平成七年(わ)第二六五号

       覚せい剤取締法違反                     

 

                        意見書

検察官の平成八年七月一五日付「予備的訴因追加請求書」について、弁護人は次のとおり意見を述べる。

 

           一九九六年七月一八日

 

                                           

 

浦和地方裁判所越谷支部  御中

 

 

次に述べる理由により、検察官の予備的訴因追加には異議があるので、これを許可しない決定を求める。

第一  本件予備的訴因の追加は公訴事実の同一性を害する

起訴状記載の訴因は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成七年九月三〇日ころ、埼玉県八潮市×××番地の被告人方において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液若干量を自己の左腕部に注射し、もって、覚せい剤を使用した」というものである。第二回公判期日において、弁護人は右訴因が「被告人が自らの手で注射したものであり、第三者によって注射されたという内容の訴因ではない」ことを念のために確認する趣旨で、釈明を求めた。これに対して、検察官は「被告人が被告人の意思で被告人の左腕部に覚せい剤を注射した趣旨である」と釈明し、この点を確認した。

ところで、今回検察官が追加請求した訴因は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成七年九月下旬ころから同年一〇月一日までの間に、埼玉県内及びその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤若干量を自己の身体に摂取し、もって、覚せい剤を使用した」というものであり、当初の訴因と比較して、犯罪の日時、場所、使用したとされる覚せい剤の状態(「水溶液」という限定がない)、使用の方法が全て拡張されていることが明らかである。

最高裁判所第三小法廷の一九八八年一〇月二五日判決は、覚せい剤の使用事犯につき、被告人が捜査段階の供述を公判段階に至って変更し、この公判段階の供述が信用できることから、公判段階の供述にそって犯行の日時、場所、方法を変更する訴因変更を許可したという事案について、次のように述べてこれを適法とした(刑集四二―八―一一〇〇)。

両訴因は、その間に覚せい剤の使用時間、場所、方法において多少の差異があるものの、いずれも被告人の尿中から検出された同一覚せい剤の使用行為に関するものであって、事実上の共通性があり、両立しない関係にあると認められるから、基本的事実関係において同一であるということができる。

本件においては、被告人が捜査段階と公判段階とで供述を変えたという事情が全くない上に、当初の訴因と変更後の因を対比すると、共通するのは「覚せい剤を使用した」という点のみであり、日時、場所、方法、態様の全てにわたって、事実関係が異なっている。最高裁判決の事例は両訴因とも日時、場所、方法を特定ししかも、判決が言うように「多少の差異」があるに過ぎない事例である。そして、本件においては、しかも、同一の覚せい剤の使用行為に関するものと言うことすら、訴因自体からは言えないのである。そして更に重要なことは、当初の訴因と予備的訴因とは両立する関係にあることである。当初の訴因は、予備的訴因の想定する覚せい剤使用行為の一つのバリエーションとして、これに包含されてしまうのである。

したがって、本件予備的訴因の追加請求は、前記最高裁判所の判例の基準に照らしても、公訴事実の同一性を害するものであることが明らかである。

 

第二  本件予備的訴因は「訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以って罪となるべき事実を特定してこれをしなけらばならない」との刑訴法の要請に違反する

最高裁判所大法廷の判決によると、@犯罪の種類、性質等により、犯罪の具体的な日時、場所および方法等を「詳らかにすることができない特殊事情」があり、かつ、A裁判所に対して審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示すという法の目的を害しない限り、ある程度幅のある訴因の記載をしても、訴因を特定しない違法があるとは言えない、とされている(最大判昭三七・一一・二八刑集一六‐一一‐二六七)。そして、自己の尿から覚せい剤が検出されながら、被告人が覚せい剤の使用の事実事態を否認したり黙秘しおり、他に目撃者がいないような事例においては、この最高裁大法廷判決のいう「特殊事情」があるものと認められるので、日時場所方法等を特定しないで、これらについてある程度幅のある記載の訴因で覚せい剤の自己使用罪による起訴をしても適法であるとされているのである(最一決昭五六・四・二五刑集三五‐三‐一一六など)。

