![]() |
|
|
ミランダの会が発表した宣言、記者発表、コメントほか 法務省「被疑者弁護の諸問題」に対する意見 (1999.6.14)はじめに1998年8月より、「被疑者段階の刑事弁護に関する諸問題を幅広く議論すること」を目的とした、最高裁・法務省・日弁連の法曹三者による「刑事被疑者弁護に関する意見交換会」が実施されている。 第4回意見交換会(98年12月15日開催)において、法務省は「被疑者弁護をめぐる諸問題」と題し意見を述べ、弁護活動の問題事例として29例を指摘した。その中には、黙秘権の行使、取調べや供述調書への署名指印の拒否、参考人の捜査機関への出頭拒否や供述拒否などを問題視したものが含まれている。これらの弁護活動は、真相解明のための捜査活動を違法・不当に妨害するというのである。 これに対し、日弁連は、第5回意見交換会(99年1月28日開催)において、弁護人依頼権の憲法上の意義について総括的に論ずると共に、各個別事例に反論を加えている。 ところで、ミランダの会は、1995年2月13日の結成以来、黙秘権の確立と取調べの適正化を目指して、弁護人の取調べ立会ないし供述調書への署名前の弁護人による確認と、それが認められない場合の取調べ拒否あるいは署名拒否を弁護活動の柱として活動してきた。上記29例の中には、明らかにミランダの会会員が手掛けたと認められる事例が3例含まれている。 そこで、ミランダの会は、ここに、法務省の「被疑者弁護をめぐる諸問題」に対する当会としての意見を公表し、合わせて会員の手掛けた個別事例に関する法務省意見に反論することとした。 1,弁護士・依頼人間の通信秘匿特権法務省刑事局が集めた事例の多くにおいて、弁護人とその依頼人との間の会話が暴露されている。弁護人が被疑者に対して如何なる助言をし、これに対して被疑者がどう応じたかが詳細に語られている。これらの情報は捜査機関の取調べの過程で入手されたものである。すなわち、弁護士とその依頼人である被疑者の間でどのようなやり取りがなされたのかを取調室のなかで捜査官が被疑者本人から聞き出し、それを供述調書その他の形で記録にとどめるということが行われているのである。 最近、当会会員は弁護活動を遂行する上でこのような状況に少なからず遭遇している。「○○弁護士とどんな話をしたのか」と警察官や検察官はなんの躊躇もなしに当会会員の依頼人に尋ねるのである。そこから更に、「○○という人がどんな人か知っているか」「あなたのためになるとは思えない」「弁護士を替える気はないか」などという方向へ話が進んでいく場合が多いが、いずれにしても、わが国の捜査官が、弁護人と依頼人との間のコミュニケーションの内容を取調べ、両者の信頼関係に楔を打ち込むことに全く何らの抵抗も感じていないことは明らかな事実である。 これは正しいことだろうか。被疑者や被告人に弁護人の援助を受ける権利を保障する憲法をもち、弁護人を通じて十分な防御をする機会を保障する人権条約を批准したこの国において、警察や検察がこのような「捜査」を行うことは許されることなのだろうか。われわれはそう思わない。 個人が弁護士から有効な助言を得、また、弁護士が個人のために有効な弁護戦略を考えこれを実行していくためには、依頼人たる個人は全ての情報を弁護人に何の抑制もなしに提供できることが保障されていないければならない。そして、そのためには弁護士と依頼人との間のコミュニケーションに如何なる第三者も介在し得ないことが権利 (attorney-client privilege) として確立していなければならないのである。これは民事でも刑事でも同じである。われわれ弁護士はこのことを十分踏まえて仕事をしている。訴訟の相手方に対してその弁護士との通信の内容を聞き出すようなことは決してしない。そのようなことをすれば懲戒の対象になるだろう。刑事手続においては、この通信の秘匿特権は憲法上の権利であり、刑事訴訟法も秘密交通権を保障している。 接見室で弁護士と話したことを、今度は取調室で警察官に説明しなければならないとしたら、「秘密交通権」というものに何程の意味が残るだろうか?そのような事態になれば――先に指摘したように、われわれの依頼人はしばしばそのような事態に追い込まれているのだが――、依頼人は自分の弁護士にあって話をすることに苦痛すら感じるようになるだろう。そして、弁護士は、依頼人やさらには第三者に対しても、防御方針の有効性や個々の助言の正しさを説明し弁明しなければならなくなるだろう。この有効性や正しさを捜査官は取調室の中でもっともらしく否定する。こうして、依頼人は捜査官と弁護士との間の板ばさみにあうことになり、ときとして、弁護人を解任するという事態にまで発展することがある。解任後の取調べでは、捜査官の誘導あるいは取り成しによって、それまでの弁護人の悪口を並べ立て、被疑者が仕方なしにその弁護人の助言にしたがっていたことを書き連ねた供述調書が作成されることがある。 こうして刑事手続における弁護士と依頼人との間の通信の秘匿特権は崩壊し、それは、弁護士の援助を受ける権利そのものの崩壊をもたらすのである。これが日本において現実に行われていることなのである。法務省刑事局の「事例集」なるものはその現実を――彼らがこの個人の自由と特権について全く無頓着であるということも含めて――裏付けているのである。 2、弁護士法1条・刑訴法1条と弁護活動法務省は、刑事訴訟法1条、弁護士法1条を根拠として、刑事手続における弁護人は、刑事司法を担う重要な一翼として、真実の発見に寄与し、被疑者・被告人の正当な利益を擁護すべきであり、そのような立場から、捜査の妨げとならないようにする義務(刑事訴訟法196条)を負っていると述べている。 近時、弁護人の機能を当事者的機能と司法機関的機能に分析する見解がある。弁護人の当事者的機能とは、依頼人たる被疑者・被告人の側に立ってその利益を代弁・擁護する役割のことであり、弁護人の司法機関的機能とは、司法の中に位置を与えられた公的立場から司法の健全な運用に資する役割を指すとされている(田宮裕「弁護の機能」『刑事手続とその運用』〔有斐閣、1990年〕、353頁以下)。 法務省の見解は、この弁護人の司法機関的機能を強調する見解であると言える。しかし、このような見解は、弁護人の法的地位についての理解を根本的に誤っているものという他ない。 弁護人の責務は被疑者・被告人の利益の擁護に尽きるものであり(佐藤博史「弁護人の真実義務」『刑事訴訟法の争点〔改訂版〕』32頁。)、そのために弁護人には各種の権利が保障されている。