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刑事司法改革の指針となる、内外の判例、国連関係文書等 ステファン判決: 取調べ全過程のテープ・レコーディングは、デュープロセスの要請である(アラスカ州最高裁判所)Stephan v. State, 711 P.2d 1156 (Alaska 1985) アラスカ州最高裁判所(5裁判官全員一致):身柄拘束下の取調べは可能な限り全てテープに記録しなければならないとの規則は、アラスカ州憲法のデュープロセス条項の要請であり、この規則に違反して得られた自白は証拠から排除されなければならない。以下は抄訳であり、引用及び脚注は原則として割愛した。(訳者 高野隆) バーク裁判官による法廷意見:5年以上前にマロット対州において、われわれはアラスカ州の法執行官に対してこう知らせた。「彼らには、[刑事被疑者に対する]いかなる尋問についても、とりわけ拘禁下で行われるそれについてはなおさら、可能な限りテープに記録することが義務付けられるのである」とMallott v. State, 608 P.2d 737 (Alaska 1980), at 743 n.5)。この要請(以下「マロット・ルール」と言う)は、S.B対州において再び注意され、その際にわれわれは、取調べのこのような電気的な記録は「自白や[被疑者による]ミランダの諸権利の放棄に関する経過」を裁判所が判断することを求められたときに「大いなる助けになるであろう」と付言した(S.B. v. State, 614 P.2d 786 (Alaska 1980), at 790 n.9 )。第3の事件マクマハン対州において、この記録の要請が繰り返し指摘され、さらに「被告人に対してミランダの権利が読み上げられたときにはそれも記録されなければならない」と告げられた(McMahan v. State, 617 P.2d 494 (Alaska 1981), at 499 n.11)。本日、われわれは、拘禁施設において行われた身柄拘束下の取調べを電気的に記録することを理由なしに怠ることは、アラスカ州憲法による被疑者のデュープロセスへの権利(1)を侵害するものであり、かつ、そのようにして得られたいかなる供述も原則として許容できないと判示するものである。 1. 事実本件で併合審理されている2件の事実関係は似たものである。申立人マルコム・スコット・ハリスとドナルド・フテファンは、それぞれ別の事件で逮捕され、警察署に連行され、警察官に尋問された。ハリスは2度取調べを受け、ステファンは1回だけ取調べを受けた。両名はいずれも罪を認める内容の供述をした。いずれの場合にも、使用可能なオーディオあるいはビデオレコーダーが室内にあり、取調べの一部を記録するためにそれらが使用されたが、取調べの全部が記録されることはなかった。いずれの事件の警察官も、彼らがマロット・ルールを明白に無視したことについて満足すべき理由を述べなかった(3)。 2. 原審までの手続それぞれの公判に先立って、ハリスとステファンはいずれも取調べ中になされた自白の排除を申し立てた。証拠排除の審問においては、尋問のうち記録されていない部分で何が起こったかについて対立する証言がなされた。ハリスは、最初の取調の際に、尋問のはじめにミランダの権利が告げられなかった、彼が黙秘権を行使したにもかかわらず尋問が続けられた、そして、テープにとられていない部分で警察官は彼を脅迫しかつ約束をしたと主張した。ステファンは、最終的な自白は減刑の約束によって引き出されたものであり、かつ、彼が要求したにもかかわらず弁護人なしに獲得されたものであると訴えた。この対立を解消するために必要な完全な記録がないままに、事実審裁判所は、各証人の信用性を評価し、記録されていない出来事についていずれの話を信じるべきかの選択を迫られた。いずれのケースでも、裁判所は警察官の証言を採用し、自白は任意になされたものであり、したがって証拠として許容されると決定した(6)。ハリスとステファンは有罪を宣告され、控訴した。 3. レコーディングは州のデュー・プロセスの要請である控訴裁判所はその判決理由のなかでこう述べている:「最高裁判所は、3つの事件で、警察はレコーディングが実行可能であるときは被疑者の供述をレコーディングする義務を負うと明瞭に判示している。この忠告を無視することはできない」。それにもかかわらず、控訴裁判所は次のように述べて、一般的な証拠排除規則の適用を否定した。
