ミランダの会HP旧掲示板ログ

期間:2000年9月〜2001年3月

法廷内の記号 投稿者:萩原猛
投稿日: 3月30日(金)01時06分50秒 

刑訴法の新設規定で、証人尋問の際に証人と被告人が相互に相手方の状態を認識できないように両者の間に衝立を設置することが可能になりました。この規定が設けられる以前にも元大阪府知事の裁判の際に、裁判所は衝立裁判を先行的に実施していたようですが、今後は、衝立裁判が横行するような気がします。既に私は2度経験しました。2度目は、無実を争っていた事件だったので、衝立を設けることに激しく反論し、異議を申し立てましたが、裁判所は検察官の要請に従って衝立を設置しました。そればかりか、証言台の位置を法廷の中央ではなく、検察官席の方に寄せて設営しておりました。法廷内に衝立が出現し、検察官席寄りに設置された証言台を取り囲み、証人を恰も被告人からガードするように衝立が配置された法廷というのは異様です。無罪推定の原則に基づき、公正・公平な審理がこれから行われるに相応しい法廷の設営とは思えません。法廷内の設置物が、証人は被害者であり、被告人は加害者・即ち有罪であると指し示す記号と化しているのです。
 憲法37条2項は、被告人に証人と面と向かっての対決の権利を保障しているはずです。確かにアメリカでも例外があるようですが、それは、証人が性的虐待の被害者である幼児であって、被告人と対面することによって深刻な精神的影響を受けることが専門家によって証明された場合等には、証人と検察官・弁護人が別室で証人尋問し、それを法廷内の被告人に見聞させるといったことが許されるというに過ぎないようです。日本のように単に検察官の意見だけで、幼児に限ることなく、ルーズに遮蔽を認めているわけではないようです。
 近時、被害者保護が声高に叫ばれ、恰も、被疑者・被告人の防御の権利を制限することで被害者が救われると言わんばかりの言説を見聞します。これは被疑者・被告人にとっても、被害者にとっても不幸なことではないでしょうか。被害者保護のために、被疑者・被告人の権利を制限するのは、最も安直な方法であり、被害者の被害感情の一時的発散にはなり得ても、真に被害者が救われることはないでしょう。それどころか、そのような方法は冤罪を招きかねず、そうなれば益々被害者は救われず、冤罪者は地獄の苦しみを味わうことになるのです。
 刑事弁護士としては、衝立裁判には、断固抗議していくべきであり、法廷内のアンフェアな記号を撲滅すべく頑張りたいと思います。


留置番号45番 投稿者:高野隆
投稿日: 2月 8日(木)18時12分00秒

フォーカス2月14日号に「完黙万引き男『留置番号45番』は誰だ!!これで『懲役6年』も自業自得」という記事がある:
 「『彼の手帳には黙秘権の権利行使を声高に叫ぶ弁護士のグループ"ミランダの会"やその他の人権団体の連絡先が書かれていた。事件前の記述だから、そうした主張に賛同するシンパで、集会等に出席していた可能性はある』(別の捜査関係者)
 「もしかしたら、自分がどこまで『ミランダの会』の黙秘指導を実践できるか、試している?」
 「ミランダの会」が集会で参加者に「黙秘指導」をし、45番がこの"教え"を実践している可能性があるというのだ。かつて検事が取調べ中に私の依頼人に向って「お前は"野教"の信者か!」と言って怒鳴ったことがあったが、日本の捜査官やメディア人の中には、われわれが被疑者を"マインド・コントロール"して"黙秘の行”を実践させていると思い込んでいる人が相当数いるようである(学者の中にもこの思い込みに基づいてわれわれの弁護活動を批判している人がいる)。
 この思い込みはまったく的外れと言うほかないが、しかし、刑事弁護士としてはある意味で「名誉」なことであり、世間のわれわれに対する「期待」がどの辺にあるのかを現していると言うこともできる。
 ときどき「ミランダの会」を指名して弁護依頼をする手紙や電話が来る。そのような依頼をする被疑者はわれわれにしかできない弁護を期待しているのである。意に添わない調書を作られ、黙秘をしたいけれど、いまのままではそれを実行する勇気がない、「ミランダの会」の弁護士がついてくれれば何とかなるかもしれない。そう思ってわれわれに連絡をとろうとする被疑者がいままでもあったし、これからもあるだろうと思う。フォーカスを読んでそういう依頼が増えるならば、それはそれで良いことだと思う。そして、その期待にできるだけ応えたいと思う。

