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資料集

MIRANDA ASSOCIATION

刑事司法改革の指針となる、内外の判例、国連関係文書等

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エスコビード対イリノイ

Escobedo v. Illinois, 378 U.S. 478 (1964)

378 U.S. 478
申立人ダニー エスコビード

イリノイ州
第615 号事件
弁論 1964年4月29日
判決 1964年6月22日

[要 約]


被告人はイリノイ州クックカウンティ刑事裁判所で殺人の有罪判決を受け、上訴した。イリノイ州最高裁判所は上訴を棄却した (28 I11. 2d 41,190 N.E.2d 825 )。連邦最高裁判所に対する事件受理申立て  (Certiorari)が許可された。ゴールドバーグ裁判官による連邦最高裁 判所の意見は次のとおりである。捜査がもはや未解決の犯罪に関する一 般的な調査(general inquiry )ではなく、特定の被疑者(suspect ) に集中し始め、被疑者が警察に身柄を拘束され、彼から犯罪を容認する 供述を引き出すための尋問手続が行なわれ、被疑者が要請したにも拘ら ず弁護人と相談することを拒否され、また警察が憲法上絶対的な黙秘権 を被疑者に有効に告知しなかったときは、修正14条により各州に適用 を義務付けられる修正6条に違反して被疑者(the accused )は弁護人 の援助(assistance of counsel )を拒否されたのであり、取調べ中警 察により得られた供述は、如何なるものも刑事裁判で彼の不利益に用い ることが出来ない。

破棄差し戻し。

ホワイト裁判官、クラーク裁判官、スチュワート裁判官、ハーラン裁判官が反対意見。

申立人代理人バリー L クロール(Barry L. Kroll)、イリノイ州パークフォレスト。

法廷の友(amicas curiae )であるアメリカ市民自由連盟(American Civil Liberties Union)を代理して、バーナード ワイスバーグ (Bernard Weisberg)、イリノイ州シカゴ。

被申立人代理人として、ジェームズ R トムソン(James R.Tompson)、リノイ州シカゴ。

ゴールドバーグ裁判官が、以下のとおり当裁判所の意見(opinion of the court)を告げた。

本件の重大なる論点は、本件事実関係の下で取調べを受けている際に 申立人によってなされた弁護人と相談したい旨の要請を警察が拒否したことが、「修正14条により各州に適用を義務付けられる」(Gideon v. Wainwright 372 U.S. 335,342, 83 S.Ct.792,795, 9 L.Ed. 2d 799) 修正6条の侵害というべき「弁護人の援助」(the assistance of counsel )の拒否にあたるのか、そしてそれ故に、警察が問題の取調べ中に得た罪を容認する供述(incriminating statement )は、如何なるものも州の刑事裁判で許容されないかという点にある。

1960年1月19日の夜、申立人の義兄が銃で撃たれ致命傷を負った。翌日の早暁午前2時、申立人は令状なしに逮捕され取調べを受けた。申立人は、警察に対して供述をせず、本人が雇った弁護人ウォレンウォルフソンの得た州裁判所の人身保護令状( habeas corpus)により、その日の午後釈放された。
 当時警察に身柄を拘束され、後に申立人と共に殺人罪で起訴されることになるベネディクト・ディガーランドは、1月30日、銃を撃ったのは申立人であると警察に告げた。その日の午後8時から9時までの間に、申立人と故人の未亡人である彼の姉は逮捕され警察本部に連行され た。警察署への途中、「被告人は後ろ手錠を掛けられ」、「逮捕にあたった警官の一人は、被告人に、撃ったのは彼だとディガーランドが言っていると告げた。」申立人は矛盾することなく以下のように証言した。「刑事たちは、わたしたちはもう罪を免れることは到底できないし、いずれ罪を認めるに違いないだろうと言った。」そこで申立人は「申し訳ないが、自分の弁護士の助言を聞きたい」と答えた。申立人は正式には訴追されてはいなかったが、「彼は身柄を拘束されており」また「ドアから外へ出ることが出来ない状態だった」とある警察官は証言した。
 申立人が警察本部に到着して間もなく、彼の雇った弁護士も到着した。その弁護士は引き続き起こった出来事を次のように述べた。

