準抗告申立書

 

公務執行妨害、傷害、銃刀法違反            

 

右被告事件につき、浦和地方裁判所所属裁判官鈴嶋晋一がなした保釈却下決定に対し、準抗告を申立てる。

 

一九九六年一〇月七日

 

                                

 

浦和地方裁判所 御中

                                   

申立ての趣旨

 

  原裁判を取消す。

  被告人の保釈を許可する。

との裁判を求める。

 

申立ての理由

 

第一  原決定は、身柄拘束を受けた者及び刑事被告人に弁護人の援助を受ける権利を保障した日本国憲法三四条及び三七条三項に違反する

  被告人は、平成八年一〇月二日、公務執行妨害、傷害及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪により起訴された。弁護人は、同月三日保釈の請求をした。

     この保釈請求の際に弁護人は、本件保釈請求事件に関して検察官が提出した意見書及び一件記録を弁護人に閲覧・謄写させるように要求した。しかし、担当裁判官は、検察官の意見書の謄写を認めたものの、一件記録の閲覧・謄写を許さないまま、同月七日保釈却下決定をなした。

  日本国憲法三四条は「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人を依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない」と定める。また、日本国憲法三七条三項は「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる」と規定する。これらの規定は、単に、身柄を拘束された者や刑事訴追を受けた者に弁護人を雇う権利を保障しただけのものではない。国の基本法である日本国憲法が「人類の多年にわたる自由獲得の成果」であり「過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」(九七条)として、単に被疑者や被告人が弁護人選任届に署名し、弁護士に報酬を支払うことを「保障」したのだとは考えられない。

     これらの規定は、被疑者・被告人が、資格のある弁護士によって「効果的な弁護」(effective assistance of counsel)を受けることを基本的な権利として保障したのである。アメリカ合衆国連邦最高裁判所のパウエル判決(一九三二年)は、合衆国憲法第六修正の弁護人の援助を受ける権利について、「事件の準備と公判における効果的な援助を阻害するような時期や状況」において弁護人の選任を認めても、第六修正の弁護権を保障したことにはならず、これに反する結論をとることは「自由な政府という理念そのものに内在する普遍の正義の原理」に反すると言っている(Powell v. Alabama, 287 U.S. 45, (1932))。また、同裁判所のグラッサー判決(一九四二年)は、公判裁判所が被告人の私選弁護人を共同被告人の弁護人に任命した措置について、「[被告人の]弁護人による効果的な援助を受ける権利」を侵害するものであり、連邦憲法第六修正に違反するものであると判示した(Glasser v. United States, 315 U.S. 60 (1942))。

     憲法三四条は、刑事裁判の被告人の弁護権(憲法三七条三項)とは別に、特に身柄を拘束された者のために弁護人による援助を保障した。その意味するところは明瞭である。自由を奪われた者の置かれる困難な状況に対処し、彼が自由を回復することへ向けての弁護士の活動をこそ、憲法は保障したのである。被告人の保釈を阻止しようとする検察官に対抗し、被告人の保釈を実現するための活動がこの権利の基本的な部分をなすものであることは疑いようがない。

     検察官は、裁判官の求めに応じあるいは自主的に、被告人の保釈を阻止するための資料として、事件の記録を裁判官に提出する。それは裁判官の判断の便宜のために自分の記録を「一時貸与する」というような、ニュートラルな性質の行為ではない。検察官は記録の全部を裁判官に貸与するとは限らないし、仮に全部貸与したとしても、その「記録」自体がニュートラルなものではないのである。それは、捜査機関が被告人の刑事責任を追及することを目的として収集した資料にほかならないのである。

     この記録への弁護人のアクセスを否定して、弁護人が検察官の主張の根拠に対して、それを吟味し反論する機会を与えないならば、身柄を拘束された刑事被告人の弁護権の有効性は甚だしく減殺される。検察官と裁判官の秘密のやりとりによって保釈を否定してもなお、その被告人は「弁護人による効果的な援助」を受けたと、いったい言えるだろうか?