弁護人は、捜査段階及び公判段階を通して、訴訟の一方当事者として、保障されている各種の権利を行使して争うことを通して、被疑者・被告人の利益を擁護するという職責を果たすことによって(当事者的機能)、それが究極的には司法の健全な運用すなわち刑事手続の適正な運用に資する(司法機関的機能)と考えられているのである。「当事者的機能を通じて司法機関的機能へ」という側面こそが強調されなければならない(田宮・前掲、370頁)。 日本弁護士連合会の弁護士倫理9条は「弁護士は、被疑者及び被告人の正当な利益と権利を擁護するため、常に最善の弁護活動に努める。」と規定してこの趣旨を明確にしている。日弁連「弁護士倫理に関する委員会」の注釈は、同条について次のように述べている。 刑事事件における弁護人の使命は、被告人の人権が国家権力により不当に侵害されることがないように、かつ、その主張が全うされるように擁護することを本質とするものであるから、ときには、この使命の達成のために裁判所の権限行使と衝突せざるを得なくなることがある。その場合、弁護人は、法律の定めに違反しない限り、その職責において可能なあらゆる手段及び方法を講じての是正に努めるべきである。 弁護人があらゆる障害を克服し、可能な限りの努力を尽くして、公平な裁判及び適正な手続の確保と被疑者・被告人の権利を擁護するよう努めることは、刑事事件における最も重要な使命である。この使命を忘れ、単に捜査や公訴の提起・維持にあたる警察や検察官が描いた事件像をうのみにし、それを無批判になぞってことをすませ、その実質的な弁護活動を違法又は不当に制約する訴訟指揮にも黙々と服従するような刑事弁護人の態度は、その職責を放棄したとのそしりを免れない。(弁護士倫理に関する委員会編『注釈弁護士倫理(増補版)』(有斐閣、1996年)、43頁) また、アメリカ法曹協会の「刑事司法のスタンダード――弁護の機能(第3版)」(ABA Standards for Criminal Justice--Defense Function, Third Edition)のスタンダード4-1・2 (b)は「司法運営に対して並びに裁判所の公僕(officer of the court)として刑事弁護人が負う基本的な職責は、被告人の相談相手(counselor)及び代弁者(advocate)として勇気と献身とをもって奉仕することであり、そして効果的かつ質の高い弁護をすることである」と規定している。その注釈は次のように述べる。 被告人の諸権利を擁護するうえにおいて、刑事弁護人は、幾つかの事柄について裁判官の希望するところに抵抗することがあるし、そのような抵抗はいかなる場合も無礼な振る舞いに至ってはならないとは言え、弁護人はときには頑固で非協力的に見えることもある。そうすることによって、弁護人は、司法運営における職責と矛盾している訳ではなく、むしろ、当事者主義の制度における必要かつ重要な機能を果たしているのである。当事者主義の制度は、検察官の存在とその訴追活動(advocacy)そして裁判官の変らぬ不偏不党性を要請するのと同様に、弁護人の存在とその熱心な弁護活動(advocacy)を要請するのである。刑事弁護人は、彼や彼女が単に訴追側に挑戦しているとの理由によって、司法運営の障害物とみなされてはならないのであり、それは正義の実現のための不可欠の要素とみなされなければならない。(ABA Standards for Criminal Justice: Prosecution Function and Defense Function, Third Edition, ABA, 1993, p.122.) このように、刑事弁護人の使命は依頼人である被疑者・被告人の相談相手あるいは代弁者として活動することであり、それに尽きるのである。その活動が捜査・訴追機関の想定する「事案の真相」への接近を妨げることがありえることは当然のことである。しかし、だからといってその活動を「捜査妨害」と言って司法運営に対する障害物であるとみなすのでは、正義は実現され得ないのである。われわれの正義は、国家から刑事訴追を受けるすべての個人に対して有能な弁護人による熱心な弁護活動を保障したうえで、初めて達成されるのである。弁護人の地位を「事案の真相」を発見するための協力者の地位に貶め、それにそぐわない弁護活動を「捜査妨害」として排除したうえで達成されたものを人々は正義として受け入れることはできないのである。そのような一方的な手続によって発見された「事案の真相」なるものを信頼することはできない。 3、黙秘権と取調べ1 被疑者に「取調べ受忍義務」はあるか法務省は「身柄拘束下にある被疑者に取調べ受忍義務があることは明らかであり、他方、現行刑事訴訟法が、弁護人に取調べに立ち会う権利や署名等の前に供述調書の内容を確認する権利を認めていないことは、これを認める規定を置いていないことから明らかである」「したがって、被疑者の取調べ受忍義務を否定したり、弁護人の取調立会権等が存在していることを前提とした弁護活動は許されない」としている。 身体を拘束された個人に対して、捜査官が良いと言うまで取調室に滞在し取調べを受ける義務を(法律上であれ事実上であれ)課することと、黙秘権を保障した日本国憲法38条1項とが矛盾することは明らかである。黙秘権は、身体拘束下においては自分の弁護人が立ち会うのでなければ供述しない権利を当然に含むものである。わが国の刑事手続を「情け深いパターナリズム」(メbenevolent paternalismモ)と評し、「全体として評価した場合、その制度は誇るべきものだ」と言うダニエル・フット教授はわが国の捜査手続について次のような感想を述べている: 日本の憲法や刑事訴訟法の黙秘権に関する規定を読んでいたし、B.J.George先生の1968年の論文で、日本でも黙秘権の保障は定着してきたという分析も読んでいたが、自分で調べて見て驚くべきことがわかった。私から見ると、弁護人の立会もなしに23日間にもわたる取調べを堂々と認める制度--ましてや、取調べ受忍義務--は、黙秘権を尊重しているとはとうてい思えなかった。(ダニエル・フット「日米比較刑事司法の講義を降り返って」ジュリスト1148-165、166(1999年)強調は原文 ところで、最高裁判所大法廷は、1999年3月24日、被疑者と弁護人との接見交通権を捜査官が制限することを認めた規定である刑訴法39条3項の合憲性を肯定したが、その説示の中で「身体の拘束を受けている被疑者に取調べのために出頭し、滞留する義務があると解することが、直ちに被疑者からその意思に反して供述する自由を奪うことを意味するものでないことは明らかである」と述べている(最大判1999・3・24同裁判所平成5年(オ)第1189号)。