしてさらに問題なのはその後の警察の対応である。警察官らは、少年を両脇から挟むようにして、警察用自動車に乗せて浦和警察署に連行した後、少年に全く休息を与えないまま翌日の午前五時一五分ころまで取調べたうえ、さらに少年を本件現場付近に連れ戻し、引き当たり捜査を敢行した後、再び署に戻って午前七時三五分ころまで取調べを行っているのである。このような徹夜の取調べは、たとえ正式な身柄拘束手続を受けている者に対してであっても許されるものではないし、大人に対するものであっても違法である。われわれは、一七歳の少年に対するこの非常識かつ非人道的な取り扱いを「任意」と評することはとうていできない。われわれの常識では、これは任意ではない。少年が退出を求めなかったかどうかに関係なく、これは強制的な身柄拘束そのものである。少年がその場に留まることを自ら望んでいなかったことは明白であり、そして少年が自ら言葉に出して「帰らせてくれ」と言い出すこともできないくらいに、少年の自由意思は制圧されていたというのが真相である。

   浦和警察署に連行し取調べた行為は「任意同行」ではなく、令状によらない違法な逮捕である。本件と類似の事実関係で任意同行の任意性を否定した判例として、富山地決一九七九−七−二六判時九四六―一三七、仙台高裁秋田支部判一九八〇−一二−一六判時一〇〇一―一三四、大阪高判一九八八・二・一七判タ六六七―二六五などがある。

   なお、少年を浦和警察署に強制連行した一一月二二日午後一〇時三〇分の時点において、少年を通常逮捕し得る程の犯罪の嫌疑はなかったのであるから、その後の自白等に基づいて逮捕状が発せられ、かつ、この事実上の身柄拘束のときから四八時間以内に送致があったとしても、その後の身柄拘束が適法となることはない(富山地決一九七九・七・二六判時九四六―一三七参照)。

  

     B保護者等への連絡をしていないこと

   犯罪捜査規範二〇四条は「少年の被疑者の呼出……を行なうに当たっては、当該少年の保護者またはこれに代わるべき者に連絡するものとする」と規定する。また、少年警察活動要綱九条は「呼出しに当たっては、できる限り、その要件を明らかにした書面をもってし、かつ、保護者等の納得を得て行うように努めるとともに、必要に応じ、これらの者の同道を依頼すること」と規定している。

   いうまでもなく、これらの規定は、少年の被疑者の特殊性を考慮したものであって、このような明文の定めがないとしても、少年被疑者の呼出しの場合の任意性を確保し、その防禦権を保護するために当然要請される事柄である。

   しかしながら、本件において藤原らが、少年を浦和警察署に連行するにあたって、少年の保護者やそれに代わる者に連絡を取ろうとした形跡は全くない。むしろ、彼らは「お父さんを迎えに行かなければならない」という少年の意思―保護者への接近―を極力妨害しようとしているのである。

  

     Cまとめ

   本件少年を浦和警察署に連行した行為は、いかなる意味でも少年自身の意思による「任意同行」と評価することは困難である。これは、憲法の要請を無視した令状によらない強制連行に他ならない。

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  3  浦和警察署における取調べ、現場引きあたり

      @少年の身柄拘束、取調べの違法性

    少年を浦和警察署へ連行した藤原清裕巡査の証言(藤原28表裏)からも明らかなように、浦和警察署に少年を連行した時点において、捜査側は、少年と女子中学生の行方不明とを結びつける客観的資料は一切持ち合わせていなかった。ただ、漠然とした疑問及び少年の住所、氏名が必ずしも彼らに明らかになっていないということだけであった。つまり、少女の行方不明の件について、少年に対し事情を聴取し、あるいは取り調べをしなければならいような客観的嫌疑は存在しなかったのである。

    にもかかわらず、藤原らは少年を浦和警察署に連行したうえ、その身柄を強制的に確保(事実上の逮捕)した。少年は、遅くとも午後一一時前ころには浦和警察署に到着しているはずであるが(藤原32裏)、浦和警察署に連行されると、隣に見張りの警察官が張り付いた状態で同署一階のベンチに座らせ、一〇分くらいした後( 少年24裏・25表) 、同署二階の四畳くらいの広さの部屋に連れて行かれ、浦和警察署司法警察員警部補高橋正広、同巡査中根満により取り調べを受けた(少年25表裏)。

