特別抗告申立書
逮捕監禁等 被 告 人
右被告事件について、浦和地方裁判所第一刑事部が一九九五年二月六日付でなした忌避申立却下決定に対する弁護人の即時抗告を棄却した東京高等裁判所同年二月一六日付決定(同裁判所平成七年(く)第二八号)に対して、次のとおり特別抗告を申立てる。
一九九五年二月二五日
弁 護 人 高 野 隆
最高裁判所 御中
抗告の趣旨
一 原決定及び原々決定を取消す。
二 裁判長裁判官羽渕清司、裁判官小池洋吉、裁判官大島淳司を忌避する。
抗告の理由
一 原決定は、弁護人の即時抗告の趣旨を次のように要約している。
……要するに、被告人に対する前記被告事件を担当している裁判長羽渕清司、裁判官小池洋吉及び同大島淳司は、前記被告事件の共犯者とされる者らに対して有罪判決を言渡しているから、被告事件について不公平な裁判をする虞がある……というのである。
この要約は、東京高等裁判所の裁判官たちが弁護人の忌避申立書や即時抗告申立書をちゃんと読んでいないために誤ったか、あるいは、抗告棄却の決定書を書きやすくするために、意図的に弁護人の主張を歪めて記載したものか、のいずれかである。弁護人は、忌避申立書のなかでも、また、即時抗告申立書のなかでも、本件が「裁判官が共犯者に対して被告人との共謀にかかる公訴事実につき有罪の判決をした」というだけの事案ではないことを強調している(忌避申立書二〜四頁、即時抗告申立書三頁)。そのうえで、原々決定が依拠する判例とは本件は事案を異にすることを主張しているのである(忌避申立書六頁、即時抗告申立書三頁)。
すなわち、本件では、単に裁判官が共犯者に対して被告人との共謀にかかる公訴事実につき有罪判決を下したというだけではなく、その有罪認定の基礎となった証拠書類について弁護人は取調べに同意せず、将来にわたっても証拠として採用される余地がないにもかかわらず、裁判官は既にその内容を熟知し、しかもその信用性を全面的に肯定する判断を下しているという点を弁護人は問題にしているのである(忌避申立書四頁)。そして、この事実は、裁判官の除斥原因である前審関与や略式命令の発布と同様の危険を持つのであり、さらに実質的に予断排除の原則を定めた刑訴法二六五条四項但書きにも違反するものであるが、この点については、原々決定が引用する最高裁判例は何らの判断も示していないから、その結論に本件は拘束されるべきではないと主張しているのである。
原決定は、この弁護人の主張については何らの判断も示さないままに、弁護人の主張がすでに判例によって決着のついた問題の蒸し返しに過ぎないと決め付けて、切って捨てるようにその即時抗告を棄却した。誠に恣意的な態度である。原決定が引用する判例は、本件で提起された論点については何らの判断をもしていないのである。
二 次に、仮に、弁護人の主張を原決定のように要約することが許されるとしても、その引用する最高裁判所の判例は、原決定が引用するような趣旨の判例ではない。
最高裁判所第一小法廷昭和三六年六月一四日決定の「理由」の全文は次のとおりである。
申立人の特別抗告の理由は別紙のとおりであって、原決定が憲法三七条一項に違反するというのである。
しかし、その趣旨は、被告人大桐宇一は同被告人が田畑良幸と共謀して三回に亘り投票買収をしたという事実を認定した第一審判決に対し控訴したのであるが、その控訴審裁判所たる名古屋高等裁判所金沢支部第二部裁判長裁判官山田義盛及び裁判官辻三雄は、さきに田畑良幸に対し被告人大桐宇一と共謀して三回に亘り投票買収をしたという同一事実につき有罪の判決をしており、刑訴二〇条七号の前審関与裁判官の除斥を認めた理由の趣旨に則り右裁判官両名の裁判には不公平な裁判となる虞があるとし、原決定が所論の如き事由は同二〇条各号のいずれの場合にも当たらないとしたことを非難するのであって、要するに、右裁判官両名につき同二一条一項の忌避の原因の有無を争うに帰し、同四三三条一項の特別抗告の理由に当たらない。しかして、所論の如き事由が忌避の原因とならないことは原決定の説明のとおりである(刑集一五‐六、九七四〜九七五頁参照)。
この最高裁決定の結論(抗告棄却)は、申立人の主張は「(刑訴法)四三三条一項の特別抗告の理由に当たらない」ということによって、導かれているのであって、この部分が先例拘束性を持つ「判例」なのである。「しかして、……」以下のワンセンテンスは、ただの付け足しである。法廷意見を執筆した裁判官による論証のない独り言のようなものであって、いわゆる「傍論」(obiter dictum)というほどのものでもない。百歩譲ってこれを「傍論」と呼ぶとしても、傍論に判例拘束性が認められないことは言うまでもない。
