特 別 抗 告 申 立 書

 

                            被 告 人 

 

右の者に対する殺人未遂被被告事件について、浦和地方裁判所第三刑事部が平成一二年五月一〇日になした接見禁止決定に対する準抗告棄却決定(平成一二年(む)第B二四五号)に対し特別抗告を申し立てる。

 

    二〇〇〇年五月一五日

 

                                 

 

最高裁判所 御中

 

申立の趣旨

(主位的申立)

一 原決定及び原々決定を取り消す。

二 検察官の接見禁止等請求を却下する。

との裁判を求める。

 

(予備的申立)

一 原決定を取消す。 

二 原々決定のうち、被疑者と次の者との間の接見及び文書の授受に関する部分を取消す。

1 住所

              氏名

 2 **

 3 **

との決定を求める。

 

申立の理由

      はじめに

浦和地方裁判所裁判官は、平成一二年五月八日、検察官の請求に基づいて、「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるから」本件の第一回公判期日まで、被告人と弁護人以外のものとの接見及び文書の授受を禁止するとの決定をした。これに対し、弁護人は、同月九日、@このような一律全面的な接見・授受の禁止は憲法一三条及び三四条に違反する、A一律全面的な接見・授受の禁止は市民的及び政治的権利に関する国際規約一〇条一項にも違反する、B単に「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当の理由がある」と言うだけでは、決定に理由を付すことを要求する刑訴法四四条に違反し、かつ、最高裁判所の判例に違反するものであって、ひいては憲法一三条、二一条及び三一条に違反する、C本件には勾留をしただけでは防止できないほどに高度の罪証隠滅の具体的な蓋然性はない、などとして、接見禁止決定の取消をもとめて準抗告の申立てを行い、あわせて、たとえ接見や文書の授受を認めても罪証隠滅行為を行う蓋然性を高めるとはいえないことが明らかな人物について接見禁止を一部解除することを予備的に求めた。

しかし、原審は、弁護人の憲法違反や条約違反の主張には一切応えることなく、「本件事案の重大性や計画性」、過去において被告人が罪証隠滅工作をしたと「伺われること」や被告人の捜査官に対する供述態度などからして、「被告人が自らまたは第三者を介して共犯者等に働きかけるなどして罪証を隠滅するおそれは極めてたか[い]」として、準抗告を棄却した。

原決定を何度読んでも、何故に、勾留を前提に一般接見に立会人を付けたり、文書の検閲がなされても、そのような制約をかいくぐって被告人が罪証隠滅行為に及ぶおそれが「極めて高い」と言えるのか、不明である。しかし、より一層重要なのは、原決定が準抗告申立人が主張する憲法違反や条約違反の論点に全く応えていないことである。弁護人は、これらの主張をただ闇雲に行ったわけではない。判例や文献を調査して、主張として十分に根拠があると誠実に信じてこのような主張を行ったのである。当事者の権利として準抗告が申立てられるということは、その主張に対して裁判所の判断を求める法的な権利があるということである。この意味で、原決定は当事者の準抗告申立権を侵害するものである。

ちなみに、東京地裁昭和三五年五月二日決定は、憲法八一条の法令審査権は「最高裁判所並に本案の裁判を行う下級裁判所」にのみ認められているのであり、「捜査段階において捜査の要請に即応して急速に令状の発付をなすべきか否かを決定すべき職責を有する司法官権としての裁判所又は裁判官」には法令の違憲性が明白である場合を除いて違憲審査権はないとした(判時二二二―六、七頁)。しかし、その後も準抗告審が法令や処分の憲法適合性を判断した例はいくつもある(札幌地決平三・五・一〇判タ七六七―二〇〇、大阪地裁堺支部決昭六一・一〇・二〇判時一二一三―五九、京都地決昭四七・八・一七判時六八八―一〇五など)。

いずれにしても、原決定は、原々決定を是認したのであるから、結論として準抗告申立人の違憲の主張を退けたことは間違いないであろう。したがって、弁護人としては、この判断を前提に御庁に対して違憲の主張を改めて行う以外にはないのである。