     アメリカ合衆国連邦最高裁判所のケント判決(一九六六年)は、少年裁判所の管轄権放棄手続(waiver hearing)において、少年には弁護人の援助を受ける権利があり、且つ弁護人には当該少年の社会記録にアクセスする権利が確保され、かつ、その要請があるときはヒアリングが行われなければならないと判示した(Kent v. United States, 383 U.S. 541, 1966)。

    この判決は、弁護人による「効果的な援助」を保障するためには、少年の運命を決定付ける記録への弁護人のアクセスを保障することが欠くことのできないものであることを認めたものにほかならない。法廷意見は次のように述べている。

弁護人によって弁護を受ける権利は、ただの形式ではない。それは、儀式の作法として仕方なしに行なうジェスチャーでもない。それは司法に必須の要素である。「非常に重要な」(critically important)決定に際して、ヒアリングの機会を弁護人に与えないことは、弁護人の拒絶に等しい。id., at 561.

……

控訴裁判所は、これらの記録へのアクセスを拒否することを正当化するために、弁護人の役割は「裁判所が決定を下すのに役立つ、少年に有利なものを何であれ裁判所に提供することに限られるのであって、職員の意見や勧告を非難することではない」と述べているが、われわれはこの意見に賛成できない。全く逆に、もしも職員の意見書の中に批判や弾劾に値する資料が含まれているときには、このような資料を「非難する」ことこそ弁護人の役割なのである。職員の提出する記録は反論の余地のないほどに正確であることが推定されるなどとは言えない。もしも管轄権放棄の決定が「非常に重要」なものであるとするならば、裁判官に提出された記録が、……調査され、批判され、そして反論されることは、等しく「非常に重要」なことと言わなければならない。id., at 563.

     アメリカの「一九八四年連邦保釈改革法」(Federal Bail Reform Act of 1984, 18 U.S.C.A. §3142 )のもとでは、被告人の公判前釈放(pretrial release)を阻止しようとする検察官は、公開の法廷でのヒアリングを請求しなければならず、その法廷で被告人の拘禁が継続されなければならない法定の要件を立証する必要がある。このヒアリングにはもちろん弁護人が立会い、弁護人は検察官が提出する証拠へのアクセスが認められるほか、検察側証人に対する反対尋問権も保障されるのである。この手続は、前述のような被告人の弁護人の効果的な援助を受ける憲法上の権利を確保するためのものにほかならない。

     わが国の憲法三七条三項は合衆国憲法第六修正をそのまま引き継いだものである。そして、わが憲法三四条は、戦前のわが国の身柄拘束手続の非人間的な実情を反省して、身柄を拘束された個人に対して、特別に弁護人の援助を受ける権利を保障しようとするものにほかならない。この日本国憲法のもとにおける弁護権の内容が、アメリカにおけるそれよりも豊富な内容を持つことは許されるとしても、それよりも保護の薄いものであって良いわけはない。

  保釈の請求をした弁護人は、検察官が裁判所に提出した一件記録を閲覧・謄写する権利がある。それは日本国憲法が身柄を拘束された人々に保障する基本的な権利であり、わが国が「自由な国」であるための基本的な条件である。

     原裁判は、被告人のこの憲法上の権利を侵害した。

第二  原決定は、公正な裁判を受ける権利を保障した憲法一三条、三一条及び三二条に違反する

  日本国憲法三二条は「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定する。

     ここにいう「裁判所」とは、単に「裁判所」と呼ばれる建物を意味するのではない。それは独立を保障された裁判機関としての裁判所を意味する。司法の独立は「裁判を受ける権利」の内実をなすものである(樋口陽一他『注釈日本国憲法(上)』(青林書院、一九八四年)、七一六頁[佐藤幸治])。そしてまた、憲法三二条が保障する「裁判」とは、裁判官が文字を書き連ねた紙片のことではない。それは紛争を公正に解決するにふさわしい手続によってなされるものでなければならない。手続の公正さ(fairness)の保障も「裁判を受ける権利」の内実をなすのである(前掲、七一九頁)。

