平成七年(む)第B五号(平成六年(わ)第八五八号等)
即時抗告申立書
被 告 人
右被告事件について、浦和地方裁判所第一刑事部が一九九五年二月六日付でなした忌避申立却下決定に対して、次のとおり即時抗告を申立てる。
一九九五年二月九日
弁 護 人 高 野 隆
東京高等裁判所 御中
抗告の趣旨
一 原決定を取消す。
二 裁判長裁判官羽渕清司、裁判官小池洋吉、裁判官大島淳司を忌避する。
抗告の理由
一 原決定は、「裁判官が共犯者に対して被告人との共謀にかかる公訴事実につき有罪の判決をしたという一事をもってしては、忌避事由に当たらないことは既に判例の示すところである」として、二つの判例を引用しているが、それらの判例は、原決定が引用する事項について判示したものではなく、また、本件とは事案を異にする先例である。
まず、最高裁判所第一小法廷昭和三六年六月一四日の決定は、申立人の特別抗告の理由が憲法三七条一項違反を主張しているが、その主張の内容は「要するに、右裁判官両名につき同[刑事訴訟法]二一条一項の忌避の原因の有無を争うに帰し、同四三三条の理由に当たらない」と判示して抗告を棄却しただけである(刑集一五‐六、九七四〜九七五頁参照)。判例集の「決定要旨」には、原決定が引用するのと同じ趣旨のことが書かれているが、判例集に付された「決定要旨」などは、判例集の編纂者のコメントに過ぎないのであって、先例拘束性の認められる「判例」の一部をなすものではない。
次に、東京高裁第五刑事部昭和五三年二月一三日決定は、同一の合議体が、被告人が病気で公判を休んでいる間に、他の共同被告人の審理と被告事件の弁論を分離し、他の共同被告人に対して被告人との共謀を認定して有罪判決を言渡したという事実関係を前提として、「裁判官が共犯者に対して被告人との共謀にかかる公訴事実につき有罪の判決をしたということだけでは、被告人に対する右公訴事実について審判するにあたって、忌避原因とならない」と言っている(東京高裁時報二九‐二、刑二〇〜二一参照)。共犯者について有罪判決をしたという点では本件と同じであるが、被告人の公訴事実に対する答弁の内容も明らかではないし、有罪証拠の大部分を不同意とした本件との類似性も全く明らかではない。本件では、最も重い訴因について被告人が無罪の主張をし、共犯者の有罪を認定した主要な証拠について証拠とすることに弁護人が異議を唱えているのであって、その意味で単に「裁判官が共犯者に対して被告人との共謀にかかる公訴事実につき有罪の判決をした」事案とは異なるのである。
二 原決定の説示は、高等裁判所の判例に違反している。
高松高等裁判所昭和二五年三月一八日決定は、同一の裁判官が被告人と共犯関係に立つものとして他の被告人を有罪としたときは、新刑訴の精神から見て、二一条一項に該当すると認められるので忌避の申立があれば認容すべきであると明確に判示している。そして、同決定は、そのように解する実質的な理由について、次のように懇切な説明をしているのである(高刑集3巻追録1頁以下参照)。
本件訴訟記録を調査すると、(一)本件公訴事実は被告人真鍋通は源代宗利、小池実等と共謀し昭和二十三年六月十七日午前二時過頃西条市百軒巷松本米太郎方に於て同人及び其の妻シゲヨに出刃庖丁を突きつけたり同人等を縛り上げたり等した上其の所有の現金三千円位衣類等四十点余を強取したというのであつて此の被告事件は松山地方裁判所西条支部判事太田元が担当したこと、(二)然るに同判事は曩に源代宗利に対する強盗被告事件(旧法手続による)及び小池実に対する強盗被告事件(新法手続による)を担当審理し孰れも「源代宗利、小池実、真鍋通(本件被告人)は共謀して昭和二十三年六月十七日頃西条市百軒巷松本米太郎方に於て強盗した」との事実を認定し、源代及び小池の両名に対し有罪の判決をした事が明白である。
而してこのような場合被告人真鍋及び弁護人三浦通太が同裁判官の審理裁判を受けるならば有罪の判決を受けるであろうと危惧の念を懐くことは一応尤もなことである。然し同裁判官は曩に源代宗利、小池実について審理裁判をしたからといつて被告人真鍋通に対する審理を省略して裁判することはできぬ。同被告人についても起訴状に基いて審理せねばならず審理して有罪の判決をするには証拠に基かねばならないのである(刑事訴訟法第三一七条参照)。而して証拠によるといつても手続上証拠資料としてはならぬもの、即ち証拠能力のない証拠もあり(刑事訴訟法第三一九条乃至三二八条参照、尚申立人主張の共犯者源代宗利、小池実の司法警察官に対する供述調書は同法第三二一条第一項第三号第三二五条の制限を受けるのである)裁判官は証拠能力ある証拠によつて罪の有無を認定するのであつて其の証拠に証明力があるかないかは裁判官の自由な判断に委ねられ(同法第三一八条参照)で居り従つて証拠の取捨事実の認定は裁判官の自由裁量に属するものとはいえ専恣偏頗な裁量は許されず飽くまで経験上の法則論理上の法則によつて判断せねばならぬのである。