一 一律の接見禁止は憲法に違反する

原決定及び原々決定は、弁護人以外の者と接見したり書類の授受をすることを一律全面的に禁止するものであるが、このような一般的な外部交通の禁止は日本国憲法一三条及び三四条に違反する。

何人も他者の訪問を受けて面談し、他人と信書や物の交換をする自由を持っている。この自由なくして社会生活は成り立たないのであって、この自由は個人の基本的な人権として国政のあらゆる側面において最大の尊重を受けなければならない(憲法一三条)。そして、この自由は未決拘禁を受けている者にも保障されているのであって、正当の理由なくしてこの権利を奪われてはならない(憲法三四条)。

憲法三四条の原案であるGHQ草案三一条は「何人も交通禁絶状態(incommunicado)におかれてはならない」と特に規定していた。その後の草案からこの規定が消えたのは、交通禁絶状態を許容する趣旨ではなく、日本の当局者がこの言葉の意味を理解していなかったからである(佐藤達夫『日本国憲法成立史(第三巻)』(有斐閣、一九九四年)、一二五〜一二八頁参照)。

最高裁大法廷昭和五八年六月二二日判決(民集三七ー五ー七九三)は「未決勾留は、前記刑事司法上の目的のために必要やむをえない措置として一定の範囲で個人の自由を拘束するものであり、他方、これにより拘禁されている者は、当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障されるべきものである」と判示し、最高裁第三小法廷平成三年七月九日判決(民集四五ー六ー一〇四九)は、この大法廷判決を引用して、次のように説示している。

 未決勾留により拘禁された者……は、(ア)逃亡又は罪証隠滅の防止という未決拘禁の目的のために必要かつ合理的な範囲において身体の自由及びそれ以外の行為の自由に制限を受け、また、(イ)監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には右の障害発生の防止ために必要な限度で身体の自由及びそれ以外の行動の自由に合理的な制限を受けるが、他方、(ウ)当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障される。

すなわち、最高裁判例によれば、未決拘禁による自由の制限が認められるのは次の二つの場合に限られる。

@ 「逃亡又は罪証隠滅」を防止するために必要かつ合理的と認められる場合にその限度で制約を受ける。

A 監獄内の規律及び秩序の維持のうえで放置することのできない程度の障害が生ずる相当程度の蓋然性が認められる場合に、その発生を防止するために必要な限度で制約を受ける。

しかし、右@とA以外の関係では、被拘禁者も一般市民と同様の自由を保障される、と最高裁判所は明言しているのである(具体的な事案との関係でも、被拘禁者と幼年者との接見を認めても「被上告人が逃亡し罪証を隠滅するおそれが生ずるとも、……監獄内の規律又は秩序が乱されるおそれが生ずるとも認められない」として、幼年者との接見を制限する監獄法施行規則一二〇条及び一二四条は監獄法五〇条の委任の範囲を超えた無効の規定であるとしたのである。)。

被疑者被告人の外部交通を一律に禁止することが右最高裁判所が定立した「必要やむをえない措置」の基準を超えることは明かである。本件接見禁止の対象となるのは弁護人を除くすべての者である。その中には被告人の内妻や息子を初めとする親族、仕事仲間、友人などさまざまの人が考えられるのであり、これらの人々と接見させることが被告人の罪証隠滅行為を助長したり、拘禁施設の安全と秩序を破壊する危険があるとは到底考えられないからである。

すなわち、接見禁止決定というものが憲法の保障する市民的自由に対する必要やむをえない制限措置として合憲性を肯定されうるためには、少なくともその禁止の対象が個別具体的に特定されていなければならないのである。そもそも、刑訴法八一条は接見の制限を事前の司法審査に委ねた令状主義の規定である。したがって、裁判官は個別の接見や授受毎に制限の適否を審査しなければならないのであって、具体的で高度の罪証隠滅等の蓋然性が具体的な証拠によって認定されるときに始めて接見禁止決定を出しうるのである。そのような個別審査をせずに一律全面的に接見や授受を制限することは法の趣旨にも反するのである。