この認識はわれわれの常識にまったく相反している。黙秘権を行使した被疑者に対して、何時間もまた何日間も捜査官が望む限り取調室に在席することを強要することは、たとえその間に暴行や脅迫などのあからさまな強制がなされなかったとしても、そのこと自体が被疑者に対して黙秘権の行使を断念して供述するようにしむける抗いがたい圧力として作用することは明らかであろう。アメリカ連邦最高裁判所が1966年にミランダ判決の中で述べた次の認識こそ、この取調べの実態を見据えた健全な常識を反映するものである。 このような取調べ環境が、個人を捜査官の意思に屈服させる目的で生み出されたものに他ならないことは明白である。この環境は自ら脅迫のバッジを着けている。確かにこれは肉体的脅迫ではない。しかし等しく人間の尊厳を破壊するものである。現今の外界から遮断された取調べの実務は、我が国において最も大切にされてきた原理の1つ、すなわち、人は自らを罪に陥れる供述を強制されないということ、と敵対する。身体拘束状態に内在する強制の要素を払拭するに十分な保護的措置が採られない限り、被告人から獲得されたいかなる供述も真に自由選択の産物ということはできない。 (Miranda v. Arizona, 384 U.S. 436, 1966, at 457-458)。 2 弁護人は黙秘権の存在を「教示」することしかできないのか法務省は「供述を拒否させる合理的理由がないにもかかわらず、弁護人が、被疑者に対し、単に黙秘権の意義を教示するにとどまらず、積極的に供述拒否をしょうようすることは、被疑者の意思決定に不当な影響を与えるものであり、その結果、捜査が妨害され事案の真相の解明ができなくなることを看過しなければならないとは考えがたい」と言う。しかし、この主張も弁護士の職責に対する根本的な誤解に根ざすものである。 既に述べたように、弁護士の第一のそして最大の任務は依頼人の利益のために最善を尽くすことである。訴訟の目的を設定するのは依頼人であって、弁護士ではない。弁護士は依頼人の設定した訴訟の目的に沿ってそのための最善の戦略を案出し、法律上の権利の行使を助言し、あるいは依頼人に代わって権利を行使するのである。刑事手続について言えば、国家からの訴追に対して、それを全面的に否定して無罪判決の獲得を目的とするのか、あるいは罪を認めて有利な処遇を獲得することを目的とするのかを決定するのは依頼人自身である。したがって、被疑者が事実を認めているのに弁護人が否認を慫慂することは許されない。逆に、被疑者が事実を否認しているのに、弁護人が有罪の答弁を助言することも許されない。 しかし、被疑者が事実を争うという目的を設定した以上は、そのための最善の戦略が何であり、そのために如何なる法的権利を行使すべきかを決定するのは弁護士の職域に属することである。この際に弁護士が被疑者と十分に協議してその理解のもとで弁護戦略を決定すべきことは言うまでもないが、弁護戦略を決定するのは弁護士自身である。依頼人に対して、考えられる戦略を数え上げてその内容を説明するだけでは弁護士の職責を果たしたとはいない。弁護士は、依頼人の理解を得たうえで、自らの責任においてもっとも依頼人の利益に沿うものと判断する戦略を実行しなければならないのである。 日本国憲法38条1項は「何人も自己に不利益な供述を強要されない」と定めている。如何なる個人も自らを罪に陥れる危険のある供述を国家に提供する義務はないのである。この黙秘権を行使することが依頼人の利益であると判断するならば、弁護士は依頼人に対して何ら躊躇することなく、黙秘することを助言するべきである。依頼人に対して「黙秘権があります」と教示しただけでは弁護人としての職責を果たしたとは到底言えない。 わが国の取調室は第三者の立会いもなく、テープ録音等の客観的な記録も作成されず、かつ、「取調べ受忍義務」を前提として捜査官が望む限りいつまでも取調べが続けられるという仕組みになっている。この取調べ環境自体が黙秘権を侵害するものであることは前述したとおりである。このような環境にまさに直面しようとしている個人に対して、単に「黙秘することもできます」という中立的な説明をしたところで、黙秘権を保障したことにならないことはあまりにも明白である。田宮教授が言うように、「わが国では、黙秘権の『存在を教示する』のはよいが、その『行使を勧める』のは好ましくないという意見を聞くことがある。しかし、この区別は、助言を受ける側の被告人の立場を考えれば、ほとんど無意味である」(田宮・前掲、361頁)。 黙秘権を行使するかどうかの選択は弁護士が行うべきである。黙秘こそが自分の依頼人の最善の選択であると考える弁護人は、その行使を依頼人に助言し、かつ、自ら依頼人に代わって捜査官に黙秘権行使の意思表示をするべきである。そして、捜査官はこの弁護士を通じての意思表示を尊重する憲法上の義務を負っていると言わなければならない。わが国の憲法と同じ言葉で黙秘権を保障する憲法をもつアメリカの代表的な刑事弁護マニュアルは次のように述べている。 例えば、あなたの依頼人が逮捕直後に電話をかけてきたら、彼の所在以外の質問をしてはならない。そのときにはそれ以上の詳細な事柄を話し合ってはならない。あなたの依頼人に対しては、如何なるものにも署名しないように、そして、如何なる事柄についても、親戚や友人を含む誰とも話し合わないように指示しなければならない。 もしも弁護人のできることが被疑者・被告人に対して黙秘権の存在を教えるだけなのであれば、捜査官でもできることであり、弁護人の存在などそもそも不要となってしまうはずである。 弁護人の助言にしたがって被疑者が黙秘をした以上、そしてその権利が憲法の保障する権利である以上、捜査官もマス・メディアも市民もその権利行使を祝福するべきである。なぜなら、いかに正当な目的に基づくものであれ、国家権力の行使は憲法によって制約を受けるのであって、犯罪の真相を解明する捜査機関もその例外ではなく、彼らは憲法に拘束されるのであって、決して憲法の上に君臨するものであってはならないからである。 3 捜査官は黙秘権行使の理由を被疑者に尋問したり、権利放棄を被疑者に説得することができるか1、において述べたように、弁護人と依頼人とのコミュニケーションの内容を捜査官が聞き出すことは許されない。 実際に行われる取調べ室内でのやり取りを想定してみよう。捜査官の尋問に対して被疑者が黙秘した時、捜査官が「なぜ黙秘するのか」と聞くから、「弁護士に言われた」と言うことになり、これに対して「弁護士から何と言われたんだ」と追及されるから、弁護士との会話が供述されるということになるのである。 