平成12年(わ)第●☆★■号等

異議申立書

平成13年3月29日  U地方裁判所第3刑事部 御中
被 告 人   甲 野  太 郎                    
弁 護 人   萩  原   猛

第1 異議の趣旨  
被告人に対する傷害被告事件について、裁判所の平成13年3月28日付下記決定は、傍聴人との間で衝立を設置することを認める部分を除いて、違憲・違法(憲法31条、37条1項・2項、刑事訴訟法157条の3第1項の各違反)であるので、異議を申し立てる。
記  
証人乙山花子と被告人及び同証人と傍聴人が相互に相手の状態を認識することができないようにするため、同証人と被告人及び傍聴人との間に衝立を設置する。
第2 異議の理由  
 憲法37条2項の趣旨  
憲法37条2項は、1791年に採択された合衆国憲法第6修正の「コンフロンテーション・クローズ」を承継したものである。同項は次のように定める。すべての刑事上の訴追において、被告人は、…自己に対立する証人と対決する権利を…行使できなければならない。In all criminal prosecutions, the accused shall enjoy the right …to be confronted with the witnesses against him.この規定の起源となったのは、1603年に行われたサー・ウォルター・ラリー(Sir walter Raleigh)に対する反逆罪である。ラリーは、国王ジェームズの治政を転覆するためにアルベラ・スチュアートを王位に着かせる目的で、不平分子に資金援助することを企てたとして訴追された。ラリーに対する訴追の最大の根拠になったのは、共謀者とされるコブハム卿がロンドン塔(15世紀以降反逆人の監獄として使用され、拷問等が行われたことで悪名高い)での取り調べの際にした供述であり、彼は、ラリーを首謀者として名指ししていた。ラリーは罪を否定し、法廷において、コブハム卿が供述を撤回していることを示した。ラリーは、制定法は被告人を有罪とするには2人の証人を必要としていると述べ、更に「私を名指しする者を呼び、私と面と向かって(face-to-face)対面させよ」と要求し、「コブハム卿は生きている」とも指摘した。裁判官たちは、しかし、問題の制定法は廃止されたと告げ、証人を喚問することもなく、ラリーに死刑を言い渡した。  被告人とそれに敵対する主要証人との「面と向かっての対決」(face-to-face confrontation)は第6修正の権利の基礎となった。即ち、被告人は自分の罪が決定される場に在席し、敵対する証人の供述を見聞する権利が保障される。1988年の連邦最高裁の判決は、コンフロンテーション・クローズは、被告人の方から証人を見聞できるだけでなく、証人の方からも被告人がその視界内にあることも保障しているとした(Coy v. Iowa,487 U.S. 1012〔1988〕)。  この面と向かっての対決の権利の他に、この条項に基づく権利は、被告人による敵対証人に対する反対尋問の権利を含むものとされ、しばしば、対決の第一の目的は反対尋問を行うことにあることが強調されるようになった。こうして多くの判例において、被告人側の反対尋問の機会がなく、あるいは不十分にしか与えられなかったときはコンフロンテーション・クローズの違反があるとされた。日本国憲法の基礎とされたGHQ草案の最初のドラフトは次のように記載していた(犬丸秀夫他編著「日本国憲法制定の経緯―連合国総司令部の憲法文書による」第一法規142頁)。被告人は、公判において、自己に不利益なすべての証人と対決し、弁護人を通じてこれらの証人に反対尋問することが許されなければならない。 GHQ草案の確定案では「対決」の部分が削られている。被告人は、すべての証人に対して反対尋問する機会を十分に与えられなければならない。しかし、これは「面と向かっての対決」の権利を否定する趣旨ではない。最終案では第一次試案に見られた重複がなくなり、全体的に条文が簡潔になったのであるが、この傾向を反映したにすぎない。この条文の変化をもたらしたのは、1946年2月9日に行われた「運営委員会と人権に関する小委員会の合同会議」であるが、そのときのやり取りは次のとおりである(高柳賢三他編著「日本国憲法制定の過程」有斐閣213頁以下)。 …ホイットニー将軍は、公判に関する条文の中の、被告人は自己に不利益な証人全てと対質せしめられ、弁護人を通じてこれらの証人に対し反対尋問を行うことを許さるべきである旨の規定を問題とした。現在行われている戦争犯罪人の裁判においては、われわれはこういう手続をとっていない。