村井敏邦教授は「本条のように一律に接見の全面禁止を認める規定の合理性には疑いを生じる」として、次のような限定解釈を試みている。

 接見や差入れを許可することによって逃亡や罪証隠滅の可能性があることを示すに足りる、具体的な事実が存する場合にのみ、接見・差入れの禁止・制限は認められると解釈する必要がある。

 具体的な接見・差入れの内容ごとの、具体的な事実による理由付けが必要であることから、接見や差入れの全面禁止処分は、原則として違法と考えるべきであろう。とくに接見禁止については、一部の接見禁止の限りでのみ許されると解すべきである。(小田中聡樹・大出良知・川崎英明編著『刑事弁護コンメンタール1』(現代人文社、一九九八年)、七四頁[村井敏邦])

本件において、被告人の内妻や息子、友人知人のいずれであれ彼と接見することによって彼の罪証隠滅行為を助長することなどありえないのであって、本件のような一律全面的な接見禁止が合憲であるはずはない。

原決定は、事案の重大性・計画性という事件そのものの特殊性と、かつて被告人が罪証隠滅行為に及んだことが「伺われる」という過去の行状への疑問、そして捜査官に対する「供述態度・供述内容」から「被告人が自らまたは第三者を介して共犯者等に働きかけるなどして罪証を隠滅するおそれは極めて高く」、それゆれに、接見等を「全て禁止する必要がある」と言うのである。しかし、仮に「罪証を隠滅するおそれは極めて高い」という原決定の判定を前提としても、被告人が、立会いや検閲をものともせず、接見に訪れる人や信書の相手方に対して誰彼かまわず「共犯者等への働きかけ」を指示する「相当の理由」があるなどと言えないことは明らかであろう。個別具体的な接見授受の相手方ごとに検討しなければ「相当の理由」など判断のしようがないのである。このような個別具体的な検討をなすことこそ令状主義の要請であり、これ抜きに一律全面的な禁止を行うことは憲法が禁ずる「交通禁絶状態」を是認することにほかならないのである。

二 一律の接見等の禁止は国際人権規約一〇条一項に違反する

市民的及び政治的権利に関する国際規約一〇条一項は「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間固有の尊厳を尊重して取り扱われる」と定める。

「人道的にかつ人間固有の尊厳を尊重して取り扱われる」とは、要するに、被拘禁者に対して政府は人間的生存と尊厳を維持するのに必要な基本的サービスを提供しなければならないということであり、この基本的なサービスの中には、食事、衣服、医療、衛生設備などのほかに、外部社会とのコミュニケーション、体を動かす機会、プライバシーなどが当然に含まれるのである(Manfred Nowak, CCPR Commentary, 1993, pp188-189)。

規約人権委員会は、数々の決定例を通じて、被拘禁者を交通禁絶状態(incommunicado)におくことが規約一〇条一項の違反となることを示している(No.10/1977; Nos.43, 44/1979; No.70/1980; Nos.83,85/1981; No.24/1982; Nos.139, 147/1983; No.176/1984. See, Nowak, supra, at 187)。

規約人権委員会は、また、一九八三年、エストレラ対ウルグアイ事件において、次のように判示して、通信の検閲や全面的な制限が一〇条一項に違反すると述べたのである。

……[拘禁施設における]制限の程度は、規約一〇条一項が求める被拘禁者の人道的取扱いの基準に適合していなくてはならない。とりわけ、囚人は、必要な監視を受けつつも、家族や善良な友人と、通信や面会を通じて、定期的に連絡をとることを認められるべきである。(Miguel Angel Estrella v Uruguay, No.74/1980. 宮崎繁樹編集・翻訳代表『国際人権規約先例集―規約人権委員会精選決定集第二集』(東信堂、一九九五年)、二〇一頁参照)

さらに、国連総会が承認した人権文書は、外部交通権が被拘禁者の基本的な権利であることを明言している。被拘禁者処遇最低基準規則九二条は「未決被拘禁者は……家族もしくは友人と通信し、または、これらの者の訪問を受けるために必要な便宜をすべて与えられるものとし、これは、裁判及び施設の安全・秩序のために必要な制限・監督だけに服する」と定めている。また、国連被拘禁者保護原則一九も「拘禁又は収容された者は、法律又は法律に基づく規則によって特定された合理的な条件及び制限に従って、特に家族との間ではその訪問を受け、交通する権利を有し、外部社会と交通する充分な機会を与えられなければならない」と定めているのである。これらの人権文書は、直接法的拘束力を持つものではないが、国連総会における各国代表者は、規約一〇条を解釈する際にはこれらの文書が考慮されなければならないことを特に注意しているのである(Nowak, supra, at 185)。