そこで、捜査官は「なぜ黙秘するのか」とか「どうして署名押印しないんだ」と聞くことが許されるのかが問題となる。もしも、このようなことが許されるとすれば、黙秘権や署名押印拒否権は、捜査官に対して権利行使の理由を説明し、捜査官を納得させることができる被疑者にしか保障されないことになるだろう。そのような能力のない被疑者――殆どすべての被疑者にはそのような能力はない――は、権利行使を最初から断念するか、あるいは捜査官に説得されて権利を放棄するに至るであろう。 これらの捜査官の問いに対し、被疑者が「それは私の権利だ」とか、「特に理由はない」とか、「弁護士の指示だ」とか答えた時、捜査官が「ああ、そうか」と、ひき下がることは絶対にない。その答えをきっかけとして、「弁護士のアドバイスがいかに誤っているか」、「黙秘することがいかに不利か」を滔々と述べ、被疑者に「黙秘」や「署名押印の拒否」をやめるように説得しにかかるのが通常である。被疑者に「理由」を尋ねるのは、この「権利放棄の説得」のための導入に過ぎないのである。 それでは、被疑者に対する権利放棄の説得は許されるだろうか。 捜査官は、被疑者が弁護人の誤った情報、判断に迷わされている時、反対の情報、判断を与え、被疑者にもう一度考えてもらうのだと言うかもしれない。しかし、そのような考えは根本的に誤っている。 第一に、被疑者に対し、弁護人の働きかけと捜査官の働きかけは、対等ではない。被疑者は身体を拘束されている。身体の拘束を続けるか解くかの決定権は実質的には捜査官が握っている。弁護人は、ガラス越しに、時間的制約を受けてしかアドバイスできない。捜査官は一日中ひざづめで被疑者に語りかけることができる。弁護人は捜査官の収集している証拠を知り得ないが、捜査官は、他の証拠を見て多くの情報を握っている。もし、弁護人と捜査官に説得合戦をさせるのであれば初めから勝負はわかっているのである。 第二に、依頼人が代理人(弁護人)を選任した時、相手方(捜査官)は、直接依頼人と交渉できないのがルールである。サラ金の取立てに追われている債務者が弁護士に債務処理を依頼した時、弁護士が受任通知をサラ金に出せば、サラ金が直接債務者と交渉することは違法であって許されない。状況は同じである。 被疑者は嫌疑をかけられ、取調べの対象にされている立場にいる。被疑者は法律知識に乏しい。その上、身体を拘束され、接見も禁止されることが多い。被疑者にとって捜査官の説得は圧力であり、強要であり、脅しである。債務者が自らの権利を守りながらサラ金と交渉できないのと同じように、被疑者も権利を守って捜査官に立ち向かうことができないのである。だから、弁護士が援助するのである。 捜査官が交渉したければ、弁護人と交渉すれば良い。弁護人を説得することはかまわない。弁護人の見通しが誤っていると思えば、証拠を開示するなどして、理をもって、弁護人を説得すればよい。弁護人を説得して、被疑者に弁護人から「供述した方がいい」とか「署名押印した方がいい」とアドバイスさせればよい。被疑者がどうするかは、被疑者と弁護人が決めることである。捜査官が直接被疑者に働きかけることは許されないのである。 4 黙秘権・署名拒否権の行使と「反省悔悟の情」法務省は、黙秘権行使をしょうようする弁護活動は、真実を正直に告白したいという被疑者の自然な気持を押え、被疑者の被害回復に向けての努力や改善更生を妨げるとする。この主張は、取調べは真摯な反省に基づく被疑者の自発的な発言をそのまま受け入れるものに過ぎず、黙秘権の行使を助言することはこの自然な手続の進行を妨げる夾雑物であるという認識を前提としているようである。 しかし、そもそも、警察官や検察官は聖職者ではない。彼らは犯罪者から罪の告白を受け入れ彼らに赦しを与え人としての立ち直りを促す機関ではない。彼らは犯罪者を訴追する立場に位置するのである。警察官や検察官が告解を受ける資格を要求するのであれば、彼らはそれを利用して告解者を訴追する権利を放棄しなければならないだろう。 捜査機関に罪を告白することが犯人の罪の意識や反省に根ざしたものであると単純に言いきることはできない。警察官や検察官から有利な取扱いを受けることのみを考えて、彼らに迎合しているに過ぎない被疑者もいるし、逆に、黙秘権を行使したり時には罪を否認しながらも、自分の犯した罪を真摯に反省しあるいは犯した罪の重さに恐れおののいている被疑者もいる。反省と自白は常に相伴うものとは言えないのである。 犯罪者が真に罪の意識に目覚め、被害者への慰謝の念から自発的に捜査機関に罪を告白しようとするとき、誰もその行動を止めることはできない。弁護人にできることは黙秘権を行使することが被疑者の利益に適ったことであり、権利を行使することがその段階における最善の策であることを「助言」することであって、黙秘権の行使を「強制」することは何人にもできないことである。したがって、弁護人による黙秘権行使の「しょうよう」が被疑者の自然な気持ちを押えつけているなどという法務省の認識は全く的はずれである。弁護人の「しょうよう」によって被疑者が自白を停止したとするならば、それまでの自白は決して被疑者の「自然な気持ち」に根ざしたものではなく、取調べの圧力に屈したものに過ぎなかったことを示しているのである。 われわれは、現在この国で行われている取調べという環境は、犯人に罪の意識を覚醒させ、真摯な反省を促す場としては極めて不適当なものであると考える。代用監獄で身体拘束を受けて家族友人から切離され、一人の味方もなく連日過酷な取調べにさらされている多くの被疑者にとって、取調べの場は自発的な反省が生じる場所ではありえない。むしろ取調べの拒否権、弁護人の立会い権等の被疑者に認められた憲法上の自由が十分に保障された環境こそ、真摯な罪の告白の場として望ましいというべきである。「ミランダの会」の弁護活動は、弁護人の立会いによる適正な取調べの結果に基づく調書であれば署名させることが前提となっているし、事案によっては、作成された調書の内容を確認することができればこれも署名することを内容としているのであるから、この方式こそ犯人である被疑者の真摯な反省を担保する役割を果すものである。 法務省は、被疑者が自白している場合、供述調書に対する署名拒否等をしょうようする必要はないとし、その理由として、被疑者が真に反省悔悟し、自己の犯した犯罪について真実の供述をすることは、被疑者にとって決して不利益なことではなく、むしろその改善更生に資するものであり、また、反省の情を示すことによって被疑者の犯情を軽減する方向に働く事情ともなりうるからであるとするようである。 しかし、被疑者の供述調書は、起訴・不起訴の判断資料となり、また、後の公判において重要な証拠として扱われる可能性があるという意味で重要なものである。