ロースクールクリニック 投稿者:萩原猛
投稿日: 1月 5日(金)00時01分09秒 

 従前、私は、岩井さんとの取調修習を巡る議論の際に、アメリカのロースクールのクリニックには検察官の実務を体験させるクリニックはないようだと書きましたが、訂正します。
正月休みに、遠藤直哉「ロースクール教育論」信山社を読んでいたら、著者が第二東京弁護士会のロースクール調査団の一員としてアメリカとカナダのロースクールを調査した際の状況が報告されており、その中にニューヨーク大学ロースクールの刑事弁護クリニックを見学した場面があり、そこにこのような記述がありました。
「マースキー教授が地下鉄に乗って我々を連邦裁判所の現場に案内し、学生の業務を見せてくれた。教授は学生5,6名を監督する。学生は日頃から教授に十分指導され、準備しているせいか、自信を持って次々と被告人の相談にのって事件を処理していった。他大学の検察官役の学生もおり、この場合には担当検察官と教授が両名立ち会うとの方式である。ニューヨーク州に限らず米国では、裁判所規則により、学生が法廷に立ち、弁論や証拠調べをする。現実に教員はそばにいるだけのことが多い。また、死刑事件の弁護等の重要案件も扱っている。」(同書143頁)
 また、ウィスコンシン大学ロースクールでは、「連邦刑務所及び州矯正局と契約をし、その資金を受けて受刑者とその家族を依頼者とする大きなインハウス・クリニックがある。量刑を争ったり、有罪を覆したり、家族法、税法、財産法などあらゆる相談や事件を受ける。学生は公判弁論もできる。また、エクスターンシップでは、検察官が同席すれば、刑事事件の公判も遂行する。」(同書145頁)とのことです。
 カナダのロースクールの臨床教育においても、アメリカと同様に学生に生の事件を権限を持たせて業務とさせるまで発展してきたとされ、「検察官事務所」へのエクスターンシップがあるとのことでした(同書149頁)。
 修習生が法律家としての実務に携わる法的根拠が裁判所法75条以外全く存在しない日本とは格段の相違ですが、それもこれも体系的・総合的な専門職法学教育が存在しないまま、法律家の養成が予備校と国営研修所に委ねられているわが国の法曹養成教育の貧困さに原因があるといえるのではないでしょうか。これはやっぱり弁護士の責任だと思いますね。

深夜に考えたこと 投稿者:萩原猛
投稿日:12月 6日(水)03時33分25秒

 シンポについての感想を何人かの学生さんから寄せて頂きました。大学で学んでいることと実務の乖離について率直な感想を表明していただいたようです。ありがとうございました。20年前、私も大学で学んだ「法」の有り様と実務の場で実現されている「法」のあまりの乖離にたじろぎ、実務の方に流されて行ったあの頃を思い出しました。
 法の理念からしたら、そういう実務は「おかしいじゃないか」という気持・感性を摩耗させることなく、実務家として「法」の実践に努力したいと思います。
 最近、アメリカに半年くらい留学して帰国した若い弁護士の話を聞く機会がありました。彼は、訴訟社会アメリカの病理を語り、アメリカの法実務における世界戦略を語り、アメリカの行き過ぎたアドヴァサリーシステムの弊害を語り、アメリカのロイヤーに対する世間の信頼度の低さを語り、わが国の司法制度の優越性を主張しました。彼は、わが国の司法制度改革もわが国の法文化に根ざした改善で足り、急激な変革・根本的な変革は、わが国をアメリカのようにしてしまい、それは好ましくないと考えているようでした。
 私は、思いました。日本で、アドヴァサリーシステムの弊害を論じるのは50年早いと。法文化の違いを超えて妥当する普遍的価値があるのではないかと。彼は、陪審制についても反対の考えのようですが、アドヴァサリーシステムと陪審制に対する批判論は既にアメリカで1949年にジェローム・フランクが「裁かれる裁判所」の中で論じ尽くしております。全てそこに出ております。それでもなお、今日のアメリカ社会でこれらの制度が連綿と生き続けている意味を考えてみる必要があると思いました。
 何れにしても、われわれ日本の弁護士達は、前にこの掲示板でも議論しましたが、とにかく「異議申立」しないわけですから。それがわが国の法文化だと言って済ましていて良いわけはないですよね。
 そんなことを考えた今日この頃でした。


