準抗告申立書
浦和地方裁判所K支部 刑事部 御中
平成★年4月26日
被 疑 者 甲 野 太 郎
弁 護 人 萩 原 猛
上記被疑者に対する脅迫被疑事件につき、K簡易裁判所裁判官Hが平成★年4月25日付でなした勾留裁判に対して、下記のとおり準抗告を申し立てる。
記
1 原裁判を取り消す
2 検察官の勾留請求を却下する
との裁判を求める。
1 被疑者は、平成★年4月3日下記被疑事実によって逮捕され、同月5日同事実によって勾留され、さらに同月13日勾留延長され、勾留満期日である同月24日処分保留により釈放された。
被疑者は、平成☆年9月6日午後8時ころから同日午後10時ころまでの間、埼玉県M市Y3丁目5番15号所在のホテル「ミランダ」客室内において、乙山花子が18歳に満たない児童であることを知りながら、同女に現金20万円の対償を供与する約束をして、性交等をし、もって、児童買春をしたものである。
まず、上記被疑事実について、被疑者は、そこに示されているような犯罪を犯していない。
確かに、上記児童と上記ホテルに赴いた事実はあるが(しかし、その日は9月6日ではない、被疑者としては諸般の状況から9月2日ではないかと思っている)、被疑者と児童はホテル客室内において喧嘩し、同室内において性交や性交類似行為などしないまま、同室を退去している。
また、当日、両者は、現金20万円はもとより、性交等の対償としての金銭の話は一切交わしていない。
2 被疑者は、4月3日逮捕後、取調べにおいて、上記の自己の主張を捜査官に、正直に供述してきた。
被疑者と児童の供述が食い違うため、捜査官は、被疑者と児童がどのようにして出会い、ホテルに行き、その後どのようなやり取りがあったのか、本件の経緯について22日間にわたって充分に取り調べ、その他裏付け捜査を実施してきた。
3 この度、被疑者は、上記被疑事実については処分保留の状態で釈放となり、脅迫の被疑事実で再逮捕・再勾留された。その被疑事実は、上記ホテルでの行為後に、被疑者が児童に対し、所謂「援助交際」の事実を暴露して児童の名誉に害を加えることを電子メールを送信して告知したというものである。
児童は、ホテルに赴いた日以降も被疑者に対し、しつこく電話やメールを寄越し、再び会うことや金銭の要求をしてきた。被疑者は、この児童とは関わりを絶ちたかったため、児童に対し、断りのメールや親にばらすぞといったメールを送信したりした。そして、そのような経緯については、4月3日の逮捕・勾留当初から、捜査官も取り調べにおいて被疑者に質問してきたし、被疑者も正直に供述してきた。捜査官の方でも、児童の携帯電話に送信されてきたメールを証拠として保全していた。
従って、今回の逮捕・勾留事実は、当初の逮捕・勾留時点から捜査機関に発覚しており、同時捜査が可能な余罪であり、社会的に密接に関連する事実であった。
しかも、前回の逮捕・勾留事実については、被疑者は上記のように具体的に供述しており、一貫して否認していた。そのような状況で被疑者の処分を決定するには、ことの経緯・顛末を2人の出会いから児童による捜査機関に対する被害申告に至まで捜査する必要があり、現実にそのような捜査が為されていた。
何しろ、被疑者の取調べを担当している警察官は、今回の再逮捕に際し、今回の被疑事実についても既に取り調べてしまっているので、もうやることないなあ、と被疑者に語っているほどである。
4 以上の経緯に照らせば、本件勾留は、捜査機関において既に発覚し同時捜査が可能であった事実について、勾留期間の制限を潜脱するために殊更事実を小出しにして、繰り返し身体拘束しようとしたものと断ぜざるを得ないものである。
従って、本件勾留は、憲法31条・34条、刑事訴訟法208条に違反する違憲・違法な勾留であり、直ちに取り消されなければならない。
5 最高裁判所は、いわゆる狭山事件に付いての昭和52年8月9日第二小法廷 決定において、こう述べている(新矢悦二「最高裁判所判例解説刑事篇昭和5 2年度」253頁以下)。
…第一次逮捕・勾留中に「別件」のみならず「本件」についても被告人を取調べているとしても、それは、専ら「本件」のためにする取調べというべきではなく、「別件」について当然しなければならない取調べをしたものにほかならない。…しかも、第一次逮捕・勾留当時「本件」について逮捕・勾留するだけの証拠がそろっておらず、その後に発見、収集した証拠と併せて事実を解明することによって、初めて「本件」について逮捕・勾留の理由と必要性を明らかにして、第二次逮捕・勾留を請求することができるに至ったものと認められるのであるから、「別件」と「本件」とについて同時に逮捕・勾留して捜査することができるのに、専ら、逮捕・勾留期間の制限を免れるため罪名を小出しにして逮捕・勾留を繰り返す意図のもとに、各別に請求したものとすることはできない。
また、神戸地裁昭和49年12月4日決定(判例時報769号114頁)は、「別件勾留中保釈されるとみるや、既に発覚済の本件で逮捕状の発付を得て逮捕したのは、不当に身柄拘束継続の意図に出た疑いがあって違法であり、これを前提とした勾留請求は違法で、却下を免れない」としている。
