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資料集

MIRANDA ASSOCIATION

刑事司法改革の指針となる、内外の判例、国連関係文書等

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山形明倫中事件民事1審判決

平成14年3月19日判決言渡
平成8年(ワ)第13号損害賠償請求事件
口頭弁論終結日 平成13年9月18日
判決
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由
第1 請求
被告らは,各自,原告児玉昭平及び同児玉敏子に対し各金8682万9361円,原告児玉光平及び同児玉理紗子に対し各金1000万円,並びにこれらに対する平成5年1月13日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
新庄市立明倫中学校(以下「明倫中」という。)1年生であった児玉有平(以下「有平」という。)は,平成5年1月13日(以下特段の断りがない月日は平成5年のことを指す。)夜,明倫中体育館北側の体育用具庫(以下「マット室」という。)で,ロール状に巻かれて立てかけられていた体育用ロングマット中央の空桐に頭部から逆さまに入った状態で死亡しているのを,有平を探していた教論らに発見された。
本件は,有平が死亡したのは,被告新庄市を除く被告らが,共謀の上,抵抗する有平の体を押さえて上記マットに押し込みそのまま放置したことによるものであり,被告新庄市にも,従前からの「いじめ」に対する適切な教育的配慮を怠るなどの過失があったとして,有平の遺族である原告らが被告新庄市を除く被告らに対しては民法709条,719条に基づき,被告新庄市に対しては国家賠償法1条に基づき,損害賠償を請求する事案である。

1 前提事実(証拠を記載したもの以外は,争いがないか,弁論の全趣旨により明らかである。)

(1)当事者
ア 有平(昭和54年5月1日生)は,原告児玉昭平(以下「原告昭平」という。)と原告児玉敏子(以下「原告敏子」という。)の次男であり,本件事故当時,明倫中1年B組の生徒で,クラブ活動の面では男子卓球部に所属していた。
原告児玉光平(以下「原告光平」という。)は,有平の兄であり,原告児玉理紗子(以下「原告理紗子」という。)は,有平の妹である。

イ 被告新庄市は,学校教育法40条,29条の規定に基づき市町村として明倫中を設置管理し,教育事務を行う地方公共団体である。

ウ 被告NM(昭和53年5月10日生。以下「被告N」という。)は,本件事故当時,明倫中2年C組の生徒で,野球部に所属していた。

工 被告KS(昭和53年8月13日生。以下「被告K」という。)は,本件事故当時,明倫中2年C組の生徒で,サッカー部に所属していた。

オ 被告NyS(昭和54年1月7日生。以下「被告Ny」という。)は,本件事故当時,明倫中2年C組の生徒で,男子バスケットボール部に所属していた。

カ 被告SK(昭和54年2月5日生。以下「被告S」という。)は,本件事故当時,明倫中2年B組の生徒で,サッカー部に所属していた。

キ 被告OK(昭和54年3月14日生。以下「被告O」という。)は,本件事故当時,明倫中2年A組の生徒で,男子バドミントン部に所属していた。

ク 被告FK(昭和54年10月5日生。以下「被告F」という。)は,本件事故当時,明倫中1年A組の生徒で,男子卓球部に所属していた。

ケ 被告YY(昭和55年2月28日生。以下「被告Y」という。なお,以下被告新庄市を除く被告らを「被告元生徒ら」という。)は,本件事故当時,明倫中1年C組の生徒で,サッカー部に所属していた。

(2)遺体の発見
平成5年1月13日夜,明倫中体育館マット室で,有平がロール状に巻かれて立てかけられていた体育用ロングマット中央の空桐に,頭部から逆さまに入った状態で死亡しているのが発見された。遺体発見時のマット室の状祝は,別紙現場見取図記載のとおりである(甲21。以下マット室内のマットは,同図記載の番号により呼称する。)。

(3)捜査及び審判の経緯
本件事故当時14歳に達していた被告N,同K及び同Nyの3名は,1月18日,傷害及び監禁致死の被疑事実で逮捕され,同年齢に達していなかった被告S,同O,同F及び同Yの4名は,同日傷害及び監禁致死の補導事実で補導された。
被告元生徒らは,この逮捕・補導に前後して事件への関与を認めた。
補導された被告S,同O,同F及び同Yは,同月25日児童相談所に通告され,そのうち被告S及び同Yは2月3日から同月17日まで児童相談所において保護預りとなった(乙E60)。逮捕された被告N,同K及び同Nyは,1月29日,山形家庭裁判所に送致された。補導された被告S,同O及び同Fは,3月26日,山形家庭裁判所に送致され,被告Yは,同日,児童福祉司の指導に付する旨の措置処分を受けた。
山形家庭裁判所は,審理の上,被告N,同K及び同Nyについては,8月23日に非行なしを理由とする不処分決定を下し,被告S,同O及び同Fについては9月14日に傷害致死の非行事実を認定し,そのうち被告S及び同Oについては初等少年院送致を決定し,被告Fについては教護院送致を決定した。
被告S,同O及び同Fは,上記決定に対し抗告を申し立てたが,仙台高等裁判所は,11月29日本件には不処分決定を受けた被告N,同K及び同Nyを含む被告元生徒ら全員示関与しているとの認定事実の下,被告S,同O及び同Fの抗告を棄却した。同人らは再抗告を申し立てたが,最高裁判所は平成6年3月1日これを棄却した。
同人らは,同年10月14日保護処分の取消を申し立てたが棄却され,抗告及び再抗告の申立も棄却された。

2原告らの主張
(1)明倫中におけるいじめの状況
ア 事件発生以前の状況明倫中では,事件以前において,生徒間の暴カ,特定のおとなしい教員に対する授業妨害,生徒による教員に対する暴行事件,金品強要等様々な問題が頻繁に生じていた。

イ 有平に対するいじめの状況被告Kは,平成3年4月に入学した当初から,被告S,同N,同Oやその他の数人の生徒とグループを形成し,体カ的に劣り真面目でおとなしい生徒や自分たちの気に入らない生徒を狙っては,おもしろ半分に,若しくは,目立っている,生意気であるなどとして暴行を加える等のいじめを繰り返していた。被告Oも,他の生徒に対しいじめを繰り返していた。そして,これらのいじめは,教室内の外マット室を利用することも多かった。
ところで,上記被告Kらは,平成4年の1学期ころ,有平がふざけたしぐさ,若しくは,一人芝居のようなもの(以下「一発芸」という。)を演じることを知るに至り,有平には一発芸を披露するように要求することが多くなったが,有平も最初はこれに応じていた。
しかし,上記被告Kらは,自分たちの要求するままに一発芸を演じる有平の態度から,有平は自分達の言いなりになるものと考えるようになり,次第に有平の意思を無視して芸の抜露を要求するようになった。このため,有平は被告Kらの要求に対し,一発芸の披露を渋るようになり,その態度も次第に強まっていった。
ところが,上記被告Kらはかえってこの有平の態度が生意気であるとして,多数人で取り囲んで威勢を示したり,暴行を加えるなどして,一発芸の披露を強要するようになった。有平は彼らの様子に恐怖心を抱き屈辱に耐えながら,嫌々彼らの要求に応じていた。
そして,平成4年の1学期の終わりころには,被告Kらは,クラブ活動中にも有平を呼びつけ,一発芸の披露を要求し,有平がこれに応じない態度を示すと,マット室に連れ込んで嫌がる有平に対し数人がかりで殴る暴行を加える等して,一発芸を強要することを繰り返すようになっていった。
このような有平の状況は他の生徒にもたびたび目撃され,これによって有平はいじめられっ子であるとの認識が他の生徒の間にも広まっていった。このため,有平は,被告Kら以外の生徒からも,いわれなき暴行を受けることも度々あった。

(2)本件事件の実態
ア 有平は,平成5年1月工3日午後4時40分ころ,被告O及び同Sから金太郎芸という一発芸をするように要求されてマット室前に連行されたが,その際体育館に居合わせた被告N,同K,同Ny,同F及び同Yらもこれを見てマット室前に集まり,有平を取り囲んだ上,被告O及び同Sもこれを見てマット室前に集まり,有平に一発芸を要求したものの,同人がこれに応じなかったことから,被告元生徒らは,共謀の上,マット室前で有平を殴打した上,マット室内に押し込み,同所で,「助けてください。許してください。」と言うばかりで無抵抗な有平に対し,「生意気だ。むかつく野郎だ。」等と怒号しながら,こもごも同人にその頭部及び背部等を殴る蹴るの暴行を加え,また,プロレス技をかけ,同人を持ち上げるなどするうち,被告Kから,有平を円筒状に巻いて立て掛けてあるロングマット内に逆さに入れようという提案がなされるや,他の被告らもこれに賛同し,日々に「入れっぺ。入れっぺ」と言いながら,被告O及び同Sがマット上に登り,有平の足を片方ずつ持ち上げて同人を逆立ちの状態にし,被告Ny及び同Fが,泣きながらやめるよう懇願し上記ロングマットの周縁部に両手を広げて必死に抵抗する有平の腰や両腕を押さえ,同人を頭部から逆さに同ロングマットの中心部の空桐に押し込む等の暴行を加え,そのまま放置し,これにより同人を同日午後7時ころ同所において窒息死させた(以下「本件事件」という。)。

イ 被告元生徒らは,それぞれ,捜査段階において本件事件への関与を自白しているものであるが,その自白するに至った経過に鑑み,それぞれの供述に信用性を疑わせる事情は全くなく,十分に信用し得るものであり,各供述調書により,被告元生徒ら自身の不法行為はもとよりのこと,供述が相互に補強しあって,他の被告元生徒らの不法行為事実をも優に認定することができる。

(3)自白の信用性について
ア総論
被告元生徒らは,いずれも当法廷において自己の自白は取調官からの強制によるものである旨圭張するが,以下に述べるとおり,その主張は自己の責任を免れるための弁解に過ぎない。

イ被告Kについて
(ア)本件捜査の経緯
捜査を担当した新庄警察暑は,本件事件発生後,発生現場である明倫中の体育館にいたと思われる同校の卓球部及びバドミントン部の生徒23名から情報収集をした結果,本件事件発生時である1月13日午後4時過ぎころに,有平が同校体育館でバドミントン部の男子から金太郎芸という寸劇をさせられていた旨,同日午後4時50分ころに同校体育館のマット室前に4,5人の者が集まっており,その中に被告K,TY,OMがいた旨の情報を得た。
新庄警察暑は,翌14日から15日にかけて,同校生徒多数から情報収集を行う一方,情報に名前が出た被告Kらから事情聴取をしたが有力な情報は得られなかった。
同月16日,新庄警察署は,同校生徒から,午後4時30分ころマット室前で5,6人の者が有平を取り囲むようにしていたが,その中に,被告Ny及び同Nが加わっていた旨の情報を得た。
翌17日,新庄警察暑は,被告Sから,1月13日有平を囲んでいた者の中に,被告Ny,同N,MT及びFD(旧姓A)がおり,被告Nが手を挙げていた旨の供述を得たほか,他の生徒から,有平を取り囲んでいたグループに被告N及びMTのほかに被告Kがいた旨,そして同人らがマット室内に入っていた旨の情報を得た。
以上のとおり,被告Kが自白した同月17日の段階では,被告Kのほか同Ny及び同Nが被疑少年として浮上していたが,被告Kが自白するまでは,他の被疑少年である被告S,同O,同F及び同Yについては判明しておらず,かえって,本件事件に加担していないTY,OM,MT及びFDをも捜査対象とされていたものである。

(イ)被告Kが自白するに至った経緯
同月17日午前中,新庄警察暑捜査官は,同警察暑において被告Kから事情聴取をしたが,有力な情報を得ないまま昼食時に帰宅させることとした。
被告Kが帰宅するため,保護者が同警察暑に到着するまでの間の午前11時50分ころ,以前被告Kをオートバイ盗難事件に関して取り調ベ,被告Kと面識があった同警察暑警部補大楯直樹(以下「大楯警部補」という。)が,被告Kに対し,「元気でいるか。オートバイの件の後は真面目にしているか。お母さんは元気か。児玉君が体育館にいたとき君はどこにいたのか。」などと尋ねた。すると,被告Kが汗ばんで落ち着かない様子であったことから,大楯警部補がさらに被告Kに対し,「K君,児玉君はなぜ死んでしまったのか。児玉君の命は地球よりも重いものだぞ。」と質したところ,被告Kは立ち上がり,大楯警部補の胸に抱きついてしばらく泣いた後,「僕は見ていたのです。死ぬとは思わなかった。」と言い,被告N,同Ny,同S,同O,同F,同Y及び同Kの7人で有平をマット室内のマットに逆さに入れた旨,実際にマットの中に入れたのは,被告O,同S,同F及び被告Nyの4人である旨を自供した。
被告Kは,翌18日逮捕されたが,その弁解録取の際に,被告Oらとともに有平をマットの穴に頭から入れたことを認めるとともに,被告S,被告O及び被告Nyと事件への関与を口外しないよう互いに口止めしたことなどを供述し,翌19日における勾留請求の際にも,検察官に対し「児玉をマットに入れることは僕とOが言い出したことであり,実際にマットに入れたのは,NyとOとFとSの4人で,僕とNとYはそれを見ていた。」旨供述した。さらに,勾留質問の際にも,裁判官に対して同様の供述をした。その後,被告Kは同月28日まで一貫して取調官に対し本件事件への関与について自白した。

(ウ)被告Kの自白の証拠価値
a 被告Kが本件事件への関与を自白する以前の段階においては,捜査機関は,被告元生徒らが実行行為者であるとの予断あるいは見込みを持っておらず,被告Kに強いて自白させようとの意思はなく,かえって被告Kから有力な情報が得られないことから帰宅させようとまでしていたものである。また,被告Kから自白を得た大楯警部補は,被告Kの取調べ担当者ではなく,被告Kと旧知の間であったことから雑談をしようとしたに過ぎなかったもので,被告Kから自白を得ようとの意思は当初から全くなかったものである。
ところが,被告Kは,大楯警部補と雑談を始めてから約20分程度で本件事件への関与を自白したものであって,その際被告Kは立ち上がり,大楯警部補の胸に抱きついてしばらく泣いた後,被告元生徒らで有平をマット室内でマットに逆さに入れた旨,実際にマットの中に入れたのは,被告O,同S,同F及び同Nyの4人である旨自白した上,被告らの間における口止めの事実まで供述しているものである。
以上のように,被告Kが本件事件への関与を自白するに至った経緯には,信用性を疑わせる事情は全くなく,その状況は被告Kが秘匿していた事実を吐露したことによる感情の高ぶりと安堵感にあふれている。
さらに,被告Kの供述内容は,未だ捜査官に判明していない共犯者である被告S,同O,同F及び同Yの氏名を挙げた上,被告らの間における口止めの事実まで供述しているものであり,上記事実は秘密の暴露ともいいうるものであり,被告Kの自白調書の信用性は非常に高いものであって,その自白調書により被告Kを含めた被告元生徒らの本件事件への関与を優に認定することができる。

b これに対し,被告Kは,大楯警部補から供述を強制されて虚偽の自白をしたと主張する。
しかし,他方で,被告Kは,当法廷において,被告O,同S及び同Yについては自ら名前を挙げ,大楯警部補から何らの示唆を受けていないと供述しているのであって,上記主張は明らかに破綻している。
また,被告Kは,TYから,警察からTYとOMが疑われていることを聞きながら,これらの名前を警察には供述しなかったと述べており,被告Kが自白当時警察官に対し迎合していたとの事実は認められない。
被告Kは,平成11年1月26日の被告本人尋間において,1月17日の取調べの際,自白調書を大楯警部補が勝手に作成したものと述べているのであって,大楯警部補から強制されたので虚偽の自白をしたとの弁解と矛盾した内容を述べている。そしてその矛盾に気付くや,平成11年4月20日の当法廷においては,これを訂正して,1月17日の取調べにおいても強制されて自白したと変更しているのであって,被告Kの弁解は一貫しておらず,その弁解の信用性は全くない。

ウ 被告Nについて
被告Nは取調官から机を叩かれたなどしたので畏怖して虚偽の供述をした旨供述する。
しかし,被告Nは,検察官には警察官と違って任意に供述できたと述べているところ,検察でも,被告S及び同Oが有平に暴力をふるったことや,同人らが有平をマットに入れたことを述べているのであり,警察官の面前と検察官の面前とで異なる内容を述べているものではない。
したがって,警察における取調べにおいても取調官から机を叩かれたなどしたので畏怖して虚偽の自白をしたなどということはなかったといわざるを得ない。