山下の裁判では、宣誓口供書が法廷に提出され、しかも山下にはこの証拠につき反対尋問をなす機会が与えられていない。われわれは戦争犯罪人の裁判をするときにはこのような手続によるのを便宜だとしながら、憲法ではそれとは違った手続を設けるということだと、この点について、日本人がわれわれを批判するであろう、と述べたのである。ラウエル中佐はこれに答えて、戦争犯罪人の裁判は軍法に基づいてなされているのであり、憲法は一般法を定立するものである、その上、戦争犯罪人の裁判についてのわれわれのやり方が日本人の裁判感覚にショックを与えると考える理由は、ほとんどない、日本法は、これまで、アメリカ式の反対尋問を認めていなかったからである、と述べた。結局、原文は次のように改められた。「被告人は、すべての証人に対し反対尋問をする機会を十分に与えられなければならない。」  この議論から「対決の権利」を否定する趣旨を読みとることはできないだろう。むしろ、右の議論は、フィリピンにおける山下泰文に対する裁判を引き合いに出して、多数の供述録取書面によって被告人を有罪とするような裁判を否定しようする条文の趣旨が如実に示されている。GHQ草案の日本政府への提示後の交渉の過程で、「反対尋問」は「審問」に改められたが、これは日本政府の当局者がcross-examinationの正確な意味を知らなかったことによるものである(佐藤達夫「日本国憲法成立史第三巻」有斐閣127頁)。当時のわが国の法曹一般にとって「反対尋問」という言葉は馴染みのないものであり、実際にも行われていなかったのである(鈴木勇「証拠法を中心とする新刑事訴訟手続の解説」近代書房71頁)。それ故、憲法の条文としては「審問」という表現が採用されたのである。要するに、日本国憲法37条2項は、合衆国憲法第6修正のコンフロンテーション・クローズと同じ趣旨と目的を持った規定として制定されたものなのである。  
2 刑事訴訟法157条の3の違憲性  
憲法37条2項は、前述のように合衆国憲法第6修正のコンフロンテーション・クローズと同様に「面と向かっての対決」(face-to-face confrontation)の権利を保障している(刑事訴訟規則124条は「必要があるときは、証人と他の証人又は被告人と対質させることができる」と規定しているが、これも憲法が被告人の対決権を保障していることを前提としたものである)。  刑訴法157条の3は「証人の遮へい」を認めているが、その要件を「犯罪の性質、証人の年齢、心身の状態、被告人との関係その他の事情により、証人が被告人の面前において供述するときは圧迫を受け精神の平穏を著しく害されるおそれがある」と認められる場合で、かつ、裁判所が「相当と認めるとき」と定めている。この要件は、被告人の上記憲法上の人権を制限するものである以上、極めて厳格に解釈されなければならない。この点、合衆国のメリーランド対クレイグ事件判例が参考となる。被告人クレイグは6歳の子供に対して性的虐待を与えたという罪により起訴され、メリーランド州の法廷において裁判を受けた。メリーランド州法によって裁判官は、法廷における証言はその子供に重大な感情的混乱をもたらし、彼女が合理的に話すことができない可能性があるという理由で、法廷とは別の部屋での証言を許した。この手続では子供と検察官及び被告人の弁護人は法廷から他の部屋へ移り、そこで子供の証言が行われ、反対尋問を行うことも許された。裁判官・陪審員及び被告人は法廷にとどまり、部屋から法廷に通じる一方方向のテレビで証言を聴取した。クレイグは、メリーランド州の法律が彼の証人対質権を侵害するものであると異議を述べた(ロランドV.デル=カーメン「アメリカ刑事手続法概説」第一法規382頁)。合衆国連邦最高裁(1990年)は、保護の必要があることの「個別的証明」に基づき、一方的クローズドサーキットテレビを使用したことは、被告人の対面権を侵害しないとしたが、個別的証明については、次のように判示している。「必要性の認定は不可欠であり、事案毎になされなければならない。また、子供の証人が一般的に法廷でというのではなく、被告人の立会により精神的衝撃をうけるという認定も必要である。公判裁判所は被告人の立会の下で子供の証人に生じる精神的衝撃が最低限の即ち証言するのに単に神経質になっている、興奮している、証言を多少嫌がっている、という以上のものであると認定しなければならない。」