それを前提とすれば、調書の内容の確認を求め、供述の任意性、内容の正確性のほか、内容の妥当性、表現の適切性などを被疑者及びその弁護人が検討をするのは、ごく当然のことである(村井敏邦「密室の中での取調と被疑者弁護の意義」法学セミナー1995年8月号6頁、8頁)。そして、自己の供述であるとされるものの内容を確認することと、犯人である被疑者が当該事件を反省悔悟することとは、全く関係のない事柄である。できあがった調書の内容がどのようなものであろうとかまわず判を押すということが、反省の情を示すことであるはずがない。 われわれは、調書の内容の確認を求める手段として刑事訴訟法に認められた署名拒否権(同法198条5項)の行使を助言しているにすぎないのであって、犯人である被疑者の反省とは無関係である。このように無関係である以上、犯人である被疑者に対し権利の行使を助言することは、いささかも彼の反省の情を阻害することにはならない。 4、参考人に対する出頭拒否等の助言は許されるか法務省は「参考人に対し捜査機関への出頭叉は供述を拒否するようしょうようする行為」を「問題事例」として指摘している。法務省が提出した「事例集」中の9〜12の事例は、いずれもミランダの会会員のものではない。しかしながら、これまで会員の中には参考人に対して捜査機関への出頭、供述調書への署名指印拒否等を説得する弁護活動を行なってきた者もあり、当会もこのような弁護活動は捜査妨害ではなく法務省の見解は正しくないと考えているので、事例を離れて一般論として当会の意見を述べることとする。 法務省は、各事例は弁護人の「しょうよう」であるとし、 ここでの「しょうよう」とはどのような行為を意味するのか判然としないが、「教示」と対比して使われているので、「教示」を越えて積極的に出頭拒否・供述拒否を勧誘ないし説得する行為を意味するものと考えられる。 まず、一般論として、弁護人のいかなる行為が「捜査妨害」になるのかを考えてみよう。先に指摘したように、弁護人の職責は被疑者・被告人の利益のために捜査機関と対抗する点にある。したがって、熱心な弁護活動によって捜査の円滑な遂行が妨げられるように見えることは大いにありえることである。しかしながら、捜査側にとって不都合な活動をすべて「捜査妨害」であるとして封じ込めることが許されるならば、被疑者・被告人の弁護権が空疎なものになってしまうことは明らかである。したがって、弁護人のどのような行為が「捜査妨害」となるかについては、弁護権との関係で慎重に判断しなければならない。 確かに、いかに被疑者・被告人の利益の擁護のためとはいえ、法律の許容限度を超えて違法行為をしてもよいということではない。したがって、弁護人といえども、証拠隠滅、犯人隠避、偽証教唆などの犯罪行為を行って裁判を積極的に誤らせることが許されるものではないことは明らかである。日本弁護士連合会の弁護士倫理54条は「弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽の証拠を提出してはならない。」と規定してこの点を明確にしている。 犯罪行為などの違法行為以外には弁護活動を「捜査妨害」として排斥することはありえないとわれわれは考える。法が許容している権利を行使することをその権利者に勧めることを「捜査妨害」と評価すべきではない。権利が認められている以上その権利が実際に行使される事態を捜査官が予想しこれを甘受すべきことはあまりにも当然のことである。これを「捜査妨害」と名付けるならば、権利は紙の上に書かれたものに過ぎなくなってしまう。 ところで、参考人には被疑者と同様に、法律上捜査機関に対する出頭拒否権、供述拒否権及び署名拒否権が認められている(223条2項)。したがって、出頭拒否等の勧誘ないし説得は、法律上の権利の行使を勧誘、説得することにほかならない。権利の行使をさせようとする行為が違法と評価されるはずはなく、暴行・脅迫など違法な手段、方法による場合でない限り、勾留の要件である罪証隠滅をすると疑うに足りる相当な理由にも該当しない(山中紀行「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」判タ296号139頁)。 そして、捜査妨害か否かは、前述のとおりその行為が被疑者の「正当な利益」になるか否かとは関係なく、それが違法か否かによって判断されるべきであるから、弁護人がどのような方法で参考人に勧誘、説得したとしても、それが違法な手段、方法によるものでなければ捜査妨害となる余地はない。 法は、参考人に対して出頭拒否権等を認めたことによってこのような弁護活動を当然予測し、許容したものと考えられ、捜査機関は、もし必要であれば検察官による証人尋問(226条)を裁判官に請求すればよいのである。しかも、以下に述べるように、弁護人が参考人に対して出頭拒否、供述拒否あるいは署名拒否等をさせることは被疑者、被告人の重要な防御権の行使なのである。 捜査官による参考人の取調べや調書の作成は、第三者の立会もなく、客観的な記録もなされない密室で行なわれ、多かれ少なかれ強制的雰囲気があること、さらに調書からはどのような質問によってどのような供述がなされたかわからないなど多くの問題がある点で、被疑者の取調べの場と本質的に異なるところはない。そのため、参考人の意に反する、あるいは不正確な調書が作成されるおそれが常に存することになる。 ところが、捜査官が作成した参考人の調書は、法律上一定の場合に証拠能力を付与されている(321条1項2号、3号、328条)。少年事件の場合は、証拠能力の制限がないし、参考人の供述内容が捜査報告書として提出されることすらある。そして、参考人の取調べは密室の中で行なわれるため、いったん調書が作成されてしまうとその調書について、「参考人が取調べで意に反して供述をさせられた。」「調書の内容は不正確である。」と公判で弁護人が争うことはきわめて困難であり、そのため事実に反した調書によって誤った事実認定がなされるおそれがある。この点も、被疑者、被告人の場合とまったく同じである。 取調べの録音、録画がなされていない現状では、弁護人がこのようなおそれを完全に防止するためには、参考人に公判でのみ証言させ、密室でのその供述を訴追側に使わせないようにする必要がある。そのためには参考人に出頭拒否、供述拒否ないし署名拒否をさせること以外に方法はない。 以上のとおり、出頭拒否等を勧誘、説得することは、被疑者、被告人の利益・権利を擁護する上できわめて重要な弁護活動なのである。 弁護士倫理の問題と捜査妨害の問題とは別個に考察されなければならない。