ミランダの会についての感想 投稿者:大学生(匿名)
投稿日:12月 5日(火)14時42分19秒 

現在の刑事事件の問題点を多く学ぶことが出来ました。たとえば、現在被告として(?)拘留、拘置などをされると、弁護人との接見はほんとにわずかな時間で、残りほぼ一日中警察官、検察官の取調べが行われているというのはまさしく、やっていなくてもやったといえば楽になるという環境をつくっているものであり、憲法の基本的人権の尊重というもの無視されているような気がします。また、取調べ中に弁護士を立ちあわせるということは当然行わなければならないことだと思います。
 なぜなら普段生活していく上でほとんどの人が六法など読んだ事がなく、不正な取調べや法律にある権利などを知らずに取り調べられるのはきわめて不利であり、問題だと思います。
 この話にもうひとつ付け加えるとしたら、つい先日取調べ中の警察官が暴行を加えるという事件がありましたが、これも上記の問題の一点ではないかと感じました。
 今回のシンポジウムの寺西裁判官の話を聞いたところ、現在の裁判官というものは国に有利な判決を出さないと上の裁判所(高等裁判所)の裁判官になれず、簡易裁判所で働いたり、再任拒否されるということははじめて聞き驚きでした。このようなことで、公平な裁判が本当に行われるのか、もし自分がなにか裁判に関わったとき、なぜか安心して裁判は受けられない不安があります。
 今回ミランダの会に参加してとても良かったと思います。なぜならば、このような活動を推進している人がいるということを知ることが出来、また合うことが出来たからです。このような活動はこれから絶対に広げていくべき重要なことだと思います。

シンポジウムの感想 投稿者:匿名
投稿日:12月 4日(月)16時01分21秒

ミランダの会に出席して、すごくいい経験になりました。
寺西裁判官のお話は、まさに現場による意見であったから貴重な話だったと思います。
法学の勉強をあまりしてない私にとっては少し難しい話もあったけど、やはり正しいことは正しくやって、正しくないことは正しくないとしなければいけないのだから間違ったことはどんどん見直さなければならないと思いました。
 もしかして自分が何かの罪で疑いをかけられた時に、不当な取り調べをうけて不利な状況になってしまったらどうにもならくなってしまう。
 こういう状況が出ないためにも立ち上がるべき人たちが立ち上がって、正しい社会にしていってほしいと思いました。
 今後のミランダの会の活躍に期待してます。

ミランダの会シンポジウムの感想 投稿者:匿名
投稿日:12月 4日(月)10時05分14秒

私は、ミランダの会という会の存在はまったく知りませんでした。今回、シンポジウムに参加させていただき、お話を聞かせていただいて、ミランダの会の活動を知ることが出来て、良かったと思います。今回のお話を聞かせていただいて、法律を4月から学び始めた私が当たり前だと思っていたことが、本当は当たり前ではなかったという事、警察がどんなことをしているのかという事を知ることが出来ました。私は、黙秘権がある事や調書の署名を拒否できる事を言うのは、当たり前だと思っていました。それは、当然の権利として、警察も認めている事だと思っていたからです。それが、弁護士の方がそのことを告げることを捜査妨害だとしたり、そのことを告げた弁護士の方に弁護してもらっていると不利になるというような発言を被疑者にしているという事実を知って、大変驚きました。自分が知らなかった事実を知って、衝撃が走ったのは確かなのですが、知らずに過ごしてしまうより、今回、お話を聞かせていただき、知ることができて良かったと感じています。ありがとうございました。