工 被告Nyについて
被告Nyは,取調官から長期間の身柄拘束を受けると告げられたので自白したと主張するが,付添人と面会した1月21日以降も事件への関与を認めている。
また,恐怖心から自白に及んだのであれば,相当重大な事態の変化がなければ自白を撤回することなどないはずなのに,少年鑑別所でタオルの匂いをかいだことによって自宅を思い出したなどという日常的かつ軽微な事情から否認に転ずる決意に至ったと述べるに過ぎないのであり,そのような弁解は到底信用できない。

オ 被告Sについて
被告Sはどうでもよくなって家に帰りたいと思い事実関係を認めたと供述する。
上記供述自体,本件の重大性に照らし虚偽の自白をする動機としては理解し難いばかりでなく,1月20日付け員面調書では,有平に対する感情に関して訂正を求めながら,自己の処分が決せられる上で最も重大な事情である本件事件への関与については何ら否定しなかったものであって,被告Sの弁解は何ら根拠がない。

カ 被告Oについて
被告Oは,取調官から怒鳴られ自宅に帰ることができないと考え,自白したと供述する。
しかし,本件にあっては被告Kの供述から被告Oやその他の被告元生徒らの本件事件への関与が明らかになったものであり,取調官が被告Oに自白を強要したとすれば,被告Kの関与を供述するよう強要したはずである。ところが,被告Oの捜査段階における供述によれば,最終的な取調べにおいても,被告Kの関与については全く供述がないのであって,この事情はかえって被告Oに対する警察官の取調べが自白を強要するものではなく,被告Oの供述が任意になされたことを示している。

キ 被告Fについて
被告Fは,早く帰宅したいとの気持ちから取調官が誘導するままに供述し,作成された供述調書の内容すら理解していなかった旨供述する。
しかし,被告Fの上記弁解自体その信用性を疑わせるものではない上,有平の死亡という重大な結果を生じさせた容疑をかけられた者の供述態度としては到底考えられないものである。
被告Fの供述調書が取調官の強制によるものでないことについては,被告Fの供述調書に共犯者と目されていた被告Yの氏名がないことからも明白である。

ク 被告Yについて
被告Yは,取調官が自己の主張を信用してくれず,疲労感と恐怖感に早く帰宅したく面倒くさいことも相まって虚偽の自白をした旨供述する。
しかし,被告Yは,3月11日及び同月19日の山形家庭裁判所における証人尋問においても捜査段階での供述を維持している。そして,当法廷においても,家庭裁判所では供述調書の押しつけではなく記憶に基づく供述を求められたと述べているのであって,家庭裁判所での供述と同趣旨の供述調書が警察官の強制により作成されたものと疑うに足りる事情は全くない。

(4)FDの供述
FDは,事件から4日後の1月17日午後の段階で,自らの意思で,取り囲み及び本件事件の状況について,真の目撃者でなければ知り得ない事実を詳細かつ具体的に供述しており,その信用性は極めて高いものと評価できる。
FDは,2回にわたり少年審判において証人として尋問を受け,その証言内容は大筋において捜査段階における自らの供述を否定するものではない。ところが,FDは,当法廷において,それまでの目撃供述を否定する証言をし,その理由として,捜査段階における供述は自分が犯人扱いされたからであること,目撃したはずとする脅しを受けたからであることを挙げるが,犯人扱いや脅されたとする具体的供述は何もない。また,FDは原告代理人の反対尋問では少年審判での供述は確信を持って真実を述べたと供述している。
さらに,FDは,当法廷において,供述調書添付図面は全部自分自身で考えたものであると供述するが,同図面には有平が入れられたマットについて,マット室の左隅にあるマットであると正確に記載しているのであって,同人が本件事件を目撃したことは明らかである。
このように,FDは当法廷において,これまでの供述を否定しようと繕うが,その証言は矛盾に満ちかつ曖味であって到底信用できるものではない。

(5)Yメモ
被告Yは,1月18日の取調べの後,自宅において,その父YKや伯父YRの前で本件事件の詳細を説明し,YRがその用紙をメモした(以下この書面を「Yメモ」という。)。
YK及びYRは,いずれも当法廷において,Yメモは1月13日の事件の真相がどうかという観点から作成されたものであると証言しながら,他方YメモはYKが警察で聞いた事件の大筋の流れに基づいて被告Yに質問し,同人がこれに相づちを打つような形で作成されたとも供述している。
しかし,Yメモの内容は極めて詳細かつ具体的なものであり,マット室内部のマット,跳び箱の状況,被告元生徒ら及び有平の位置関係・動きが詳細に記載されているなど,事件の大筋を知っているとはいえYKやYRではおよそ知り得ない内容,さらには1月18日当時においては被告Y自身も警察にも供述していない内容が数多く含まれている。
Yメモの中では,被告Sが被告Yに声をかけた場所及び被告Yがマット室から出る際の経路について,被告Yの指摘によりわざわざ訂正されて記載されている。これはまさに事件を体験した被告Y自身しか分からないことである。
 Yメモの内容は,事件を体験した被告Y自身しか分からないものであって,同人がその説明の際に有平に仕掛けたプロレス技を実演して見せたりもしていたことを合わせて考えると,このメモの信用性は極めて高い。

(6)アリバイ等の主張に対する反論
ア 被告K
(ア)YKzの供述
YKzは,子供を保育所まで車で迎えに行く途中の1月13日午後4時ころ被告Kと鍛冶橋上で会ったと供述する。
しかしYKzの供述は,1月13日の午後4時ころに被告Kが明倫中の東方約400mにある鍛冶橋付近を,学校側から鍛冶橋方面に歩いていたことを裏付けるものに過ぎず,被告Kのその後の行動を直ちに裏付けるものではないから,被告Kのアリバイの根拠とはならない。

(イ)AHの供述
被告Kは,1月13日午後4時前後に学校を出て,虫神社でAHと会い,歩いて2人で菓子の「おきなや」に行きコーラを買い,さらに,歩いてAHの自宅に行き,午後4時45分ころに自宅に着き,その後,午後7時30分ころまでAHの自宅に2人でいたというアリバイの主張をする。そして,AHも,これに沿った内容の供述をする。
しかし,AHの上記供述を裏付ける証拠はないばかりでなく,その信用性もはなはだ疑わしい。すなわち,AHは,当初,1月13日「おきなや」でコーラを買い自宅まで行く途中の通称円満寺踏切手前のT字路付近で自動車を運転しているYKzとすれ違ったと供述していたが,このT字路からAHの自宅までの距離は約211mであり,普通に歩いて徒歩3分の距離である。AHは,自宅に午後4時45分ころに到着したと供述しているのであるから,被告KとAHが上記T字路を通過したのは午後4時40分過ぎということになる。
しかし,AHがすれ違ったというYKzは,当法廷において,上記T字路をそもそも通過していないと供述しているばかりか,遅くても午後4時5分ころまでには子供を迎えに行った北部保育園を出て,午後4時15分ころまでには自宅に到着しているはずであり,午後4時40分過ぎにAHと上記T字路ですれ違うなどということはあり得ない。
しかも,AHは,その後,YKzとすれ違ったのは1月13日ではなかったかもしれないし,1月12日だったかもしれないなどと供述を翻しているが,その理由についても全く説明できていない。
また,SNは,後記のように,午後4時30分過ぎに自宅付近の路上で自分の後方約150mの地点をAHが被告Kと一緒に歩いているのを見たと供述するのに対し,SNの自宅の3軒隣に居住するAHは,自宅到着時刻を午後4時45分ころであると供述している。そうすると,AHと被告Kは約150mの距離を歩くのに約15分かかったというおよそ常識に反する結論が出てくるのであるが,この点についてAHも被告Kも何ら合理的な説明をしていない。
以上から,AHの供述は全く信用できない。

(ウ)SNの供述
SNは,1月13日午後4時30分過ぎに,自宅付近の路上で自分の後方約150mの地点を被告KとAHが一緒に歩いているのを見たと供述する。
しかし,当日午後4時30分ころの新庄の天候からして,相当薄暗かったはずであり,いかにSNがAHの友人であり被告Kと面識があったにせよ,150mもの距離をおいて近眼で視カが0.9と0.8であるSNが2人の姿を確認できたとは到底考えられない。
また,仮にSNが被告KとAHの姿を目撃したとしても,それが1月13日であったという根拠はない。むしろ,以下に述べるとおり目撃の日はその前日の1月12日であったと認められる。
SNによれば,目撃の日は,@3学期が始まってから1月13日までの間の6時限まであった日で,かつA午後4時30分ころに明るかった日である。
しかし,@の点であるが,1月12日も6時限まで授業があったものであり,目撃の日が6時限までの日だからといって,これが1月13日であったとは断言できない。
次にAの点であるが,SNは,1月13日の午後4時ないし5時ころの新庄の天候は,午後4時台は1時間に1cmの積雪を観測しており,雲量はほぼ空全体が雲に覆われている状態であり,日照時間はいずれの時間帯もゼロであったものであるから,当日午後4時30分ころは薄暗かったはずであり,SNがいうような状況ではなかったはずである。これに対し,1月12日午後4時ないし5時ころの新庄の天候は晴れであり,雲量は空全体の6割程度に雲がかかっている状態であり,日照時間もこの1時間に20分ほどあったものであるから,この時間帯には,明るい状況にあった可能性はある。
以上のとおり,SNの当法廷における上記供述は信用性がなく,仮にSNが被告KとAHの姿を目撃したとしても,それは1月13日ではなく,その前日の1月12日のことである。

(エ)KsSの供述
a KsSは,捜査段階から審判を通じて,一貫して「1月13日の午後4時40分ころ,明倫中の生徒昇降日で,体育館の方に走っていく被告Kの姿を目撃した」旨供述する。
この供述は,同人が被告Kと親しく他人と見間違えることが考えられないこと,KsSの記億が有平が病院に搬送されたことをKsS宅に設置してある消防無線で聞いたという記憶と結びついたものであって,被告Kを目撃したのが1月13日であることの明確な裏付けを有することからして,極めて信用性の高いものである。

b これに対し,被告元生徒らは,次の点を挙げて上記KsS供述を攻撃するが,いずれも上記KsS供述の信用性にいささかの影響も与えるものではない。

(a)被告元生徒らは,YKzの「1月13日の午後4時ころ,鍛冶橋付近で被告Kとすれ違った。」旨の審判供述を前提として,被告Kが何らかの事情で鍛冶橋先から学校へ引き返したとすれば,午後4時10分前後には生徒昇降口へ達しているはずであって,KsSの供述は時問的に整合しないし,またそのころに学校に戻ったのであれば体育館に行って遊んだりしているはずであるが,その姿をその時刻ころに見かけた生徒はいないと主張する。
しかし,この主張は,被告KがYKzを目撃した直後に学校へ引き返したことを前提とするものであるが,被告Kがその直後に引き返さなければならない必然性はない。また,被告Kが学校に戻ったのであれば体育館に行って遊んだりしたはずであるという点も,被告元生徒らの勝手な推測に過ぎない。たとえ午後4時40分ころに被告Kの姿を見かけた生徒がいないとしても,KsS供述の信用性には何ら関係がない。

(b)被告元生徒らは,被告Kが学校に戻ったとすると,体育館に向かうのが自然であるのに,KsSが自撃したのは生徒昇降口西側の教室棟に繋がっている廊下の方から生徒昇降口に来て,内履きズックのまま下駄箱にリュックを置いて体育館に向かったというもので,外から戻った被告Kの行動としてはそぐわないと主張する。
しかし,第1に,KsSが目撃したのが外から校舎内に入ってきた被告Kの姿であるとは断言できない。KsSの供述によれば,被告Kは教室棟の方角から姿を現したというのである。また,KsSはその彼女SY(旧姓I)を待っている間,学校の向かいの加藤商店へ行き自動販売機でジュースを購入し,その場で飲み,それから再び学校の生徒昇降口に戻っているのであるから,被告Kが生徒昇降口から学校内に戻ったとしても,その姿をKsSに目撃されなかった可能性は十分にある。第2に,被告Kが学校を出る際,外履きに履き替えたということを裏付ける証拠はない。かえって,被告Kはその供述によると,一旦生徒昇降口から出た後,体育館の非常口から体育館内に入り,バスケットボールをし,再び体育館非常口から外に出たというのであるから,同人にはそもそも外履きと内履きの観念が薄いことが窺われるのである。したがって,被告Kが再び学校に戻ってくることを予定していたならば,履き替えることなく内履きのまま外に出た可能性すら否定できないのである。
 いずれにしても,被告Kが内履きを履いていたことが,KsS供述の信用性をいささかも傷つけるものではないことは明らかである。
 要するに,KsSの供述の要点は,1月13日の午後4時40分ころ,被告Kが明倫中校舎内にいたことを明確に裏付けていることにあるのであるから,その信用性が揺るがない以上,被告Kのアリバイは成立しようがないのである。

(オ)IG及びNYの供述の信用性
同人らは,捜査段階及び審判において,KsSが被告Kを目撃した同じ時間帯に,体育館で被告Kを見たと述べている。
なお,両名とも,少年審判においては,付添人の質問に対し一部記憶が曖昧であるかのような供述をしている部分もあるが,冒頭の裁判官からの質問に対しては,はっきりと被告Kを見た旨供述しているし,結論的には被告Kを見た旨の供述を覆してはいない。
これに対し,被告元生徒らは,IG及びNYが被告Kを目撃した時刻を午後4時45分ころと供述している点を盛んに攻撃するが,人間の記憶として当然あり得る範囲の些細な時間的誤差をあげつらっているに過ぎない。被告Kが1月13日の午後4時40分ころ明倫中の生徒昇降日で目撃されている以上,その時刻ころに被告Kが体育館で目撃されたとしても何ら不自然な点はない。以上のとおり,IG及びNYの供述に対する被告元生徒らの批判は理由がないのであって,供述の信用性をいささかも疑わせるものではない。

(カ)MM(県立新庄農業高校の学生)の供述の信用性
被告Kは,事件当日午後5時ころから午後7時30分ころまでAH宅にいたとしてアリバイを主張するが,MMは,事件当日午後5時30分ころ新庄市の町中で被告Kを目撃したと供述するから,これによれば,被告Kの上記アリバイが成立する余地は全くない。
MMが被告Kに会った事実は,同道していたMKも目撃し,MMも警察の取調べを受ける前に家族等に話し,捜査段階から審判を通じても一貫してその旨供述している。
被告Kは,MMとは小学校,中学校共に同窓生であり,同人の妹MYとは同期生又は同級生であり,しかも中学生では珍しい男女交際を公然と行い,明倫中では評判になっていた生徒であり,MMはこれらのことを妹より日頃から話を聞かされていたし,前年の秋には被告Kが女性の友人と一緒にいるところを興味深く見ているなど,被告Kに対し特別の印象を持っており,偶然街中で会っても特に記憶が残る存在であった。
MMが被告Kを目撃した日が,事件当日であることは,同日の深夜に妹のMYが警察の呼出しを受け,その際MMの服を借りたこと,帰宅途中に市役所への立ち寄ったりリップクリームを購入したこと,MMが供述する天候状況によって裏付けされている。また,目撃した時刻が午後5時30分ころであることは,MMの父親MKzが同時刻を約束時間としていたこと,MMも,これを厳守し父親が来るまで車内で待機する習慣になっていたことから明らかである。

(キ)GYの目撃供述
GYは,当時女子バレーボール部員であったが,当法廷において,1月13日,体育館内Bコート入り口で後半のクラブ活動が始まるのを待っている最中,同じBコートでバスケットボールをしている被告Kを目撃したと供述する。GYは,至近距離から被告Kを目撃したのであり,その供述の信用性は高い。また,当日女子バレーボール部は,午後4時30分ころから50分ころまでの約20分間,生徒昇降口付近で体力づくりをやっており,GYを始めとする女子バレーボール部員が体育館内に入っていったのは,午後4時50分過ぎのことであった。被告Kも,本件事件後にマット室前で被告N及び同Sとバスケットボールをした旨自白している。

イ 被告N
被告Nは,午後4時から午後5時までの間,他の野球部員と常に一緒であったわけではない。SSjは,被告Nとずっと一緒であったと供述するものではないし,OY及びSbNは,生徒昇降口での帰り際に被告Nが居たか否かについて覚えていないとし,YSは,極めて曖味な供述をしている。