「その日私は[『別の被告人の母親』から]電話を受け、ステート街 11番通りの刑事課(the Detective Bureau)に行きました。私が最初 に話をしたのは刑事課のデスクにいたピジョン巡査部長(sergeant)で した。私はピジョン巡査部長に依頼人ダニー・エスコビードとの接見を 要求しました。ピジョン巡査部長は刑事課の留置場に電話をし、彼が留置場から殺人課へ移されたと教えてくれました。これが、午後9時30分から10時の間のことです。私がその場にいる間に、ピジョン巡査部長は殺人課へ電話をかけて、エスコビードに会いたがっている弁護士がいると伝えました。エスコビードに会うことは出来ないと、彼は言いました。そこで私は階段を登って殺人課へ行きました。辺りには数名の殺人課の刑事がいて、私は彼らに話し掛けました。 私はエスコビードの弁護人だと名乗り、彼との面会の許可を申し入れま した。それは出来ないと彼らは言いました。ある警察官 が、勤務中のフリン警察署長(Chief )に会えと私に言いました。私はフリン署長に名を明かし、依頼人への面会許可を要請しました。彼も会うことは出来ないと言いました。これがだいたい11時 だったと思います。取調べが済んでいないから面会できないのだと彼は言いました。ほんの1、2秒間、私は彼の姿を刑事課の事務室で見ました。ドアが開いており、事務室の中の様子が見えたので す。私が手を振ると彼が手を振って答え、その後刑事課の警察官の一人がそのドアを閉めました。その夜4、5名の警察官が、殺人特捜班( Homicide Detail)の周りを動き回っていました。フリン署長とその日再び話をしたかどうかということですが、私はさらに1、2時 間待ち、引き返して再び私の依頼人に会わせて欲しいと要求しました。 彼はまたしても出来ないと言いました。私はシカゴ警察局(Police Department )のフェラン コミッショナーに正式な不服申立てをしました。私は出会えた警察官と残らず話をしました。殺人課で 私は、接見は出来ない、人身保護令状を取らなければならないだろうと告げられました。私は殺人課を後にし、[日曜の朝の]午前1時ころステート街11番通りの刑事課を去りました。その夜私は、私の依頼人と話す機会が全くなかったのです。私は、弁護人に依頼人との接見交通権を認めた刑事法典(Criminal Code)の一節を、フリン署長に引用して見 せました。」

申立人は、取調べ中に何度も弁護士と話をさせてくれるよう頼んだ が、警察は「弁護士は会いたくないと言っている」と告げた、と証言した。警察官たちの証言はこの説明を事実上細部にわたって裏付けた。
 申立人とその弁護士の双方から要請が繰り返されたにもかかわらず、 彼らには、取調べの全過程を通じて相談の機会が全く与えられなかった。前述の如くある時点で、申立人と弁護士は、ほんの短い間お互いを視野にいれたが、弁護士はすぐに排除された。申立人は、「刑事が弁護 士に向かって、『要件が済むまで』接見は許されないだろうと言ってい るのを聞いており、」また弁護士が隣の部屋に残ることを断られるのを聞いた、と証言している。ある警察官が証言したところでは、彼は弁護士に対し、「我々が取調べを終えるまでは」申立人に会えないと告げた という。

警察側の証言によれば、申立人は22歳のメキシコ系アメリカ人で、 警察の調べを受けるのは初めてであり、取調べの間立ったまま「手錠を掛けられ」、「神経質そうで目の下にはくまが出来ており、狼狽してお り」、「一週間以上も良く眠れなかった」せいで「いらいらして」いたということである。
 申立人の近所で「育ち」、その家族を知っており、「勤務中にスペイン語」を使うモンテハノ警察官が、取調中に「およそ15分間」申立人と2人きりで話し合いをしたことに争いはない。申立人の証 言によれば、モンテハノ警察官は彼に「スペイン語で、ベネディクト・ディガーランドのせいにすれば私も姉も家に帰れるし、わたしたちが ディガーランドに不利な供述をすれば、家に帰ることができ、証人としてだけ扱われるように取り計らってやる。今夜のうちに 家に帰れるだろう」と言った。問題の供述をしたのは、この保障があったせいだと申立人は証言した。モンテハノ警察官はかかる保障の申出をしたことを全て否定した。

ある警察官の証言によると、取調の間に次のようなことが起こった。「ディガーランドが私に言った話を彼に伝えた時、彼はディガーランドが[嘘を付いている]と言ったので、『それをディガーランドに言って貰えないか?』と言ったところ、彼は『ああ、いいとも。』と言っ た。そこで私はエスコビードを連れていきディガーラン ドと対決させた。するとエスコビードはディガーランドに彼は嘘を付い ていると言い、『私はマヌエルを撃っていない、撃ったのはお前だ』と言った。」
 こうして申立人は、事件について多少知識があることを初めて認めたのである。その後彼は、問題の殺人事件に彼自身が関与していることを 認める供述をした。この時、州検察官(Assistant State's Attorney) のセオドアJクーパーが、供述を「取るために」呼び出された。「身柄拘束中の被告人や囚人から供述」を取る任務のために殺人課に配属された熟練の法律家であるクーパー氏は、引き出された答えが確実に証拠として許容されるように注意深く組み立てられたことの明らかな質問を発して、申立人の供述を「取った」。クーパー氏は、申立人に対して彼の憲法上の権利について助言したことはなかったと証言しているし、また、取調べの過程において誰もこのような助言をしなかったことに争いはない。
 イリノイ州最高裁判所は、1963年2月1日、最初の上訴審判断と して、問題の供述の許容性を否定し、有罪判決を破棄した。裁判所は次 のように言う。

「争いのない証拠並びに問題の供述がなされた頃及びその直前の被告人をとりまく状況から見て、その供述を行なえば帰宅をすることが許され、刑事免責を得られるだろうと被告人が理解していたことは明らかである」(Lynumn v. Illinois, 372 U.S. 528, 83 S.Ct. 917, 9 L.Ed. 2d 922. を参照。)