総会とシンポを終えて 投稿者:萩原猛
投稿日:11月21日(火)01時38分31秒

 シンポジウム参加のパネリストの皆様、参加者の皆様、会員の皆様、ご苦労様でした。シンポの基調報告のために、この5年間を思い起こしました。ミランダの会の功績は、学説上は多数の学説が支持している弁護人の取調立会権と身柄拘束中の被疑者の取調受忍義務の問題を正面から弁護実践の場に持ちだしたということでしょう。しかも、この問題を被疑者と連名の申入書を捜査機関に提出するという明示的な方法を採用し、その書式まで用意したという点で、それまで特定の自覚的な弁護士が採用するか、あるいは特定のイデオロギー的背景のある事件でしか採用されなかった、出房拒否・完黙・署名拒否といった弁護手法をポビュラー化する(実践するかどうかは別にして)ことに成功したということだと思います。
 ミランダの会が提案した申入書を捜査機関に提出するという手法は、大阪弁護士会の刑事弁護委員会などでは、テープ録音の要求等様々なバリエーションの書式を用意して、取調の可視化に向けた取り組みへと発展させているようです。 さて、5年間で代表は替わりましたが、事務局長は留任となりました。私のようなズボラな人間を事務局長にしておこうというのですから、会員の皆様の真意が解りませんね。

 それは、ともかく、新代表の神山さんは、民事事件とパラレルに考えたら、弁護士が自らプロとしてその内容を事前に確認すらしないで、自己の依頼人に対してその人の運命を左右するような重要な書面にサインして良いなどと、どうしてアドバイスできるのかという、ミランダの会創設当時の思いを今一度思い起こし、軽微な自白事件も含めて、ミランダの会方式の弁護活動実践するべきだと決意を新たにしたようでしたが、私も、今一度この創設当時の理念を考えてみたいと思います。ミランダの会は、弁護実践によって制度を変革することを目指したグループですから、実践しなくては話しになりません。新会員の皆様も、粘り強く実践に励まれるようご努力下さい。

(無題) 投稿者:高島 章(新潟)
投稿日:11月20日(月)20時36分18秒

>ミランダの会書式例が「役に立つ」ことが証明されて良かったです。ちなみに書式例の事件でも

>準抗告は認容されました。

 ほんとに役に立ちました。イチから立論したら,少なくとも数時間かかる内容です。私は,おかげで,40分ぐらいで,申立書を作りました。
 あの書式例は,「被疑者の妻は,接見できる」という事例だったのですね。ある程度は,修正したのですけど,チェックのしもらしもありました。審査した裁判官は,「どっかのまる写しだろう」と苦笑していたと思います。
 書式を流用される方は,細かいところも,チェックした方がよいですね。


準抗告認容の件など 投稿者:高島 章(新潟)
投稿日:11月20日(月)20時31分01秒

 先に書いた準抗告認容の件ですが,何というか,ある意味,内輪をかばっているという感じはしました。
 「接見禁止を付けた時点で,証拠隠滅のおそれがあったかどうかは,ともかく,現時点−準抗告審査の現段階−では,証拠隠滅のおそれはない,という論法です。

 新潟のような地方都市の裁判所で,準抗告を申し立てると,ふだん民事裁判をやっている合議体が,「刑事部」に早変わりして審査するんです。「準抗告出して,残業とかしたんだろうなぁ」。と思うと,少し,申し訳ない気持ちもします(笑)。

11月18日シンポの件など 投稿者:高島 章(新潟)
投稿日:11月20日(月)20時24分46秒

 シンポジウム参加者のみなさんこんにちは。私は,新潟へ帰る新幹線の関係で,コンパの方には,参加できませんでした(小川さんと東京駅地下でビールを飲んで,帰路につきました)。みなさん,盛り上がったのでしょうね。参加者の感想など,書きこんでもらえると面白いと思います。
 寺西さんは,お泊まりだったんですか?