本件において、このような幅のある訴因を認めなければならない「特殊事情」がないことは明白である。すなわち、検察官は、被告人が当初の訴因どおりの日時、場所及び方法によって覚せい剤を使用するのを目撃したとの××の供述を拠り所に、被告人を覚せい剤の自己使用罪によって起訴したのであり、訴因変更が許される公訴事実の範囲を自ら限定して訴因を設定したのである。公判においてこの公訴提起の起訴となる証人が行方不明になったというような事情は全くない。事実、××繁雄は検察官の召喚に応じて、証言したのである。したがって、検察官は日時場所や方法を具体的に示して被告人に対する訴因を特定することは充分可能であった。それにもかかわらず、本件予備的訴因追加請求書のように、犯行の日時も場所も方法も特定していない起訴をすることは、検察官に対して「できる限り」日時、場所及び方法を特定して訴因を明示する義務を課した刑訴法の要請(二五六条三項)に違反するものである。

 

第三  検察官の本件予備的訴因の追加請求は、訴訟追行上の信義則に違反し、権利を濫用するものである

先に述べたように、検察官は、「被告人が自らの腕に覚せい剤を注射するのを目撃した」とする××繁雄の供述に全面的に依拠して被告人を当初の訴因によって起訴したのである。そして、弁護人は、念のために、この訴因について求釈明を行い、被告人が自らの意思で自らの腕に覚せい剤を注射したという訴因であるのかどうかを検察官に確認したのである。弁護人は、「求釈明書」において、特に「第三者によって注射されたという内容の訴因ではないこと」を確認されたいと明記したのである。これに対して検察官は、「被告人が被告人の意思で被告人の左腕部に覚せい剤を注射した趣旨である」と釈明したのであるから、この釈明によって、「第三者が被告人の腕に注射した」という訴因は主張はしないことを検察官は言明したというべきである。これによって、被告人も弁護人も、検察官は、××繁雄の証言を殆ど唯一の根拠として、被告人が自ら自己の左腕部に覚せい剤を注射したという主張を維持するものと信頼して、その後の防御活動を行なって来たのである。具体的には、弁護人は、検察官の唯一の証拠である××繁雄の供述の信用性を弾劾することに全精力を傾けてきたのである。

しかるに、この弁護人の防御活動が成功し、××繁雄の証言の信憑性が弾劾され、弁護側の立証も最終段階を迎え、弁論終結まじかに迫ったこの段階に至って、検察官は、犯行の日時、場所及び方法を不特定のままにした訴因の追加を請求してきたのである。このような予備的訴因の追加は、時機に遅れたものであるのみならず、それまでの弁護側の防御活動の基礎にあった検察官の訴追活動に対する信頼を裏切るものであり、かつ、それまでの弁護側の防御活動を無効にするに等しいものであって、当事者主義の刑事公判の基本である正義の観念に反するものであることが明らかである。

浦和地方裁判所の一九八八年九月二七日の決定(判時一三〇六―一四八)は、訴因変更の時期的限界に関して、「訴因変更が許可されることにより被告人の受ける不利益が、公判手続を停止しただけでは回復することができない重大なものと認められる場合」には、これを許可することができないとした上で、そのような場合に該当する一つの類型として、「新訴因への変更を認めると、被告人が、従前の訴訟の経緯、弁護人の反証活動等に照らし、純粋に防御上の観点からみても、著しい不利益を受ける場合」をあげている。そして、その例として、「検察官が、当初乙訴因は主張しない旨言明していたため、弁護人がこれを信頼して本件の甲訴因に対する防御を積み重ねてきたのに、のちに検察官が、前言を翻して乙訴因への変更を請求した」場合を挙げている。先に指摘した、本件の訴訟の経緯に照らすならば、本件予備的訴因の追加請求は、まさにこの例に該当する。

検察官は、訴追裁量権を行使するにあたって、××繁雄の供述(被告人が自ら注射するのを目撃した)と被告人の供述(自ら注射したのではなく、××繁雄から無理矢理注射された)とを対比する機会は十分に与えられ、前者を採用して、それを基礎として限定された訴因によって被告人を起訴したのである。この基礎が崩れ去った以上、検察官は、無罪の結論を受け入れるべきである。それが正義の要請であると考える。一つの事実構成による訴追が失敗しそうになったからといって、訴訟の最終段階において今度はまったく新たな事実構成によって被告人を訴追しようとするのは、被告人に対して、二度起訴されたに等しい負担と苦痛を与えるものである。したがって、このような訴訟の最終段階における訴因変更は「二重の危険の禁止」を定めた日本国憲法三九条後段に違反する。

以上