    この取調べに先立ち、高橋らは、少年に対し自己紹介はおろか、少年がどのような理由で同署に連行されたのかも一切告げず、ましてや黙秘権のかけらすら告げていない(少年27表)。そして、なんらの客観的資料を持ち合わせていない高橋正広らは、少年に対し、同人の住所、氏名を尋ね、あるいは自転車のことを尋ねるなどして、無為に時間を経過させ、違法、不当な身柄拘束を続行したのである。高橋正広らは、その段階における少年の話に反論したりすることもなく、少年の説明に納得していたのである(少年28裏)。高橋正広らの目的は、何の合理的根拠もないのにただ少年の身柄拘束を継続することにあったのである。

    少年は、その間、一〇分ぐらいその部屋で一人きりになったことがあったが、「どこに自分が今居るか分からないので」家に帰ることすら思いつかなかったのである(少年30表)。浦和警察署への連行、その後の取調べが強制的な身柄拘束のもと実施されていたことの証左である。

    その後、同署二階の別の部屋に移動させられた少年は、翌二三日の午前二時ころから、防犯課所属の高橋正広らと交代した同署捜査一課強行犯担当の係長高橋勇夫、同じく強行犯担当の増永義孝ら三名の警察官により取調べを続行された(少年32表、高橋4裏・5表)。

    高橋勇夫らは、少年の取調べを開始する前に、大門の農道付近で大畑恵理紗の死体が発見されたことは知っていたが、少年と大畑恵理紗の死亡という事実を結び対ける客観的資料が存在せず、ましてや少年を逮捕できるだけの嫌疑が存在しないことを百も承知のうえで(高橋15裏、五回増永14裏)、法的な根拠をまったく欠いた身柄拘束のもと、少年の取調べを続行した。

  

       A自白獲得のための違法な取調べ

    一一月二三日の午前二時ころには、高橋勇夫らは、目の前にいる少年の氏名、住所等を確認できたにもかかわらず、以後も少年の身柄拘束を継続し、何らかの自白を得るまでは少年の取調べをやめないという姿勢で臨んでいた。取調べの途中で少年が休憩を求めたにもかかわらず、高橋勇夫らは、少年に対し、「本当のことを言うまではだめだ。」(少年37裏)と言って耳を貸そうとせず、トイレに行きたいという少年の要求すら無視したのである(少年38裏)。彼らは、自白を採ることに夢中で他のことは考えていなかったのである(増永5―49裏)。

    高橋勇夫らは、少年が嘘の氏名を述べていたことにつけこんで少年を怒鳴り、机をたたいて少年を威嚇し、あるいは「おまえの後ろにおまえが殺した女の子の霊がいる」などと言って少年を脅し、自白を強要した(少年39表〜41表)。

    前日の午後八時三〇分過ぎころから、警察官らに事実上身柄を拘束され、更に午後一一時前ころからは場所を浦和警察署に移されて、後述するように両親との連絡さえ取ることを許されず、何の理由も告げられないまま警察官の追求にさらされた少年は、ついに一一月二三日の午前二時四〇分ころ、少女の首を絞めたという事実を述べるに至り、引き続き高橋勇夫らの取調べを受け、いわゆる上申書なる書面の作成を強要されたのである。

    しかし、かかる自白をした当時の少年の疲労の程度、心理状態は想像を絶するものであった。

    高橋勇夫は、少年が上申書を書き終えたという午前四時ころまでまったく少年に対し休憩を与えていなかったと断言しており(高橋11表裏)、更に、増永は、上申書の後に休憩したことはないと断言している(増永5―23表)。しかし一方、少年は、自分が少女の首を絞めたと警察官に述べた時点で休憩を許され、一五分ほど机にうつぶせになる状態で休み、またトイレにも行かせてもらったと述べている(被告人42裏、43表)。

    捜査官は休憩を与えなかったと述べ、逆に少年は休憩を与えてもらったと述べているのである。

    ところで、増永は、取調べの途中で少年が二回ぐらい時間にして数十秒くらい机に伏せるような態度を示したことがあると述べている。

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    少年の疲労の程度等にはなんらの関心を持たず、ただただ自白を獲得することだけを考えていた捜査官にとって、少年が机に伏せるような態度をとったとしても、別段の興味、関心を持つことはなかったのであろう。しかし一方、少年にとっては、前夜からの間断なき取調べの間にほんのわずかな時間でも机に伏せて捜査官の追求から逃れた時間がとれたということは、非常に印象深いことだったのである。

    捜査官から許されて机に伏せたわけではないにもかかわらず、ましてや休憩を許されたわけでもないのに、そのように誤解してしまうほど、少年は疲労し、また心理状態も混乱していたのである。