     裁判は、一方の当事者がある主張を掲げるとともにそれを証明する資料を提供するのに対して、他方の当事者がそれに対抗する主張をし、相手の証拠を攻撃することをその本質とする。証拠をめぐる攻撃防禦なしに、単に主張をぶつけあうだけでは「裁判」というに値しない。

     裁判の一方当事者が裁判所に提出した証拠に対して他方の当事者のアクセスを認めずに、その者に不利益な事実認定をすることは著しくアンフェアである。原告が提出した証拠を被告に閲覧させず、被告による吟味・反論を許さないままに、裁判所が一方的に被告敗訴の判決をしたとしたらどうだろうか?それでも被告の裁判を受ける権利(憲法三二条)が保障されていると言う人はいないだろう。民事の保全訴訟においてすら、債務者は、債権者が提出した疎明方法を含むすべての記録の謄写が認められているのである。

  保釈はまぎれもなく裁判の一つである。本件においては、弁護人からの保釈請求について、裁判官は、検察官から意見(主張)を聴取した(刑訴法九二条)うえ、検察官が提出した一件記録(捜査官が作成した捜査資料)を閲読して、これに基づいて刑訴法八九条三号及び四号に該当する事実を認定して、被告人の保釈を却下する決定をしたのである。すなわち、この一件記録は裁判官の事実認定のための証拠として利用されたものに他ならない。裁判官が事実を認定する資料のことを「証拠」と言うのであり、証拠によらない事実認定は違法である(刑訴法三一七条)。

     刑事訴追を受けた者は、公判開始前に釈放されるのが原則であり(自由権規約九条三項、刑訴法八九条)、したがって、被告人の保釈を拒否する裁判は、被告人の自由を剥奪する処分である。この裁判によって被告人が受ける不利益は、民事の本案訴訟や保全訴訟の比ではない。

     この裁判手続において、一方当事者である検察官が、被告人の保釈を阻止すべく、その主張事実を裏付けるために提出した証拠への弁護人のアクセスを否定して、検察官と裁判官が秘密のうちに証拠をやり取りして、検察官の主張を肯定する事実認定を行うこと――原審裁判官がやったことはそれに他ならない――が、著しく不公正な手続であり、被告人に対するデュープロセスの保障と裁判所へのアクセスを否定するものであることは明らかである。

  保釈の裁判において裁判官が検察官提出の一件記録を読むことは、検察官の記録の「一時借用」なのであって、証拠調ではないということを言う人がいる。しかし、このことの不公正さは明らかである。民事訴訟において、裁判官が、被告の知らない間に原告の手持証拠を「一時借用」して事実認定したとしたらどうだろうか?保全裁判所が、裁判所の記録に編綴されていない疎明資料を債権者から「一時借用」して仮差押や仮処分をしたとしたらどうだろうか?こんな方法で人の権利を侵害することを裁判所がしていると知ったら、国民はそれでも安心して裁判所に紛争の処理をまかせるだろうか?

     論者がいう「記録の一時借用」を正当化する法律上の根拠はどこにもない。もしも、このようなことが許されるならば、「証拠裁判主義」などというものは意味のない飾りである。検察官は、弁護人に内緒で裁判官室に赴き、そっと有罪の証拠を見せれば良いのである。このようなことが現在の裁判手続上許されると考える人がいるとは思いたくない。このようなことが保釈の裁判でなら許されるとする根拠はどこにもない。論者がいうように「実務上広く行われている」のだとしたら、それは一刻も早く中止されなければならない。野蛮はいくら繰り返されても野蛮である。

     保釈の裁判において、検察官が裁判官に提出した一件記録にアクセスしそれに反論を加えることは、身柄を拘束された者の「裁判を受ける権利」の内実をなす権利である。原裁判は被告人のこの憲法上の権利を侵害した。