最高裁判例・神戸地裁判例から言えることは、当初の逮捕・勾留の段階で捜査機関に発覚している余罪で、かつ、その余罪について逮捕・勾留するだけの証拠がそろっている場合には、捜査機関には、その余罪も含めて当初の逮捕・勾留の被疑事実と同時に捜査する義務があるということである。
この点に関し、中央大学の渥美東洋教授は、こう述べている(渥美「刑事訴 訟法要諦」中央大学出版部一一九・一二〇頁)。
一犯罪事実ごとに一回の勾留が認められるとすることは、あまりにも、捜査機関に利益にすぎ、身柄拘束期間を長期化する。一回の勾留で、捜査することが可能な範囲までは、身柄拘束期間の短縮の利点から考えて、捜査機関は捜査する義務があると解するべきである。…さらに、現実には、当初の身柄拘束下で捜査しなかった犯罪事実であっても、捜査が可能であった場合にも、その事情は配慮されなければならない。
そこで、原則は、捜査機関に発覚している犯罪については、一回の身柄拘束に限定し、それでは捜査が不可能であることが示される場合に限って、必要限度の日数の期間だけ、再度の身柄拘束が許されると解すべきである。そこで、再度の身柄拘束期間は、身柄拘束の法定期間より短くなるのが原則である。前の身柄拘束期間内に利用されたか、利用すべきであった期間だけ、再度の拘束にあっては、拘束期間から差し引かれなければならないのを原則とする。
また、立教大学の荒木伸怡教授も、次のように述べている(荒木「刑事訴訟法読本」弘文堂76・77頁)。
一つの犯罪には一回の勾留しか許さないとする「一罪一勾留の原則」が、一般に承認されている。一つの犯罪に一回の勾留しか許さない限度では、この原則を認めることに異論はない。しかし、勾留に関する「事件単位説」のように、その限度を越えてこの原則にこだわると、別件ないし余罪がある場合に、前回の請求とは異なる事件で勾留を請求しさえすれば、一件ごとに請求する限り何回でも勾留が認められることとなる。しかし、これでは余罪のある被疑者やささいな別件で逮捕された被疑者の勾留期間が長期にわたりうることとなってしまい、勾留期間の最長限が法定されていることが無意味になってしまう。
そこで、事件単位説は、A事件による勾留とB事件による勾留との併存的な請求を許すことを認めた上で、勾留期間の長期化はこの併存的な請求により避けられるとする。しかし、被疑者の取調べおよびその徹底が捜査機関側からみた勾留の目的である以上、また、別件の逮捕・勾留期間をも利用して本件の取調べを行おうとしている以上、被疑者の勾留期間を短くすることとなる併存的請求を、捜査機関自らの側から行うという事態はほとんど想定しがたい。すなわち、事件単位説は、わが国の捜査の現状を踏まえず捜査機関の善意を信頼しすぎている学説なので、賛同しがたい。…
手続単位説は、前述した事後審査を二回目以降の勾留請求の際に行うことにより、勾留の蒸し返しを避けようとする。10日(プラス10日以内)という勾留期間は、起訴前の身柄拘束期間としてはかなり長い。その結果、A事件の勾留の理由と必要とがそれ以内に解消してしまい、残り期間をB事件に利用する事態や、A事件の勾留期間を並行してB事件のためにも利用する事態が生じうる。前述した意味でこれは、B事件の勾留請求がなされた際に、勾留質問の場において被疑者に尋ねて確認すべき内容の一部である。勾留裁判官は、既にB事件のために利用された期間を差し引いた上で、今回請求されているB事件による勾留を許すか否か、許すとすればその勾留期間を、決めることになる。
未決勾留期間の本刑算入の際や刑事補償額の算定の際には、勾留状に記載されている事件に形式的に捉われることなく、当該勾留期間がどの事件のために利用されていたかを調査しそれを決定内容に生かす方式が採られている。手続単位説は、被疑者の勾留期間を決定する際にもこの方式を採るように主張しているのである。
以上の学説・判例に照らしても、本件勾留が違憲・違法な勾留の蒸し返しであることは明白である。
6 原審裁判官は、検察官の要求通り10日間の再度の身柄拘束を認めた。これまでの捜査の実態を無視した思考停止の決定と言うしかない。
個人の行動の自由は、われわれの最もかけがえのない基本的な自由であり、自然権である。この尊い自由は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって」「侵すことのできない永久の権利」として、われわれに与えられたものである。
われわれ市民が求める裁判官は、裁かれる立場にある者、自由を剥奪される立場にある者のことを思いやり、共感することのできる人間的感性豊かな人物である。そして、法の精神を体現し、何者にも屈せず、それを実現できる独立の強い法律家である。
準抗告審の裁判官におかれては、ただ検察官の言いなりになるのではなく、少しは捜査の実態というものに思いを巡らせ、学者の見解にも耳を傾けて、人類の多年にわたる努力の成果を無にするような判断をなさらないことを祈るものである。