その上で、争われた「メリーランド州法は合理的にコミュニケートできないほどの重大な精神的衝撃を子供の証人が受けるという認定を要求しており、これらは明らかに憲法上の規準を充たすからである」と判示した(津村政孝「虐待の被害者である子供の証人尋問に一方向のクローズドサーキットテレビを利用することが被告人の証人審問権を侵害しないとされた事例」日米法学会『アメリカ法1994年2号』375頁)。 また、合衆国連邦法では、ビデオリンク方式の要件として次のように規定している。「(B)児童が、次の理由により被告人の在席する公開法廷では証言できないと認められるときは、裁判所は、児童の証人尋問が(A)に定める閉鎖回路テレビにより行われるよう命ずることができる。(@)児童が恐怖のために証言できないこと。(A)児童が証人尋問により心的外傷を被る相当の可能性があることが専門家の証言により証明されること。(B)児童が精神的な又はその他の疾患にかかっていること。(C)被告人又は弁護人の行動が、児童に証言を続けることを不可能にさせること。(C)裁判所は、児童の証言不能について、記録上認定を記載して決定しなければならない。(B)に掲げる一以上の要因の個々の児童に与える影響が(A)の命令を正当化するほど重大か否かを決定するに当たっては、裁判所は、判事室又は法廷以外の快適な場所で、児童の同席者、検察官、児童の代理人、特別後見人、及び弁護人の在席の下、相当な時間、記録を取り、未成年者に質問することができる。」なお、「(A)に定める」とは、「児童の証言が法定外の部屋で行われ、かつ、それが双方向閉鎖回路テレビ」による中継方式をいう。以上、合衆国での第6修正コンフロンテーション・クローズの制限要件を見たが、それは極めて厳格である。要するに、証人が、性的虐待等の犯罪による被害者であり、かつ、被告人の在席する法廷で証言することによって心的外傷を被るほどの精神的衝撃を受けるということが、専門家の証明等によって個別的に立証されなければならないということである。しかも、合衆国の場合ビデオリンク方式なので、証人の状態を識別できるが、「証人尋問の際の証人の遮へい」措置は、相互に相手の状態を識別することができないような場合には、被告人が証人の証言態度を観察できないことになり、ビデオリンク方式による場合よりも、もう一段、被告人の反対尋問権・対質権に対する制限が高いと言わなければならない(川出敏裕の発言参照「座談会/犯罪被害者の保護―法制審議会答申をめぐって」『ジュリスト』1176号有斐閣21頁)。 わが国の刑訴法157条の3の解釈においても、上記合衆国の要件と同程度の厳格性が要請されていると解すべきである。そのような限定解釈を施して初めて同条は辛うじて合憲性を肯定できるというべきである。少なくとも、何らの証明なく、検察官の意見だけで要件を認定するなどということは許されるべきではない。
3 証人乙山花子は、幼児でも、性的虐待の被害者でもない。検察官は、本件を性犯罪と捉えているが、これは検察官の勝手な臆見に過ぎない。そもそも、検察官が公訴提起した事実は、被告人が証人乙山の頭髪を切断した行為であり、これを検察官は「傷害」として起訴したのである。確かに、頭髪切断に至るまでの間、被告人と証人との間に性交渉があったことは事実である。しかし、それは全て合意の上で行われたことである。検察官は、この間の被告人の行為を、冒頭陳述においては次のように述べている。
中略
この検察官の主張が事実なら、被告人の行為は、凄まじい性的陵辱行為というしかない。被告人の行為が、監禁・強姦・強制わいせつに該当することは司法試験の受験生にも理解できるであろう。単なる「傷害」で済むわけがなかろう。しかし、検察官が公訴提起した事実は髪を切ったという「傷害」のみである。これは何を意味するかと言えば、検察官の前記冒頭陳述は、裁判所に予断を与えることのみを目的としてなされたものであり、初めから立証することを放棄している、つまり冒頭陳述で掲げながら、本気で立証するつもりがない事実ということである。もしも、本気で立証するつもりがあるなら、この事実を不起訴にする理由はないであろう。これは極めてアンフェアなやり方である。  証人乙山は、事が終了した後、被告人の財布から現金16万円を抜き取り、その後U警察署に、略取・監禁・強姦されたと虚偽の事実を告訴し、警察の取調べに際しても平然と虚偽供述を維持し続けた人物である。前記のような性的陵辱行為を受け、反抗を抑圧され精神的・肉体的に打ちひしがれているような「被害者」ではない。もしも、彼女が被告人との「対面」を恐れるというなら、それはかつて虚偽供述をしたこと、あるいは今後偽証することに対する恐怖以外の何物でもないであろう。  以上、証人乙山については、「証人が、性的虐待等の犯罪による被害者たる幼児であり、かつ、被告人の在席する法廷で証言することによって心的外傷を被るほどの精神的衝撃を受けるということが、専門家の証明等によって個別的に立証される」ということはあり得ず、刑訴法157条の3の要件を具備することは不可能なので、同条の遮へい措置を講じることは許されないものである。