州の申立てによって、イリノイ州最高裁判所は再審理を認めた。そして、今度は裁判所は有罪判決を支持した。裁判所は次のように言う。 「問題の警察官は約束を与えたことを否定し、事実認定者(the trier of fact )は彼を信じた。自白を任意とした公判裁判所の事実認定に干 渉する理由をわれわれは見出せない」(28 Ill. 2d 41, 45-46, 190 N. E. 285, 827.)また同裁判所は、クルッカー対カリフォルニア州事件(Crooker v. California 357 U.S. 504, 78 S.Ct. 1287, 2 L. Ed. 2d 1448. )、並びにシサニア対ラゲイ事件(Cicenia v. La Gay 357 U.S. 504, 78 S.Ct. 1297, 2 L. Ed. 2d 1523. )における当裁判所の判決を引用して、「被疑者が弁護人の援助を要請しそれが拒否された後に得られた自白」であっても、その許容性は認められると判示した。(28 Ill. 2d at 46, 190 N.E. 2d, at 827.)われわれは、申立人の問 題の供述が彼の公判において憲法上許容出来るか否かを判断するため、 事件受理の申立てを許可した。( 357 U.S. 902, 84 S.Ct. 203, 11 L. Ed. 2d 143.)われわれは以下の理由からこれを否定的に解し、有罪判決を破棄するものである。

マサイア対合衆国事件(Massiah v. United States, 377 U.S. 201, 84 S.Ct. 1199.)において当裁判所はこう述べた。「公判において弁護 人の援助を保障する憲法は、完全に裁判外の手続とは言え起訴後の被告人(defendant )が警察の取調べを受ける際にも同様の保障を与えないということはあり得ない。この保障に劣る如何なるものも『法律上の援助や助言が被告人を助ける唯一の時期に、弁護人による効果的な代理(effective representation)』を否定することになりかねない。」(Id., 377 U.S., at 204, 84 S.Ct., at 1202. quoting Douglas, J., concurring in Spano v. New York, 360 U.S. 315, 326, 79 S.Ct. 1202, 1209, 3 L. Ed. 2d 1265.)

本件において、取調べは申立人が正式に起訴される前に行われている。しかし本件の情況からして、この事実は何の差異も生じさせない。 申立人が自分の弁護人と相談する機会を要請しこれが拒否されたとき、 その取調べは、もはや「未解決の犯罪」の一般的取調べではなくなっていたのである。(Spano v. New York, 360 U.S. 315, 326,79 S.Ct. 12 02, 1209, (Stewart, J., concurring ))申立人は既に訴追の対象(the accused )になっており、その取調べの目的は、憲法上そうしない権利があるにもかかわらず、彼をして犯罪を自白「させる」ことにある。逮捕の時及び取調べの間、警察は申立人に対し彼が銃で致命傷を与えた確たる証拠を握っていると告げていた。本件容疑に対して終始沈黙 を保つことができる絶対的な権利があることを告げずに、警察は彼に供述を迫ったのである。何年も前に当裁判所が認めたように、「他の被疑者が自分を犯罪者だと言っていると告げられた被疑者の立 場に立ったならば、沈黙することは罪を認めたと見なされ、有罪の者として公判に付されるのを確実にしてしまうのではないかという恐怖心を生み出すだろうこと、そして反対に単に犯罪を否定するだけで自分にかけられた疑いを晴らす希望が持てるとは必ずしも思われないことは、疑がない」(Bram v. United States, 168 U.S. 532, 562, 18 S.Ct. 1 83, 197, 42 L. Ed. 568)

専門家でない申立人が、イリノイ州法では殺人の謀議への「単なる」 関与を認めたことが、法的には銃で致命傷を与えたことの自認と同様に、不利益であることを知らなかったことは疑いない。(Illinois v. Escobedo, 28 Ill. 2d 41, 190 N.E. 2d 825. )このような微妙な局 面において、申立人にその権利を助言するために「弁護人の導きの手(guiding hand of counsel )」が不可欠であった。( Powell v. Alabama, 287 U.S. 45, 69, 53 S.Ct. 55, 64, 77, L. Ed. 158 )それ は、「法律上の援助や助言(legal aid and advice)」が、申立人にと って極めて重要(most critical )となる局面であった。(Massiah v. United States, supra, 377 U.S., at 204 84 S.Ct. at 1202. )それ は、ハミルトン対アラバマ州事件(Hamilton v. Alabama, 368 U.S.52, 82 S.Ct. 157, 7 L. Ed. 2d 114.)における罪状認否(arraignment ) やホワイト対メリーランド州事件(White v. Maryland, 377 U.S. 59, 83 S.Ct. 1050, 10 L. Ed. 2d 193.)における予備審問(preliminary hearing )と同様に、疑いなく重要な局面であった。この取調べの際に起こった出来事は確実に「公判全体に影響を与える」(Hamilton v. Alabama, supra 368 U.S. at 54, 82 S.Ct. at 159. )。何故なら、「その時その場で権利を主張しないかぎり、弁護人の援助を受けている被告人が戦術上の目的で権利を放棄した場合と同様に、その権利は回復 困難なほどに失われてしまうからである。」(Ibid)。このような状況 の下で、弁護権(the right to counsel)の存否を、取調べ当時当局が 正式な起訴を得ていたかどうかにかからせることは、実質より形式を強調することになるであろう。あらゆる実際上の効果において、申立人は 既に殺人罪の訴追を受けていたのと同様であったというべきである。