ウ 被告Ny
(ア)被告Nyが一緒に帰宅したと主張するSR,TgY,ST及びMTは,いずれも被告Nyと同じ2年生バスケットボール部員であること,同人らは,FTに対して「1月13日は一緒に帰ったよな。」などと被告Nyとともに虚偽の事実を申告させようとする言動に及んでいたこと,STも,捜査段階では「咋日警察から事情を聞かれ1月13日に一緒に下校した人をNy,TgY,SR,MT及びFTと言ったが,そのメンバーは,1月12日一緒に帰った人達で,13日は午後4時ころに富樫及び鈴木と一緒に帰った。13日にNy及びMTと話をしていたとき,Nyから『昨日一緒に帰ったもんね。』と言われ,そんな気になった。」と供述していることからすれば,被告Ny,SR,TgY,ST及びMTの間でアリバイ工作がなされた疑いは強い。

(イ)また,Nyが一緒に帰宅したと主張するFTは,一貫して,先生から修学旅行アルバムの編集後記を書くよういわれていたので,1月13日は終わりの会終了後すぐに1人で帰宅し自宅で編集後記を書いたと供述する。この供述は,編集後記の作成という日常とは異なる体験と結びついた供述であって信用性が高い。

(ウ)その他,TT,TK及びKYも,事件当時被告Nyを体育館で目撃した旨の供述をしている。

工 被告S及び同Y
TTは,捜査段階においては,被告S及び同Yらとバスケットボールをしていたとき,マット室前で取り囲みを見たこと,取り囲みにさらに2,3人が加わったころ,被告S及び同Yがバスケットボールのグループからいなくなったこと及び午後4時50分ころ同人らが戻ってきたことを供述している。
TKも,捜査段階においては,被告S及び同Yが取り囲みの中にいたこと,その後同人らがバスケットボールに入れろと言って来たことを供述している。

オ 被告O
AT及びIRは,バドミントンのクラブ活動中に被告Oと終始一緒に行動したと供述するものではない。
被告Oは,当日のクラブ活動時間中その場を離れたり,クラブ活動以外のことをしていたものである上,これに本件事件が行われた現場であるマット室がバドミントンの活動場所から間近であること等を合わせて考えるならば,被告Oには本件事件に関与できた可能性は十分にある。
被告Oは,1月13日は生徒昇降口でKsS及びSYと会ってCDの話をしたと主張する。しかし,KsSは捜査段階及び少年審判を通じ一貫してこれを否定しているし,SYも捜査段階では全くこの点を供述しない。
また,もし仮に被告Oの主張する事実が認められたとしても,それは極めて短時間の会話に過ぎなかったものであり,何ら同人のアリバイを裏付けるものではない。

カ 被告F
被告Fがクラブ活動終了の時刻に体育館を出たことを裏付ける証拠はないし,トランプ遊びをしたのは午後5時5分からしばらくたった後のことであるから被告Fが本件事件当時,事件現場にいなかった事実は何ら裏付けられていない。

(7)責任原因
ア 被告新庄市の責任
(ア)明倫中の教員等は,同校における教育活動等の場において,同校生徒の安全について万全を期すべき義務を負担していた。特に,生徒間のいじめが深刻かつ重大な社会問題となり,これを受けて文部省が各学校に対していじめ問題に関する指導の充実,強化を呼び掛けていたのであるから,明倫中の教員等は,いじめの実態を正確に把握し,適正に対処する義務を負っていた。特に,明倫中においては,以前より校内暴力,いじめ等様々な問題が頻繁に生じていたのであり,いじめを行っていた生徒には,被告K,同S及び同Nを含めたグルーブの外被告Oが含まれていた。そして,彼らのいじめの対象とされていたのは有平のみにとどまらなかった。
本件事故は,有平に対する被告元生徒らのいじめがエスカレートして惹起されたものであるから,明倫中の教員等が,被告元生徒らに対し適切な教育的配慮を行っていれば,その発生は十分に防止し得るものであった。
しかるに,明倫中の教員等は,当時,いじめが恒常化し公然化していたにもかかわらず,その本質及び深刻さを理解せずに,いじめを行った生徒の行動を正確に把握し,必要に応じて指導監督するなど教育的措置を何ら講ずることなく,漫然と放置していた。

(イ)本件事件は,同校の体育館内でのクラブ活動中に発生しているが,本来,同校ではクラブ活動についての確認事項として,顧間等教員が立ち会い指導監督すること,体育館とグランドに最低でも1名の教員が立ち会い指導監督すること,クラブ活動終了後には,部員生徒の下校を確認することが定められていた。
本件事故当時,体育館に教員が立ち会い指導監督を実施していれば,本件事故発生を食い止めることができたのは明らかであり,また,クラブ活動終了後における部員生徒の下校確認がなされていれば,少なくとも有平に死亡という重大な結果を防ぐことは十分に可能であった。
しかし,本件事故当時,体育館内でのクラブ活動には,教員はだれも立ち会っていなかったし,部員生徒の下校確認もなされていなかった。

(ウ)マット室は,かねてよりいじめの場所になっていた。本件においても,外から遮断されたマット室内でなければこのような悲惨な結果は生じなかったはずである。しかも,同室内には,ロール状に巻かれたマットが多数収納され,同マットの空洞内に生徒の身体が入れられればその生命身体に重大な被害が生ずるおそれが十分に考えられた。
この危険を防止するために,利用しないときには,マット室外側扉に鍵をかけておく等の防止策を講ずることは容易であったはずであるが,学校の現場管理者である明倫中の校長は,このような措置を全く講じていなかった。

(エ)明倫中の教員等は,被告新庄市の地方公務員であって,同人らが生徒に対して行う教育活動は,国家賠償法1条にいう公権力の行使に該当する。
 そして,明倫中の教員等は,学校教育法等の教育関係法規の趣旨に基づき,教育活動の現場における生徒らの安全を確認し,生徒らを保護監督すべき義務があるにもかかわらず,これを怠ったことによって有平を死に至らせたものであるから,被告新庄市は,国家賠償法1条に基づき,明倫中の校長及び教員らの過失によって生じた損害を賠償すべき責任を負う。

イ 被告元生徒らの責任
被告元生徒らは,共謀の上,有平をマット室内にロール状に巻かれて立てられたロングマット中心部の空洞に,頭部から逆さに押し込む等の暴行を加えそのまま放置し,これにより同所において同人を窒息死するに至らしめたのであるから,民法709条,719条に基づき,それによって生じた損害を連帯して賠償すべき責任を負う。

(8)損害
ア 有平の逸失利益
有平は,死亡当時13歳の男子であったから,本件事件がなければ18歳から67歳までの稼働可能期間中,男子の平均賃金程度の収入を得ることができたものである。
この稼働可能期間中の労働能力喪失による逸失利益の現価を,平成5年賃金センサス第1巻第1表産業計企業規模計学歴計男子労働者金年齢平均年収額549万1600円を基礎に,生活費を50%控除し,新ホフマン方式により年5分の割合による中間利息を控除して算定すると,その額は5887万3522円となる(67歳までの年数(54年)に対応する係数は,25.8056で,就労の始期までの年数(5年)に対応する係数は,4.3643である。)。
(計算式)
549万1600円×50%×(25.8056−4.3643)=5887万3522円

イ 有平の慰謝料
有平は,何らの落ち度がないにもかかわらず,生徒の健全育成が図られるべき場である学校において,被告元生徒らから,全く抵抗できないままその頭部及び背部等を殴打され,あるいは,足蹴りにされる等の執拗な暴行を一方的に受けた上,ついにはロール状のマットに逆さまに押し込まれ,何らの救助を求めることもできないまま,約2時間あまり死の恐怖に苛まれたものであり,その精神的苦痛は察するに余りある。
また,有平は,明朗な性格で,未だ幼いながらも,多くの人に夢を与えることのできる仕事として,将来は漫画家あるいはアニメーション関連の仕事に就きたいとの希望に胸を膨らませ,これを実現するための人生設計を立て,家族からの激励も受けて勉学に勤しんでいたところ,本件事件によりわずか13歳という短い人生を送ったのみで,被告元生徒らの手により無惨にもその生命が絶たれたもので,その無念さは筆舌に尽くし難い。
有平の死亡に至るまでの恐怖に対する精神的苦痛及び無惨な死に対する慰謝料は5000万円を下ることがない。

ウ 原告昭平及び同敏子の相続
原告昭平及び同敏子は,有平の父母であるが,両名は有平の幼少時から懸命に養育し,和やかな団らんを持つべく努カし,明倫中に有平への健全な教育と生命身体の安全を託し,その将来に明るい希望を抱いていた。
しかるに,原告昭平及び同敏子の明倫中に対するこの信頼は見事に裏切られるとともに,被告元生徒らの手による有平の急で無惨な死により,両名は失望と悲嘆のどん底に突き落とされた。
よって,この精神的苦痛に対する慰謝料としては,原告ら各自2500万円を下ることはない。

工 原告光平及び同理紗子の慰謝料
原告光平は有平の兄であり,原告理紗子は有平の妹であるが,原告光平は約13年間,原告理紗子は約11年間有平とともに成長し,家庭生活及び学校生活において,原告光平にとっては素直な弟として,原告理紗子にとっては頼りになる兄として,苦楽を共にしてきたものである。
上記原告両名は本件事故により最愛の兄弟を突如失ったものであり,その精神的苦痛は有平の両親に比肩し得るものであり,その慰謝料としては各自1000万円を下ることはない。

オ 葬儀費用
原告昭平及び同敏子は,有平の葬儀費用として,278万5200円の出費をした。

カ 弁護士費用
原告昭平及び同敏子は,原告らのために本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人らに委任し,その報酬として原告訴訟代理人各自に300万円(合計1200万円)を支払うことを約した。

3 被告新庄市の主張
(1)本件事故の予見可能性
学校・教員は,生徒の生命身体等の安全が害されることのないよう注意すべき義務があるが,この注意義務は,当該具体的状況下において何らかの事故が発生する危険性を具体的に予見することが通常可能である場合に限られ,事故発生の予見が不可能ないわば突発的・偶発的な事故については,教師・学校側に責任がない。
本件の場合,被告元生徒らについては,他の生徒に危害を加えるおそれは認められなかったし,有平については,他の生徒から危害が加えられるおそれは認められなかった。
よって,仮に被告元生徒らが有平に対しいじめを繰り返していたとしても,原告ら両親すら気付かなかったのであるから,明倫中側が認識することは不可能であり,本件事件が被告元生徒らにより引き起こされたものであるとしても,明倫中側がこれを予見することは不可能であった。

(2)クラブ活動への立会義務,下校確認義務及びマット室の施錠義務
中学生ともなれば,その自主性を尊重し,自己責任において一定の学校活動を行わせることも教育的配慮として必要であり課外クラブ活動は特にその要請が強い。顧問が,練習内容の危険性や生徒の能力などを考慮し,顧問が立ち会えない場合にも一定のクラブ活動を認めることは当然に許されることであるし,本件事件当時,体育館では卓球部とバドミントン部がクラブ活動をしていたが,いずれも危険性の低いスポーツであった。
また,学校側には,生徒の下校を確認すべき義務やマット室に鍵をかける義務もない。

4 被告元生徒らの主張
(1)自過失死の可能性について
有平の遺体の創傷は,すべてその程度が軽微であって,他人の暴カによって発生したものであるとの確実な証拠はなく,有平自身がマット内に入る際に,マットやマット内のラケット等に作用することによって生じ得るものである。
マット室内のマットの乱れがほとんどなく,多人数のものがマット室内で有平に暴行を加えた可能性はない。
被告元生徒らの自白によると,被告元生徒らは,有平に対し多数回にわたり強度の暴行を加え,また有平は,7番マットに入れられるときに一定程度抵抗したことになっているが,有平の遺体には,これに対応する可能性のある創傷が全くない。
そして,次のとおり,被告元生徒らの自白に信用性がないことをあわせると,有平は,だれかに強要されたのではなく,遊ぶためにマット室に入り,何らかの過失で7番マット内にラケットを落としてしまい,拾い上げようとして自ら手を伸ばした際にマット内に落ち込んでしまった可能性は十分にある。

(2)被告Kについて
ア 自白の信用性について
被告Kの員面調書には,関係のないIRの名前が記載されていたり,マットの記載が実際とは全くかけ離れていたり,マットに押し込まれた有平の両足がマットの上に突き出さず外へだらりと出ていたり,7番マットの上で1人が有平の両足をもって持ち上げるというおよそ不可能・不自然な記載がある。

イ アリバイについて
被告Kは,1月13日6時間目の授業が終了すると,終わりの会をさぼり,AHとデートの約東をしていた虫神社まで行った。被告Kは,向かう途中に顔見知りのYKzとすれ違った。虫神社でAHと合流すると,途中コカコーラを買ってAH宅に行った。SNは,AH宅に向かう途中の被告K及びAHを目撃した。同人らは,午後7時30分ころまでAH宅で浸画を読んだりテレビを見たりした。

(3)被告Nについて
ア 自白に至った経過について
被告Nは,当初否認し,一旦自白したものの,再度裁判所の勾留質問と検察官の取調べの際,実質否認の供述をしている。
被告Nは,1月17日は午前8時48分から正午まで午後4時1分から午後10時15分まで,1月18日は午前9時5分逮捕,午後2時35分から午後6時,午後7時ころから午後9時15分まで取調べを受けたとされるが,このような長時間の取調べに14歳の少年が耐えられるはずもない。

イ 自白の信用性について
(ア)自白した動機の不自然性
被告Nは,1月18日に自白し,これまでの否認の理由として,それまで新庄幼稚園に勤めていた母が辞めざるを得なくなることや,将来の進学に支障を来すことが怖くて真実を述べなかったことを挙げ,「今,刑事さんから教えられ,正直に話して,児玉君やお父さん,お母さんに謝って許してもらおうという気持ちになったので,正直に話す気になった。」と自白するに至った心情を供述している。しかし,被告Nが刑事から教わったのが何かということは,この供述調書には一切表われていないし,被告Nが自白に転ずる具体的な心情の動きが一切述べられておらず,この点で被告Nのそれに続く自白には説得力が全くない。

(イ)供述内容
被告Nは,マット室前で有平を取り囲み,蹴ったりした後マット室内に連れ込み,暴行を加えたとされるが,その供述内容は極めて曖味であるし,他の被告元生徒らのだれが何を具体的にしたかについても曖味である。
被告K,同S及び同Oは,有平を5番マットの穴に一旦入れようとしたが這い上がってきたと供述するが,被告Nの自白には全く現われていない。
マット室前での取り囲みにおける並び方が変遷している。また,1月23日付け員面調書添付図面では,8枚のマットが巻かれて立っている状態が描かれているが,実際にはマット室内には7枚のマットしか巻かれて立っていない。

ウ 事件発生当時の行動について
被告Nは,終わりの会終了後,学校外をランニングした後,野球部員とAコート東側でバスケットボールをし,一且生徒昇降口に戻るも再び体育館の同じ場所でSSj,YS等とバスケットボールをし,後半のクラブ活動が始まると,生徒昇降口に戻り,野球部の活動を解散し,部員数名と一緒に下校した。

(4)被告Nyについて
ア 自白に至った経過について
被告Kは,1月17日午後に被告Nyを含む合計7人が本件事件に関与したと自白したため,警察では一気にこの7名の自白を得るべく追及したが,被告Nyはアリバイを主張して否認を維持した。
被告Nyは,1月18日否認のまま逮捕され,保護者の立ち会いのないまま,取調官の厳しい取調べを受け,午後4時30分ころついに自白した。
しかし,同日の取調中,取調官は,被告Nyがやっていないと言うと,「何で認めないんだ。馬鹿野郎。」と大声で怒鳴りつけたり,「S,K,N及びOが,Nyが体育館にいたと言っている」,「同じバスケットボール部の人も見ているんだぞ。」,「体育館にいたことを認めないと,長くかかるぞ。」「お前の場合は半年でも出られない。」などと言った。そのため,被告Nyは,認めないでいると,何時までも留置場に入れられたままになると思った。
また,取調官は,灰皿を床に投げつけたり,机を叩いたりしながら,「お前の目は腐っている。」,「それでも人間か,お前のはうその涙だ。」などと怒鳴ったりもした。このような取調べの中で,被告Nyは怖くなり自白するに及んだ。

イ 自白の信用性について
(ア)被告Nyの自白には,被告O及び同Fが最後まで全く登場しない,一緒に有平をマット穴に押し込んだ人,口裏合わせをした人,マットの穴に入れようと言い出した人,有平の顔を殴った人,有平を投げ飛ばした人,被告Nyとともに有平を持ち上げた人が分からないとするか,供述中特定がない。