この決定を搭載した『最高裁判所判例集』一五巻一六号の九七四頁には、この決定の「決定要旨」として、「裁判官が共犯者に対して被告人との共謀にかかる公訴事実につき有罪の判決をしたことだけでは、被告人に対する右公訴事実につき審判をするにあたって忌避の原因とはならない」と記載されている。しかし、判例集に付された「決定要旨」は、判例集の編纂者のコメントに過ぎないのであって、先例拘束性の認められる「判例」の一部をなすものではない。
以上のとおりであり、原決定が依拠する最高裁判所の命題は、最高裁判所判事がなしたものではあるが、当該事案の解決にとって全く不必要な文言であって、このような命題に先例拘束性を認めることは、日本国憲法が定めた最高裁判所の権限を逸脱するものであり、裁判官の独立を定めた日本国憲法七六条三項に違反する。
一 高松高等裁判所昭和二五年三月一八日決定は、同一の裁判官が被告人と共犯関係に立つものとして他の被告人を有罪としたときは、新刑訴の精神から見て、二一条一項に該当すると認められるので忌避の申立があれば認容すべきであると明確に判示している。そして、同決定は、そのように解する実質的な理由について、次のように懇切な説明をしているのである(高刑集三巻追録一頁以下参照)。
本件訴訟記録を調査すると、(一)本件公訴事実は被告人真鍋通は源代宗利、小池実等と共謀し昭和二十三年六月十七日午前二時過頃西条市百軒巷松本米太郎方に於て同人及び其の妻シゲヨに出刃庖丁を突きつけたり同人等を縛り上げたり等した上其の所有の現金三千円位衣類等四十点余を強取したというのであつて此の被告事件は松山地方裁判所西条支部判事太田元が担当したこと、(二)然るに同判事は曩に源代宗利に対する強盗被告事件(旧法手続による)及び小池実に対する強盗被告事件(新法手続による)を担当審理し孰れも「源代宗利、小池実、真鍋通(本件被告人)は共謀して昭和二十三年六月十七日頃西条市百軒巷松本米太郎方に於て強盗した」との事実を認定し、源代及び小池の両名に対し有罪の判決をした事が明白である。
而してこのような場合被告人真鍋及び弁護人三浦通太が同裁判官の審理裁判を受けるならば有罪の判決を受けるであろうと危惧の念を懐くことは一応尤もなことである。然し同裁判官は曩に源代宗利、小池実について審理裁判をしたからといつて被告人真鍋通に対する審理を省略して裁判することはできぬ。同被告人についても起訴状に基いて審理せねばならず審理して有罪の判決をするには証拠に基かねばならないのである(刑事訴訟法第三一七条参照)。而して証拠によるといつても手続上証拠資料としてはならぬもの、即ち証拠能力のない証拠もあり(刑事訴訟法第三一九条乃至三二八条参照、尚申立人主張の共犯者源代宗利、小池実の司法警察官に対する供述調書は同法第三二一条第一項第三号第三二五条の制限を受けるのである)裁判官は証拠能力ある証拠によつて罪の有無を認定するのであつて其の証拠に証明力があるかないかは裁判官の自由な判断に委ねられ(同法第三一八条参照)で居り従つて証拠の取捨事実の認定は裁判官の自由裁量に属するものとはいえ専恣偏頗な裁量は許されず飽くまで経験上の法則論理上の法則によつて判断せねばならぬのである。而も尚同裁判官が特に不公平な裁判をすると疑うべき何等の事情も発見出来ないのであるから申立人等の叙上の危惧は単なる杞優に過ぎないとも思われるのである。然しながら新刑事訴訟法は公平な裁判(憲法三七条一項)の理念から当事者主義を強化すると共に第一回の公判期日までは出来る限り裁判所を白紙の状態に置き公判の審理によつて始めて事件の心証を得るようにさせるために旧刑事訴訟法の公訴提起の方式に根本的な改正を加え起訴状には裁判官に予断を生ぜしめる虞のある書類(例えば捜査書類)其の他の物を添付し又はその内容を引用してはならないと規定して居るのであるが(形訴第二五六条第六項参照)この規定はかかる捜査書類其の他の物を添付し又は其の内容を引用すると裁判官がこれを取調べ事件について予断を抱いて第一回公判廷に臨む虞があり其の予断は先入主となつて裁判官の当該事件に対する審理及び裁判を誤らす虞がある。