当裁判所がマサイア判決( 377 U.S. 201, at 205, 84 S.Ct. 1191, at 1202.)においてその判決を肯定的に引用したニューヨーク州控訴裁 判所(The New York Court of Appeals )は、本件と同様な状況下にお いて、被告人(the accused )の取調べが正式な起訴の前になされたか 後になされたかによって意味のある差異を設けることは不可能であるこ とを最近認めた。同裁判所は、ニューヨーク州対ドノバン事件(People v. Donovan, 13 N.Y. 2d 148, 243 N.Y.S. 2d 841, 193 N.E. 2d 628) におけるフルド裁判官による意見の中で、「[起訴に先立つ]勾留期間 において、弁護人が接見を要求し拒否された後に被告人から聴取された 自白は、」刑事裁判において被告人の不利益に用いることが出来ないと 判示した(Id., 13 N.Y. 2d at 151, 243 N.Y.S. 2d at 842, 193 N.E. 2d at 629 )。同裁判所は、「被告人(the accused )と話すことを求 めている彼自身の弁護士(lawyer)を警察の力で被告人から遠ざけてお く一方で、州を代理している法律家(lawyer)である検察官に被告人か ら自白を引き出すということを我が司法制度が許しているとすれば、そ れは極めて首尾一貫しないことである」と述べている( Id., 13 N.Y. 2d at 151, 243N.Y.S. 2d at 842, 193 N.E. 2d at 629)。

ギデオン対ウェインライト事件(Gideon v. Wainwright 372 U.S. 33 5, 83 S.Ct. 792, 9 L.Ed. 2d 799 )において、われわれは、州におい ても連邦においても犯罪で訴追されたものは、誰でも公判において弁護 人を付与される権利を有している旨判示した。しかしながら、本件にお いて州が求める規則は、公判を単なる取調べからの上訴の場と化してし まう。そして、公判前の取調べで実際上既に有罪が確実であるとしたな ら、正式な公判での弁護人を依頼する権利は極めて空虚なものになる  [であろう](In re Groban, 352 U.S. 330, 344, 77 S.Ct. 510, 519, 1 L.Ed. 2d 376, Black, J., dissenting)。「皮肉屋の検事の台詞が 想像できる。『さあ、一番有名な弁護士を付けてやるんだ。彼らは絞首 刑(the noose )を逃れられんからな。裁判で弁護人が出来ることなど 何もないんだ。』」(Ex parte Sullivan, D.C., 107 F.Supp. 514, 51 7-518.)

ほとんどの自白は逮捕から起訴までの間に得られており、「報酬を払 うに値する弁護士なら被疑者に対して警察には決して供述しないように 確実に告げるだろう」から、もしも起訴前において弁護権が認められる ならば、警察が得ることができる自白の数は相当減少するであろうとい う議論がある(Watts v. Indiana, 338 U.S. 49, 59, 69 S.Ct. 1347, 1357, 93 L.Ed. 1801, (Jackson, J., concurring in part and dissenting in part ))。この議論は、勿論両面性を持つ。多くの自白 がこの時期に得られるという事実は、それが「法律上の援助や助言」を 正に必要とする重大な局面であることを意味するのである(Massaiha v. United States, supra, 377 U.S. at 204, 84 S.Ct.at 1202; Hamilton v. Alabama, supra ;White v. Maryland, supra. )ほとんど自白が得 られないような段階になってはじめて弁護権が与えられるのだとすれ  ば、それは本当に空虚な権利になるだろう。警察が自白を求める時期の 重要性と、被告人が法律上の助言を必要とする時期の重大性の間には、 密接な関連性があると言わなければならない。われわれの憲法は、他の ある種の憲法と異なり、自己負罪拒否の特権について弁護人から助言を 受けることができる被告人の権利に優位を与えているのである( See Note,73 Yale L.J. 1000, 1048-1501 (1964) )。

われわれは古代及び近代の歴史から、「自白」に頼る刑罰法の執行制 度は熟練した捜査によって独自に得られた客観的な証拠に頼る制度より 結局、信頼性の低いものであり、また、濫用され易いものである、とい う教訓を学んだ。ディーン ウィグモアが大変うまく述べているよう  に、

「検察側が証拠方法として強制的な自己開示( compulsory self- dis- closure )に頼ることを常とするのを認める司法制度は、それゆえに自 ら道徳的に傷つかざるを得ない。この傾向は、もっぱらそのような証拠 方法を信頼し、他の証拠方法についての捜査が不完全でもかまわないと いう態度を生み出す。供述を得ようとするための権力の行使は、その権 力の正当な限界を忘却させる。単純で穏やかな訊問の手続が、いじめや 腕力あるいは拷問に頼る下地を育む。答えを得る権利があることから、 やがて、期待通りの答えを得る権利 ・・ 即ち犯罪の自白を得る権利 もあるように思えてくる。かように、合法的な権限の行使が不正なる濫 用と化していく。そしてついには、無実の者が有害な制度に侵害される 危険を被る。この特権を認めない法律制度が経験した筋道は、こうい  うことだったように思える」(8 Wigmore, Evidence (3d. ed. 1940) 3 09)。(強調は原文のまま)