(イ)被告Nyの自白には,マット室内で取り囲みをしていた者や,被告Kの暴行について,顕著な変遷がある。

(ウ)自白と客観的事実との不整合
a 被告Nyの自白によれば,被告Nyは午後4時過ぎころ,Bコート西側でOMら野球部員など7人位と10分位バスケットボールをしたとあるが,OMを始め野球部員らは,そのような供述をしていない。

b 被告Nyの自白によれば,他の被告元生徒らの自白と同様に,マット室内で有平に対し殴る,蹴る,プロレス技を掛ける等の暴行を加え,ついには有平を7番マットの穴に頭から逆さまに押し込んだとある。
しかし,有平の創傷は極めて軽微かつ少数であって,被告Nyの自白における暴行のイメージからはほど遠い。また,マット穴に押し込まれたのだとすれば必死で抵抗したであろう有平の身体に抵抗の痕がない。
また,狭いマット室内で,有平を含め8人も入っている中で,被告Nyの自白どおり有平に対し大技のプロレス技を掛けることができるものかどうか疑問である。
さらに,7番マットに立つこと自体が至難の業であることに鑑みると,だれかがマットの上に立ち,必死で抵抗する有平を持ち上げ,抵抗を抑圧して穴に押し込むことなど,到底不可能である。

(エ)被告Nyの自白には,いわゆる秘密の暴露に当たるものがない。

(ウ)アリバイについて
 被告Nyは,終わりの会終了後,同じクラスのSR,TgY,ST,MT及びFTと一緒に帰宅し,午後5時前ころ自宅に到着し,MTと一緒にテレビゲームをやった。

(5)被告Sについて
ア 自白に至った経過について
1月17日の取調べは,午前9時16分から正午まで,午後4時10分から午後7時まで及び午後8時から午後10時36分までと延々約8時間も取調べを受けている。1月18日は,午前8時20分から午後7時10分まで約11時間も取調べを受けている。1月19日以降も同様の取調べ時間であった。そして,昼食及び夕会の時間以外に特に休憩時間を与えられた形跡は全くない。このような取調べは当時まだ中学2年生であった被告Sにとってはその精神的肉体的緊張は計り知れないものである。また,被告Sは,捜査機関の取調べにおいて全く保護者の立ち会いを許されていない。
被告Sは,長時間の追及的かつ誘導的取調べを受け,取調中は保護者の立ち会いも認められずに孤立無援の状態の下で不本意な自白をしてしまったものである。

イ 自白の信用性について
(ア)被告Sの自白には,本件事件に関与した経緯,取り囲んだ者の位置,マット室内における被告元生徒らの位置,被告Sの殴打の契機,有平が重いか軽いか試した行為の有無,有平を5番マットに入れた状況,有平を7番マットに逆さに入れることを提案した者,有平を7番マットに入れた状況について変遷が見られる。

(イ)客観的証拠や他の供述との矛盾・不整合
a 1月17日付け上申書における取り囲みへの参加の経緯が被告Oの自白と全く異なるため,1月19日以降の自白では,この被告Oの供述と符合するものとなり,被告SがBコート西側でバスケットボールをしていなかったことになっているが,今度は,この内容では,被告SとバスケットボールをしたというKY,TK及びTTらの供述と矛盾する。

b 1月19日付け申述書では,被告Sが2度にわたりBコート西側とAコート東側を往復し,Bコート西側からAコート東側に声を掛けるという行動を取ったとあるのに,周囲の生徒はだれもこれに気付いた様子がない。

c 1月19日付け申述書では,被告Sらがマット室前で有平を取り囲み,被告Nが殴打した時間は,Bコート西側で女子バドミントン部が後片づけをしていたころであったとなっているが,証拠上,女子バドミントン部員の中で囲みに気付いていた者がいない。

d 被告Sの自白では,マット室内で入り乱れて有平に暴行したり,プロレスごっこをしたりしているのに,マット室内のマットにはそのような激しい動きを示すマットの乱れ等はない。

e 被告Sの自白では,被告Oらが7番マットに上がり,有平を逆さに持ち上げてその穴に入れたとあるが,不可能である。

(ウ)不自然・不合理な自白内蓉

a 1月19日付け申述書では,被告Sがマット室前で「児玉,金太郎芸しないんだ」とみんなに知らせたところ,すぐに被告Nが「頭にきた」と言って,手拳で2回殴打したことになっているが,あまりにも唐突な行動であり不自然である。

b 1月21日付け員面調書では,被告Sが事件後,被告元生徒らと口裏合わせをしたことが記載されているが,被告Sと同O,同K及び同Nyとの口裏合わせは,抽象的で真実味がないし,被告N及び同Fと口裏合わせをしていないのは不合理である。

ウ 事件発生当時の行動について
被告Sは,終わりの会終了後,サッカー部のトレーニングをやり,体育館に行き,被告Oと生徒昇降口に行き,KsSと5分間位話したり,被告Oと体育館に戻り,Bコート東側で少しの間被告Oとバドミントンのラケットでバレーボールを打ち合った後,Bコート西側で被告Y,KH,KY及びTKらとバスケットボールをしたが,後半のクラブ活動をする女子バレーボール部員からやめるように言われたので,これをやめて帰宅した。

(6)被告Oについて
ア 自白に至った経過について及びその信用性について
被告Oは,1月17日,それまでは全く疑われていなかったのに,午後の取調べにおいて,怒鳴られて犯人扱いの追及を受け始めた。被告Oが一生懸命自分は関与していないと訴えても,取調官はこれを頑として受け入れず,繰り返し事実を認めることを迫った。取調官は,声を荒げ,机をたたき,被告Oを脅した。周囲の部屋から子供の泣き声と叱責する取調官の罵声が間こえた。被告Oは,一度頭をこづかれたことによりいつ殴られるかもしれないという恐怖が強く印象づけられた。取調官は,認めない限りは家に帰さない姿勢であった。取調べは長時間にわたり,いよいよ家に帰れないという不安が被告Oを襲い,取調官の言うがままになる以外なかった。しかも,被告Oには,自白した場合に与えられる不利益に関する理解がなかった。
被告Oは,1月18日,両親と話し合い,やっていないことはやっていないと言って真実を貫くことを決意し,警察に出かけた。しかし,取調官の取調べは,獲得した自白を撤回させまいと,前日とは比べものもないほど厳しくなった。被告Oは,6時間もの間抵抗し続けて頑張ったが,ついに頑張りきれず,自白を受け入れざるを得なかった。被告Oは,陳述書を書かされたが,その内容は取調官が教えてくれた。
被告Oは,1月19日には諦めて抵抗はせず取調官の言うとおりに話しに合わせて虚偽の自白調書の作成に応じることに決め,取調官の言うとおりの員面調書に暑名した。
被告Oは,1月20日,前日同様に取調官の言うとおりの員面調書の作成に応じたが,弁護士から署名を拒否できることを知った被告Oの母は,被告Oに署名させず,また自らも署名しなかった。

イ 事件発生当時の行動について
被告Oは,終わりの会終了後,Bコート東側でバドミントン部のクラブ活動に参加した。
被告Oは,クラブ活動中に有平に金太郎芸をさせたり,被告Sにつき合って生徒昇降口まで行ったり,体育館で被告Sとバドミントンのラケットでバレーボールを打ち合うなどしたが,その後はAT及びIRと一緒にシャトル打ちの練習をクラブ活動終了まで行った。
午後4時45分にクラブ活動が終了し,被告Oは部員とともに生徒昇降口に行ったところ,KsS及びSYと少しCDの話をして生徒昇降口を出た。そのため,被告Oは,ATらから少し遅れたが,間もなく前方を歩いていたATらと学校の自転章置き場付近で合流し,一緒に歩いて帰った。

(7)被告Fについて

ア 自白に至った経過について
被告Fの捜査段階の自白調書は,取調官から犯人だと決めつけられ,何ら弁解も聞き入れてもらえない状況の下,取調官の長時間にわたる示唆・誘導によって作成されたものに他ならない。

イ 自白の信用性について
被告Fは,事件当初から一貫して,自己の両親はもとより,自宅に家庭訪間に来た児童相談所の職員,一時保護所の職員,少年審判の裁判官等多くの人達に自分が事件に関与していないことを主張しており,警察での自白調書の方が被告Fの供述としては異例なものである。
被告Fの供述内容には,取り囲みへの参加の経緯,取り囲みの人数及び順序,マット室前での暴行の態様,マット室へ連れ込んだ状況,マット内へ逆さに入れた状況,マット室から出た状況,マット室から出た後の行動について,変遷が多く,しかもこれにつき合理的な説明がされていない。

ウ 事件発生当時の行動について
被告Fは,終わりの会終了後,卓球部のクラブ活動に参加したが,途中で,Aコート東側でバスケットボールをしたり,教室棟1階トイレに行ったりし,クラブ活動終了の時刻になると,体育館を出て,1年A組の教室でYSt及びKHrと一緒にトランプ遊びをした。その後見回りの先生から注意されたため下校した。

(8)被告Yについて
ア 捜査段階での自白の信用性について
(ア)被告Yは,1月16日及び翌17日午前の事情聴取において,事件への関与を否認し,マット室前の取り囲みの存在についても見ていないと述べていたが,同日午後の取調べに至り,被告Yは事件への関与を自白し,翌18日の取調べが開始するや,改めて否認したが,同日のうちに自白に転じているなど否認と自白が交錯している。

(イ)被告Yの捜査段階の自白には,マット室前の取り囲みを発見した経緯,取り囲みへの参加,被告Sの行動,取り囲み位置の移動の有無,取り囲みの中にいた者,マット室内にいた人数,隠れるような行動の有無,被告Yの問い掛けの有無及び被告Y以外の者の暴行の状況について,変遷があり,この変遷について納得のいく説明は一切なされていない。

(ウ)被告Yが有平に加えたとする左大腿部への蹴りについては,当該部位に創傷はない。
被告Yの員面調書等の添付図面には,立てられたマットの右脇に敷かれたマット上で有平を持ち上げたり,被告Nが有平を押し倒したりしたとなっているが,実際にはそのような敷マットは存在しない。

(エ)被告Yの自白には,マット室の中で号令を掛けるなど主犯格の役割を果たした被告Kの名前が終始登場しない。

イ 審判における自白の信用性について
(ア)被告Yが自白を維持しその後撤回した理由
被告Yは,1月18日の取調べで一旦否認したものの自白するに至った。読み聞けの段階で立ち会った両親は,警察に対する信頼が絶大であったため,被告Yよりも警察を信じ,被告Yが事件に関与したものと思い込んでしまった。被告Yはその両親の姿を見て,取調べが終了してもやっていないと言い出すことはなかった。
1月18日に取調べを終え自宅に戻ると,YRが訪ねてきた。取調べが長いことから,被告Yの両親は被告Yが口下手であることに原因があるのではないかと思い,被告Yに対し事件のことを聞くことになった。被告Yの両親は調書の読み聞けや新間報道により事件に関する情報を不十分ながら有していた。YKにとって,警察を信じていたことから,被告Yが警察で話すことはとりもなおさず本件の真相そのものであった。YKにとっては,本件の真相を尋ねることも警察での取調べ内容を聞くことも同じことであり,両者の区別については全く意識はなかった。そのような聞き手でしかも事件について不十分な知識しか有していないYKが「こうではないか」という聴き方で質問をした。このように,被告Yの両親らは,被告Yが事件に関与したと固く信じ込むようになった。
1月17日夜から警察の捜査終了宣言が出る1月29日までYKは勤務先であるY鮮魚店に出ることもなく自宅に閉じこもり,被告Yの一家は外界とほとんど接触することなく過ごしていた。
被告Yは,3月11日及び3月19日の山形家庭裁判所での被告N,同K及び被告Nyに対する少年審判に臨んだ。被告Yは,裁判所も警察も同じものだと思っており,裁判所や両親に本当のことを言っても信じてもらえないだろうと考えていたこと,被告Sが嘘を維持しているだろうから自分も信用されなくなると思ったことから,自分もやったと嘘を維持した。YKからは「今まで行っているようにちやんと言え。」と励まされていた。そして,臨んだ審判には,被告N,同K及び同Nyの3名がいたが,被告S,同O及び同Fはまだ送致前であったため,その姿はなかった。このため,被告Yは,上記被告ら3名については名前を言いづらく,その関与を知らないとし,被告S,同O及び同Fそして自分については,審判で自分の隣にいて自分がやったと信じ込んでいる両親から「嘘つきと思われたくない」との心情から事件への関与を肯定するという場当たり的な対応に出たのである。
被告Yは,4月から明倫中に通学するようになり,自分以外は否認していることが分かった。
被告Yは,従姉妹であり話のしやすいSYから,本当はやっていないのではと尋ねられたことから事件への関与を否定するに至り,これがYKにも伝わり,本当にしていないのならちゃんと言えと励まされ,被告Yも6月2日の審判では自白を撤回することができた。

(イ)審判における自白の内容の検討

3月11日付け審判調書と捜査段階の自白では,被告Yが蹴った部位,被告元生徒らの暴行の時期等が異なるし,被告Yが有平に蹴ったとする部位には創傷がない。
マット室内にいた人について,被告Yは,3月11日午前の審判では,被告O以外は忘れたと述ベ,その後,被告F,同S及び同O以外は暗くて見えなかったと供述し,同日午後の審判には,被告N及び同Nyも見たかのような供述をし,他の場面では,被告O及び同F以外の者は見ていないと供述している。
マット室前の取り囲みの人数,識別した者,識別した際の状況及びマット室に入るときに開けた扉の位置に変遷があり,また被告Yがマット室に入る状況については,後から入った者はいないとのFDの供述と趣酷する。
取り囲みの際に加えられた暴行について,3月11日及び19日の供は,1月19日以降の自白と比較すると,行為者が被告Nであることが否定され,叩いた回数が変更され,部位は頭とするも明瞭ではなく,左下顎部皮下出血の成因について説明するところがない。

ウ 事件発生当時の行動について
被告Yは,終わりの会終了後,サッカー部のトレーニングをし,これを終えると,体育館Bコート西側で,被告S,KH,KY及びTKらとバスケットボールをし,後半のクラブ活動をする女子バレーボール部員からやめるように言われたので,これをやめて1人で帰宅した。

5 争点
本件の争点は,@本件事件があったか否か及びA被告新庄市に原告らが主張するような学校管理上の責任があったか否かである。特に争点@については,被告元生徒らの自白調書ないし自白供述,FD供述及びYメモの信用性,並びに被告元生徒らのアリバイないし弁解の成否が中心的な間題となる。

第3 争点に対する判断
1 はじめに
本件において,被告元生徒らが本件事件に関与したことを示唆する主たる積極証拠としては,捜査段階での自白(被告Yについては審判時での供述とYメモ記載を含む。)と,これを捕強する当時の明倫中の生徒らの目撃供述があり,これを否定する主たる消極証拠としては,被告元生徒らの審判時以来のアリバイを骨子とする否認供述と,これを補強する明倫中生徒その他の者らの目撃供述がある。
当裁判所としては,まずこれら対立する供述証拠の信用性を吟味する前に,供述証拠以外のいわゆる物的証拠と,みるべき反対供述がなく信用性に問題がないと容易に思われる供述証拠によって,本件の真相にどれ程迫れるかを検討し,次いで,本件事件又はその直前の状況を目撃したとする明倫中生徒の供述の信用性を,最後に,被告元生徒らの自白の信用性を自らの否認供述や他の供述証拠等と対比しながら,検討していくこととする(なお,以下に記載する人物の地位,所属は本件事件当時のものであり,自白内容に現れる明倫中生徒らについては,争点に対する判断において初出の者に限り,甲8によりクラスと所属クラブを認定して記載する。)。

2 物的証拠及び明らかに信用できる供述証拠により認められる事実並ぴにその評価
(1)有平の平素の生活
有平は,友人に対して「一発芸」と称するおどけた寸劇をしてみせたり,運動部が対抗試合をする前の壮行式では壇上に上って応援をするなど,その場を盛り上げることを好む,明朗かつ優しい性格の持ち主であった(甲216,証人SSj及び同MdT)。
一方,有平は,明倫中で,先驚や同級生から一発芸を強要されたり,足もとにつぱを吐かれるなどのいじめに会っていた(甲135,証人MdT及び被告F本人)。とくに,被告Kは,有平に対して一発芸を求めるだけでなく,その頭や肩を叩くなどの直接的な暴行に及ぶなどの行為を繰り返ししていた(甲217及び被告K本人)。
しかし,明倫中側は,被告Kが問題を起こす生徒であると認識し,同人に対してそれなりの注意と指導を与えることはあったが,有平が被告Kを含む先輩や同級生からいじめを受けているとの認識を有していなかった(証人KzS)。