以上述べたところから明らかなように、家族や友人知人と信書のやり取りをしたり、彼らの面会を受ける権利は、市民的及び政治的権利に関する国際規約一〇条一項が被拘禁者に対して保障する「人道的にかつ人間固有の尊厳を尊重して取り扱われる」権利に含まれるのである。原決定及び原々決定は、被告人の家族や友人等との通信、面会を無差別一律に禁止するものであり、規約一〇条一項に違反するのである。

三 接見禁止決定に理由を付していないこと――憲法違反及び判例違反

原々決定は、被告人と弁護人以外の者との接見及び文書の授受を全面的に禁止しながらその理由を全く述べていない。

刑事訴訟法四四条は上訴が可能な決定には「理由」を付さなければならないものとしている。そして接見禁止決定は上訴が可能な裁判である(刑訴法四二九条一項二号)。上訴が可能な裁判に理由の記載を要求するのは、裁判が恣意的になされるのを防止し、上訴権を有する者に対して原裁判を批判する手がかりを与え、防御の対象を限定し、かつ、裁判の真の理由を誤りなく上訴審の審理の対象とすることを確保させるためである。こうすることによって上訴権は実質的に保障されるのである。

原々決定には「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるから」との一節がある。しかし、これは刑事訴訟法八一条が規定する接見禁止の要件と同じことをそのまま述べただけであり、接見禁止決定をする以上裁判所がそのような要件の存在を認めたことは判りきったことである。それは裁判の結論に過ぎないというべきであって、裁判の「理由」とは言えない。接見禁止決定に記載されるべき「理由」は裁判所が「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」と判断した「理由」でなければならない。そのような理由の記載がなければ上訴権者である被告人は原裁判を批判する手がかりが全く得られなくなるからである。

「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」というだけでは、被告人は原決定の真の理由がわからない。結局、決定に不服がある被告人は、考えられうる理由をあれこれ忖度して、それらが否定される所以を一々述べて上訴を申し立てなければならない。しかも、それが原決定の真の理由であるという保障は全くない。これでは上訴権が実質的に保障されたとは言えないのである。

最高裁第三小法廷昭和六〇年一月二二日判決は、海外渡航のための一般旅券発給申請に対して外務大臣が「旅券法一三条一項五号に該当する」との理由を付記した書面をもってこれを拒否したという事案について、これだけでは同法一四条の理由付記の要請を満たしておらず違法な処分であるとした。

……旅券法が右のように一般旅券発給拒否通知書に拒否の理由を付記すべきものとしているのは、一般旅券の発給を拒否すれば、憲法二二条二項で国民に保障された基本的人権である外国旅行の自由を制限することになるため、拒否事由の有無についての外務大臣の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに、拒否の理由を申請者に知らせることによって、その不服申立てに便宜を与える趣旨に出たものというべきであり、このような理由付記制度の趣旨にかんがみれば、一般旅券発給拒否通知書に付記すべき理由としては、いかなる事実関係に基づきいかなる法規を適用して一般旅券の発給が拒否されたかを、申請者においてその記載自体から了知しうるものでなければならず、単に発給拒否処分の根拠規定を示すだけでは、それによって当該規定の適用の基礎となった事実関係をも当然に知りうるような場合を別として、旅券法の要求する理由付記として十分でないといわなければならない。この見地に立って旅券法一三条一項五号をみるに、同号は「前各号に掲げる者を除く外、外務大臣において、著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」という概括的、抽象的な規定であるため、一般旅券発給拒否通知書に同号に該当する旨付記されただけでは、申請者において発給拒否の基因となった事実関係をその記載自体から知ることはできないといわざるをえない。したがって、外務大臣において旅券法一三条一項五号の規定を根拠に一般旅券の発給を拒否する場合には、申請者に対する通知書に同号に該当すると付記するのみでは足りず、いかなる事実間関係を認定して申請者が同号に該当すると判断したかを具体的に記載することを要すると解するのが相当である。(民集三九―一―一、四頁)