退任の弁など 投稿者:野隆
投稿日:11月20日(月)12時56分33秒 

先日の総会で代表を退任し、新代表神山啓史氏に引き継ぎました。5年間実に様々なことがありましたが、やって良かったと思っております。実務の変革は遅々として進みませんが、シンポジウムで寺西さんや若松さんが指摘したように、ミランダの会が取調べ問題についての議論を活性化したのは大きな功績ではないかと思います。神山さんが就任の弁で述べていたように、これからは「ミランダの会の原点」に立ち返って運動を地道に広げていくことが大事だと思います。
 5年間ありがとうございました。
PS:「季刊刑事弁護」に連載した「ミランダの会活動報告」11編は、現代人文社の許可を得て、当ホームページのエッセイ欄に転載いたしました。ご覧ください。

おめでとう 投稿者:野隆
投稿日:11月16日(木)18時31分48秒

高島さん、とりあえずおめでとうございます。ミランダの会書式例が「役に立つ」ことが証明されて良かったです。ちなみに書式例の事件でも準抗告は認容されました。


準抗告認容 投稿者:高島 章(新潟)
投稿日:11月16日(木)17時11分29秒

 接見禁止請求に準抗告したところ,認容されました。
 強制わいせつ致傷の事案で,被疑者は,初回の勾留時に否認していたのですが,その後自白しています。
 このHPの書式例をほぼまる写しの手抜き申立書だったのですが,とおって良かった。
 詳細は,おって報告します。

私の言いたかったことは 投稿者:萩原猛
投稿日:11月13日(月)01時48分58秒 

 このところ続いていた取調修習の議論は、田中一郎修習生の検察修習現況報告に端を発し、私が、取調修習をすることに何ら問題ないと書き込んだことから始まっておりました。高野さんの講義や岩井さんとのやり取りで、多少議論を深められたような気がします。私の言いたかったことは、@取調権限がないという理由で、取調修習を拒否する修習生がいるが、それは余り意味がないのではないか、そのような発想は検察官に取調権限を認めていることになり、根本的に問題ではないか、A修習生は積極的に取調修習に臨み、黙秘権を侵害しない、あるべき取調・調書作成方法を考えた方が建設的ではないか、B専門職の教育課程で資格取得以前に一定の条件下でその専門職が担っている実務に携わることは必要不可欠なのではないか、ということです。