第三  原裁判の手続は刑訴法に違反する

  原裁判は、要するに、検察官の提出する記録は裁判所が保管すべき「訴訟に関する書類及び証拠物」(刑訴法四〇条)ではないというのである。しかし、保釈の判断であれ何であれ、裁判官が検察官から事実認定の資料を「一時借用」することを認めた規定はどこにも見当たらない。裁判官は司法機関であって立法機関ではない。国会を唯一の立法機関とする日本国憲法のもとにおいて、裁判官のこのような傍若無人が許されるとは到底思えない。

     現行法上、保釈裁判官がその判断の基礎となる事実認定を行う方法は、「事実の取調べ」(刑訴法四三条三項)だけである。そして、保釈裁判官が行うことができる事実取調べの方法は、刑事訴訟規則がこれを限定的に規定している。すなわち――

@  証人尋問(規則三三条三項)

A  鑑定(同前)

B  書類その他の物の提出(規則一八七条四項)

     これらによって、保釈裁判官の必要は事実上全て満たされる。事件関係者から直接話を聞きたいと思えば証人尋問を行えば良いし、陳述書で済むと思えは、規則一八七条四項の提出を受ければ良いのである。もちろん、検察官の一件記録を読みたければ刑訴規則一八七条四項の提出命令を出せばされで済む。裁判官の「合理的裁量」で自由な方法による事実調べが許されるという法律上の根拠はどこにもない。

     むしろそのようなことは刑訴規則を制定した趣旨に反する。刑訴規則の立案関係者は、「従来事実の取調べをするについてその方法及び限界が明確でなかったことに鑑み、これらの点を明らかにした趣旨である」と説明しているのである(栗本一夫『刑事訴訟規則概説』一八頁、団藤重光『条解刑事訴訟法(上)』(弘文堂、一九五〇年)一〇三頁より引用)。裁判官が好きかってな方法で事実の取調べができるならば、「方法及び限界」を定めた意味は全くなくなってしまう。

  事実取調べの方法について、刑訴規則の立案担当者の意図を超えて、「裁判官の合理的な裁量」による自由な方法が認められるのだとしても、それが裁判官による事実認定のための証拠調の一つの方法であるという性質が変わってしまう訳のものではない。「一時借用」と言おうが「永代使用」と言おうが、検察官提出の記録を保釈裁判官が閲読することは、保釈の判断をするための事実認定のプロセスに他ならないのである。言葉のマジックによって恰も実体に変更があるかのごとく振る舞うのは三百代言のすることである。

     裁判所のもっとも基本的な営みである事実認定を行うために利用される書類は、どんなに言いつくろっても「訴訟に関する書類」以外のなにものでもない。

     「一時借用」であれ何であれ、一件記録が一人で宙を飛び回るわけはない。検察事務官が検察庁から裁判所に運ぶのである。そして、その受理は裁判所書記官の仕事である(刑訴規則二九八条一項)。この時、記録の保管責任が裁判所に移るのは当然である。保釈裁判官が、検察庁に出向いて検察庁の記録を「閲覧」するならば、論者がいうように「一件記録は検察官が保管するもの」ということができるかもしれないが――法がそのような方法による事実の取調べを認めているとは到底思えないが――、裁判官が裁判所書記官の手を通じて記録を受取り、裁判所の施設の中の自分の執務室内でこれを閲読しているのにもかかわらず、「裁判所(官)が保管するものではない」とか「検察官の保管するもの」などというのは、まさしく三百代言の言い逃れではないか?裁判官は検察官の履行補助者か?代理占有人か?使用人か?――裁判官の独立は一体どこへ行ったのだろう。

