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資料集

MIRANDA ASSOCIATION

刑事司法改革の指針となる、内外の判例、国連関係文書等

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ギデオン判決(抄訳)

GIDEON v. WAINRIGHT 372 U.S. 335, 83 S.Ct. 9 (1963)

Black裁判官が法廷意見を述べた。

上告人は、軽罪を犯す目的でビリヤード場に侵入した罪によりフロリダ州の裁判所に起訴された。フロリダ州法によればこの罪は重罪である。資力なく、弁護人なしに法廷に出頭した上告人は、彼のために弁護人を選任するよう裁判所に求めた。その際のやり取りは次の通りである。
「裁判官:ギデオンさん、申し訳ないが、この事件であなたの弁護人をわたしが任命することは出来ません。フロリダ州の法律では、死刑事件で起訴された被告人のためにのみ裁判所は弁護人を任命することが出来ることになっています。残念ですが、この事件では弁護人を任命して欲しいとのあなたの申し出をお断りしなければなりません。
「被告人:合衆国最高裁判所は、わたしには弁護人に弁護してもらう権利があると言っている。」

陪審を前にした公判において、ギデオンは、素人に通常期待できる程度には自分の弁護を行った。彼は陪審に向けて冒頭陳述を行い、州側証人に対する反対尋問を行い、自分の防禦のための証人尋問を行い、自ら証言することを控え、そして、「本件起訴状に記載された犯罪事実について彼が無罪であることを強調する」短い弁論を行った。陪審は有罪の評決を答申し、上告人は懲役5年の刑を宣告された。後に上告人はフロリダ州最高裁判所にこの人身保護申立を行い、裁判所が彼のために弁護人を任命することを拒否したことは、「合衆国政府の憲法及び権利章典によって保障された」彼の諸権利を侵害するものであることを理由に、彼に対する有罪判決と量刑に対して異議を唱えた。適正に申し立てられたこの人身保護申立について、州最高裁判所は、「申立てを検討したうえ」、しかし何らの意見も付さずに、すべての救済を拒否した。ベッツ判決(Betts v. Brady, 316 U.S. 455)が反対意見付きでなされた1942年以来、州裁判所における被告人の連邦憲法上の弁護権をめぐる問題は、州及び連邦双方の裁判においてくり返し論争され訴訟上の争点とされてきた。この問題を再検討するために、われわれは上告を受理した。370 U.S. 908.ギデオンは貧困者訴訟(forma pauperis)として手続を進めているので、われわれは彼の弁護人を選任し、当事者双方に次の点につき書面を提出し、口頭弁論を行うことを求めた。すなわち、「当裁判所はベッツ判決の判旨を再考すべきか」。

T ベッツが彼を援助すべき弁護人を任命してもらう権利を憲法に違反して拒否されたと訴えた基礎となる事実関係は、ギデオンの連邦憲法上の訴えの基礎としている事実関係と驚く程よく似ている。ベッツはメリーランド州の裁判所に強盗罪により起訴された。アレインメント手続の際に、彼は公判裁判官に弁護人を雇う資金がないと言い、裁判所に弁護人を任命することを求めた。ベッツは、そのカウンティでは殺人事件と強姦事件を除いて資力のない被告人に弁護人を任命していないと知らされた。彼は、無罪の答弁を行い、証人申請を行い、州側証人の反対尋問と自己側証人の尋問を行い、そして自身は証言しないことにした。彼は、陪審ではなく、裁判官によって有罪を宣告され、8年間の拘禁刑を言い渡された。ギデオンと同じように、ベッツは人身保護請求による釈放を求め、第14修正に違反して、弁護人の援助を受ける権利が侵害されたと主張した。ベッツの救済申立は全て拒否され、当裁判所は彼の申立てを棄却した。当裁判所は、幾つかの理由により、第14修正のデュー・プロセス・クローズのみが適用されるべき唯一の連邦憲法の条項であり、重罪で起訴された、資力のな, $$Ho9p?M に対して弁護人の任命を拒否することは、必ずしも第14修正のデュー・プロセス・クローズに違反するものではないとした。裁判所は次のように述べた。

「[デュー・プロセスの]拒否にあたるか否かは、当該事件の事実関係を総合的に評価して判断されるべきものである。ある状況の下においては、基本的な公正さを損なうものであり、広く行き渡った正義の観念にショックを与えるものである場合もあれば、また、他の考慮すべき事情に照らしてかような拒否にはあたらない場合もある。」316 U.S., at 462.

