昭和六二年 第一三三五号
意 見 書
被告人
右の者に対する強姦未遂被告事件につき、検察官が昭和六三年九月二七日付で提出した証拠調請求書に対する弁護人の意見は次のとおりである。
昭和六三年一〇月一四日
右弁護人
浦和地方裁判所第三刑事部 御中
記
検察官は、@昭和六三年七月二〇日付報告書(留置人出入要請書添付)及びA同年九月一六日付報告書(留置人出入要請書添付)を、刑訴法三二三条一号ないし二号に該当すると主張するが、右各書面は刑訴法三二三条のいずれの条項にも該当しない伝聞証拠であり、証拠能力は認められない。以下にその理由を述べる。
一(刑訴法三二三条一号該当性)
刑訴法三二三条一号は、コモン・ローないしそれを承継したアメリカ法において認められる伝聞証拠の例外の一つである「公的記録(public records)」の証拠能力を規定するものである(江家義男『刑事証拠法の基礎理論(改訂版)』(一九五二)七七頁以下、一一六頁以下)。
公的記録が伝聞証拠であるにも拘らず証拠として許容されるのは、その記述が当該公務員の公的義務であり、かつ、その内容の公示性が信用性の状況的保障となるからである(江家・前掲七七頁)。すなわち、当該書面の作成が作成者の公的な義務であり、作成者がこの義務の遂行上正確な記載を行なう高度の蓋然性があること(義務性)、ならびに、作 成された文書が一般公衆の情報源としてその用に供され、一般公衆がその不正確性を正す機会を与えられている(公示性)という情況的事実が記載内容の真実性を類型的に担保するのである。
右の情況的事実のうち「公示性」については、イギリス法においてはこれが要件とされているがアメリカ法では要件となっていない(McCormick on Evidence (3rd ed.1984) p889) 。しかし、我が刑訴法三二三条一号がこの点についてイギリス法の立場に立っていることは同号の文言から見て明らかである。「戸籍謄本」は「何人でも」これを入手することができるし(戸籍法一〇条一項)、「公正証書謄本」は嘱託人やその承継人をはじめ証書の趣旨について利害関係を有する者ならばその交付を請求できるのである(公証人法五一条一項)。刑訴法三二三条一号が「公務員がその職務上証明することができる事実」というのは、このように一般市民からの要請によって公務員が証明することが法令上保障されている事実を意味するのである。
検察官が証拠請求する「留置人出入要請書」が、「公示性」の要件を満していないことは明白である。検察官も自認するとおり、留置人出入要請書は「警察部内の書面」であり、留置人本人であれ、その弁護人であれ、一般市民はその交付を請求することが許されていないのである。
公的記録の作成義務は法律に基づくものでなければならない(Fed.R. Evid. 803(8)) 。民主的基礎を有する議会が制定した法律によって作成義務が課されるがゆえに、文書の記載内容の正確性がより高度に――伝聞法則の例外として許容しうる程に――担保されるのである。単なる行政委員会規則や内部通達によって伝聞法則の例外を設けることは許されないのである。
「留置人出入要請書」には――戸籍謄本や公正証書謄本などと異なり――このような法律上の根拠がない。検察官が言う「埼玉県被疑者留置細則」は埼玉県警察本部長の訓令である(弁護人は県警本部総務部留置管理課に条項の内容の開示を口頭で求めたが、「内部の文書であるから」として断られた)。
「留置人出入要請書」は警察官が作成する書類である。公的記録が伝聞法則の例外として許容されるのは、先に述べたように、作成者が正確な記載を行なう高度の蓋然性があるからである。刑事訴訟において警察官は被告人と鋭く対立する利害関係を有している。そして、留置人の出入れの状況を記載した「留置人出入簿」等が、近時、自白の任意性に関する証拠として裁判所において使用されている事実(守屋克彦「取調べに関する事実認定と自白の任意性 」判時一二四八―一一(一九八七)一二頁)を警察官も当然意識しているであろう。このような立場にある者の作成した書面の信用性を「高度」と評することは許されない。作成者である警察官を法廷に呼ぶこともなく、無条件でこれを採用することは被告人の証人対質権並びに反対尋問権を奪うに等しい。
一九七五年に連邦議会が制定したアメリカ連邦証拠規則は、警察官その他の法執行機関職員が観察した事実に関する記録は、刑事事件においては「公的記録」として採用することが許されないことを明記している(Fed.R. Evid. 803(8)) 。刑事裁判が法執行機関と被告人との対立構造をもち、法執行機関の主張や観察の真否がそのテーマである以上、これらを被告人側の弾劾にさらすことなく一方的に真実であると仮定することは裁判の否定に繋がるのである。
二(刑訴法三二三条二号該当性)
刑訴法三二三条二号は、英米法におけるもう一つの伝聞法則の例外である「業務上の記録 (business records) 」の証拠能力に関する規定である(江家、前掲七九頁以下、一一七頁以下)。
「業務の通常の過程において作成された書面」は、記載が規則的かつ継続的になされるうえ、その正確性が監督者によって随時チェックされることから、高度の信用性が保障されているとされる(McCormick on Evidence p872) 。
本号の記載も、前号同様、非常に簡略なものであり、いかなる要件が存する場合に「業務の通常の過程において作成された書面」といえるのか、そしてその要件はいかなる証拠に基づいて立証されなければならないのかについて何も述べていない。そして、これらの点に関する我が国の判例には見るべきものがない。