(2)本件事件当日の有平の行動
有平は,1月13日朝,原告敏子に見送られ,いつもと変わらぬ様子で明倫中に登校した(甲215)。
その日,有平の所属する1年B組では捜業が6校時まであったが,接業が終わるまでの間,休み時間に明倫中近くの文房具店で買い物をしたほかに,有平が平素と異なる行動をとった形跡はない(甲209及び215)。有平は,同日の捜業終了後の清掃時間である午後3時80分ころ,ItD(2年C組,バドミントン部)から「何かしてみろ」などと一発芸を強要されているのを同組担任の岡崎裕子教論に目撃されている(甲135)。また,有平は,同じころ,被告Fから足もとにつばを吐きかけられた(甲94の1)。なお,被告Fがつばを吐きかけた理由は,不機嫌であった上に,前から有平のことを快く思っていなかったからであるという(被告F本人)。
そして,有平は,終わりの会と称するホームルームに出席した後,午後4時10分から午後4時45分まで行うことが予定されていた卓球部の練習に出るべく,体育館に向かった(甲8及び弁論の全趣旨)。
体育館では,有平のほか,MdT,WT,TH(いずれも2年A組),ItM,KY(いずれも2年B組)及び被告F等男子10名,女子2名の卓球部員が集まって,ネット張りなどの準備をし始めた(甲124の1)。
有平は,練習開始の直前,マット室隣の非常口の前で,ItMから腹部を膝蹴りにされるなどの暴行を受けた。なお,ItMは,からかい半分にしたもので,膝を当てるつもりはなかったという(以上につき甲124の1及び乙E44)。
また,有平は,ネット張りをしていた際,被告Oから一発芸をするよう求められ,被告Oら男子バドミントン部員の前で,金太郎が成長する様を歌に合わせて演じてみせた(甲89の1及び被告O本人)。
その後,有平が素振りをしていたのを見たとするWTの供述を最後に,後記のマット室前での取り囲みに関するKYの供述を除き,卓球部員が有平の姿を目撃したとする証拠はない(証人WT及び弁論の全趣旨)。

(3)遺体の発見状況
明倫中教諭小林昭一らは,1月13日午後7時30分ころ,原告敏子から有平が帰宅しないとの連絡を受けて校内を探索し,午後8時10分ころ,体育館マット室で,有平がロール状に巻かれて立てかけられていた体育用ロングマット中央の空洞に,頭部から逆さまに入って両足首を出した状態でいるのを発見し,直ちに有平をマットから引き申すとともに,消防署に連絡するなどしたが,午後8時30分ころ,搬送先の病院で有平の死亡が確認された。
有平発見時のマット室の状況は,別紙現揚見取図記載のとおりであり,有平が入っていたのは同図の番号7のマットである(以上につき甲7,13,15,21。以下マット室内のマットは,同図記載の番号により呼称する。)。

(4)体育館及びマット室の状況

ア 体育館は,ほぼ南向きに建てられ,間日28m,奥行き33mの鉄筋コンクリート造りである。体育館南側にステージがあり,北側には現場の体育館マット室,非常口などがある。西側にある渡り廊下は,管理棟,教室等に通じている。体育館のコートは,南北に仕切って南側半分がAコート,北側半分がBコートと称されていた(甲21)。

イ 明倫中では,多くの部が体育館を使用できるようにクラブ活動の時間を前後半の2つに分けて各部に割り当てていた。本件事件当日は,午後4時10分から同45分までの前半に,Aコートを卓球部が,Bコート東側を男子バドミントン部が,Bコート西側を女子バドミントン蔀が使用し,午後4時50分から午後5時15分までの後半に,Aコート東側を男子バスケットボール部が,Aコート西側を女子バスケットボール部が,Bコートを女子バレーボール部が使用し,さらに午後5時30分から午後8時までスポーツ少年団が体育館を使用した。もっとも,各部の使用中も,他の体育館使用予定のない野球部,サッカー部,テニス部等の生徒たちが大勢体育舘に出入りしている状況であった(甲8及び135)。

ウ マット室は,体育館北側に位置し,正面に木製の4枚の引き戸があり,間口5m,奥行2mで,内部はコンクリート壁で囲まれ,照明設備はない。マット室内には,ロングマット7枚がロール状に巻かれて立てかけられた状態で収納され,東側に跳び箱が2セット,西側に柚包された状態の安全マットが立てかけられていた。なお,有平を発見し引き出した後,5番マットの中には有平の左足用ズック及び若干へこんだピンボン玉が,7番マツトの中には有平の卓球ラケットがそれぞれあった(甲21)。

エ マット室は,平素無施錠で,生徒らが入って遊ぶこともあった。そのような生徒の中には,ロール状に巻かれたロングマットの空桐部に入り込む者もおり,頭から入って出られなくなり他の生徒に助けてもらうということもあった(証人WT及び同MdT)。

(5)物的証拠に関する捜査の結果
消防暑から連絡を受けた新庄警察署は,1月13日午後8時50分ころ,有平が搬送された病院に赴き,検察官の指示に基づいて直ちに検視等を行い有平発見時の状況や遺体の外部所見から,何者かからの暴行を受け死に至ったものと思慮され,殺人の疑いもあるとして,死体解剖及び鑑定を嘱託することとした(これに基づき行われたのが後記の鈴木鑑定。甲7及び16)。
一方,新庄警察暑は,同日,事件の認知後直ちに明倫中に臨場し,所要の捜査を実施したが,事件に直接結ぴつくような情報は得られなかった。
すなわち,有平のラケットから指紋採取を行ったが,さわったような痕跡が若干認められる程度であり,指紋の採取には至らなかった。また,翌14日,@マット室のロングマットから毛髪様のもの125本,A床から毛髪様のもの23本をそれぞれ採取し,有平の頭毛と比較対照.したが,@及びAの中の頭毛に,有平の頭毛と類似するものは認められなかった。さらに,有平のトレーニングウエアから履物や器物による痕跡があるか否かにつき赤外写真撮影法等により鑑定を実施したが,これらの痕跡を発見することは出来なかった(以上につき乙E81・及び82)。

(6)有平の死因
ア 新庄警察暑は,山形地方裁判所裁判官から鑑定処分許可状の発付を受けた上,山形大学医学部法医学講座教捜鈴木庸夫に対して有平の死因等の鑑定嘱託をし,同教授は,1月14日午前10時15分から死体解剖をして鑑定(以下「鈴木鑑定」という。)を行った。鈴木鑑定の内容は,以下のとおりである。
死因を胸部圧迫による窒息(圧死)とする。
創傷については,a後頭部の表皮剥脱,b前頭部右側から前額部右半にかけてある表皮剥脱,c鼻部下端部の表皮剥脱,d下顎縁部左半の皮下出血,e下顎縁部左半の表皮剥脱,f右手関節部外側及び内側並ぴに左右下腿後面の表皮剥脱,g左足関節部前面の皮下出血,h頭蓋皮下軟部組織で前頭部左側の出血であるとし,成傷器及び成傷方法について,上記aないしc,e及びfにつき,粗造な表面を有する鈍体の擦過により生じたとし,上記d,g及びhにつき,滑らかな作用面を有する鈍体の衝突により生じたとする。
しかし,本屍には身体に加わった胸部圧追の自他為,過失の別を知りうる手掛かりはなく,自他為・過失の別は不明であるとする(以上につき甲18,乙E28ないし30)

イ これに対し,藤田保健衛生大学医学部法医学教室教捜内藤道興は,被告S,同O及び同Fの保護処分取消申立事件における付添人からの依頼に基づき,鈴木鑑定及び有平の遺体に関する写真撮影報告書等を検討して鑑定(以下「内藤鑑定」という。)を行った。内藤鑑定の内容は,以下のとおりである。
死因を鼻日分の閉塞による窒息死又は長時間にわたって倒立状態にあったことにって血液循環などの重要な生命維持機能に失調又は障害をきたしたことによるものとする。
創傷については,いずれも有平がマットの中から抜き出そうとしてもがいた際に生じたものとする。
結論として,本件事故の発生機序は自己過失として矛盾はなく,他人の関与したとすべき根拠はないように思料されるとする(以上につき乙E31ないし33)。

ウ また,帝京大学医学部法医学教室教授石山G夫は,上記保護処分取消申立事件に関して検察官からの依頼に基づき,鈴木鑑定,内藤鑑定,上記写真撮影報告書等を検討して鑑定(以下「石山鑑定」という。)を行った。石山鑑定の内容は以下のとおりである。
死因については内藤鑑定と同じ意見である。
創傷のうち,左下顎部の皮下出血は手≠ないし足けりによって生じ得るものであり,左足関節前面の皮下出血はズック靴による踏み付けによって十分生じ得ると見ることができる。
本件事故の発生機序としては,自己過失によって生じたものとするには矛盾点が数多く存在しており,特に創傷の発生機序はマットの空洞内への落下によっては説明がつかないものが多い(以上につき乙E34及び35)。

(7)評価
以上のとおり,有平は,平素,被告Kらからいじめを受けており,本件事件当日も,被告Fらから再三にわたりいわれなきいじめを受けていたものであり(なお,被告F本人は,つぱを吐いた行為はいじめに当たらないかのように供述するが,まさしくいじめる側特有の無反省,無責任な認識を示すもので,およそ採用することはできない。),他方,有平には他に本件事件を誘発するような言動等があった形跡はないから,そのようないじめと本件事件とが関連するものとの疑いは容易に生じ得るところである。
しかし,従来の一発芸を強要したり,あるいは単独で暴行を加えたりといったいじめと,原告らが主張するような本件事件の実態,すなわち集団による執拗かつ危険な暴行との間には,看過し難い隔たりがある。
また,被告元生徒らのうちには,本件事件以前に有平に対するいじめに参加した形跡のない者もいるのであって,有平がいじめを受けていたというだけでは,そのような者と本件事件とを結びつけることはできない。
ところで,新庄警察署は,本件事件を認知して間もなく,遺体発見時の状況と遺体にあった創傷から,本件事件にいわゆる事件性を認めて捜査に着手したようである。
しかし,明倫中の生徒の中には,ロール状に巻かれて立てかけられていたロングマットに頭から入るという遊びをしたことのある者もいるのであり,このことからしても,ロングマットに逆立ち状態で入っていたということのみで,有平が自分の意思に基づかず他人のカによってロングマットに入れられたと即断することはできない。
また,有平の遺体にあった創傷の一部について,石山鑑定は,暴行によって生じたものであるかのようにいうが,明確な根拠がなく,推測の域を出るものとはいえない。もっとも,これを自己過失によるものとする内藤鑑定にも同様の間題があり,結局のところ,成傷器及び成傷方法は,鈴木鑑定の限度でしか判明しないものといわざるを得ず,有平の遺体の状況から同人に対して何らかの暴行が行われた否かを確知することはできない。
さらに,後述するとおり,遺体発見時のマット室の状況は,何者かが有平に対して暴行を加えたとするには整然としすぎているし,指紋その他有意な物的証拠もない。
以上の次第で,物的証拠と容易に信用できる供述証拠のみでは,被告元生徒らと本件事件の結びつきはおろか,本件事件のいわゆる事件性すら認定することができない。

3 本件事件又はその直前の状況を目撃したとする明倫中生徒の供述について
(1)総論
本件事件の捜査段階において,明倫中の生徒の何人かは,事件直前と思われる時間帯に有平がマット室前で複数の明倫中生徒に取り囲まれているのを目撃したと供述し,供述者のうちの1名は,本件事件そのものを目撃したと供述した。
そこで,以下においては,そのような供述がなされるに至った捜査の経緯供述内容及びその信用性について順次検討していく。

(2)捜査の経緯
新庄警察暑が,1月13日の本件事件認知後,同月18日の被告元生徒らの逮捕,補導のころまでに行った事情聴取及び参考人取調べの状況は,概ね以下のとおりである(甲8及び弁論の全趣旨)。
すなわち,新庄警察署は,

ア 1月13日夜,明倫中において,有平の所属する卓球部員(男子9名,女子1名)及びクラブ活動中であったバドミントン部員(男子4名,女子9名)から事情を聴取し,HY(2年C組,バドミントン部)から,マット室前に4,5人が集まり,その中の1人が仰向けになっていた,集まっていたのは有平,被告K,TY(2年C組,バスケットボール部)及びOM(2年C組,野球部)だったと思う,との供述を得た。

イ 1月14日,H供述に基づき被告K,TY及びOMから事情を聴取したが,被告KはAH(2年B組,テニス部)と虫神社という明倫中近くの神社で待ち合わせ,同女宅に行ったと供述し,他の2名も本件事件への関与を否定した。また,各クラブ活動の出席者の割り出しと,有平の足取り調査を行うため,サッカー部,バスケットボール部等の32名の生徒から事情を聴取したが,有力な情報は全くなかった。

ウ 1月15日,34名の生徒から事情を聴取したが,有カな情報はなかった。

工 1月16日,33名の生徒から事情を聴取し,そのうちKYから,本件事件当日午後4時30分ころ,有平がマット室に背を向けて立ち,被告Ny及び同Nを含む5,6人の生徒に囲まれていたとの供述を得た。

オ 1月17日その日の午後1時から有平の葬儀が予定されていたが,まず午前中に,K供述に基づき,有平を取り囲んでいたとされる被告Ny及び同Nのほか,KYと行動をともにしていたとされる被告S,同Y,TH(2年A組,卓球部員),TT(2年A組,野球部員),TK(2年B組,テニス部員)及びKH(2年C組,テニス部)から,またH供述等に基づき,被告K及びTYから,それぞれ事情を聴取した。
その結果,被告Sからは,同人自身は目撃者であるとの前提で,被告Ny,同N,FD(2年A組,バスケットボール部)及びMT(2年C組,バスケットボール部員)がマット室前で有平を囲み,被告Nが有平に手を挙げたとの,TKからは,マット室前止5,6人の男子生徒が輪を作っておりそこに被告N,同K及びMTがいたとの供述を得たが,被告N及び同Nyは上記の取り囲みの事実を否認し,被告Kも1月14日における供述の域を出なかった。
もっとも,K供述を補強する被告S及びTKの供述があったことから,被告N及び同Nyを葬儀の終了後さらに取り調べることとにしつつ,すべての生徒らを正午を日途に帰宅させることにした。
ところが,被告Kは,午前11時50分ころ,取調べ終了後保護者の迎えを待つ間に,かねて面識のあった大楯警部補に話しかけられ,その20分程後には,マット室前で他の生徒と有平を取り囲み,マット室内で暴行を加えて有平をロングマット内に逆さに入れたことを自白するとともに,被告N及び同Nyのほか,被告O,同S及び同Yの6名が本件事件に関与した旨を供述し,午後1時20分ころには,被告Fの関与も認める供述をした。
そこで,後述するとおり,被告Kの取調べを続行するとともに,その余の被告元生徒らを有平の葬儀終了後に呼び出して取調べをし,被告S,同O,同F及び同Yからは同日中に少なくとも一度は本件事件への関与を認める供述を得たが,被告N及び同Nyは,午後の取調べにおいても本件事件への関与を否認した。
また,午後3時から被告Sの供述により本件事件への関与が疑われたFDの取調べをしたところ,同人から,被告K,同N,同Ny,同S,同O,同Y及びMTがマット室前で有平を取り囲み,被告Nが有平を殴るなどし,皆でマット室に入り,だれかが有平を持ち上げてロングマットの空桐に頭から入れようとしていたのを目撃したとの供述を得た。

カ 1月18日,被告Kらの自白及びFDの前記供述等に基づき被告元生徒らを逮捕,補導し,取調べを継続するとともに,同日以降,マット室前での取り囲みの状況について,HY,TT,TK及びKYから再度事情を聴取し,員面調書を作成した。

(3)F供述の内容及び評価
本件事件を目撃したとするFDの供述は,被告元生徒らの自白を除けば,被告元生徒らが本件事件に関与したことを示す唯一の直接証拠であり,かつ,被告Kの自白と並んで被告元生徒らを逮捕,補導する契機となったものであるから,本来であれば,その信用性については特に慎重に吟味する必要のあるところである。
 しかしながら,FDの供述は,次にみるとおり,審判時以降大きく変遷しているだけでなく,捜査段階での供述中にも不合理不自然な点があり,上記の目撃供述を信用することは到底できない。