デュー・プロセスの概念を「権利章典における他のより個別具体的な条項において想定される概念と比べて、固くない、流動的な概念」として取り扱った上で、裁判所は、ベッツ事件の事実関係や状況のもとでは、弁護人を任命することの拒否は、デュー・プロセスの拒絶に匹敵するほどには、「一般的かつ基本的な公正の観念を損なうもの」ではないと判断したのである。事実関係や状況がこの2つの事件では区別できないほどに類似しているので、もしもベッツ判決の判旨を維持すべきものであるとするならば、それは、憲法が彼に弁護人の援助を保障しているというギデオンの訴えを退けることを要請する、とわれわれは考える。十分に再検討した上で、われわれはベッツ判決は変更されるべきであるとの結論に達した。

U 第6修正は「すべての刑事事件において、被告人は、……その防禦のために弁護人の援助を受ける権利を持つことを認められなければならない。」と定めている。これは、連邦裁判所においては、正常な能力の下でかつ知的に権利放棄された場合でない限り、弁護人を自ら雇うことが出来ない被告人に対しては弁護人を付与しなければならないことを意味するものであると、われわれは理解して来た。ベッツは、この権利は第14修正によって州裁判所における無資力の被告人にも及ぼされるべきものであると主張した。これに答えて、裁判所は、第6修正は「州の行為についていかなる規制も」及ぼすものではないから、「問題は、同修正条項によって連邦裁判所に課される制約が、公正な裁判にとって、それゆえ法の正当手続にとって基本的かつ不可欠なルールを表明したものであるから、第14修正によって州にとっても義務的なものなると言えるかどうかに帰着する」と述べた。316 U.S., at 465.第6修正による弁護人の保障がこのような基本的な性質のものかどうかを決定するために、ベッツ判決の裁判所は、「連邦憲法に権利章典が導入される以前の植民地や州に存在していた憲法や制定法の条項、そして各州の憲法、立法及び司法の今日にいたるまでの歴史……によってもたらされるこの問題に関するデータ」を取り出し、考慮した。316 U.S., at 465.この歴史上のデータに基づいて、裁判所は「弁護人の任命は、基本的な権利でもなく、公正な裁判に不可欠のものでもない」と結論した。316 U.S., at 471.この理由付けによって、ベッツ判決の裁判所は、連邦事件における無資力な被告人に弁護人を付与する第6修正の保障を拡張すべきである――裁判所の表現によれば「第14修正によって州にとっても義務的なものなる」――という主張を受け入れるのを拒否したのである。要するに、資力のない被告人に弁護人を任命することが「基本的な権利であり、公正な裁判に不可欠のもの」であると裁判所が結論したとすれば、まさに第6修正が連邦裁判所において要請するように、第14修正が州裁判所においても弁護人の任命を要請するとの結論にいたったということなのである。
…… ……

われわれは、過去の先例に基づいて、権利章典のうち「公正な裁判にとって基本的かつ不可欠の」条項は第14修正によって州にとっても義務的なものとなるというベッツ判決の前提を受け入れる。しかしながら、第6修正による弁護人の保障がこの基本的な権利の一つではないと結論した点において、ベッツ判決の裁判所は間違っていた、とわれわれは考える。ベッツ判決の10年前に、当裁判所は、ベッツ判決が言う歴史上のデータの全てを十分に考慮した上で、「弁護人の援助を受ける権利は、この基本的な性格を持つものである」と疑問の余地なく宣言したのである。Powell v. Alabama, 287 U.S. 45, 68 (1932). 当裁判所がしばしばそうするように、パウエル判決の法廷意見の末尾において、裁判所はその判旨が当該事件の具体的な事実と状況に限定される旨を明言したのであるが、弁護権が基本的な性質を持つとの結論部分は看過し得ないものである。その数年後、1936年において、裁判所は弁護権の基本的な性質について次のように述べて再度強調した。

「最初の8ヶ条の修正条項によって連邦政府の行為に対して保障された基本的な諸権利の幾つかは、第14修正のデュー・プロセス・クローズによって州政府の行為に対してもまた保障されるものであり、そのような権利のなかに刑事事件において弁護人の援助を受ける被告人の基本的な権利が含まれる、とわれわれは結論する。」Grosjean v. American Press Co., 297 U.S. 233, 243-244 (1936).