この判例の趣旨は裁判官による接見等禁止決定にも当てはまる。接見禁止決定によって被拘禁者は家族や友人らとの間のコミュニケーションの機会を奪われるが、これらはいずれも「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」として憲法一三条によって保障され、あるいは憲法二一条が保障する表現の自由に属する権利である。そして、刑訴法八一条が接見禁止決定の要件として規定しているのは「逃亡し又は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」という概括的、抽象的なものである。この最高裁判例は、このような概括的、抽象的な説明だけで、国民の基本的権利を奪うことは許されないとしたのであって、このような説明は、決定に付記すべき「理由」として不十分であることは明白である。判例がいうように「いかなる事実間関係を認定して申請者が同号に該当すると判断したかを具体的に記載することを要する」のである。

海外渡航の自由と家族や友人らと交流する自由のどちらがより重要な人権であろうか?海外渡航を禁じるのに具体的な事実によって禁止要件への該当性の説明が必要だとされるのに、家族や友人との全面的なコミュニケーションを禁止するときには、法文を引用するだけで足りるということが言えるだろうか?

原々決定が最高裁判所の判例に違反することは明白である。

ところで、原決定は、先に引用したように準抗告を棄却するにあたって、接見禁止決定の要件である「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」の内容をある程度説明はしている。しかし、この説明によって原々決定の瑕疵が治癒されることにはならない。被告人は接見禁止決定に対して準抗告申立という上訴権が与えられているのである。原々決定がある程度具体的な理由の説明をしていれば、被告人はその理由に則して不服申立てをすることができたのである。準抗告審に至って具体的な理由が初めて説明されるのでは、その説明は事実認定の問題であるのが普通であるから、これに対して特別抗告審で不服を述べることはできず(刑訴法四三三条、四〇五条)、結局、被告人は上訴の機会を失うことになるからである。

原々決定及びこれを是認した原決定は、裁判に理由を付することを要求する刑訴法四四条に違反し、被疑者の上訴権を侵害するものである。そして、原決定は、結局、法律の定める手続によらずに被疑者の自由――外部の者と交通する自由――を奪うものであって、憲法一三条、二一条及び三一条にも違反する。そしてさらに、先に引用した最高裁判所の判例に明らかに違反するのである。

おわりに

かつて接見禁止決定は極めて例外的な事象であった。被疑者が暴力団の組長であり、その組織的な圧力を利用して重要な証人に圧力をかけるとういうようなことをする相当程度具体的な蓋然性がある場合に限ってこの決定がなされていた。ところが、ここ四、五年接見禁止の例が急速に増えている。勾留件数に対する接見禁止決定の割合は年々上昇し、平成九年度には一五・九八パーセントに達した。

そして、また、かつて接見禁止決定は「公訴提起に至るまで」という制限が付され、公訴提起後には接見は自由に行われるのが当然視されていた。ところが、最近では本件のような重大事件では公訴提起時にさらに接見禁止決定がなされ「第一回公判に至るまで」接見ができず、かつまた、第一回公判後には今度は期限なしの接見禁止決定がなされる例まで出現しているのである。

刑事事件の訴追を受ける者が極めて不安定な精神状態にあることは言うまでもない。彼らが公正な取り扱いを受けることはわが国の刑事司法の運営にとって極めて重要なことである。彼らが防禦の準備を十分に行うためには、心身ともに人間らしい環境にあることが是非とも必要なのである。親族や友人知人との交渉を全く絶たれた状態で、人間は人間らしい思考をすることはできないのである。

現近の接見禁止を巡る実務の状況はかなり危険な状況であると言わなければならない。この傾向が進むならば、わが国の刑事司法は再び「秘密の検察」(secret inquisition)との汚名を着せられることになりかねない。

そうなる前に、御庁が接見禁止の運用に関して警鐘を鳴らすことを切に望む次第である。

以上