ア 供述の概要
(ア)1月17日付け員面調書(甲119の1ないし3)
被告Fを除く被告元生徒らとMTがマット室の扉前で有平を取り囲むようにして立っていた,被告Nが右のこぶしで有平の左頬を2回殴り,有平はしりもちをついてその場に座り込んだ,被告Nがこの野郎と言った,被告Sがマット室の扉を開け,だれかが有平の手を引っ張ったり体を押したりして皆でマット室の中に入った,マットの空桐のところにだれかを頭から入れようとしていた,胴と足を持ち上げている人がそれぞれ1人ずついた,自分はこれらの状況をマット室東側の非常口前に座って見ていた,とする。なお,同日の取調べは,午後3時すぎから午後7時すぎまで行われ読み聞け時のみFDの父が立ち会った(証人FD)。

(イ)2月7日付け検面調書(甲120)
MTの目撃の点を除き,前記員面調書の内容と同旨。
なお,この際も読み聞け時のみFDの父が立ち会った(甲120及び証人FD)。

(ウ)3月14日の審判での証言(甲189の1ないし3)
マット室前の取り囲みの中にいたとして前記員面調書に記載されている7名のうち覚えているのは,被告N,同K,同O及び同Yくらいであるとしたり,被告Sについては覚えているという供述と覚えていないという供述が錯綜したり,7名ともはっきりしないと供述したり,極めてあやふやな供述内容になっている。

(エ)6月18日の審判での証言(甲190)
被告N,同K及び同Oがいたことすら覚えていないとする。

(オ)本件訴訟での証言
マット室前の敢り囲みは目撃しておらず,取調べで目撃したかのように述べたのは,警察に自らが犯人扱いされ,怒鳴られたりして脅されたためである,とする。

イ 評価

(ア)上記のとおり,FDは,員面調書において,マット室東側の非常口前に座った状態で,マット室内の様子を見たと供述するが,有平が入っていた7番マットはマット室の奥にあり,かつ,マット室には照明器具がなかったのであるから,マット室の扉の前に立って中を覗き見たというならともかく,扉からやや離れた脇から7番マット付近での出来事を窺い知ることは著しく困難である。

(イ)FDの前記各供述調書中には,原告ら主張によれば犯人であるはずの被告Fについての記載が全くない。これは,特に1月17日付け員面調書についていえば,前記(2)オのとおり,最初に自白した被告Kが同日昼の時点では,被告Fの関与までは述べていなかったことからして,被告Kの供述内容を知った取調官が,FDを強く誘導したものであることを推認させる。

(ウ)反対に,FDは,員面調書において,取り囲みにMTがいたことを「はっきり覚えている」と供述している。しかし,MTが取り囲みに加わっていた事実は,被告Sが1月17日午前中に供述したものであって,その後はどの被告元生徒らも述べていないばかりか,捜査状況の推移によりMTの関与が薄いとなると,FD自身も,検面調書では,MTについては自信がないなどとして供述を後退させている。なお,MTは,前記のとおり,FDと同じ2年生のバスケットボール部に所属する者であり,これを他の者と見間違えるようなことは極めて想定し難い。
結局のところ,このような供述の変遷は,FDの供述が取調官の誘導によるものであったことを裏付けているといわざるを得ない。

(エ)FDの員面調書は,人が殴られたりいじめられマット室に押し込められるといった特異な状況について,事件発生からわずか4日後の取調べに際して作成されたものであるのに,その内容を詳細にみれば,覚えていないとするものが極めて多く,抽象的なものに止まる。

(オ)さらに,FDは,1月17日の時点で,その日の午前中の被告Sの供述により本件事件への関与を疑われて取調べを受けたものであり,中学2年生にすぎない者の取調べにしては比較的長くかかり,その間保護者の立会いもなかったことから,本件訴訟での証言のとおり,取調官から厳しく追及されてその誘導に迎合したとしても不自然ではない。

(カ)FDの検面調書は,員面調書の内容を追認するものにすぎず,これから独立した証明カを有するものではない。

(キ)FDの審判時における証言は,捜査段階での供述調書から大きく変遷するだけでなく,同じ日の証言においてすら一貫しておらず,FDには本件事故を目撃した記億がないことを窺わせる。

(ク)結局のところ,F大靖の供述調書は,本件事件に関する唯一の直接証拠であるのに,原告らが主張するような真の目撃者でなければ知り得ない事実についての言及はなく,その信用性は極めて乏しいものであり,これによっては,到底被告元生徒らが本件事件に及んだものと認めることはできないし,かえってその当時の敢調べの方法が相当でなかったのではないかとの疑問を強く生じさせるものといわざるを得ない。

4)その他の目撃供述の内容と評価
本件事件直前に有平がマット室前で被告元生徒らに取り囲まれていたことを示す目撃供述は,FDの供述調書以外にも複数ある。もっとも,原告ら主張によれば本件事件があったとされる当時,体育館には多数の生徒がいたはずであるのに,取り囲みの目撃者は以下の者に限られ,その数が極めて少ないばかりか,そのほとんどは目撃供述を後に撤回し又は後退させている。以下その供述内容と信用性を検討する。

ア HY
乙E61ないし63によれば,HYの供述については,1月14日
付け及び同月18日付け各員面調書があり,審判での証言もあるようであ
るが,本件訴訟ではいずれも書証として提出されていない。

いずれにしても,HYは,有平が他の生徒らとともにマット室前にいたことを最初に警察官に申述した者で,その供述は,以後の捜査方針に多大な影響を及ぼしたと思われるのに,マット室前にいたとされる有平以外の生徒らのうち,他の自撃供述及び被告元生徒らの自白に登場するのは被告Kただ一人であり,他の証拠との整合性がほとんどない。
とくに,HYが名を挙げたTY及びOMは,HYのクラスメートであり,単純な見間違えに基づいて上記の供述がなされたものとは考え難い。この点,乙E61ないし63によれば,HYは,審判での証言に際し,マット室前にたむろしていたのがだれかは分からなかったが,取調官から似ている者でもいいから名前を挙げてみろとしつこく聞かれて上記のとおり供述したと述べたものと認められる。

イ TT
TTは,1月19日付け員面調書において,「マット室前で男子生徒1名が4,5名の男子生徒に囲まれていた。囲んでいた生徒は,被告Ny,同N,同F及び同Kだった。」と供述する(甲166)。
しかし,TTは,3月4日の審判での証言では,「マット室前で5人位の人がだれかを囲んでいるのが見えた。顔はよく見えなかった。」(乙E45)と述ベ,明らかに供述内容を後退させている。
さらに,TTは,本件訴訟での証言に際しては,マット室前での取り囲みを見たことはない,警察で取り囲みを見たと述べたのは,狭いところで午前中から夕方までの長時間,取調べを受け,圧迫感を感じ,午前中は否定していたのだが,見ていないと言い続けると何度も呼ばれるだろうと思い,精神的に負けてしまった,少年審判でも,「裁判所では正面しか向いていなかったので,もしかしたら,周りに警察の方がいて,それを間いて,また警察暑に呼ばれるのではないか」と考えてしまったと述べるに至つている。

ウ TK
TKは,捜査段階において,「マット室前で5,6名が崩れた円のような形でいるのを見た。そこに被害者がいたかどうかは分からない。被告N,MT,被告Kあたりがいた。」(甲167),「1名を取り囲むようにしていたのは,被告N,同K,同Ny,同S及び同Y,1年生卓球部員ともう1名。だれを囲んでいたのか分からない。」(甲168),「被告S,同Y及び同Kがいたのはかなりはっきり覚えている。後1名は被告Fだと思う。被告N及び同Nyははっきりしないがそうかなという程度。被告Oはもっと自信がない。」(甲169)と供述する。
しかし,TKは,少年審判では,「マット室前に,5,6名の坊主頭の人が並んでいた。被告Sのような人,被告Kのような人,被告Yのような人,被告Nのような人の後ろ頭が見えた。MTは人違い。
少し大きい人がいたようなので,そう思った。」(乙E43)と目撃状況が後退している。
さらに,TKは,本件訴訟での証言に際しては,マット室前での取り囲みを見たという捜査段階での供述は「事実に反することだと思います。」と述ベ,取調べの時にこのように述べたのは,取調官から「あなたの立場が不利になるよ」という趣旨のことを言われ,「一緒に遊んでいた人が,・・・犯人扱いみたいなことをされたということだったので,今度は私もそういう風になってしまうのではないかと不安」を感じ,また,少年箸判でも,警察と「同じようなことを言わなければならない」違うことを証言すると「また取調べを受けるんじゃないか」と思ったのと,「本当のことを言いたいという気持ち」との間で揺れていたため,供述調書あ内容を覆さずもこれを後退した内容争供述したと述べている。

エ KY
KYは,捜査段階において,「午後4時30分過ぎ頃,マット室前で有平が5,6名の男子生徒から取り囲まれるようにして立っていた。取り囲んでいる人の中で分かるのは,被告N及び同Nyの2名。他の生徒も緑色ジャージ姿の生徒。」と供述するが(甲170及び171),少年審判では,「午後4時40分になる少し前ころ,マット室前で5,6名の生徒が有平を取り囲んでいるのを見た。取り囲んでいた生徒は,全員学校指定のジヤージ姿で坊主刈りだったが,後ろ姿だったのでだれだか全然分からない。午後4時45分ころには,マット室前仁はいなかった。」と目撃状況を後退させる供述を行っている(乙E46)。

オ 評価
以上のとおり,HY,TT,TK及びKYの捜査段階における各供述は,それぞれ異なる立場からマット室前の状況を見たというもので,単純な事実に関する客観的な供述であり,時間の経過による記憶の劣化という点を除けば,大きく変容するはずのないものであるのに,その後供述者自ら供述内容を否定し(TT及びTK),あるいは供述内容を大きく後退させている(HY及びKY)。
また,供述者によって,被告元生徒ら以外でその揚にいた者として異なるアの名を挙げるなど,供述相互間に不合理な齟齬がある上,被告元生徒らのうち少なくとも被告Oについては明確な目撃供述がない。
そもそも,後述するとおり,被告Oを除く被告元生徒らの自白によれば,マット室前での取り囲みが行われた時間は,前半と後半のクラブ活動が交代する時期であり,マット室のすぐ近くのBコート西側では女子バドミントン部が後片づけをしていたというのであり(被告Oは,女子バドミントン部が練習を切り上げ,ネットも片づけ終わっていたとする。),そして,被告元生徒らの自白によれぱ,マット室前に被告元生徒らと有平の合計8名の集団がいたのであるから,後片づけ中の女子バドミントン部員を含めその周囲にいる者であれば必ず取り囲みの存在に気付くはずであるのに,前記(2)アのとおり,女子バドミントン部員9名は,1月13日の夜に事情聴取を受けながら,取り囲みに気付いたと供述する者が全くいない(甲8及び弁論の全趣旨)。
このような,供述内容の重大な変遷,TT及びTKについては変遷理由に関する本件訴訟での証言内容,供述相互間及び体育館にいた他の者の認識との齟齬に照らし,HY,TT,TK及びKYの捜査撃階における供述は,これを容易に信用することはできない。

(5)まとめ
以上の次第で,本件事件そのもの,あるいは本件事件直前の行動にらいて,被告元生徒らの自白を補強するかのようにみえた明倫中生徒らの目撃供述は,いずれも採用することができない。
したがって,被告元生徒らが本件事件を起こしたと認定し得るかどうかは,専ら被告元生徒らの自白の信用性如何によるものといわざるを得ない。

4 被告元生徒らの自白の信用性について

(1)総論
被告元生徒らは,後述するとおり,1月17日に取調べを受け,翌18日に逮捕,補導されて以来の捜査段階において,被告Nを除けばほぼ一貫し(ただし詳細にみれば自白と否認の交錯がみられるが。)本件事件への関与を自白し,被告Nも1月25日までは自白し,被告Yに至っては審判時にも自白を維持している。
そこで,被告元生徒らの自白の信用性を検討するにあたり,まず,被告元生徒らそれぞれについて,否認に転ずる直前の,いわば最終的な自白の内容を認定することとする。

ア 被告Kの自白内容
僕は,午後3時30分に授業が終わると,終わりの会をさぼり,午後3時50分ころ体育館に入った。
体育館では,最初,ステージ東端でWtT(2年A組,テニス部)及びWM(2年A組,柔道部)とシュート練習をして遊んだが,終わりの会が始まるということでこの2人が体育館から出ていった。
その後体育館には,OY(2年A組,サッカー部),KY,ItD,TY及び被告Fが入ってきたので,僕はこの人たちと一緒にAコート東側でシュート練習をした。そのころ,Aコートは,卓球部員が次々にカバンやコートをステージに置き,用具室から卓球台を出し,続いてItM,KYが玉を打つ練習を始めたので,Aコート東側でシュート練習をした。時間は,卓球部の練習が始まったころだから,午後4時10分ころと思う。
午後4時15分ころ,Bコート東側の壁に背中を付けるようにして有平が立っているのが見えた。被告O,AT(2年A組,バドミントン部),IR(2年A組,バドミントン部)及びHYが,有平を取り囲んでいた。TyY(1年B組,バドミントン部)もいた。
僕は,有平が一発芸をしていると思ったので見に行ったところ,金太郎の歌を歌い,身振り手振りを入れながら芸をしていた。途中までは弱い金太郎がスーパーマンのように強い金太郎に変身するという内容であった。有平は金太郎の芸を終え,卓球部の方に行った。僕は,Aコート東側でシュート練習をしていたが,卓球部の練習の邪魔なので,女子バドミントン部員が練習を途中でやめたBコート西側で,OY,被告S,同Ny,同N及び同Yとともにシュート練習を始めた。
午後4時40分過ぎころ,Bコート男子バドミントン練習コートの方から,有平を挟むようにして被告O及び同Sの2人がマット室前の方に歩いてきた。僕は,再び有平に芸をさせようと連れてきたものと思い,マット室の方に行った。
有平は,マット室の戸に背中を付けるようにしており,被告O及び同Sの2人から一発芸をするように求められていた。僕,被告Ny,同N及び同Yが,同Oらの脇に行った。
被告O及び同Sは,交互に,「さっき金太郎の芸見せたベ。また見せろ。早くやれ。」と強引に要求した。
しかし,有平は,はっきりした返答をしないで,「え一,え一,出来ません。」と応じないという意思表示をした。
有平から断られた被告O及び同Sは,腹を立てた。
僕は「言うことを聞け。むかつくなあ」と,一緒になって怒鳴った。
すると,僕の左側に立っていた被告Nが,「むかつくなあこの野郎」と怒鳴りつけ,一発げんこつで有平の左頬か下顎あたりを強く殴りつけた。有平は,「痛い」という言葉にならないような悲鳴を出して,前の方に上半身が崩れるようにヨロヨロした。
被告Nは,前屈みになった有平の頭頂部をげんこつで下の方にたたきつけるように右手を突いた。有平は,尻を着くまでのダメージを受けなかったものの,泣き声になりやっと立ち直した。
それでも有平は芸をしなかったので,被告Oが「中さ入れっぺ」と言った。僕も,「入れてしまえ」と怒鳴りつけた。
被告Oと被告Sの2人が有平を押さえつけながら,マット室内に押し込もうとした。
マット室に入ったのは,被告O,同S,僕,同N,同Ny,同F及び同Yであった。マット室に入るとき,有平の右に被告S,左に被告Oがおり,被告Oが左の戸を,被告Sが右の戸を開け,3人が一緒に入った。被告Sは,そのとき,有平の片方の腕か手を引っ張るようにし,被告Oはいやがる有平の背中を後ろから押すようにして入れた。その後を,僕,被告N,同Ny及び同Fがついて入った。
僕は被告Fに戸を閉めろと言って閉めさせた。
有平は,戸の方を見るように位置していた。僕は戸に背を向けるように,有平から1mの間隔で向かい合うように入り口の前に立った。有平の周りには,右後ろ脇に被告S,左脇に被告O,1番マットの隙間に被告Fが立っていた。
この状態で,被告Oが,「児玉。ここならだれもいない。さっき俺が見た金太郎やれ。」と一方的に命じるような言葉遣いで脅した。
有平は,被告Oらの要求に応じる返事をしなかったし,「え一,え一。できません」と断った。
僕は,有平を「児玉,ちょっとこっちやこい。」と呼んだところ,有平は,1歩くらい歩いて僕の方に近づいてきた。僕は,有平の顔をねらい右げんこつで1発ストレートパンチで殴りつけた。有平は,殴った後日元を手で押さえていたので,口か鼻あたりにまともに当たった。そのときの位置は,2番マットあたりである。
僕が殴りつけると,すぐに被告Oが有平が右手に持っていた卓球用のラケットを奪い取るように取り上げた後に,このラケットは被告Fが有平が入ったマットの穴に入れていた。
このときか僕が殴りつけたときか判然としないが,被告Sが有平に「何で俺の足を踏むんだ。この野郎」と怒鳴りつけ,有平の足の下の方を蹴り,さらに有平が背中を向けていたことから,背中を二発殴りつけた。
被告Fは有平の方に行き,「なぜ先輩の言うことが聞けないんだ。」と言って,有平の顔を1回殴りつけ,膝のあたりを1回蹴った。
この間有平は,乱暴されるたびに泣くような声を出して「すいません許して下さい。」と詫ぴた。
被告Oや被告Sは,有平に一発芸をやらせることをあきらめたのか,一方的なリンチを加え始め,言葉遣いも「この野郎,生意気だじゆ。」などとなり,いじめを主体とした暴カを振るうようにならた。
被告Oは,有平に対し,2番マットあたりで,ボクシングのボディーブローをするように腹を殴りつけ,肩口を押さえ前屈みにさせた上,膝で腹を蹴り上げていた。
僕は,「児玉をマットに入れろ。」と怒鳴った。
被告Oは,「本当にむかつく野郎だじゅ。」と文句を付けた。有平は,「助けて下さい。待って下さい。許して下さい。」と泣き声を出した。
被告Oは,有平を背中の方から抱き上げ,みんなに「児玉,軽い。マットに入れるベ。」と怒鳴った。
そんなことをしているときに,被告Yが戸を開けて入ってきた。そして,有平の膝あたりを1回蹴った。
被告Sが,2番マットの上で,有平の背中の方から腰を抱き上げ,そのまま頭の方から落ちるようにしたプロレス技で,6番マットの方に投げ出したが,完全に決まらず,場所が狭く,頭がマットに当たってしまい,2番マットに転がった。
被告Fは,被告Oから受け取ったラケットを7番マットの穴に入れた後,被告Sと同様手前中央のマットのところで,有平の背中の方から腰を持ち上げ,6番マットに向かって投げ飛ばした。有平は,6番マットから2番マットの方に転がり落ちた。
被告Oは,2番マットのところで,有平にヘッドロックをかけ,げんこつで頭を数回殴りつけた。
被告Nyは,2番マットのところで,有平の腰を背中の方から抱きかかえ,後ろの方に有平を高く放り投げるように,3番ないし4番マット上に仰向けにさせた。
僕は,有平を脇の下から抱くようにして,2番マットの方に転落させた。
被告Nは,2番マットに仰向けに横たわっている有平の片方の足を持ち上げ,関節技をかけた。
僕は,僕自身体験したマットの中に入ったときの恐怖を有平に味合わせてやろうと考え,「マットに上げて入れるべえ。」と言った。
有平は必死に「止めてください」と泣いた。
被告O及び同Sは,「有平をあげるべ」と言った。
被告Sは,5番マットの上に登った。
被告Oと被告Fは,有平の背中及び腰の方を下から押し上げ,被告Sは,上から有平の手を強く握り,引っ張り上げ,腰を後ろから抱き上げ,5番マットに足から無理失理押し込んだ。
有平は,上に遭い上がろうとしたが,被告Sは胸あたりから上の方がマットから出てきた有平を足で頭や顔あたりを2,3発蹴り上げた。
被告Sが5番マットから降りると,有平がマットから出てきた。
僕は,「こいづ,本当に生意気だ。こいづは,逆さにして入れっぺは。」と言った。
被告Oは,6番マットに登り,うつぶせに倒れていた有平の腰を抱き上げ,頭の方を下にしてマットに当てるようなプロレス技をかけながら,7番マットの方に2,3回技をかけながら移動していた。そして,7番マットの上で,1人で有平を頭の方から穴の中に無理矢理入れようとしたが有平が両手をつっかえ棒にして抵抗を始めたため,逆さに入れることができなかった。
被告S,同Ny及び同Fは,それを見て被告Oに加勢した。被告Sは,被告Oと7番マットに上がり,片方の足を押さえ,被告Nyは,前の方から腰あたりを押さえ,被告Fは脇から上体と腕を押さえていた。
このような形で4人は被告Oが「入れっぞ」と合図をすると,一斉に有平を頭の方から穴の中に落とし込んだ。
(甲43の1ないし4,44,45の1及び2,46及び47)