さらにまた、1938年に当裁判所は次のように述べた。

「[弁護人の援助]は第6修正が生命及び自由という基本的人権を保障するために必要であるとみなした装置の一つである。……第6修正は、それが付与する憲法上の保護措置がもしも失われたならば、正義は『達成されない』であろうという、一つの永続する警句として存在する。」Johnson v. Zerbst, 304 U.S. 458, 462 (1938).同旨の先例として、Avery v. Alabama, 308 U.S. 444 (1940), Smith v. O'Grady, 312 U.S. 329 (1941).

当裁判所のこれら多数の先例に照らすならば、ベッツ判決の裁判所が、「犯罪の訴追を受けた者は、弁護人を自ら得ることが出来ない時には、州政府によって弁護人を与えられなければならない」という主張に直面したとき、「当裁判所の法廷意見の表現はこの主張に似た色彩を持つ……」316 U.S., at 462-463.と認めざるを得なかったことは驚くにあたらない。実際のところ、「弁護人の任命は基本的な権利でもなく、公正な裁判にとって不可欠のものでもない」と断定することにおいて、ベッツ判決の裁判所は、それ自身の十分に根拠のある先例の流れに不意に逆らったのである。われわれは、これらの古い先例――それは新しいそれよりも健全であるとわれわれは信じる――に回帰することによって、司法の公正なシステムを実現するために確立された憲法上の原理を修復する。これらの先例のみならず、理性と省察がわれわれに確認することを求めるのは次のことである。われわれの当事者主義の刑事司法システムにおいては、裁判所に引き立てられた者は何人であれ、もしも彼が貧しくて弁護人を雇えないときに彼に弁護人を付与しないとすれば、公正な裁判を保障されたことにならないということ。このことはわれわれには明白な真実と思われる。当然のことながら州であれ連邦であれ、政府は犯罪の訴追を受けた被告人を裁くための機構を確立するべく膨大な額の金銭を消費している。秩序ある社会に対する公共の利益を護るためにいかなる場所においても犯罪を訴追する, K!N'2H$O 必須のものとされている。同様に、犯罪の訴追を受けた被告人の殆どは、――実際に殆どの場合がそうである――彼らの防禦を準備するために最善の法律家を雇う。政府が訴追のために法律家を雇い、金のある被告人が防禦のために法律家を雇うという事実は、刑事裁判所において法律家は必需品であって贅沢品ではないということが広く行き渡った信念であることをもっとも強く指し示すものであろう。犯罪の訴追を受けた者の弁護権は、幾つかの国では基本的なものではなく、また公正な裁判にとって不可欠のものとはされていない。しかし、わが国においては違う。そもそもの初めから、州と連邦の憲法と法律は、全ての被告人が法の前に平等に取り扱われる公平な裁判所において公正な裁判を確保するべく企図された、手続的なそして実体的な保護措置に対して、多大の重点をおいて来た。この崇高な理想は、犯罪の訴追を受けた貧民は彼を援助する法律家なしに彼の訴追者に立ち向かわなければならないとしたならば、実現されないだろう。
……

ベッツ判決の裁判所はパウエル判決に示された英知から外れるものであった。フロリダ州は、他の2州の支持を得て、ベッツ判決を維持することを求めた。22の州が、裁判所の友として、ベッツ判決は「判決のとき既に時代錯誤であった」と言い、それは変更されるべきであると主張した。われわれはこの意見に同調する。

判決は破棄され事件はフロリダ州最高裁判所に差し戻され、この法廷意見に矛盾のない手続に付されるものとする。

よって原判決を破棄する。
(訳者:高野隆)

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