本件の状況下において控訴裁判所が排除規則の適用を拒んだのは、おそらく、これまでのわれわれの判決がもつ重要さをわれわれ自身が十分に説明してこなかったためであろう。これまでの判決では、被疑者取調べの電気的記録は「[法執行機関による]証拠保全の義務の一部である」という、どちらかというと曖昧な表現で説明されてきた。本日、われわれはこの曖昧さを解消する。拘禁施設において取調べが行われ、かつ、それが実行可能である場合は、かかる記録をとることは州のデュープロセスの要求するところとなる(11)。われわれはこの結論に達した。なぜなら、このような状況のもとにおいては、レコーディングは、被告人の弁護権、自己不罪拒否の権利、そして最終的には公正な裁判を受ける権利を十分に保護するために必須の、合理的かつ必要な保護措置であると、いまやわれわれは確信したからである。 *** 被告人が彼の自白は任意になされたものではないと主張するとき、合衆国憲法は重い責任を課す。自白が採用されるためには、訴追側は、合衆国憲法が被告人に保障する自己不罪拒否の特権と弁護権とを彼が熟慮の上で知的に放棄したことを証明しなければならない。アラスカ州憲法の下でも同様の重い義務を州は負う。 取調べの実情は自白の任意性を決定する上において明らかに重要な事実である。州は被告人の憲法上の権利が守られていたという取調官の証言によって任意性の立証を行うのが通常である。他方、被告人はしばしばこれに相反する証言をする。その結果、法執行官と被告人との間の宣誓合戦が行われ、裁判所はその判定をしなければならなくなる。こうした取調べにおいて何が起こったのかを理解することに伴う困難は、わが国における取調べの大部分が外部から遮断された場所で行われているという事実に起因する。
したがって、われわれはレコーディングの要請は正当化されると考える。なぜなら、「テープ・レコーディングは、取調べ中に何が起こったかを判断するために客観的な手段を提供する」からである。 いずれか一方の証言が意図的に虚偽のものであるという事例は疑いもなく存在するが、不誠実さというものはわれわれの主たる関心事ではない。人間の記憶はしばしば誤り易い――人々は個別の事実を忘れ、出来事を様々に再構成したり、解釈したりする。
被告人もまた疑いなく同様に誤りやすい。 身柄拘束下の取調べのレコーディングは、しかし、被告人だけを保護する手段なのではない。レコーディングは、誠実で効果的な法執行に対する公衆の利益を保護し、さらに、不適切な戦略を用いたという誤った非難を受けた警察官の個人的な利益をも擁護するのである。レコーディングは、多くの事例において、被告人が供述を変え、彼の憲法上の権利が侵害されたという虚偽の主張をするようになったときに、自白の内容とその任意性を確認することで法執行の努力を助けることになるであろう。いかなる事例においても、レコーディングは公判裁判所や上訴裁判所が真実を発見することを助けるであろう。 デュープロセスの概念は不変ではない。ひとつには、それは新しい技術的な進歩に合わせて変化しなければならない。例えば、呼気のサンプルを集めてそれを保存することは、従来実用的ではないとされてきた。しかし今ではこの手続は技術的に可能であり、多くの州が、デュープロセスの問題としてあるいはデュープロセスと類似した理由付けにより、それを要求している。録音テープやビデオテープの利用は、今日の社会ではより一層広汎に行われていることである。警察は、既に、彼らにとってそうすることが有利であるときには、レコーディング装置を利用している。酒酔い運転の事件では被疑者の録画は日常的に行われているし、本件のように、正式の自白をレコーディングすることも行われている。もっと言えば、報道によると、アラスカの多くの警察官は自らレコーディング装置を購入して職務中それを携帯して、被疑者や証人との会話を日常的にレコーディングして、偽りの非難から身を守ることにしているという。携帯用のレコーダーが使えないときに、警察官の中にはパトカー無線を使って、通報センターを通じて会話を録音する者すらいる。 本件のいずれの事件においても、警察は拘禁施設において被疑者の身柄拘束下の取調べを実行した。レコーディング装置の利用は十分に可能であったが、それは尋問の一部を記録するのに使われただけであった。レコーディングのルールに従うことは、この状況下においては、不必要に過大な要求というわけではない。