申入書

 

さいたま地方検察庁越谷支部

  検察官 甲野太朗  殿

 

                         平成13年6月19日

                                                                        

                   被 疑 者   乙 川  次 郎  

 

                   弁 護 人   萩  原   猛

 

第1 申入れの趣旨

被疑者に対する取調べに伴って作成された供述録取書等一切の書面について  は、被疑者の署名および押印前に弁護人に開示され、被疑者が弁護人と共にそ  の内容を確認する機会を与えられたい。

 

第2 申入れの理由

1 刑訴法198条5項の解釈

刑訴法198条5項は、被疑者が供述調書に誤りのないことを申し立てたときに、捜査機関が被疑者に署名・押印を求めることができるとしつつ、被疑者に署名・押印の拒絶を認めている。

被疑者は、この供述調書への署名・押印の拒絶を、その理由を問わずなしうる。何故なら、刑訴法198条5項本文は、被疑者が供述した場合に、これを調書に録取し(198条3項)、その内容を被疑者に閲覧させ、または読み聞かせて、誤りがないかどうかを尋ねた際(同4項)に、被疑者が供述調書に誤りのないことを「申し立てた」とき、捜査機関は署名・押印を求めることができるとしているのであるから、被疑者が供述調書に誤りのないことを申し立てなかった場合は、捜査機関は署名・押印を求めることができない。

つまり、捜査機関は被疑者から供述内容の正確性について確認を求めることはできても、被疑者が誤りのないことを申し立てなければそれ以上のことはできないのである。そして、その上で、198条5項但書が「これを拒絶した場合は、この限りでない」と、署名・押印を「拒絶した場合」を除いているのであるから、被疑者が供述調書の内容に誤りのないことを認めている場合でも、署名・押印を拒絶することができるということになる(団藤重光「刑事訴訟法綱要」[七訂版]326頁、平場安治外「注解刑事訴訟法」中巻[全訂新版]56頁、中武靖夫外「捜査法入門」264頁、村井敏邦「密室の中での取調と被疑者弁護の意義」『法学セミナー』1995年8月号6頁以下)。

このような被疑者の供述調書への署名・押印拒絶権の原理的根拠は、憲法38条1項の黙秘権の保障である。黙秘権の保障の貫徹のためには、供述時における供述の自由だけでなく、供述調書作成の際にも供述内容の正確性を確認することを通して供述の自由が保障されていなければならないからである。

2 供述調書の性質

供述調書というものは、供述者の供述を忠実に書き取ったものではない。取調官が取調の過程で聴取した供述内容をメモし、適宜そのメモと記憶に基づき供述を取捨選択し、要約し、整理し、構成し直して自ら筆記又は立会者に口述して筆記させ、供述者が一貫して自発的に自らの言葉で供述したように物語式に記載して、最終的にその書面を供述者に読み聞かせあるいは閲読させ、その末尾に署名・押印を求めるという方法によって作成される(松本時夫「供述調書の本質についての一考察」司法研修所創立二〇周年記念論文集3巻500頁等参照)。

即ち、供述調書は、取調官が供述者の供述から形成した心証に基づく報告書としての性質を有する文書にすぎないのである(高田卓爾編「基本法コンメンタール刑事訴訟法」[第三版]174頁)。

3 弁護人の事前確認の意義

供述調書の前記性質に鑑みれば、供述調書には、@取調官が被疑者の供述をただ言葉として理解する以上にその意味内容を正確に理解しているかどうか、A被疑者の供述したニュアンスを正確に伝えているかどうか、B取調官としての心証が被疑者の供述した内容を作り替えてしまっていないか、などについて原供述者である被疑者が十分理解したうえで「誤りのないこと」を申し立て、署名・押印する必要がある。表現としては正確に記載されているようにみえても、被疑者の供述した真意を正確に伝えるものでなければ、供述調書としての意味はない。