法務省は、被疑者の弁護人が参考人に代わって捜査機関に対して申し入れることを「場合によっては……利益相反の問題になることもある」としているが、参考人がそうすることに明確に同意しているのであれば、問題はない。もちろん、参考人が共犯の嫌疑をかけられており、被疑者と利益相反するおそれがある場合は、少なくとも参考人の弁護人として行動すべきでないことは当然である。 もっとも参考人から、もし捜査機関に対して協力しなければ、自分にいろいろ不都合が生じるように思うがどうかなどと相談をもちかけられたらどうするのか、利益相反にならないのか、という問題がある。この場合あくまで被疑者の弁護人として参考人に対して協力を依頼している趣旨を明確にする必要があるだろう。例えば、「私は被疑者の弁護人であり、あなたの弁護人ではないから、あなたの利益を守ることは基本的には考えていないし、考えることもできない。そして、出頭の拒否等をすることで、あなたには不都合が生じるかもしれないが、被疑者のためにそれでもやはり協力をお願いしたい。」と言って説得する以外にはない。 参考人と被疑者の利益が相反するおそれについては慎重に判断しなければならない。いかなる説明をしても実質的に見て利益相反のおそれが払拭できない場合は、そのような説得自体を断念すべきである。しかし、これは弁護士倫理の要請によるのであって、いかなる意味においても捜査妨害との批判を受けるいわれはない。 5、個別事例へのコメント法務省が「問題事例集」として挙げるもののうち、【事例3】【事例5】及び【事例8】は当会会員の弁護事例である。以下、これらの事例について簡単にコメントすることにする。 1「事例3」法務省はこの事例を引用して次のように批判している。 被疑者は法律の専門家ではなく、まして外国人被疑者は、我が国の刑事手続に関する知識がほとんどないのであるから、法律の専門家である弁護人から、弁護人の取調べへの立会い又は供述調書の内容の弁護人による確認が認められない限り取調べ及び供述調書の署名を拒否せよとの助言を受ければ、我が国の刑事手続においては、取調べへの弁護人立会権等を要求することができ、これが受け入れられなければ、取調べ等を拒否できるとの誤解を生じさせるもので、このような弁護活動は、刑事訴訟法196条に違反した違法、不当なものである。 しかし、先に引用したダニエル・フット教授の率直な感想にも窺えるように、黙秘権や弁護権を保障する日本国憲法の下において、身体拘束下の被疑者に弁護人の立会なしの取調べ受忍義務があると考える方が異常である。まして、法律は明文をもって供述調書への署名拒否権を規定しているのであるから、調書への署名をする前提として弁護人の取調べ立会を要求しあるいは調書の内容の弁護人による確認を要求するというのは、当然の権利行使であって、この権利行使が捜査妨害として批判されるいわれはまったくない。 このように法務省の非難は最初から的外れというべきであるが、以下、事案の概要を紹介して、本件における署名拒否権等の権利行使の実践的意義を明らかにしたい。 その後同国人の友人Mから携帯電話に電話が入り、被疑者はMの求めに応じて彼を乗車させ、彼の指示する場所に立ち寄ったが、途中で被疑者だけトイレに行くためにしばらく車両を離れたことがあった。そして、その後、被疑者は後方から接近してきたパトロールカーに停止を命じられ、車内を見たいとの警察官の求めに応じて車両から降りると、運転席シートと床面とのすき間から赤いビニール袋に包まれた大麻草が発見されたのである。 被疑者は、そのビニール袋自体を知らないと弁解したが、警察署まで任意同行を求められ、同日未明、現行犯逮捕された。なお、検挙後、被疑者宅の捜索が行われたが大麻草を含めて何も発見されなかった。また、被疑者の逮捕を知ったMはその後アパートを引き払い逃走してしまった。そして、起訴後の証拠調べの中で、このMが携帯電話を使って覚せい剤、大麻等の密売を行っていたことが明らかとなった。しかし、被疑者はその当時そのことをまったく知らなかった。 警察署において被疑者と接見した当会会員は、被疑者から検挙に至る経緯を聴取した。被疑者は日本語での日常会話ができるものの、細やかな日本語のニュアンスを理解することは到底おぼつかない。そこで、当会会員は、弁護人が取調べに立会うか調書の事前確認が実現しない限り調書への署名・押印を拒否するよう助言、指導し、被疑者はそれに従うとの意思を表明した。そして、翌日、その旨の申入書を被疑者と連名で作成し捜査機関に提出した。しかし、取調べへの立会も調書の事前確認も結局、実現しなかった。そして、被疑者は、「検事さんが優しかったので」ということから、検察官調書1通(否認調書)に署名・押印している。 当会会員は被疑者の話を聞き、当然のことながら検挙直前に乗車したMが怪しいと思った。そこで、取調べでは、Mを乗車させた経緯やその状況については詳しく供述していいし、Mの自宅や生活状況などについても詳しく供述して構わないと助言、指導し続けた。M宅への引き当たりにも行くように勧めた。しかし、いったん調書に署名・押印してしまうとそれが独り歩きしてしまうので、弁護人が確認しないかぎりは署名・押印を控えるようにと何度も告げた。 しかし、「優しい検事さん」の説得に応じて署名・指印した検察官調書の中には次のような記載がなされていた。「Mは悪い人とは思えないから、同人が車内に大麻を置いた可能性は少ないと思います。むしろ、この大麻は車を受け取ったときから車内に置かれていた可能性が高いと思います。」 起訴後開示された証拠の中に、このMから何回も覚せい剤や大麻を買っていた日本人の供述調書があった。しかも、驚いたことに、数回の取引現場において被疑者を目撃したとの供述があったのである。勿論、被疑者は起訴後の公判廷においてそのことも明確に否定した。そして、漸くその段階になって被疑者はMを疑うようになったのである。そして、公判廷において、「Mが密売人であることが分かりました。大麻を車に置いたのはMではないかと思います。」と供述するに至った。 しかし、裁判官はこの供述を前にして、被疑者の弁解は不自然で信用できないと言い切るのである。ここに、否認調書でも弁護人が確認しないかぎりは署名・押印を拒否するよう助言、指導すべき理由がある。被疑者については一点の供述の変遷も容赦しない裁判官の論理がある限り、たとえ被疑者が納得している供述調書でも、弁護人が確認しなければ弁護権を全うしたことにはならない。本件はそのことを明確に示している。本件で問題とされるべきは、被疑者の弁護を受ける権利が貫徹されなかったということである。 2「事例5」事案は暴行事件である。