4 反対尋問の実効性の喪失証人との直接対面が保障されない場合には、実質的にみても反対尋問の実効性が失われてしまうものである。  反対尋問においては、証人の証言態度を細心の注意をもって直接に観察することが、その実効性を確保するうえで最も重要な前提条件である。遮蔽措置がとられた場合、そうした観察は不可能になる。この場合、刑訴法157条の3第1項但書が被告人において証人を観察できないような遮蔽措置をとる場合には弁護人の在廷が要件となると規定していることから、被告人が観察できなくても問題はないとの発想もあり得ると思われるが、不当である。反対尋問の実効性の確保は、被告人自身の憲法上の権利の問題だからである。弁護人が対面しているから良いというわけにはいかないのである。実質的に考えても、本件のように、被告人と証人との密室での行為が問題となり、事実が争われる場合においては、被告人自身が証人の証言態度を観察できないと、反対尋問はその実効性を完全に喪失してしまうのである。何故なら、問題の証人尋問においては、被告人と証人との位置関係、行為の具体的状況、両者の身体の部位の接触状況等が、部屋内部の客観的状況との対応関係において詳細に尋問されなければならず、その各状況が正しいか否かを検証しながら尋問が進行していくものと想定されるが、その検証ができるのは、実際にその場に居た被告人以外にないからである。証人の、質問に対する証言、身振り、態度、図面・写真等の証拠物を示されての証言・身振り等を被告人が法廷において観察し、気付いた点を直ちに弁護人に伝達し、また弁護人が被告人に問い質すことができる状況が保障されていなければ、被告人の反対尋問権・防御権は危殆に瀕すると言わなければならない。以上の点を踏まえれば、少なくとも、被告人が犯罪事実を争っている本件のような場合には、裁判所としては「相当性」を欠くものとして、遮蔽措置を認めるべきではない(川崎英明「犯罪被害者保護二法と刑事手続」『法学セミナー』2001年4月号日本評論社53頁)。そのように解釈するのが正当な解釈であり、公正を旨とする裁判所の使命である。
5 公平な裁判を受ける権利の侵害本決定は、検察官の意見のみを採り上げ、無罪推定を受ける被告人の意見を一顧だにしない、著しく検察側に傾斜した決定である。裁判所は、この決定を出すに際して、一体如何なる証拠調べをしたというのか?証人の意思を直接確かめることも、被告人の意思を直接確認することも全くしていない。ただ、検察官の言いなりに、まるで検察官の言い分は全部正しいとでもいうかのように、理由も示さず、本決定を出した。裁判所のこのような態度は、被告人の公正・公平な裁判を受ける権利を侵害するものである。 最後に被告人から証人をガードするような形で法廷に遮へい物が設置されるということは、それだけで、証人は「被害者」であり、被告人は「加害者」であるという記号が法廷内に出現することを意味する。無実を争う被告人にとって、これは大きなダメージである。それは、証人がどのような態度で・表情で、証言しているかが被告人から全く分からず、同人の防御権行使に現実的不利益を及ぼすだけではない。裁判の主催者である裁判所も含めて法廷全体が、被告人を最初から犯人であると糾問する構造となるのである。これは近代刑事裁判の最も基本的な原則である「無罪推定の原則」を根本から動揺させるものである。  著名な刑事弁護士でもあるサザン・メソジスト大学ロー・スクール教授ローク・M・リードは、証人が被告人の前では証言できないといった場合に被告人を退廷させて証言を求めることができるかと問われて、こう答えている(ローク・M・リード、井上正仁、山室恵「アメリカの刑事手続」有斐閣278頁)。…争いのある事件では、告発者=検察側証人と被告発者=被告人とが物理的にも対面することが、大事なことだからです。…私自身の意見としても、もし自分が起訴されて犯罪事実について争っている場合に、自分が退廷させられたままの状態で、証人が出てきて自分を有罪だと指弾するといったことが行われるとしたら、激しい怒りを感じるでしょう。不公平だからです。 われわれ市民が裁判官に求めるものの第一は、フェアネスである。フェアネスなくして「法の支配」もない。どうか、リード教授のように、自らが、無実を争う被告人の立場にあったらどう感じるか、このことをもう一度考え直して自らの過ちを訂正して頂きたい。