しかし、被疑者は、取調室という孤立無援の環境の中で捜査官の取調を受けているのである。このような被疑者にとって、取調官が意図しているか否かに拘わらず、取調を受けているということだけで大きな緊張感を強いられるのであり、調書の内容を読み聞かされても、前記@ABの諸点を理解・確認して、供述が正確に要約されているものかどうかを充分に検討する余裕など、およそあり得ないというべきである。

また、被疑者の供述調書は、起訴・不起訴の判断資料となり、後の公判において重要な証拠として扱われる可能性がある。そして、被疑者が供述調書に署名・押印するということは、訴追側に決定的証拠を提供する処分行為を含んでいる(刑訴法322条1項)。しかるに、被疑者は、供述調書への署名・押印が法律的にどのような効果を有するかについて正確な知識を有していないのが一般である。

右のような危急存亡の事態に追い込まれた被疑者であればこそ、法律専門家たる弁護人の援助が重要な意味を持つのである。弁護人の助言があって初めて被疑者は、前記@ABの諸点を冷静に吟味でき、供述調書の法的意味を理解し得るのである。

刑訴法198条4項には、供述調書を「被疑者に閲覧させ、又は読み聞かせ」なければならないとある。基本的には被疑者が閲覧を希望すればそれに沿うようにしなければならない。閲覧か読み聞かせかは、被疑者の選択に任されているのであって、取調官の都合によるわけではない。そうすると、198条4項からは被疑者の供述調書の閲覧権が認められ、これを前提として5項における署名・押印の是非を検討するということになる。被疑者に弁護人が付されていれば、当然、被疑者は、自己の弁護人と共に供述調書を閲覧した上で、署名・押印の可否について検討することができなければならない。このような被疑者にとっての危急存亡の瀬戸際において、自己の弁護人のアドバイスを実質的に受けられないというなら、被疑者に弁護人の援助を受ける権利(憲法34条、37条3項、38条1項)が保障されているとは、到底言い得ないからである(村井敏邦・前掲8〜9頁参照)。

刑事弁護の普遍的な観念を定義し、その後の刑事弁護の歴史に決定的な影響を及ぼした1932年のパウエル判決において、サザーランド裁判官は次のように述べている。

聴取を受ける権利は、弁護人を通じて聴取を受ける権利を含まないとすれば、多くの場合、殆ど効果がないであろう。知的で教育のある素人であっても、法の科学については僅かの技量しかなく、時には全く技量がない。犯罪の訴追を受けた時には、彼は、通常の場合、その起訴状が正しいのか間違っているのかを自ら決定する能力もない。彼は証拠法則を知らない。弁護人の援助がなければ、彼は適正な訴追によらずに裁判を受けることになるかも知れないし、不適格な証拠、あるいは争点に関連性がないなどの理由により許容性を欠いた証拠に基づいて有罪とされるかもしれない。彼は、たとえ完璧な防御方法があったとしても、その充分な準備をする技量も知識もない。彼を訴追する手続きのあらゆる段階において、彼には弁護人の導きの手が必要なのである。これがなければ、たとえ無実であっても、彼は、自分の無実を証明する方法を知らないが故に、有罪とされてしまう危険に直面するのである(Powell v. Alabama 287 U.S. 45,53 S.Ct.55 1932)。

こうして、弁護人が、被疑者による署名・押印前の供述調書の内容確認のために、その開示を要求し、被疑者に弁護人の了解なく供述調書に署名・押印しないように助言することは、憲法上の弁護権の行使として正当なものということになる。

ちなみに、刑事法学の泰斗・平野龍一東京大学名誉教授は、昭和33年(ミランダ判決の8年前)に出版した法律学全集「刑事訴訟法」(有斐閣)の中でこう述べている(同書107頁)。

被疑者が、調書に誤りのないことを申し立てたときは、これに署名押印することを求めることができる。ただし、被疑者は、署名押印を拒絶できる。署名もしくは押印のない調書は、証拠能力がない。被疑者に、調書の謄本または写を要求する権利は認められていない。署名押印を交換条件として要求する外はないであろう。

 

よって、申入れの趣旨記載のとおり申し入れる。