被疑者(46歳の書店店員の男性)は13年連れ添った妻との間に5人の子供があるが、妻が不貞を働いたことから口論となり、妻の顔面を平手や手拳で殴打したという事案である。この事件が起こったのは1994年10月6日である。被疑者はその後不貞相手の男性に対して損害賠償を求める訴えを提起し、これに対して妻の方は彼との離婚を求める家事調停を申し立てた。暴行事件から半年経過し、これらの訴訟や家事調停が係属しているさなかの1995年3月、妻側が本件暴行事件について刑事告訴をし、警察がこれを取り上げて捜査が開始された。被疑者は警察の任意出頭の要請に応じて一度取調べがなされ調書が1通作成された。しかし彼は、警察の対応に不信感を抱き、当会会員を依頼することになった。 当会会員は、同年5月末に弁護人に就任し、警察や検察に対して取調べへの弁護人の立会いを求めた。しかし、いずれも拒否されたので、取調べがないままさらに半年が経過した。そして、先の暴行事件から1年半が経過した1996年1月30日早朝、被疑者は浦和地検の検察事務官によって突然逮捕され、直ちに勾留された。 被疑者は身体拘束のまま暴行罪により公判請求された。弁護側は、被告人の身体拘束と公判請求は「ミランダの会」会員弁護士の弁護活動に対する報復的な措置であるとしてその適法性を争ったが、裁判所はこの主張を認めず、被告人は罰金20万円の有罪判決を受けた(本件の経過については萩原猛「夫婦喧嘩に弁護士135名」季刊刑事弁護7-118を参照されたい。この事件の一審判決は浦和地判平9・8・19判時1624-152、控訴審判決は東京高判平10・4・8判時1640-160。事件は現在最高裁に係属している)。法務省はこの事例を引用して、「被疑者の正当な利益を犠牲にしてまでも弁護人の独自の考えを実現する目的に出たもの」「ではなかったかとの強い疑いがある」としている。 まず第1に、法務省刑事局の「事例集」が引用している1審判決の説示は、被告人が弁護人の助言にしたがって「弁護人の取調べ立会」に固執したために「事案の真相を吟味していくという作業がほとんどできなかったこと」が一因となって公判請求されたと言っている。しかし、この事件を担当した当会会員は、起訴前の段階で依頼人や第三者の供述調書やさまざまな証拠書類を提出し、本件の事案の真相--それらは主として被告人と妻との家族生活や妻の行状に関するものである--を明らかにすべく努力した。したがって、検察官が公判請求する前の段階で事件の背景事情について捜査を遂げ、本件が公判請求する価値のない事案であることを知ることは、その気になれば、容易にできたはずである。 第2に、事例集は一審判決の「関係証拠からみて被告人が暴行の事実自体を認めている本件においてなぜ弁護人が取調べへの立会をもとめこれに固執なくてはならなかったのか理解し難い」という説示部分を引用している。しかし、これは判決自体に自己矛盾がある。本件では、暴行の動機、態様、程度が激しく争われたのである。被害者である妻は、自分が他の男性と不貞関係にあったこと自体を争い、さらに被告人から20〜30回木の棒や手拳で激しく殴打され血だらけになったなどと言い、被告人側は妻の不貞を示す数々の証拠--ホテルの宿泊カード、電話局の通話明細書、「ホテルにはその男性ではなく、自分が泊まった」旨の他人の陳述書を妻らが偽造したことなど--を提出した。また、被告人は数回往復ビンタをし、1、2回だけ手拳による殴打もあったかもしれない、道具を用いての暴行は一切ないと供述した。判決は、不貞の事実について「不明朗ないし疑わしい点があったことは否定でき[ない]」という曖昧な認定をしたうえ、暴行の態様については全面的に妻の証言を採用し、被告人の供述は信用できないとした。そして、判決は、被告人の法廷供述が信用できない理由として、捜査段階において--弁護人の立会なくして--作成された供述調書の記載と法廷供述との相違(主として殴打の回数に関する)を根拠としたのである。もしも被告人が弁護人の取調べ立会要求に完全に「固執」しつづけ、調書への署名を拒否していれば、このような事実認定は不可能だったのである。この意味で、本件において、取調べに弁護人の立会いを要求したことは適切な弁護活動であり、かつ、その貫徹こそが被告人の利益にかなったものであったことは明らかである。 3「事例8」事案は詐欺事件であり、被疑者は、本件の数日前に場外馬券売場で知り合った男性から、自分の代わりにクレジットカードで買い物をしてくれないかと頼まれ、その男性とともに、ディスカウントショップに赴き、テレビゲーム、ビデオ、コンパクトディスクなどを購入しようとしたところ、事故カードであることが判明し、警察に通報され検挙されたというもの。なお、被疑者の近くにいた件の男性はそのまま逃走してしまった。検挙直前に別の売場でも買い物をしていたことから、詐欺未遂と詐欺が別件扱いとなり再逮捕、再勾留がなされた。また、男性が逃走していることもあり、被疑者に対しては接見禁止がなされた。 被疑者は、いずれの事件についても、本件クレジットカードは男性のものと思っていたとして、詐欺の犯意を否認していた。本件を担当した当会会員は当番弁護士として被疑者と接見した。被疑者は上記の状況を語るとともに、捜査官から犯意があっただろうと執拗に追及を受けていると訴えた。このようなことから、虚偽自白を取られる危険性を強く感じ、当会会員は弁護人に就任するとともに、弁護人が取調べに立ち会うか、事前に調書の内容を確認しないかぎりは調書への署名・押印を控えるようにと助言、指導し、被疑者もそれに納得したことから、被疑者と連名で申入書を作成し、捜査機関に提出した。 その後、被疑者に対する取調べは異様なものとなった。担当検事は、被疑者に対して、「弁護士が確認しないかぎり調書への署名・押印を拒否できるなどということは憲法にも刑事訴訟法にも一切書いていないのだ!」と怒鳴りつけ、さらに「お前を絶対に起訴してやるからな。保釈も絶対に認めてやらないし、起訴後も接見禁止を付けてやるから覚悟しておけ!」と喚き散らす有り様であった。 そして、検事は、自ら代用監獄に足を運び被疑者の取調べを実施した。検事は、その場で、被疑者がまったく供述していないにも関わらず、被疑者の「自白」を書き始め、そして佐賀にいる両親に会いたいとの「心情」を記載し、それを踏まえて両親について接見の禁止を解除して欲しいとの被疑者の「願い」をしたためたのである。検事は、その調書を被疑者に突きつけ、「オレが両親に会わせてやるから、これに署名・押印しろ!」と迫ったのである。被疑者は、涙を堪えつつ、弁護人と相談してからにするとして署名・押印を拒否した。 