数分早くレコーダーのスイッチを入れることはほんのわずかの経費と手間を必要とするだけである。そうすることで、この取調べの間に起こった出来事をめぐる紛争を解決するのに要する時間と資源とを節約することができたのである。 警察が全取調べの電気的記録をしばしば怠る理由として提出する唯一の実質的理由は、レコーディングが被疑者の供述の意思に対して「萎縮効果」をもつ傾向にあるというものである。被疑者は連邦及び州の憲法の下において沈黙を保つ憲法上の権利を持っているという事実、そして身柄拘束下の取調べにも先立ってこの権利は明確に告知されなければならないという事実に照らせば、この議論には説得力がない(20)。 要するに、本日われわれが採択したルールは、被疑者にミランダの権利を告知する場面を含む、拘禁施設での取調べは、電気的に記録されなければならないということである。このデュープロセスの要請を満たすためには、その記録が取調べの全過程を物語っていることを明確に示すものでなければならない。したがって、何が起こったのか裁判所が忖度しなくてもすむように、レコーディングの開始と終了ならびにその中断の前と後に、その説明がなされていなければならない。 マロット・ルールは、その宣告のとき以来「可能である限り」という但し書きを常に付されてきた。したがって、身柄拘束下の取調べ全過程を電気的に記録するのを怠ったことがこのルールに違反し証拠排除の理由になるのは、その懈怠が正当化できない場合に限られる。正当化理由として受け入れることができるものとしては、電源や装置の不可避的な障害、会話が録音されるならばどんな質問にも答えないと被疑者が主張する場合などがある。裁判所は事例ごとに注意深く状況を精査するであろうから、われわれがここであり得べき正当化理由の全てを検討する必要はない。しかしながら、完全なレコーディングが行われなかったときはいつでも、州は、当該状況のもとでレコーディングを行うことが不可能であったことについて、証拠の優越の程度に公判裁判所を説得しなければならない(22)。そして、かかる事例においてレコーディングの懈怠は疑惑の目で見られなければならない。 4. 救済措置ハリス事件において、控訴裁判所は、マロット・ルールの違反に対する「制裁」をどうするかは、プトナム対州が設定した基準に基づいて公判裁判所の健全な裁量に委ねられるのが最善であると結論した(24)。しかしながら、われわれはこの救済措置の選択というものを退ける。そうではなく、われわれは一般的な証拠排除の規則を採択する。他の救済措置にもそれぞれ長所があるのは確かであるが、われわれは、証拠排除規則は、被疑者の憲法上の権利を最も良く保護するものであり、法執行機関と下級裁判所に対して明確な指針を提供するものであり、そして、我が司法制度の尊厳を保全するものであると信じる(25)。 州対サンドバーグにおいて、われわれは、制圧的逮捕法(the forcible arrest statute AS 12.25.080)違反について証拠排除規則を適用するのを躊躇した。State v. Sundberg, 611 P.2d. 44 (Alaska 1980).過去において逮捕の際に過剰な暴力が繰り返し用いられていたという歴史がないことから、証拠排除規則の適用は、せいぜい、ほんのわずかの抑止効果があるに過ぎないだろうと考えたのである。しかし、本件の記録に照らせば、マロット・ルールが宣言されて5年以上が経過したにもかかわらず、同ルールが提供しようと意図した保護措置に対して法執行機関も下級裁判所も正当な配慮を払うことを繰り返し怠ってきたことが明らかであるといわなければならない。強力かつ確固たる救済措置こそが、将来の事例において相当な抑止効果を持つであろうとわれわれは信じるのである。ルールに従うことは、法執行機関にほとんど経費や負担をかけるものではないのであって、彼らがルール違反によって得るものはほとんど何もないであろう。 サンドバーグにおいてわれわれが証拠排除規則の採用を躊躇した理由の一つは、他の抑止方法(27)の存在が証拠排除規則を不必要なものとしたという点である。この理由付けはレコーディング・ルールの違反には当てはまらない。警察官個人に対する制裁は、組織的な問題と思われる問題の解決には必ずしも役に立たない。組織の考え方と実践が変わらなければならないのであって、単に個人の行動が変わればいいのではない。理由のないマロット・ルール違反のもたらす結果を彼らが十分に認識すれば、法執行機関は、速やかに、ルールを実践する効果的な手順を確立し、かつ、職員に対して十分な訓練を施すようになるに違いない。