(無題) 投稿者:岩井信

投稿日:11月12日(日)23時11分27秒

 私は、修習生の取調においては、被疑者供述について、2つの意味の任意性が問題になると思います。つまり、黙秘権の放棄という意味での任意性と、それを修習生との関係で放棄するという意味での任意性の2つです。裁判官にはしゃべるけど、検察官にはしゃべらないという人がいるように、黙秘権の放棄にあたっては、誰を相手として黙秘権を放棄するということが大事なのではないでしょうか。そして、出頭要求は指導検察官の名の下でなされるはずですから、被疑者からしたら検察官から呼び出されたから出頭したのであって、修習生が取り調べるというのでは、話が違うと思っても不思議ではありません。
 もちろん、被疑者は修習生による取調を断ればすむ問題と言ってしまえばそれまでですが、実際には、検察官に「修習生だけどいいよね」と言われたら、断りにくいのが実際なのではないでしょうか(修習生の方が手玉にとれそうだから、むしろ修習生の方がいいという被疑者もいるでしょうけど・・・)。私が「任意性の疑いという手続面での瑕疵の疑いを、あるべき調書という実体面で治癒させてしまっていいのだろうか、ということです」と書いた意味は、被疑者が、「修習生に対して黙秘権を放棄する」という決定を、熟慮の上、知的にしたのか疑いが残る気がするということです。
 そして、その疑いを払拭するために、指導検察官の告知に加えて、さらに修習生である私が丁寧な黙秘権の告知を再度行って、もし被疑者が立ち去っていってしまった場合、指導検察官は、再度呼んでしまうのではないでしょうか。また、被疑者から取り調べに弁護士との立会いを求められた場合に、修習生は、立会いを認めると言えるのでしょうか。
 結局のところ、修習生が丁寧に被疑者の言い分を聞き取ることについて努力することはできるにしても、それ以上に現行実務と異なる取り調べ方式をしようとしても、それはできず、かえって、被疑者にしわ寄せが行ってしまうのが実状だと思います。
 特に問題となるのが、調書作成者の名義です。現状は、修習生の名前を調書のどこにでもいいから残すことも、きわめて困難なのではないでしょうか(この点はまだ検察修習をしていないのでわかりません)。私は、修習生が発問をせずに、いわば捜査官の「書記」として調書「下書」作成をすることは可能だと思いますが、発問のほとんどをした修習生の名前が調書のどこにも出ずに、発問をほとんどしていない検察官の名前だけで調書を作成することは、たとえ、被疑者が黙秘権を放棄していたとしても「うそ」の調書であり、これについては被疑者の任意性によっても治癒されない問題だと思います。

 この点、検察官自身が「読み聞かせ」をすることで、「うそ」はないというのが現行実務の考えだと思います。しかし、調書の冒頭では通常、「本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して、供述をする必要がない旨を告げて取り調べたところ、任意次のとおり供述した」と書いてありますから、ここに「第五四期修習生岩井信と共に取り調べた」とでも書かない限り、やはり「うそ」は残るでしょう。
 私は、単に取調拒否ということではなく、このような様々な可能性も含めて、指導検察官と相談したいと思っていますが、原則は、修習生が捜査・訴追機関の一体として単独に発問をすることはやはり問題があるというところから出発すべきで、被疑者の任意性が確保されていることを前提としたところから議論をはじめるべきではないと思います。

 何だか掲示板書き込み者が限定されてしまったようです(たぶん私の書き方がいけないのかも・・・掲示板に書き込むのははじめてなんです!)。必ずしもこの取調修習の是非に限らず、もっと、いろいろな方が書き込まれたらいいなあ、と思っています。


(無題) 投稿者:萩原猛
投稿日:11月11日(土)00時25分30秒

 アメリカのロースクールには、クリニックと言って学生に実際の事件を担当させて、効果的な法曹教育を実施しようとするプログラムがあります。クリニックには、民事・刑事・商事・税務等様々なプログラムが用意されておりますが、多くは、刑事弁護人を務めたり、貧困者の法律相談にのるといった、ごく一般的なロイヤーの仕事と変わらないもので、実際に法廷に立つことも可能です。勿論、指導教官の監督が必要ですが。クリニックは、貧困者に対する法的サーヴィス拡充の必要性が強く意識されるようになった1960年代末から70年代半ばにかけてアメリカ全土に急速な広がりを見せたと言われています。つまり、クリニックは効果的な法曹教育を目的とするとともに、リーガルエイドの役割も担っているいるわけです。クリニックのために、ロースクールの学生が法律業務に携わることを許す特別の法律が規定されています。未だ修行中の学生に実際の事件の弁護を任せて不安はないのかとの疑問に対して、サザン・メソジスト大学ロースクール教授のローク・M・リード教授はこう答えています。「私の経験ではほとんど問題がないと思います。学生達が刑事弁護を行うといいましても、全く自由に活動するわけではなく、その活動については常に監督弁護士である教官の綿密な指導・監督を受ける体制がとられているということです。……学生達自身も、自らの経験不足を事実調査や判例検索を熱心に行うことによって補おうとします。……学生達による弁護活動のほうがむしろ効果的であることが多いのです。現に、私どものクリニックでは係争事件について約60パーセント程度の無罪率をあげていますが、これは一般の弁護人による場合よりはるかに高い数字だと思います。……」(ローク・M・リード、井上正仁、山室恵「アメリカの刑事手続」有斐閣75頁)。