当裁判所もまた「法執行官が有益かつ独自の証拠を得る手間を省くた め、自白がしばしば強要されていることを歴史は雄弁に物語っている」 と認識してきた(Heynes v. Washington, 373 U.S. 503,519, 83 S.Ct. 1336,1346.)
 われわれはまた、憲法上の権利についての無知に基づいて市民が権利 放棄することに依存してその有効性を保つような刑事司法は永らうこと はできないし、また永らうべきでもない、という歴史上の付随的な教訓 を学んだ。被告人が弁護士と相談することを許されればこれらの権利に 気付き、権利を行使するだろうことを恐れなければならないような制度 は存続するに値しないのである。もしも憲法上の権利の行使によって法 執行制度の有効性が阻害されるとすれば、その制度の何かが非常に間違 っているということである。
 したがって、我々は次のように判示する。本件のように取調べがもは や未解決の犯罪に関する一般的調査ではなく、特定の被疑者に集中し始 め、その被疑者が警察に身柄を拘束され、警察が犯罪を容認する供述を 引き出すために取調べの手続を実行しており、被疑者が要求したにも拘 らず彼の弁護人と相談する機会が拒否され、また警察が憲法上絶対的な 黙秘権を被疑者に有効に告知しなかったときは、「修正14条により  各州に適用を義務付けられる」(Gideon v. Wainwright 372 U.S. at 3 42, 83 S.Ct., at 795)修正6条に違反して被疑者は「弁護人の援助」 を拒否されたのであって、取調べ中警察により得られた供述は、如何な るものも刑事裁判で彼に不利に用いることが出来ない。

クルッカー対カリフォルニア州事件の判決(Krooker v. California, 357 U.S. 433, 78 S.C. 1287)は、反対の結論を強制するものではな  い。同事件において当裁判所は、「弁護人との接触の要請を州が拒否し たときは、具体的な情況の如何にかかわりなく、常に憲法上の権利の侵 害になる」との、申立人が求める絶対的法則(the absolute rule )  を、単に退けたに過ぎない(Id., 357 U.S., at 440, 78 S.Ct., at 12 92)。(強調は原文のまま) 同判決においては次の法則が述べられた。 「弁護人付与の要請を州が拒否したことがデュー プロセス違反とな  るのは、実体審理のための公判手続において弁護人を得られなかった  場合に限られるわけではない。弁護人を得られないことによる損失が  大きく、『司法の概念自体にとって本質的な基本的公正(fundamental fairness)』を失わせるほどにその後の公判手続に悪影響を与えるとき は、公判前のどの段階における弁護権の剥奪でもやはりデュー プロセ ス違反となる。 ***   後者の場合の判断は事件の全ての情況を を考慮して決せられなければならない」(357 U.S., at 349-440, 78 S.Ct., at 1292,)(強調は引用者)

裁判所は「これらの原則」を、「申立人に弁護人が付いていなかった 期間についての総合的情況(sum total of the circumstances)」にあ てはめ(Id., 357 U.S., at 440, 78 S.Ct., at 1292)、弁護人依頼の 要請を拒否されたことによって、彼が基本的な損失を被ったとは言えな いと結論したのである。本件とその事件とを分かつ重大な情況のうちに は、次のような事情がある。本件ではなくその事件の申立人は、警察か ら、憲法上の黙秘権と「何も答えなくて」も良いということを、はっき り告知されていたのであり(Id., 357 U.S., at 437, 78 S.Ct., at 12 90)、また、その申立人はロー スクールに1年間在学した際に刑法を 学んだこともある、充分に教養のある男だったのである。同じ日に判決 が下されたシセニア対ラ ゲイ事件(Cicenia v. La Gay, 357 U.S. 50 4, 78 S.Ct. 1297, 2 L. Ed. 2d 1523)における当裁判所の判決理由  は、ただ「申立人が弁護人と協議する憲法上の権利を持っていたとする 主張は、クルッカー対カリフォルニア州事件で解決済み ***  」 とだけ述べた。それゆえ、同事件がクルッカー事件に加えるものはなに もない。何れにせよ、シセニアやクルッカーは、本日宣告された原則と 矛盾する限度で、拘束力を失っていると解されるべきである。

今日われわれが述べたことは、警察が証人からの情報収集やその他  「適正な捜査活動」(Haynes v. Washington, 373 U.S. 503, 519, 83 S.Ct. 1336, 1346. )により、「未解決の犯罪」(Spano v. New York, 360 U.S. 315, 326,79 S.Ct. 1202, 1209,( Stewart, J., concurring) を捜査する諸権限に影響を与えるものではない。手続が事実調査的なも の(investigatory )から訴追的なもの(accusatory)へ移行したとき ――被疑者(the accused )に焦点があてられ、その自白を得ること が手続の目的となったとき――そのときこそ、我が当事者主義のシ ステムが動きはじめるのであり、そしてこのような状況の下では被疑者 は彼の弁護士と相談することを許されなければならない、われわれはそ う判示するにとどまるのである。