したがって、このルールに違反してとられた供述の証拠排除は、警察官、法執行機関そして裁判所がルールの要請を継続的に無視することを防ぐのである。 今回われわれが採用したルールはもう一つの目的にも奉仕する。取調官によるものであれ被告人によるものであれ、利害関係のある当事者の証言のみに基づいて、裁判所が疑問のある自白の許容性を決定するというのは、常に我が司法制度の尊厳に対する疑問を提起するものである。これは、自白をめぐる事実関係に関する客観的な証拠がただスイッチを押すだけで保存できたという場合には、まさに現実のものである。身柄拘束下の取調べをルーティンとして制度的にレコーディングすることは、このような客観的な証拠を提供するものであり、これによって裁判所がいずれかの当事者に偏向しているとの主張は退けられるであろう。 もっとも重要なのは、証拠排除規則によって個人の憲法上の権利の保護がより前進するということである。被疑者の弁護権、自己不罪拒否の特権そしてデュープロセスの保障を確保するためには、強力な保護措置が必要である。自白というものは一般的に有罪を決定的にするほど強力な証拠なのであり、それゆえに、州が理由なしに正式の供述に導いたやり取りの証拠を保全することを怠ったときには証拠から排除されるというルールが正当化されるのである。このことは、本件におけるように、警察官が自らの判断で尋問の最初ではなく開始から20分後にレコーダーのスイッチを入れることを選択したというだけの理由で、被告人に有利なものである可能性のある証拠が失われてしまった場合には、まさに真実である。このような状況のもとにおいては証拠排除が必須となる。なぜなら、全ての会話を保全することを恣意的に怠ったことが、被告人の公判や証拠排除審問における彼の防御の能力に直接的な影響を与えるからである。さらに言えば、被告人の供述の証拠排除は、なされた誤りを正す唯一の対処方法であり、「被告人を、その証拠が保全され公判で利用できる時期にそれが提供されていたならば彼又は彼女が立っていたであろう地位と同じ地位に置く」ために必要な措置である。 よって、証拠排除は、取調べの電気的な記録が可能であるにもかかわらず理由なしにそれを怠ったことに対する適切な救済措置であるとわれわれは結論する。一般的な証拠排除規則は、法執行機関に対して明瞭な基準を提供し、司法の尊厳を保ち、そして、被疑者の憲法上の権利を十分に保護する唯一の救済措置である。犯罪の予防と犯罪者の検挙に対する社会の利益を考慮しても、このような強力な救済措置が必要であることは変わりがない。このルールの遵守が広汎に行われるならば、信頼性はあるのに、レコーディングされなかったために、供述が排除されるという事態が頻繁に起こることはないであろう(33)。 5. 例外これまでの説示にかかわらず、ほとんど全てのルールには例外がつきものであること、そして、被告人の供述の証拠排除がまったく不合理となる場合のあることを、われわれも承知している。したがって、マロット・ルールの違反は、全ての事例で被告人の供述の証拠排除を要請するものではない。すなわち、本判決は、レコーディング規則の違反が行われる以前に獲得された供述の採用を禁止するものではない。レコーディングが、正当化できない理由によって停止された場合、たとえその余の取調べのレコーディングを懈怠したことが正当化できない場合であっても、停止が起こるまでに適切にレコードされた供述は許容することができる。なぜなら、停止以前の供述はその後に起こった出来事によって汚染されることはありえないからである。さらに、取調べの一部をレコードしなかったことは、レコードしなかった部分がどうみても取るに足らないものであるときには、被告人のレコードされた部分の供述の採用を禁ずるものではない。かかる事例では、実質的な職務違反の主張が存在しないので、被告人のレコードされた供述を排除する理由がないのである。同様の理由で、マロット・ルールの違反の他に、供述が不正確であるとか不適切に採取されたということを示す供述がまったく提出されない場合にも、被告人のレコードされない供述は許容されて良いであろう。 ハリスとステファンの供述を証拠排除する決定がなされるとともに、原判決は破棄され、本件は更なる手続のために差し戻された。 以上
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