イ 被告Nの自白内容
僕は,体育館Aコート東側でバスケットボールをした。SSjやYS(いずれも2年B組,:野球部)も来て一緒にした。卓球部が片付けを始めたので,フリースローラインから2,3本ずつシュートした。後半の練習が始まるころだと考えたので,バスケットボールをやめ,体育館出入り口の方に向かった。
僕が体育館出入口の手前に来た時,マット室の方から「芸やれ」という様な声がした。見ると何人かで人を囲っているようだったので,行って見ると,有平がマット室の前にマット室の方に背中を向けて立っており,その前に被告K,同Ny,同S,同O,同F及び同Yが立って少し囲むようにしていた。
確か被告Oだったと思うが,有平に「芸してみろ」と命令していたが,有平は「できません」と言って断った。
そのとき,だれかが,頭に来るなという意味の言葉を言った。
僕は,頭に来て有平の前に近づき「何で見せられないんだ」と言って,有平の左の顔を右こぶしで一発殴った。僕のこぶしは,有平のあごの左側にまともに当たり,有平は右側の方にぐらっとよろけた。そこで,また左こぶしで腹あたりを一発殴った。有平は「う一」と言って腹あたりを押さえ,少し前屈みになった。
有平はそれでも芸をしなかった。
そこで,被告Oが有平に「お一,ちょっと来い」と言って,マット室の戸を開け,被告Sと有平が一緒にマット室内に入った。
僕は,「中で芸をさせる気だ,容を見よう」と思い,マット室に入り,入り口右側の戸とマットの間に立った。僕の前には,被告Fが立ち,有平や他の人は入って左側に立った。
被告Oが,有平に「ここで芸をやれ」と命令した。
有平は,被告Oからの命令にも断ったので,だれかが「生意気だ」と言って有平を殴った。
有平は「痛い,やめろ」と言った。
そのうち,有平は,2番のマットあたりで飛ばされたり起きあがったりしていたが,芸をやりますと言わなかったので,僕も有平の足を1回足蹴りした。他の人たちは,有平を転ばしたりしていた。
その後,最後には,7番マットの上に,2人くらいがマットに上がって有平を逆さにして足や体を持って,他の2人くらいがマットの脇で体を押さえて有平をマットの穴に入れた。
有平は,両足のすねあたりまですっぼり入り込み,水泳のクロールをするよう上下にバタバタと足を動かし,マットの中から「許して下さい」「助けて下さい」という叫び声と救助を必死で求める声を何回も出した。
被告O及び同Sがマットの上から降りてきたので,僕ら7人全員がマット室から出た。有平を逆さに入れてから20から30秒位で出た。マット室から出た順序は,被告S,同Y及び同Nyが最初で,その後僕が出て,僕と並ぶようにして被告N及び同Oが出て,最後に被告Fが扉を閉めて出た。
(甲32及び33の各1,2)

ウ 被告Nyの自白内容
1月13日帰りの会が終わると,1人で体育館に行った。僕の所属するバスケットボール部は後半だったが,体育館へ行って友達がいれぱ一緒に遊ぶつもりだった。
Bコート西側で数名の連中がバスケットボールのシュート遊びをしていたので,その中に入って一緒にバスケットボールをやったが,女子バドミントン部から練習を始めるからどくよう言われ,バスケットボールをやめた。
僕は,体育館を1人で出て,文集が置いてある保健室の隣の部屋に行き,20分近くOGの作文を読んだ。
僕は,前半のクラブ活動が終わったので遊ぶため再び体育館に行くと,マット室前に7,8人がおり,その真ん中に有平がいた。
僕は,一発芸だと思い,その集まっているところに行った。そこには,被告K,同N,同S及び同Yがいた。
僕は,有平の芸に期待し,そちらに集中していたので,他の人の名前を思い出せない。
囲みの真ん中に有平がいて,囲んでいた連中が何回も「やれじゅー」と,有平に一発芸をやるよう話していた。僕も何回もやれと,一発芸をする様話した。有平がなかなか一発芸をやらないので,みんながいらいらしていたらしく,だんだん,強い調子で「ほら一,やれ一」と話し出した。
有平はだんだん怖がった顔になってきた。
被告Nは,近づきながら「むかつくねやー」と言って,有平の頭の後ろを,げんこつで一発殴った。有平は,頭をがくっと前に落として,やめて下さいと頼んだ。
だれかが「中さ入れっぺや一」と行った。
そこにいたみんなが「入れっぺ。入れっぺ。」と話し,有平に近寄った。
僕もそういって近寄った。
だれかが,マット室の扉を両手を使って開け,有平の後ろの方に回り,背中を押した。扉を開けた人はだれか分からないが,頭の形がハリネズミのような形をし,身長が僕と同じくらいで162cmくらいある人で,体格ががっしりした感じで,明倫中指定のジヤージの上下を着ていた。
他のだれかが有平の手を引いてマット室に入っていき,みんなもぞろぞろと入った。僕もその後をついていき中に入った。みんながマット室に入り,だれかが入り口の扉を閉めたが,20cm位開いたままになっていた。
マット室の中で,だれかが有平に「早くすろじゅー」と言った。僕も,そう言った。有平は,「できません」と言って,断った。
だれかが,「なして芸しねなや」と怒り,有平の顔を一発殴った。有平は,「痛い」と弱々しい声で言って,体がよろけた。
中にいた連中が,次から次へと有平にかかっていって,有平を殴りつけた。僕も,有平の頭を1発げんこつで殴った後,有平の背中を2発げんこつで殴った。
入り乱れた感じで,みんなでかかった様になった。有平は,必死に「やめて下さい」と叫びながら,両手で頭をガードしてこらえている感じであった。
被告Kが,甲高いに近い声で,「マットに入れっぺ」と話し,だれかが「んだが,入れっぺ」と言うので,僕も「んだが。入れっぺや。」と話した。
僕は,入れるためには,まず立っている有平をマットの上に乗せなければと思った。
そこで,僕は,有平のところまで行き,有平と向かい合う感じで立ち,有平の腹の横に両手を入れ,背中の方へ回し,両手を組み,有平を正面からだっこするような格好で抱き上げ,持ち上げた。
有平の脇には2人くらいおり,足を持っていたようであった。
僕は,有平を投げて仰向けに倒したが,手を離さなかったため,勢いで有平の右側に倒れた。
僕が一息をついている間,だれかが有平を起こして連れていった。
その後,有平が左奥の青いシートのかかったマットの方に頭を向け,うつぶせになってマットの上に乗つていた。
だれかが,有平の両膝を抱えるように持ち上げ,7番マットの中に入れようとしたが,有平は両手をマットについて踏ん張っていた。僕は,うつ伏せになった有平の左側へ行き腰のあたりに立ち,有平の左足大腿から右手を上に入れ,腹の方に回し,左手を腹の下から入れて,抱えるようにして持ち上げた。僕の後方には声からして被告Sがいた。マットの上に立っていた人もいた。その人は有平の胸あたりを持っていた。このとき有平を持ち上げたのは,僕の他に3人くらいいた。有平を頭を入れたら,ずるずるという感じで入っていき,膝のあたりまで入れたところで,手を離した。
有平は穴に入れられるまで「やめて下さい」と話していたが,マットの中に頭から入れられてからは「ウ−」というこもった声を発した。
(甲62,63及び65の各1,2)

エ 被告Sの自白内容
僕と被告Oは体育館に戻ると,有平の金太郎芸が面白いというので,1人で有平のところに行った。
僕が有平に金太郎をやってと言ったら,クラブ活動中なのでできませんと断ったので,被告Oのところに戻り,芸をしなかったというと,被告Oが呼んでこいと言うので,有平を呼びつけた。
被告Oは,目立たないところに行くというので,僕たちはマット室前に連れてきた。この付近では,女子バドミントン部が後片づけ中であった。
僕が金太郎をやれと言ったが,有平は「いやです」と断った。そこに,被告K,同Y,同N,同Ny及び同Fが集まり,有平を取り囲んだ。僕は,「児玉,金太郎芸をしないんだ」と言った。
その後すぐに,被告Nは,「頭に来た」と言って,有平に対し右こぶしで左頬を一発殴ったため,有平はよろめき前かがみの状態になった。被告Nは,有平の後頭部を1発右手こぶしで殴り,有平は再びよろめき膝をついた。有平は「止めてください」と訴えていた。
被告Oが「中に入れるベ」と言い,僕もそう言って,扉を開け,有平のジャージを引っ張り,無理失理マット室の中に入れた。
被告Oが,最初に,僕に見せたことをやって見ろと命令し,僕も見せろと言った。しかし,有平は,嫌ですと言って断った。被告Kも「一発芸やって見ろ」と言っていた様な気がしたが,やっぱり有平は芸をやらなかった。
そのうち,被告Oが無理矢理何かを取ったが,そのとき有平がよろけ,僕の足を踏んだので,僕は有平の背中を殴り,左太ももを蹴った。有平は「止めてください」と言った。
そのころ,マット室内が少し明るくなった気がした。
被告Kだったかが,「マットに入れっベ」と言ったので,僕も「それいいな」と言った。
そして,被告Oかが,有平の体重が軽いかどうかなどと言うので,僕と被告Oが有平を背中から抱きかかえて持ち上げた。
僕は,そのとき有平を背中の方から持ぢ上げた状態で1番マットの方にぶつけたりした。
被告Oが有平の頭を自分の脇の下に挟んだりした。
被告K,同Ny及び同Fも,有平を持ち上げてマットにぶつけた。格好は,プロレス技が分からないので,後ろ投げや横投げをしていたとしか分からない。有平は,「痛い,あと止めてください」と言った。
被告Yもこのころに有平のどこかを叩いていた。
プロレスごっこが終わってから,僕が5番マットに上がり,被告Oと被告Fが下から有平を持ち上げてマットの上に上がらせた。
僕と有平が5番マットに上がり,僕が有平を後ろから持ち上げて,マットの穴に足から入れた。有平は,胸当たりまで入っていたが,穴から出ようとしたので,僕は有平の肩当たりを足で踏みつけ,上がれないようにした。
被告Kが,「逆さまに入れっぺ」と言った。そのとき,被告Oは中央奥のマットに上がっていたので,マットから出てきた有平を7番マットの上まで引っ張つていった。
被告Oは有平と向かい合い,有平を前屈みにして背中から両手を回し,頭を下にする状態で持ち上げ,7番マットの穴に頭から入れようとした。
有平は,両手をマットの穴の縁に付け必死に抵抗したため,有平を穴に入れることができなかった。
被告Oは,「K手伝え」と言ったので,僕もマットの上に上がり,被告Oと片足ずつ持って逆さまにして宙づりのような形にし,マットの下の方では被告Ny及び同Fが手などを押さえ,有平を動けない状態にして,マットの穴に入れた。
マット室での出来事は,午後4時45分ころから50分ころまでと思う。
7人が殆ど一緒にマット室を出たが,一番最初に出たのは僕である。
(甲74の1ないし3,75の1及び2,77及び78)