    実際、上司からやめろと言われるまで続けるつもりで取調べに臨み(増永5―17表) 、少年が時々取り調べ室の中で顔を机の上にうっぷすような状態になったのを見ても、取調べをやめようとか休憩しようとか考えなかったと断言している(増永5―26表) 捜査官が、少年に対し、一五分もの長時間にわたり休憩など与えるはずがないのである。

    しかたなく机に伏せてしまった自分の行為について、それが、捜査官の許可のもと与えられた休憩と信じてやまないほど少年の疲労と混乱は増大していたのである。

    少年から少女の首を絞めたという供述を引き出すことに成功した高橋勇夫らは、引き続き少年に対する追求を続行し、「私の起こしてしまった犯罪」と題するいわゆる上申書を作成させた。言うまでもなく、高橋勇夫らは、上申書の作成に先立って少年に対し黙秘権を告げるなどの権利告知は一切行っていない。この上申書なる書面は、少年が自ら進んで自発的にその作成を申し出たものではなく、高橋勇夫が、わざわざ少年にその作成を求めた書面なのである(高橋10裏)。まさに、少年は、捜査官から、浦和警察署の取調室において、自己の犯罪事実についての供述を求められたのである。「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」という憲法第三八条第一項の要請を受け、刑事訴訟法は、その一九八条第二項において、捜査官に対し、「取調べに際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない」という明文をもって供述拒否権の告知を義務づけている。

    高橋勇夫らは、かかる憲法、刑事訴訟法の要請を恥ずかしげもなく無視したのである。黙秘権を告げなかった理由として、高橋勇夫は、「まだ本件犯行を供述しておりませんし、何としても上申書を、真相を話していただいて上申書を作成しなければと、こう思っておりましたので。」(高橋10表)と述べている。

    高橋勇夫らが、取調べに際して、被疑者たる少年に、黙秘権の告知を敢えてしないまま、その供述を強要したことは明らかである。

    もっとも、高橋勇夫らは、右少年に対する一連の取調べそれに引き続いての上申書の作成という事実について、これは取調べでなく「職務質問の継続の延長」であると述べ、自己の行為を正当化しようとしている(高橋9 裏)。しかし、「相当事件に関与している」との認識を持って(高橋13裏)、休憩も与えず、取調室から一歩も出さず(高橋18裏)、真相究明のために(高橋19裏)、「事実を聞き出す」という捜査官の行為は、取調べでなくて、何を意味すると言うのだろうか。明らかに、高橋勇夫らは、公判廷において、宣誓の上、虚偽の証言をしたのである。

  平成三年一一月二三日付の高橋勇夫作成名義の捜査報告書にも、午前二時ころから午前五時一五分ころまで、高橋勇夫らが、少年を取り調べたと言う事実が明記されているのである(高橋22裏増永36裏)。高橋勇夫らは偽証罪にも匹敵する虚偽の証言をしてまで、自己の行為を正当化しようとしたのであるが、まさに、この証言の欺瞞性は、高橋勇夫ら自ら作成した捜査報告書の記載により、裁判所の面前において明らかとなってしまったのである。

    増永は、上申書の作成後、引き続いて少年を取調べたとし、その際には、少年に対し、黙秘権をあらかじめ告知したと証言している。つまり、増永は、上申書の作成までは職務質問の継続であったが、以後の手続きは少年に対する取調べなので、黙秘権を告知したというのである(増永4―7表、同5―23表裏、36裏)。しかし、このような重要な事項、つまり手続きそのものが職務質問から取調べに転換したという事実、そして右転換に際し、法が要求する黙秘権を告知したという事実のいずれについても、同人作成名義の捜査報告書には一切記載がないのである(増永5―24表、36表裏)。  その後少年を取り調べた他の捜査官が作成した捜査報告書書には、黙秘権告知についての記載がなされているにもかかわらず(増永5―25裏)、重要な転換点における取調べを開始したとする増永作成の捜査報告書にかかる事実についての記載が全くないということは、増永から黙秘権の告知など受けていないとする少年の供述が真実であることを物語って余りある。

    むしろ、増永は、少年が上申書を書かされている時、自らは調書の作成に取りかかり、反省文の下書きを見て、そこに記載されていない事項を補充して取調べを完結させるため(増永4―6裏) 、既に捜査官として得ていた死体発見の状況、場所等に関する情報に符合させて、調書を作文してしまったのである。少年は、「君がさっき言った反省文を書いた後に、増永さんという警察官が調書を取っているようなんですけれども、どうですか」という質問に対し、「反省文書いている時に、むこうの人も何か書いていたようでした」と供述しているが(被告人46表)、この少年の供述は、黙秘権も告知しないまま調書を作成した状況と見事に合致する。