  検察官が被告人の保釈を阻止するために裁判官に提出した一件記録は刑訴法四〇条の「訴訟に関する書類」に該当する。

     同条の「訴訟に関する書類」を第一回公判期日後に受訴裁判所に提出されたものに限定する理由はどこにもない(渡辺修『捜査と防禦』(三省堂、一九九五年)、二九〇〜二九三頁参照)。同条は「裁判所」が保管するものに限られるから、閲覧・謄写は第一回公判後のものに限られるという説があるが、四〇条は書類・証拠物の保管主体を受訴裁判所に限定していないし、第一回公判前の保釈裁判官は裁判所・裁判長と同じ権限を有するのであるから(刑訴法二八〇条三項)、この説に理由のないことは明らかである。また、弁護人の閲覧・謄写を第一回公判後に限定する見解は、検察官が公訴提起後第一回公判間前であっても訴訟に関する書類の閲覧・謄写ができる(刑訴法二七〇条)のと対比して著しくアンフェアな解釈であって、当事者対等・武器平等の原則に違反する。

     刑訴法四七条は、「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない」と定めるが、同条の立法趣旨は、公判開廷前に訴訟記録が訴訟関係人以外の者に一般的に公開されることによって、被疑者・被告人ら訴訟関係人の名誉が侵害され、訴訟への不当な外圧がかかることを防止しようとするものであって、訴訟の当事者の攻撃防禦のための訴訟記録の閲覧・謄写の権利とは無関係の規定である。

  保釈却下の決定に対する不服申立ての理由として、原裁判の事実誤認が含まれることは言うまでもない。そして事実誤認とは何かといえば、原裁判に現れた証拠に照らして原裁判の事実認定が合理的ではないということに他ならない。

     被告人が原裁判の事実誤認を主張するためには、原裁判が事実認定の根拠とした資料にアクセスできなければならないことは言うまでもないだろう。有罪判決に対して事実誤認を理由に上訴することを認めながら、原判決の証拠への被告人のアクセスを認めないとしたら、事実誤認による上訴など全く無意味である。このようなことが保釈の裁判では許されて良い理由などどこにもない。

     この意味で、原裁判は、保釈却下決定に対して準抗告ができることを定めた刑訴法四二九条にも違反する。

第四  原裁判は事実を誤認している

  原裁判は保釈却下の理由として、被告人が「常習として長期三年以上の懲役又は禁固にあたる罪を犯したものである」と認定した。原裁判は、被告人が具体的にいかなる罪を犯したと認定したのか明示しておらず、われわれはこれを推測する以外に方法がない。

     被告人が公判請求された罪は公務執行妨害と傷害、そして銃刀法違反の罪であり、これらのうち長期三年以上の懲役または禁固にあたる罪は公務執行妨害と傷害であるが、被告人がこれらの罪を常習としてくり返し行なっていた事実などどこにもない。被告人は、たびたび警察官と思われる人物から尾行されていることを気に病み、何度か警察署に抗議をしているが、その際に暴行や脅迫行為をした事実もない。

  原裁判は、また、被告人が「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」と認定した。ここでも裁判所は、被告人が具体的にいかなる行為をする「相当な理由」があると認定したのか不明である。

     検察官は、保釈に反対する意見書のなかで、被告人が、使い捨てカメラで撮影した写真を捏造するとか、父親や「オウム関係者」と通謀するなどと言っている。しかし、被告人が尾行したと理解する人物らを撮影した使い捨てカメラは既に弁護人が保管し、そのフィルムを現像したものを保釈裁判官の閲覧に供したのである。被告人がこれを捏造する余地が既にないことは保釈裁判官自身が良く知っているはずである。さらに、父親の供述――被告人が昨年三月以降オウム真理教を実質的に脱会し、その後オウム関係者からは一切連絡がなく、その旨公安調査庁の職員にも説明ずみであることなど――は既に父親の供述書として弁護人が保管済みであり、父親と被告人が通謀する必要性もその危険性もないことについては、その供述書を保釈裁判官に提示して、弁護人が説明したところである。

     検察官がいう「オウム関係者」とは一体誰なのか、被告人には全く心当たりがない。

  刑訴法八九条三号及び四号の事由があるとした原裁判には事実誤認がある。

以上