イリノイ州最高裁判所の判決は破棄され、本件についてこの意見と矛 盾しない手続をさらに進めなければならない。

よって、原判決を破棄し、本件を差し戻す。

ハーラン裁判官の反対意見は次のとおり。

私はわずか6年前になされたシセニア対ラ ゲイ事件(Cicenia v. La Gay, 357 U.S. 504, 78 S.Ct. 1297. )における当裁判所の判決 を踏まえて、イリノイ州最高裁判所の判決を支持するものである。我が 同僚ホワイト裁判官と同様に、私は本日発表された法則が、極めて不当 な考えであり、全く合法的な刑事法の執行方法に、深刻で道理に合わな い足枷を掛けるものと考える。

スチュワート裁判官の反対意見は次のとおり。

私は本件が、シセニア対ラ ゲイ事件の判決(Cicenia v. La Gay, 357 U.S. 504, 78 S.Ct. 1297, 2 L.Ed. 2d 1523.)の直接的な拘束を 受けるものと考えるが故に、原判決を肯定するものである。
 マサイア対合衆国事件(Massiah v. United States, 377 U.S. 201, 84 S.Ct. 1199.)は本件にとって適切な先例ではない。同事件において は、連邦の大陪審がマサイアを起訴していた。彼は弁護人を雇い、正式 に無罪の答弁を提出していた。連邦の司法制度の下では起訴(indict- ment )と罪状認否(arraignment )の後に引き続いて行われる公判  (trial )において、修正6条が被告人(the defendant )に弁護人の 援助を保障する。しかし、マサイアは保釈され、その後連邦政府の捜査 官は、弁護人不在のところで彼から罪を容認する供述を計画的に引き出 した。われわれはこのような供述を彼の公判で彼の不利に用いること  は、修正6条の保障による基本的保護を拒否するものだと判示した。本 件が連邦事件ではないという事実を一先ずおいても、極めて重大な事実 が残る。それは本件においては、被告人に対する裁判手続( judicial proceedings )が開始された後に被告人を計画的に取調べたという事実 がないということである。裁判所の意見は、「この事実は何の差異も生 じさせない」とあっさり述べて、本件とマサイア事件とのこの基本的違 いを無視している。
 「この事実」こそ全ての差異を生み出すものである、と私は言いた  い。我が刑事司法制度の下では、大陪審による起訴(indictment)と、 その他の起訴(informatoin )あるいは罪状認否というような手続によ る、正式で実質的な裁判手続の開始は、捜査が終了し、当事者主義の手 続が開始する転換点を印す。刑事裁判に関する憲法上の保障が伴うの  は、この時点である。その保障の中には、迅速な裁判を受ける権利、証 人対質の権利、陪審裁判を受ける権利などがある。そしてさらに、弁護 人の援助の保障がある。(Gideon v. Wainwright 372 U.S. 335, 83 S. Ct. 792 ; Hamilton v. Alabama, 368 U.S. 52, 82 S.Ct. 157; White v. Maryland, 373 U.S. 59, 83 S.Ct. 1050.)

本日当裁判所がその許容性を否定した自白は、任意のものであった。 それは、警察が未解決の殺人事件を、全く合法的に捜査する過程で得ら れた。裁判所はこの捜査の間における出来事が公判に「影響を与えた」 という。私が常々考えているところによれば、警察による殺人事件の捜 査の目的は、殺人犯の公判に「影響を与える」ことに他ならないのであ り、しからざるものは、不適当な又は不出来な、あるいは堕落した捜査 であるというに過ぎないのである。裁判所は、さらに、イリノイ州の警 察官は、申立人が殺人の自白をする前に、彼の憲法上の権利について助 言しなかったと言う。本件と同様の状況下において、警察が何であれ  「助言」することを憲法が要求していると当裁判所が判示したことは未 だかつてなかった。

自らのレトリック以外に何らの有力な権威による支持もなしに、本日 裁判所は、未解決の殺人に関する警察のありふれた捜査活動を、裁判所 における公判手続の歪んだ類似物としてしまった。裁判所は、この捜査 手続の中に、歴史的にみて、正式の訴追手続が開始された後にのみ適用 されてきた憲法上の概念を注入してしまった。こうした裁判所の態度  は、これらの尊い憲法上の保障を曲解し、誠実で果断なる警察の捜査を 合法かつ適正に機能させようとする社会の重大な利益を阻害するものだ と私は考える。
 同僚のクラーク裁判官と同様に、私も、本件における裁判所の意見が 生みだす特異な波及効果についてホワイト裁判官が得た結論の論理的正 当性から逃れることが出来ない。そして本日の判決が刑事司法の公正な 運営に及ぼすおそれのある言い尽くせぬ不幸な影響について、彼らとそ の見解を共にするものである。ただ願わくば、われわれが裁判所の見解 をすっかり誤解したものと思いたい。