畢竟不公平な裁判をなさしめる虞があるということを想定して規定せられたものと解せられるのである。そうだとすれば本件の場合もこれと同じく担当裁判官は曩に同じ強盗事件について取調べて居るのであるから被告人に対する第一回公判開廷前に既に事件について予断を抱いて居る虞があり延いて不公平な裁判をする虞があるものと解することが新法の精神に合致するものと思われ同法第二十一条第一項の不公平な裁判をする虞云々の適用に当つても本件のような場合は之に該当するものと判断せざるを得ないのである。以上のような次第であつて要するに本件のような場合裁判官が不公平な裁判をする虞は事実上あり得ないように思われるのであるが新法の精神が一律にその虞があると想定して居るものと(刑事訴訟法第二十条第七号のように排斥の事由にまではしておらないが)認められるのであるから忌避の申立があれば認用すべきであつて結局本件忌避申立は理由あることになりこれを却下した原決定は取消さねばならないのである。仍て刑事訴訟法第四百二十六条第二項に則り主文の通り決定する。
二 前記のように、昭和三六年の最高裁決定は、本件に関する先例として拘束性は認められないものであり、したがってこの高松高裁決定は、今でも「判例」として生きているのである。そして、その説示の内容は、今後も末永く生き続ける価値のあるものである。この決定は、現行刑事訴訟法が施行されて間がない時期に下されたものであり、決定をした裁判官たちは旧刑訴の下で実務経験を積んだものであると思われる。しかし、彼らは、極めて謙虚に、新しい憲法と刑事訴訟法の精神に忠実な裁判をしようと努力している。原決定や原々決定の裁判官たちのような傲慢さは感じられない。
憲法三七条一項にいう「公平な裁判所」とは、少なくとも、その構成において偏頗な裁判をするおそれがない裁判官という意味であろう。経験則上事件について予断や先入観の危険を有する裁判官を含んだ合議体はこの憲法の要請に反する。
被告人の公訴事実を証明する証拠書類を予め熟読玩味し、そしてその信用性を肯定して有罪の心証をもち、その心証に基づいて共犯者に刑を言渡した人が、事件について予断や偏見を持っていると考えるのは、極めて当然の、かつ、健康な発想である。自分が被告人の立場にあったらと想像して欲しい。あなたは粛々としてそのような裁判官の裁きを受けるだろうか?
原決定が是認する原々決定は、次のように述べて、弁護人の本件忌避申立を却下している。
刑事裁判における事実の認定は、各被告人ごとに当該被告人につき適法に取調べられた証拠に基づいてなされるものであり、たとえ他の被告人との関係で取調べられたとしても、当該被告人との関係で取調べられていないものによって、事実の認定がなされることはなく、訴訟指揮等が影響されることもありえないからである。所論は単なる杞憂に過ぎず……。
この説示はsollenの世界とseinの世界を混同している。「当該被告人との関係で取調べられていないものによって、事実の認定がなされることはなく、訴訟指揮等が影響されることもありえない」「所論は単なる杞憂に過ぎず」と言い切っているその態度は、「(被告人と弁護人が)危惧の念を懐くことは一応尤もなことである」と述べる昭和二五年の高松高裁決定と対比すると、傲慢ですらある。全ての裁判官が原々決定が言うような態度を自ら律することができるならば、刑事訴訟法二五六条四項但書きは不要である。また、「略式命令」や「前審の裁判」への関与を除斥理由とする必要もない(刑訴法二〇条七号参照)。これらの規定の存在は、職業裁判官も感受性をもった人間であることを当然の前提としているのである。裁判官が取調べていない証拠を直接的な根拠として引用して被告人の有罪を認定するようなことはしないであろう。しかし、忌避申立書に引用した「結城殺人事件」の一審裁判官たちの実例が如実に示しているように、共犯者の審理で採用された証拠によって、被告人の法廷で取調べられた証拠に対する評価は多大の影響を受けるのである。「結城殺人事件」の裁判官たちは、予め共犯者小島の詳細な供述調書を読んでいなければ、彼の曖昧な公判証言の信用性を過大評価せず、結局誤判をせずに済んだかもしれないのである。
原決定は、何らの論証もなしに、経験則上事件について予断を持っている危険性が高度に認められる裁判官の関与を肯定するものであって、日本国憲法三七条一項に違反する。
以上