イギリスやアメリカにおける business records の理論は判例や立法を通じていくつかの変遷を遂げているが、E・M・モーガンは一九五四年当時の通説的見解を次のように説明している。
「 記帳が正常の一連の記入の一つであったこと、記録が最初の永久記録であることを必要とする。また、記帳者が記録された事項について自ら経験した知識を持っていたこと、記帳者がその記入をしたのは業務の正常の過程において取引や記録事項が行われた時またはその頃であったこと、それから、そのような記録をそのような時にすることが業務の正常の過程であったこと、がそれぞれ必要とされる。いくつかの判決意見中には、記帳者に虚偽記入をする動機がなかったことが必要だと述べられており、そのような動機があらわれている場合にその記載が証拠として排除されることは疑いない。しかしその記帳が他の点では判例法則上の要件を満す場合には、不相当な動機のないことが推定される。かりに記帳が出来事や状態の規則正しいそして体系的な記録の一部であっても、そのような出来事や状態を観察し記録することがその記帳者の業務でも職業でもない場合には、要件は満足されない。私的な日記の記入のごときがそれである。たとえそのような日記の記載事項のあるものが特定の人との業務上の取引を記録していてもだめである。他方、この判例法則は商業上の業務の記録に限られない。それは婚姻、洗礼、および死亡に関する教会の登録を含み、病院その他の施設の記録を含む。」(エドムンド・M・モーガン『証拠法 の基本問題下』最高裁事務総局(一九五九)九五頁)
そして、連邦証拠規則(一九七五)の次の規定は英米法の一つの到達点を要約している。
「 いかなる形態であれ、即時にあるいは近接した時に、直接の認識を持った者によってあるいはその者からの情報に基づいて作成された行為、出来事、状態、意見あるいは診断についてのメモ、報告、記録、情報集積(data compilation) で、これらが通常行われる業務活動の過程おいて作成されたこと、及びこれらのメモ、報告、記録、情報集積を作成することが当該業務活動の通常の実務であることが、担当者あるいはその他の資格ある証人の証言により示されたとき。但し、情報源又は作成の方法や情況が信用性の欠如を示すときはこの限りでない」(Fed.R. Evid. 803(6))
もちろん、アメリカはアメリカであり、日本は日本である。しかし、伝聞法則の例外として「業務上の記録」の理論をアメリカからそっくり輸入しておいて、あとからその内容を、何の合理性も示すこともなく自分勝手にアレンジして良いのだろうか。
前記一 に指摘したとおり、本件「留置人出入要請書」の作成者は警察官であり、刑事裁判において被告人の利害と鋭く対立する者である。
このこと自体、信用性の欠如を示すものではあるが、少なくとも書面の作成者ないし担当者に対して、書面の正確性について反対尋問する機会を被告人に与えるべきであり、その上で裁判所は書面の証拠能力を判断すべきである。
本件「留置人出入要請書」が、留置人の出入れについて直接の認識を持つものの情報に基づいて、即時にあるいは近接した時に、業務の通常の過程において作成されたものであることについて検察官は何の立証も行なっていない。
検察官申請の証人中里博は、本件強姦未遂事件の捜査主任官であって、留置人の出入に関する担当者ではない。したがって、中里は「資格ある証人」とは言えない。
のみならず、本件留置人出入要請書は、その記載の体裁自体が信用性の欠如を示している。
検察官提出の留置人出入要請書の記載事項を見ると、「出入予定」欄と「連行場所」欄が空欄となっていることが多いのに気付く。このことは、所定の事項を空欄にしたまま、必要な署名押印だけを先に貰うという、日本の役人にしばしば見られる行動様式が警察内部にも及んでいることを示すものであり、他の記載についても「即時にあるいは近接した 時」に記入されたものではなく、後から書き込まれたのではないかと疑わせるに充分である。
そして再に、本件留置人出入要請書が二回に分けて、しかもその間約二ケ月の期間をおいて、提出されたことは実に不思議である。留置人出入要請書が「商業帳簿」や「航海日誌」のように業務の通常の過程で作成されかつ一冊の簿冊となっているのであれば(被疑者留置規則第五条は、留置人出入簿が「簿冊」として備えられるべき旨を明記している) このような事態は決して起らないであろう。
一度発見できなかった書類が二ケ月後に「再度調査した結果、別紙添付のとおり発見できた」(昭和六三年九月一六日付報告書)という事態は、本件留置人出入要請書が「業務の通常の過程」において作成されたものではないことを雄弁に物語っているのである。
三(結 語)
以上述べたとおり、本件留置人出入要請書は刑訴法三二三条一号にも二号にも該当せず、証拠能力は認められない。
被疑者の取調状況については客観的証拠は殆どないのが現状である。したがって、留置人の出入の状況を逐一記載したような体裁をもつ留置人出入簿のような書面に事実認定を頼らざるを得ないのは理解できる。しかし、留置人出入簿は決して「客観的証拠」ではない、という事実に注意していただきたい。
「留置人出入要請書」は、留置人出入簿(被疑者留置規則によって備付けが義務付けられている簿冊である)より再に質の悪い証拠である。裁判所が質の悪い証拠を易々と受け入れ続ければ、警察は良質の証拠を用意する努力を怠るであろう。