ホワイト裁判官の反対意見は次のとおりであり、この意見にクラーク 裁判官及びスチュワート裁判官が同調した。

マサイア対合衆国事件(Massiah v. United States, 377 U.S. 201, 84 S.Ct. 1199.)において、当裁判所は、起訴の当日をもって検察官は 被告人(the accused )から自認(admissions)を得る権限を失うと判 示した。裁判所は今やその日付を、検察側が被告人に「焦点を合わせ  (focus )」始めた時期にまでさかのぼらせた。裁判所の意見は本件の 事実関係に限定する趣旨ではあるとは言え、新しい憲法上の権利の成  否が、被告人が弁護人を雇ったか否かに掛かったり、( cf.Gideon v. Wainwright 372 U.S. 335, 83 S.Ct.792, 9 L.Ed. 2d 799; Griffin v. Illinois, 351 U.S. 12, 76 S.Ct. 585, 100 L.Ed. 891; Douglas v. California,372 U.S. 353, 83 S.Ct.814, 9 L.Ed. 2d 899. )取調べ中 に被告人が弁護人との接見を要求したか否かに掛かっていると考えるの は(cf. Carnley v. Cochran, 369 U.S. 506, 82 S.Ct. 884, 8 L.Ed. 2d 70.)純真すぎるであろう。少なくとも裁判所は、ひとたび被告人  (the accused )が犯罪の嫌疑を受けて被疑者(suspect )となり、そ して、多分、逮捕されたときは、被告人が弁護権を放棄しない限り、そ の後に警察に対してなされた自白は証拠として許容されない、と判示し たことになる。かようにして本判決は、裁判所が心の中に抱いていると 思われる目標へ向けてのもう一つの大きな一歩である。その目標とは、 すなわち、任意に行われたか否かを問わず、犯罪の嫌疑を受けた個人か ら得られた自白を、全て証拠とすることを禁止することである。そのこ とは当然、われわれを英国の裁判官たちより、一歩「先んじ」させるこ とになる。彼らは、この問題を公判裁判所の裁量に委ねる良識を備えて いた。私は、今や裁判所が踏み出した一歩と、その更なる前進への招待 を拒否する。

自白の許容性に関する任意−非任意のテストを放棄することにより、 裁判所は、被告人自身の自認を公判で彼の不利に用いることは、野蛮な 法執行であるとの観念に駆られているように思われる。法廷意見は、こ の新しくて漠然とした適正手続の法則を、修正6条により連邦において 保障され、修正14条のデュー プロセス保障条項によって各州に義務 づけられる弁護権と関連付けて、安息の場所を見い出そうとしている  (Gideon v. Wainwright, Supra.)。今や弁護権は、公判準備のために 被告人が弁護人の助言や援助を受けることを認めるだけではなく、被告 人がひとたび犯罪の嫌疑を受けて被疑者となったまさにその瞬間から、 彼の弁護権は、警察の車に公設弁護人が備えられ,秘密捜査官や警察へ の情報提供者が弁護人をそばに用意しておかない限り、全く機能しえず 実用不可能な規則を伴うことになるのである。ある程度の注意と分析を もって弁護人の立会い又は援助が必要とされる状況について定義し、ま た、弁護人が有用でありうる限りはいつでも憲法上弁護人が必要とされ るという不定形でまったく機能不可能な原理にとって代わった当裁判所 の先例を私は捨て去るつもりはない。(Hamilton v. Alabama, 368 U.S. 52, 82 S.Ct. 157, 7 L. Ed. 2d 114; White v. Maryland, 377 U.S.5 9, 83 S.Ct. 1050, 10 L.Ed. 2d 193; Gideon v. Wainwright, Supra.) これらの事件は、明確に定義し得る権利が得られるか失われるかを決す る手続における弁護人の必要性を扱うものであり、証明力ある証拠が得 られるかも知れない局面を扱うものではない。この新しいアプローチの 下では、将来被告人となり得る者は罪を犯した後ではなく、その前に、 憲法上弁護権を与えられていると論じても良いであろう。なんとなれ  ば、将来の被告人によって自らを罪に陥れる重大な証拠が政府の手の届 く範囲にもたらされるのはその時だからである。現在までのところ、起 訴以前に行われた任意の自白を公判で使用されないという連邦憲法上の 権利は存在していない。

修正6条の弁護権条項が、今日では各州に適用されている修正5条の 自己負罪条項( Malloy v. Hogan 378 U.S. 1, 84 S.Ct. 1489 )を修 正し、それに取って代わる意味を持つと考えるのは矛盾している。修正 5条自身がまさしく被告人(the accused )の自白の問題を取り上げ、 強要による供述のみを禁止するという方法での解決を示しているのであ る。憲法の起草者も、憲法の条文も、そして1世紀に及ぶ当裁判所の先 例も、更にはウィグモア教授も、被告人は強制がない場合にも回答を拒 否する絶対的な憲法上の権利 ・・ 任意の自己開示をすることによっ て罪を負わないという憲法上の権利 ・・ を有しているとの見解に  は、微塵たりとも支持を与えていない。