この検事の取調べに対して、当会会員は、直ちに地検検事正および支部長宛に抗議の内容証明を送付した。被疑者は、詐欺未遂、詐欺のいずれについても処分保留となり、釈放された。当会会員は、被疑者に対しては、弁護人が取調べに立ち会うか、調書を事前に確認しない限り調書への署名・押印を控えるように助言、指導した。被疑者はそれに納得し、その姿勢を貫いた。同時に、被疑者に対しては、本件に至る経緯について、殊に被疑者にクレジットカードを使わせようとした人物については詳しく供述して構わないとも助言、指導し、やはり被疑者はその姿勢を貫いた。 被疑者について作成された調書はいずれも否認を内容とするもののようである。しかし、いくら「否認調書」とはいっても、被疑者・被告人について、捜査公判を通じて一点の変遷も容赦しない、針の先ほどの変遷をも捉えてその供述の信用性を否定しようとする裁判官が圧倒的多数であるこの国の状況からして、弁護人が内容を確認しないで署名・押印させる、換言すれば調書に証拠能力を与えることは弁護人としての職責をまっとうしたことにはならない。ましてや、本件のように捜査官が執拗に被疑者に虚偽自白を迫り、虚偽の自白調書を作成して接見等禁止の解除と引換に署名・押印を持ち掛けるような事態を前にするならば、いかなる調書にも署名・押印させないことが被疑者の利益を守る唯一の方法である。 本件では、被疑者が当会会員の弁護方針を守り抜いたことで、冤罪事件に発展することを未然に防ぐことができたのである。この弁護活動を違法・不当な捜査妨害などとすることは言いがかり以外の何ものでもない(本件については、村木一郎「検察官が接見禁止解除請求?」季刊刑事弁護16-124を参照されたい。)。 おわりに法務省は、「検察官には、捜査を遂げて真実を解明し、無実の者を速やかに刑事手続から解放するとともに、罪を犯したと認められるときには、あらゆる情状を吟味し、真に処罰すべき場合に公訴を提起して、有罪判決を得てそれを執行することによって、国家刑罰権を実現するという重大な責務が課されている」とし、他方、「弁護人は、被疑者・被告人の無実を立証し、あるいは刑の軽減を図るため、彼らに有利な証拠を収集するなどして事案の真相解明に寄与することが期待されているのであるが、それを越えて、被疑者を不当に刑罰から免れさせ、又は、これを不当に軽減させることは認められない」と言う。そして「供述を拒否させる特段の合理的理由がないにもかかわらず、弁護人が被疑者に対し、単に黙秘権の意義を教示するにとどまらず、積極的に供述拒否をしょうようすることは、被疑者の意思決定に不当な影響を与えるものであり」「このような弁護活動は、正当な弁護権の行使の範囲を逸脱し、違法・不当に捜査を妨害するものであるといわざるを得ない」と断じるのである。 以上の法務省の立論が、憲法上の弁護人の援助を受ける権利と弁護人の役割に対する根本的無理解に基づいていることは、既に詳論したところであるが、さらに言うならば、法務省の発想は、「真実の解明」を刑事司法における絶対的価値と措定すると共に、この価値を掌握している検察官に、被疑者や弁護人は全て恭順せよと託宣を下しているようなものである。しかしながら、「真実の解明」という「絶対的価値」を掌握しているとの自負には、しばしば大きな陥穽が待ち受けていることは、刑事司法の歴史が証明している。当事者主義のシステムこそ、この陥穽を塞ぐ人類の英知である。対立する当事者である検察官と弁護人が、それぞれ当事者的な熱心さをもって捜査・訴追活動、弁護活動を行う。そのことによって、初めて「真実」が浮かび上がるのである。一方的立場からの事実認定を前提として、自らに都合の悪い他方の活動を「妨害」と非難することに汲々とするなら、陥穽は広がるばかりであろう。また、「真実の解明」は刑事司法において絶対的な価値ではない。適正手続保障の前に「真実の解明」が道を譲ることも少なくないのである(最第一小判1978・9・7刑集32巻6号1672 頁)。 いったい、法務省が言う「供述を拒否させる特段の合理的理由」とはなんであろうか?被疑者が無実の場合をいうのだろうか?だとしたら、弁護士は、自己の依頼人が無実であると確信しない限り黙秘権行使を助言できないのであろうか?それは、弁護士が、判決以前に、自ら依頼人を裁くことを意味する。そうなれば、弁護権は死滅し、当事者主義制度は崩壊するであろう。 個人的意見として被告人は有罪であると考えた場合にも、弁護士は権利として当該被告人の弁護を引き受けることができる。そうでなければ、単なる疑わしい情況の犠牲となったにとどまる無実の人々は、適切な弁護を受けられぬことになるかもしれないからである。いったん弁護を引き受けた以上、弁護士は、公正にして品位あるすべての手段によって、国法の認めるあらゆる防御方法を提出すべきである。法の適正な手続によらなければ、何びとといえども生命または自由を奪われることがないという憲法の規定は、これによってはじめて確保されるのである(ロイド・P・ストライカー、古賀正義訳『弁護の技術』青甲社281頁)。 権利は、すべからく行使されるべきものである。「特段の合理的理由」がない限り、行使できない「権利」なるものが、最早「権利」の名に値しないことは、小学生にも分かる道理である。法務省が、この道理を無視した主張を堂々とできるのは、この国においては、権利はあるけれども大部分の人はそれを行使しないものであるということを暗黙の前提とし、その結果、権利行使の意欲を減退させる環境を容認・温存して、刑事司法手続が運用されているからである。しかし、今や、弁護権拡充のうねりは、そのような抑圧の歴史を過去へと押し流そうとしているのである。法務省はそれに気付くべきである。 われわれは、憲法上の権利に関する無知に基づいて市民が権利放棄することに依存してその有効性を保つような刑事司法は永らうことはできないし、また永らうべきでもないという教訓を歴史から学んだ。被告人が弁護士と相談することを許されればこれらの権利に気がつき、権利を行使するだろうことを恐れなければならないような制度は存続するに値しないのである。もしも憲法上の権利の行使によって法執行の有効性が阻害されるとするならば、その制度の何かが非常に間違っているのである。(アメリカ連邦最高裁エスコビード判決(1964年)法廷意見 Escobedo v. Illinois, 378 U.S. 478, 490 (1964)) 以上 |HOME|ミランダの会とは|活動記録|記事・論文|エッセイ|書式集|資料集|刑事弁護Q&A|フォーラム| Copyright (c) 1999-2003 mirandanokai
All Rights Reserved. |