而も尚同裁判官が特に不公平な裁判をすると疑うべき何等の事情も発見出来ないのであるから申立人等の叙上の危惧は単なる杞優に過ぎないとも思われるのである。然しながら新刑事訴訟法は公平な裁判(憲法三七条一項)の理念から当事者主義を強化すると共に第一回の公判期日までは出来る限り裁判所を白紙の状態に置き公判の審理によつて始めて事件の心証を得るようにさせるために旧刑事訴訟法の公訴提起の方式に根本的な改正を加え起訴状には裁判官に予断を生ぜしめる虞のある書類(例えば捜査書類)其の他の物を添付し又はその内容を引用してはならないと規定して居るのであるが(形訴第二五六条第六項参照)この規定はかかる捜査書類其の他の物を添付し又は其の内容を引用すると裁判官がこれを取調べ事件について予断を抱いて第一回公判廷に臨む虞があり其の予断は先入主となつて裁判官の当該事件に対する審理及び裁判を誤らす虞がある。畢竟不公平な裁判をなさしめる虞があるということを想定して規定せられたものと解せられるのである。そうだとすれば本件の場合もこれと同じく担当裁判官は曩に同じ強盗事件について取調べて居るのであるから被告人に対する第一回公判開廷前に既に事件について予断を抱いて居る虞があり延いて不公平な裁判をする虞があるものと解することが新法の精神に合致するものと思われ同法第二十一条第一項の不公平な裁判をする虞云々の適用に当つても本件のような場合は之に該当するものと判断せざるを得ないのである。以上のような次第であつて要するに本件のような場合裁判官が不公平な裁判をする虞は事実上あり得ないように思われるのであるが新法の精神が一律にその虞があると想定して居るものと(刑事訴訟法第二十条第七号のように排斥の事由にまではしておらないが)認められるのであるから忌避の申立があれば認容すべきであつて結局本件忌避申立は理由あることになりこれを却下した原決定は取消さねばならないのである。仍て刑事訴訟法第四百二十六条第二項に則り主文の通り決定する。
この決定は、現行刑事訴訟法が施行されて間がない時期に下されたものであり、決定をした裁判官たちは旧刑訴の下で実務経験を積んだものであると思われる。しかし、彼らが新しい憲法と刑事訴訟法の精神に忠実な裁判を極力しようと勤めていることは、その行間からにじみ出ている。本件原決定が引用した昭和五三年の東京高裁決定は、昭和三六年最高裁決定を引用して「高松高等裁判所判例は変更されたものである」などと言っているが、先にも指摘したように、昭和三六年最高裁決定は、高松高裁決定を変更するような説示を全くしていないのである。したがって、この高松高裁決定は、いま現在においても、本件の先例として生きているといわなければならない。
三 原決定は、次のように述べて、弁護人の本件忌避申立を却下している。
刑事裁判における事実の認定は、各被告人ごとに当該被告人につき適法に取調べられた証拠に基づいてなされるものであり、たとえ他の被告人との関係で取調べられたとしても、当該被告人との関係で取調べられていないものによって、事実の認定がなされることはなく、訴訟指揮等が影響されることもありえないからである。所論は単なる杞憂に過ぎず……。
裁判官に求められている理想は、まさにこのような態度であろう。しかし、原決定はsollenの世界とseinの世界を混同している。全ての裁判官が原決定のような態度を自ら律することができるならば、刑事訴訟法二五六条四項但書きは不要である。また、「略式命令」や「前審の裁判」への関与を除斥理由とする必要もない(刑訴法二〇条七号参照)。これらの規定の存在は、職業裁判官も感受性をもった人間であることを当然の前提としているのである。裁判官が取調べていない証拠を直接的な根拠として被告人の有罪を認定するようなことはしないであろう。しかし、忌避申立書に引用した「結城殺人事件」の一審裁判官たちの実例が如実に示しているように、共犯者の審理で採用された証拠によって、被告人の法廷で取調べられた証拠に対する評価は多大の影響を受けるのである。「結城殺人事件」の裁判官たちは、予め共犯者小島の詳細な供述調書を読んでいなければ、彼の曖昧な公判証言の信用性を過大評価せず、結局誤判をせずに済んだかもしれないのである。
本件忌避申立は、決して弁護人の「杞憂」ではない。
四 憲法三七条一項にいう「公平な裁判所」とは、少なくともその構成において、偏頗な裁判をするおそれがない裁判官による裁判という意味であろう。予断や先入観の危険を有する裁判官を含んだ合議体はこの憲法の要請に反する。
以上