本日の決定は、当裁判所がその運営を付託されている刑事司法制度と は何かを規定していると私が考える憲法の他の条項と調和しえないもの である。修正4条は相当な理由(probable cause)に基づいて、強制的 に被疑者本人及びその所持品の捜索を行い、その結果を公判廷で使用す ることを許しているが、これらは全て弁護人なしに行なうことができる のである。修正5条と州の憲法条項は、糺問主義的な(inquisitorial) 大陪審の手続を認めているどころか、それを要求してさえいるのであ  り、そこにおいては、弁護人の立会いはなく、将来の被告人は強制的な 自己負罪から身を守られているに過ぎないのである。( Mulloney v. United States, 79 F.2d 566, 578,(C.A. 1st. Cir.); United States, v. Benjamin, 120 F.2d 521, 522, (C.A. 2d. Cir.); United States, v. Sully, 225 F.2d 113, 115, (C.A. 2d. Cir.); United States, v. Gilboy, 160 F. Supp. 442 (D.C.M.D.Pa)) 大陪審の証人は、たとえそ れが被疑者であっても、訊問を受け、その答弁は少なくとも今日までの ところ公判で証拠として許容されている。そしてこれらの条項は、犯罪 の嫌疑を受けた者への憲法上の安全装置(constitutional safeguards) だと考えられてきた。そして更に言えば、現在のところ、連邦憲法は被 告人(the accused )が指紋を取られ、あるいはラインナップ手続又は 法廷で識別の対象とされることを許している。

裁判所は以上の事柄を無視して、「自白」に依拠しない刑法の執行制 度という美徳と道徳によることを選ぶのである。このような判断の根拠 を憲法の中に見出すことはできない。立法府ならば、例えば、犯罪の捜 査中は、被疑者(the accused )の供述を求めることはできないとか、 被疑者はたとえ本人が望もうとも、自らを罪に陥れるかも知れない質問 に答えるために大陪審に呼び出されてはならないとか、更には、被疑者 であれ、犯罪者であれ、罪のない傍観者であれ、何人も州による平穏で 非強制的な訊問の試練に晒されてはならない、というような規定を設け ることも許されよう。しかしながら、かかるものは我が憲法が要求する 制度ではない。憲法の禁ずる唯一の「訊問(inquisition )」は、自己 負罪を強いるものである。エスコビードの供述は強要されたものではな かったし、裁判所もそう判示した訳ではない。
 連邦及び州の両裁判所に適用されるこの新しいアメリカ裁判官規則  (New American Judges' Rule )は、自白が強要されうることに対する 必要な安全装置として考えられたもののようである。これはすなわち、 至るところに見られる法執行官に対する根深い不信の念を反映したもの であるが、これを支える適切なデータもないし、われわれの経験に基づ く最新の資料もないのである。法執行官が過ちを犯したり、権限を逸脱 することもあり得ることは明らかである。本日の判決が示すように、裁 判官ですらそうである。しかしながら、私はこのような法律違反を識別 し訂正しようとする検察官の能力と熱意そして上訴裁判所の権限という ものに対して、当裁判所が明白に示すよりも幾分大きな信頼をおいてい る。

裁判所はより狭い論点を考えているのかも知れない。すなわち、無知 な被告人が供述の義務があり、かつ自白は不利益に使用されることは  ないと誤解して警察の質問に答えてしまうという問題である。しかし  ながら、このような懸念は、今裁判所が放ったような広範な一斉射撃  (broadside )を必要とするものでは決してない。被疑者に対して、答 弁の必要がないことと彼の答えは不利益に使用されるかも知れないこと の通告を怠ったことは、その供述が強要されたか否かの問題とまさしく 関連する事項である。控えめに言っても、当裁判所の先例が憲法上の権 利の無視に対して特別の賞賛を与えたことは一度もない。もしも被疑者 が答弁の義務があると告げられ、それ以上のことを知らないならば、そ の結果として得られた自白を本人の不利に使用することができるかはか なり疑わしい。被疑者が権利の告知を全く受けていない場合、裁判所は 個別的かつ適切に、当該事件の四囲の情況を非常に詳細に観察するので ある。(See Ward v. Texas, 316 U.S. 547, 62 S.Ct. 1139, 86 L.Ed. 1663; Huley v. Ohio, 332 U.S. 596, 68 S.Ct. 302, 92 L. Ed. 224; Payne v. Arkansas, 356 U.S. 560, 78 S.Ct. 844, 2 L. Ed. 2d 975) 私はこのやり方を続けたいと思う。しかし本件において、ダニー エス コビードは答弁しなくても良いことを熟知していたし、弁護人が答弁を しないよう助言したことも充分理解していた。

私は、法の執行が本日公表された法則によって破壊されるだろうと言 うつもりはない。そのような事態を招くにしては、平穏と秩序の要請  は、あまりにも根強いものがある。しかしながら、それは障害を被り  (crippled)その任務の遂行は著しく困難になるであろう。憲法のいか なる条項にも根拠を見出しえない、不合理かつ不明確としか私には思え ない理由によって。

(訳者:高野隆)

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