オ 被告Oの自白内容
僕と被告Sが体育館に戻り,バレーボールをラケットで打つ遊びを1,2回した後,僕は,被告Sに対し,本当はおもしろくなかったが,さも面自かったような日振りで,有平の芸が面自かったと言った。
被告Sは,「俺も見てみたい」と言い,僕も「またさせんベ」と言った。被告Sは,有平のところに行ったが,有平や芸をしなかったため,僕のところに戻り,「芸しねけ」と言った。
僕は,自分には見せて被告Sに見せないとはどういうことだと思い,被告Sに「連れてこい」と言い,有平をBコートに連れてきた。
僕は,「ここではAに怒られる」と言ったところ,被告Sは「じや,人目の付かないところに行くベ」と言うので,有平をマット室前まで連れて行った。このとき女子バドミントン部は練習を切り上げ,ネットも片づけ終わっていた。
僕は,このマット室に連れて行けば怖がって芸をすると思ったし,またしなければ中に入ってさらに怖がらせて芸をさせるつもりだった。
有平を2人でマット室前に連れて行くと,被告Ny,同N及び同Kが来ており,僕たちと同様,有平を取り囲んだ。
僕は,「さっき俺に見せたベ。周りの人にも見せろ。」と命じたが,有平は弱々しい声で「え一,できません」と言った。
これを聞いた被告Nは,何で見せられないんだ,むかつくなと言って,有平の顔と腹あたりを殴りつけた。有平は許して下さいと謝った。
僕は,命令を聞かない有平に頭に来て,人目に付くとまずいと考え,有平をマット室に入れることにし,左の扉を開け,被告Sが有平の手を引き,僕は「ほら行け」と言って有平の背中を押してマット室内に入れた。
マット室に押されて入った有平は,1,2メートル行って,マットを背にして向き直った。
扉を閉めたのはだれだか分からない。完全に閉まった状態ではなかった。
僕は,「ここならだれもいないから,俺に見せたことをやれ」と命令したが,有平は,小さな声で,「え一,え一,できません」と言って,断った。
被告Kが,「一発芸やって見ろ,こっちにこえ」と言いながら,有平を引っ張った。それでも有平は,「え一,できません」と言った。被告Kは,「ほんてえ。このくそ。生意気だな」と言いながら,有平の顔を一発殴った。有平は,うっと捻った後,「すいません,待って下さい」と言った。
僕は,「待ってらんないじゅ」と言い,有平が持っていた卓球のラケットを両手で引っ張って取り上げ,近くにいた被告Fに手渡した。
すると,有平は足をふらつかせ,被告Sの足を踏んだので,被告Sは,怒って殴って蹴りを入れた。すると,有平は謝った。
被告Fは,「何で先輩のことを聞かなえんだじゅ」と言って,殴ったり蹴ったりした。
僕も同様に思い,「ほんて,むかつくねや」と言った後,有平の腹に右手でパンチを入れ,続いて左膝で腰あたりに蹴りを入れ,これを2回繰り返した。有平は,念った後,「やめて下さい」と小さな声で言った。
僕が乱暴した後,被告Kが「マットにいれんベ」と言い出し,被告Sも「んだが,入れんべ」と言い,僕も「入れんベ,入れんベ」と言い,周りの人も「そうすんベ」等と言っていた。すると,有平は「やめて下さい,待って下さい」と弱々しい声で助けを求めた。
被告Kはそれにかまわず有平を引っ張って,跳び箱のマットの西側にある倒れかかったマットのところに連れていった。
僕は,有平をマットの上に上げるため,重いか軽いか持ってみると言って,倒れかかったマットの足下付近で有平を後ろから抱えて持ち上げた。
有平は意外と軽かったので,「軽い,軽い」と言った。被告Sも僕と同じように有平を持ち上げ,「やっぱり軽い」と言った。これに対し,有平は足をバタつかせ抵抗した。
これを見ていた被告Fは,腰のあたりを持って,プロレス技のようにして後ろのマットの方に投げた。被告Nは,足の方に関節技をかけ,続いて被告Sは,被告Fと同様技をかけた。僕も,ヘッドロックをかけた。その後,被告Nyは,有平を後ろの方に投げた。この間,有平は「痛い,やめて下さい」と何度も繰り返して助けを求めた。
そのうち,被告Kが「上げて入れんベ」と言い出したので,僕を含めたみんなも「上げんベ」と言った。
被告Sは,奥のマットの上に上がり,有平を上から引っ張り,僕と2,3人が下から押し上げた。僕と一緒に押し上げたのは,被告F,同N及び同Nyだったと思うがはっきりしない。僕は,押し上げた後,被告Sのいるマットの西側マットに上がった。
被告Sは,有平を足から入れ,「お前,生意気だからそうしてろ」と言ったが,有平は「助けて下さい」と言って,必死にはい上がろうとしていた。被告Sは,はい上がろうとする有平の頭か顔を蹴ったが,それでもはい上がってきた。
被告Sが,「こいつ本当に生意気だな」と言ったところ,被告Kは「ほんてよ,こいつ逆さにして入れんべわ」と言った。僕は「そうすんベ」と言って同調し,仲間も「そうすんベ」と言った。
僕は,はい上がってきた有平を,7番マットのところに引っ張っていき,有平の腰を抱きかかえて頭を下にしてマットの穴に入れようとした。しかし,有平は抵抗し,両手で穴の両脇を押さえるため,入れることができなかった。そこで,下の仲間が有平の腰や手を押さえてくれた上,被告Sも来てくれた。そして,僕と被告Sが片方ずつ足を持ち上げ,逆さに宙づりにした後,僕が入れるぞと言うかけ声をかけ,頭から一気にマットの穴に入れた。途中,有平は泣きながら「やめて下さい,助けて下さい」といを求めていた。
有平の腰や手を押さえた人がだれだったかは,自分のことで精一杯で分からないが,被告Nyや被告Fだったかもしれない。
有平をマットの穴に入れた後,僕はマットを飛び移って扉のところに行き,体育館に出た。
(甲89及び90の各1,2(ただし,甲90の1及び2は署名指印を拒否したもの))

カ 被告Fの自白内容
マット室前では,だれかが5,6人に取り囲まれていた。僕は,だれが囲まれているのかと思い,その場所まで近づいて行くと,有平であることが分かった。取り囲んでいたのは,被告O,同S,同K,同Ny及び同Nであった。
被告Kが,何か一発芸をやれと言ったが,有平ははっきりとイヤだとは言わず,う一ん,う一ん,とうなりいやがる仕草をした。
被告Kは,「むかつくな」と言った。
被告Nは,有平に対し生意気だこの野郎と言って,右こぶしで左頬あたりを思いっきり一発殴った。有平は殴られた際,よろけて倒れそうになったが,倒れなかった。被告Nは,腹あたりを,右こぶしで思いっきり殴った。
被告Sが顔を殴ったようだが,はっきりしない。
被告Nが殴った後,被告Sが右手で有平の右腕をつかみマット室に有平を連れ込んだ。他の取り囲んでいた者もマット室内に入った。僕は嫌いな有平が先輩たちに乱暴されていじめられるのであれば一緒にやりたいと思い,続いてマット室に入り,外の人に有平を乱暴しているのをみられないよう,扉を閉めようとしたが,途中で引っかかり,10cmくらいあいた状態になった。
被告Nのように思うが,有平に一発芸をしろと命令したが,有平はいやがる仕草をしたため,被告Kは頭に来て有平の服をつかみ,引っ張り,むかつくなと言いながら,有平の顔を一発殴った。有平は,「痛い」と言った後,被告Kに「すみませんでした」と謝った。
今度は,被告Oが有平のラケットを取り上げ,僕に手渡し,僕は左奥のマットの中にラケットを投げ入れた。
僕は,有平に対し,「先輩の言うことを聞かないとは生意気だ」と言って,右手でビンタをし,さらに左足ふくらはぎを右足で思い切り蹴った。
先輩たちも,顔や腹を2,3発ずつ殴った。
被告Kは,「マットに入れっぺ」と言ったら,他の先輩も「入れっぺ」「そうすっぺ」と言い,僕も「入れっぺ」と言った。有平は,「やめて下さい」と言った。
だれかが有平を2番マットのところに無理矢理連れてきた。
だれかがプロレス技をかけようとして有平を持ち上げようとしたが,抵抗した。そのため,僕は,有平の背中の方に回り腋の下から抱えるようにし,6番マットの方に投げたが,完全に投げることはできず,有平は2番マットに落ちてきた。
そのため,僕は,有平に意地悪をするため,有平が履いていたズックの片方を脱がせ,これを5番マットの中に入れた。
その後,先輩たちはそれぞれ有平を投げたりした。その中で,被告Nが関節技みたいなものをし,被告Sがバックドロップをしたことは覚えている。この間,有平は僕たちに「やめて下さい」と何度も言っていた。
そして,だれかが「上げて入れっぺ」と言ったので,被告Oも「上げっぺ」と言った。僕は,有平の右手及び右足の太股あたりを押さえ,被告Oは右足の方を押さえ,2人で抵抗できないようにして,有平を6番マットに上げた。
被告Sが7番マットと6番マットの間に上がり,上から有平を6番マットに引き上げた。
被告Kが「マットに逆さに入れてみっか」と言い,他の先輩たちも「やってみよう」と言ったことから,僕も「やってみっぺ」と言った。被告Sか被告Oかはっきりしないが,7番マットの真ん中に,有平の頭を自分の腰あたりに下げてかがんだ有平の腰を持って入れようとした。しかし,有平は「やめて下さい,やめて下さい」と涙ぐんだような声で頼むとともに,手足をばたつかせて抵抗した。そのため,被告Sと被告Oの2人で有平の足を持って頭を下にした逆さの状態にした。そこに,僕とだれかが2番マットの上から僕が有平の腰あたりを押さえ,だれかが手あたりを押さえた。そして,被告Sか被告Oのどちらかが,「やっぞ」というかけ声で,7番マットに一気に入れた。有平は,両足のかかとあたりから足までがマットから出た状態だった。有平は,マットの中で「助けて,助けて」と言っているのが聞こえた。
僕たちは,有平をそのままの状態にしたままマット室から出た。
その後,すぐに先輩たちとバラバラに別れた。
僕は,Aコートに戻り,東側リングで,SSjとKT(2年C組,野球部)とバスケットボールのシュート打ちをして遊んだ。
Aコートでは卓球部員が卓球台の後片づけをしていた。
そのうち,バレーボール部の人達が集まりだしたことから,練習の邪魔になると思い,荷物を持って体育館を出た。
(甲96及び97の各1,2及び98)

キ 被告Yの自白内容
Bコート西側でバスケットボールをしていると,マット室前に被告N,同Ny,同S及び同Oなど6,7人の男子生徒が半円を書くようにして立っていた。その中に背の高い2年生がいた。僕は,バスケットボールをやめて行った。半円の中には有平が困った顔をして立っていた。
僕が行って少しして,被告Nが右手で有平を2回たたいた。1回目は左頬のあたりで,有平はたたかれてふらふらした。2回目は頭で,有平は膝を折ってしやがむような格好をし,痛いと言った。
すると,被告Oが「中さ入れっぺ」と言い,だれかがマット室の扉を開けて有平と一緒に中に入った。クラブ活動の交代時期だから午後4時40分から50分ころだと思う。
この後,僕は,元の場所に戻って少しの間バスケットボールをしたが,マット室のことが気になり僕も中に入った。僕は,扉を開けて中に入り扉を閉めたが,引っかかったため1cmくらい開いてしまった。
僕がマット室の扉を開けて中に入ると,有平が何人かに乱暴されていた。
中には,被告N,同Ny,同S,同O及び同Fがいた。他にもだれかいた。
みんなは,有平を押したり投げたりしていた。
僕も,いじめてやろうと考え,有平の左太ももの前あたりをそんなに力を入れずに1回蹴った。
有平はだれかから後ろから押され,マットヘ前のめりになり僕の方へ来た。僕は,有平を抱きかかえて起こした。
僕は,跳び箱の上に登り,有平がいじめられている様子を見た。
有平はだれかから抱きかかえられ後ろへ投げられていた。
その後,僕は跳び箱と壁の隙間に立っていたが,だれかから出ろと言われて出た。その間に有平のやめろと言う声が2,3回聞こえた。かわいそうと思ったが,助けると自分がいじめられるから助けなかった。
僕がまた飛び箱の上に立つと,有平は,横に寝かせられ,被告S,同O及び同Fに体を持たれ,頭からマットの中に入れられようとしていた。被告Fが頭を被告S及び同Oが腰か足を持っていた。他にもいたかもしれないが覚えていない。これに対し,有平が両手をマットの端に手を付いていたので,なかなか入らなかったが,被告S及び同Oが体を逆さにするようにして足や腹を持ち上げ,マットの穴へ頭から腰当たりまで体を入れた。
僕は,マット室から出たとき振り返ったら,有平はもう膝当たりまでマットの穴に入れられ,足を水泳のばた足のようにばたばたさせていた。
僕は有平をそのままにしてマット室を出てから,体育館を出て,生徒昇降口でOYと話した後,1人で家に帰った。
(甲108の1及び2,109の1ないし3,110)

(2)評価の方法
自白の信用性の評価に際しては,自白に至るまでの経過,自白内容が真実の体験者でなければ述べ得ないような具体性,詳細性,迫真性を含んでいるか否かの検討のみならず,自白の変遷があるか,ある場合は変遷について合理的な理由があるか否か,自白内容が客観的証拠によって裏付けられているか,逆に客観的証拠と積極的に矛盾していないか,自白内容に秘密の暴露(あらかじめ捜査官の知り得なかった事項で,捜査の結果客観的事実であると確認されたものをいう)があるか,自白内容に不自然・不合理な点があるか等検討を通じ,客観的分析的に判断すべきである。
そして,本件では,前記3(2)のとおり,1月17日に被告Kが最初に自白し,取調官が,他の被告元生徒らを呼び出し,被告Kの供述内容に基づいて取り調べを進めたところ,その全員が同日ないしその翌日中に自白したものであり,被告Kの自白から捜査が進展し,他の被告元生徒らの自白へと導いたということができること,事件性それ自体についての明確な物証や,秘密の暴露がないことからすると,被告Kの自白に信用性を欠き,ひいてはその関与すら肯定できないこととなれば,当然に,他の被告元生徒らの関与にも相当の影響を及ぼすものというべきである。そこで,まず,被告Kの関与について検討する。

(3)被告Kの関与
ア アリバイの成否
被告Kは,1月14日の事情聴取に際していわゆるアリバイを主張し(甲8),その後これを撤回して自白しながら,少年審判において再度アリバイを主張し,被告Kについての山形家庭裁判所の審判(乙C1)はもとより,被告S,同O及び同Fについての仙台高等裁判所の抗告審決定(甲1,3及び5)においても,その成否が重要な問題点となり,審判では,アリバイが否定できないとして被告Kを含む被告元生徒らの捜査段階における自白の信用性が一部否定され,逆に,抗告審決定では,アリバイは成立せず,被告Kの審判時の否認供述は信用できないとの認定がされた。
当裁判所としても,被告元生徒らの自白の信用性を検討する上で,被告Kのアリバイの成否が最も重要な課題であると考えるので,まず,この点から判断していく。

(ア)アリバイの内容
被告Kは,少年審判において,1月13日放課後の行動について以下のとおり供述して,同人にアリバイがあるとする(乙C9の1ないし4及び同10)。1月13日6時間日終了後,掃除をしないで体育館でバスケットボールをして遊ぼうと思い,SSjと体育館に行ったが,用具室に鍵がかかっていたため出来なかった。
被告Kは一且教室に戻り,AHに「今日は終わりの会に出ないで虫神社に行く」と伝えた。被告KとAHは,平成3年10月から交際を開始し,2年生になってからほとんど毎日放課後に会い,被告KがAHの家に行ってテレビを見たりするなどのデートを繰り返しており,両名とも,放課後のクラブ活動はほとんどしなかった。
被告Kは,AHとデートの約束をしてから,KK(2年B組,バスケットボール部)と被告Sとの3人で生徒昇降口に行き,被告K1人だけが校舎の外に出た。
被告Kは,生徒昇降口を出ると,体育館からバスケットボールの音がしたので,非常口から体育館に入ると,WtTからバスケットボールを借りて3本くらいシュートをしたが,再び非常口から校外に出た。
被告Kは,非常口を出てから大通りに出て,大通りを鍛冶町方面に行き,鍛袷橋(明倫中の東方約400m)を渡り左に曲がって,万場町10番地所在の虫神社に行った。被告Kは,途中で車を運転している被告Yの母YKzと会った。
被告Kは,虫神社で10分くらい待ったが,まだ早かったので,近くを歩いたりして時間をつぶし,再び虫神社に戻ってAHと会った。
そして,2人で「菓子のおきなや」に行き,コーラを2本貝って,AHの家に行った。
被告Kらは,AHの家に着くと,2階の部屋に行き,2人で話をしたり,雑誌を読んだりした後,午後5時から7時30分までテレビを見てから,被告Kは同時刻ころAHの家を出て,帰宅した。

(イ)YKzの供述
YKzは,2月24日に審判で証言して以来一貫して,1月13日午後4時ころ,保育所に子供を迎えに行く途中,鍛冶橋付近で,明倫中方面から鍛冶橋方面に1人で歩いて来た被告Kを見かけたと供述する
(甲142,乙C2及び証人YKz)。
その供述は,YKzの息子である被告Yが被告Kと同じサッカ一部に所属し,面識があることから,識別性において問題はない。また,被告Kを見かけた日時についても,前後3日間の出来事や保育所の迎えの時間によって特定するもので,具体的な