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活動記録

MIRANDA ASSOCIATION

ミランダの会が発表した宣言、記者発表、コメントほか

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東京地検甲斐中次席検事の発言に対するコメント (1995.6.29)

 

1995年5月25日及び26日付けの産経新聞の報道によると、(1)地下鉄サリン事件で殺人・殺人未遂事件で逮捕された一部の被疑者が「取調べには応じられない」「房からは出ない」「調書に書名も捺印もしない」「取調べには弁護人を同席させること」という内容の書面を弁護人と連名で署名して捜査当局に提出している、(2)これに対し、東京地方検察庁の甲斐中辰夫次席検事は、定例記者会見において、「接見した当番弁護士の『指導』だとしたら弁護指導としては行き過ぎだ」と批判し、さらに「逮捕・勾留された被疑者は黙秘権は権利として当然行使できるが取調べ拒否は刑事訴訟法上できない」との法的見解を表明した。そして、5月26日付け産経新聞は「主張」欄で、この弁護活動を「国民の安全を無視する活動」として厳しく批判した。

わが「ミランダの会」は、本年2月13日の結成以来、指摘された弁護活動を積極的に推進してきたものである。ここに上記の甲斐中次席検事の発言および産経新聞の報道に対して、わが会のコメントを発表する。

黙秘権は、日本国憲法および国際人権規約が全ての個人に保障されれるべき基本的権利として保障するものである。それは、刑事手続のすべての局面で、個人を訴追しようとする国家に対して、個人が供述をするのかどうかについての完全な選択の自由を持つという原則であり、刑事訴追において国家権力が個人に及ぶ限界を画する重要な一線である。この原則は、われわれが生きているこの国が「自由な社会」であり続けるために守りとおさなければならない貴重な原則であると、われわれは信じる。しかし、残念ながら、わが国においてこの原則は、捜査機関によって常にないがしろにされてきた。わが国においては、逮捕された被疑者は、司法官憲のもとに引致された後も引続き警察の留置場に戻され、20日間もの長期間にわたって連日取調べを受ける。このような捜査実務は、実質的に黙秘権を意味のないものにするものである。現代社会の文明の基準に照らして、このような実務は早急に廃止されなければならないとわれわれは考える。

想像していただきたい。わずか数平方メートルの窓のない小部屋の中で、第三者の立会なしに、あなたは取調べ官から1対1で取調べを受ける。朝から晩まで、毎日、20日間。それでもあなたは一切の尋問に答えを拒むことができるだろうか?あなたには供述の選択の自由があるだろうか?われわれは、そのようなことは通常の人間の能力の範囲をはるかに超えていると思う。憲法の保障する黙秘権が、単なる文字ではなく、意味のある権利であるとすれば、そして人間に対する常識的な理解を前提とするならば、それは当然に取調べを拒否する権利を含むものであると言わなければならない。「黙秘する権利はあるが、取調べを拒否する権利はない」という次席検事の法解釈は、非常識であり非人道的な法解釈である。

また、刑事訴訟法198条5項は、その理由を問わず、被疑者が供述調書に署名・押印することを拒否する権利を認めている。これも黙秘権によって導かれるものである。

黙秘権はなぜ大切なのだろうか?あなたは「有罪ならば話しをすべきだし、無罪ならば、しゃべったってかまわないじゃないか」と言うかもしれない。しかし、あなたのその考えは、あまりにナイーヴである。目の前にいてあなたを尋問しようとしている警察官は、あなたにアンケート調査を実施しようとしている調査員ではない。警察官は、あなたに予め用意した質問を発して、その答えを機械的に記録すれば、それで自分の仕事は終わったなどとは決して考えないのである。彼は、あなたが冷酷な殺人を平気で犯した凶悪極まる犯罪者に違いないと確信して、あなたに質問するのである。彼の目的は、あなたが屈伏して彼の想定を認める書類にサインさせることなのである。あなたが、「やっていない」といって、それで尋問を止め、あなたの言った通りのことを調書に記載してくれる捜査官など、いないことをあなたは知っている。今回の一連の事件で逮捕された人々が、警察官から「追及」を受けていることをあなたは知っているし、また、あなたはそのような「追及」が続けられることを支持すらしているのだ。しかし、あなたが新聞の読者ではなくて、取調室で「追及」を受けている としたらどうだろうか。 このような取調べの結果、今まで多くの被疑者が意に反した自白をして、罪なくして有罪を宣告されてきた。このことを、どのようなときにも忘れてはならない。法を超えた例外を易々と認めることは出来ない。かつてウィグモアが指摘したように、

検察側が、証拠方法として強制的な自己開示に頼ることを認める司法制度は、それゆえに自ら道徳的に傷つくことになる。この傾向は、もっぱらそのような種類の証拠を信頼し、他の証拠についての捜査は不完全でもかまわないという態度を生み出す。供述を得ようとするための権力の行使は、その権力の正当な限界を忘却させる。単純で穏やかな尋問の手段が、いじめや腕力あるいは拷問に頼る下地を育む。答えを得る権利があることから、やがて、自分の期待通りの答え――即ち、犯罪の自白――を得る権利もあるように思えてくる。かように、合法的な権限の行使が不正なる濫用と化していく。そしてついには、無実の者が有害な制度に侵害される危険をこうむる。この特権[黙秘権]を認めない法律制度が経験した筋道は、こういうことだったように思える。

ところで、弁護人は、いついかなるときも被疑者個人を代理し、擁護する立場に立たなければならないのである。それは、国家権力に対峙する個人に保障された憲法上の制度的な保障である。この弁護人の援助を受ける権利は、国家による訴追の脅威にさらされた全ての個人に対して等しく保障されているのである。そこには一切の例外はない。どのような組織に属している者であれ、どのような危険思想を抱いている者であれ、この保障を与えられなければならない。これがわが国が存立している基本的な原則なのである。

そして、このことはもう一つの別の原理を導く。すなわち、弁護士は、被疑者・被告人個人を弁護するのであって、その属する組織や集団の利益を守るためにあるのではないし、また、被疑者・被告人の思想的、宗教的その他の信条の正当性を擁護するために活動するのではない、ということである。このことを忘れて、犯罪者の弁護をする者はまた犯罪者であると断定し、危険な人物に黙秘権の行使を助言する弁護士の活動を「国民の安全を無視する活動」などと言って批判し、当該弁護士個人を攻撃するような社会は、もはや「自由な社会」ではない。このようなときこそ、マスメディアの真価が問われるのである。われわれは、良心あるマスコミ関係者が、本件の事態の重要性に目覚めて、冷静かつ公正な報道を行うことを心から願うものである。

1995年5月29日

「ミランダの会」 会員一同

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