 「修習生とは何者か」という岩井さんの疑問はもっともなことだと思います。しかし、専門職を養成するための教育課程で、資格取得以前の学生に、その専門職が担っている実務に限定的に携わらせることによってその専門職の技能を習得する訓練を施すということは絶対に必要なことだと思います。そういう訓練を経ないまま資格を取得させてしまうことこそ、危険ではないでしょうか?これは、あらゆる専門職の養成についても言えることだと思います。資格取得以前の学生であっても、資格取得に向けた一定の学習がなされ、目的意識をもって、指導官の監督の下に、限定的に実務に携わるなら、社会や個人に害を及ぼす危険性は、少ないのではないでしょうか。その危険性の程度は、資格者が過誤を犯す危険性の程度と比較しても同程度以下と言ってよいのではないでしょうか。

 岩井さんは、「任意性の疑いという手続面での瑕疵の疑いを、あるべき調書という実体面で治癒させてしまっていいのだろうか、ということです」と書かれていますが、その意味がよく分かりません。修習生が被疑者を取り調べる際、被疑者は黙秘権を放棄していなければなりませんから、被疑者に対してミランダウォーニングを行うのが理想的ということになり、そのようにして取り調べれば、何の問題もないのでは。指導検察官の下では、そういうことがなかなかできないということでしょうかね?
ともあれ、わが国では、学生(修習生)が実務に携わるための立法措置がなされていない点は不備であることは間違いありませんね。
 もっとも、アメリカのロースクールで、検察官という捜査・訴追機関のもとで実務に携わるというクリニックはなさそうなので、日本の修習生の検察修習とは比較できないとの意見もでそうですが。

「私人」と「捜査機関」の区別 投稿者:野隆
投稿日:11月10日(金)23時19分28秒

岩井さん:
「私人として被疑者にアプローチすることと、捜査訴追権限を持った機関の名の下で被疑者にアプローチすることは、やはり、歴史的経験から訴追機関が濫用する危険性を考慮して、類型的に異なる規制をすべきだと思うのです。」とおっしゃるのは全くそのとおりだと思います。ミランダが問題として取りあげたのも「警察主導の環境における取調べ」「身柄拘束下の取調べ」です。恋人が接見室の中で「私にだけそっと本当のことを聞かせてちょうだい」と尋ねる前に、ミランダ警告を発して権利放棄させなければならないなどとは誰も言ってません。
 この意味では修習生は「私人」ではないと思います。多分修習生が検察庁の修習生室で検事のために取調べを行うという環境には、ミランダが言う「強制のバッジ」がついているのでしょう。だから、強制の要素を払拭して被疑者の黙秘権--供述するかどうかの選択の自由--の実質的な保障のための努力はするべきでしょう。修習生は被疑者に対して「貴方にはこの部屋からいつでも帰る自由がある。貴方には黙秘権がある。ここで述べたことは後の裁判で貴方に不利益な証拠として使用される。貴方は弁護人と相談する権利がある……」という警告をしなければならないでしょう。この警告の結果、被疑者が「じゃ、帰らせていただきます」と言って退席しちゃってもそれはしょうがないね。黙秘権とはまさにそういうものだから。被疑者の供述以外の証拠を集める努力をするしかない。逆に、このような丁寧な警告の後に被疑者が権利を進んで放棄して供述を始めたとするならば、貴方は訴追側にとって珠玉の証拠を手に入れたことになる。要するに、被疑者の供述が得られても得られなくとも、貴方は検察官の補助者として立派な仕事をしたと評されるべきでしょう。
 アメリカのロースクールには「クリニック」というコースがあります。刑事のクリニックの学生は、教授の指導のもとで実際の刑事事件の弁護活動をします。学生は法廷で尋問したり弁論したりもします。クリニックは貧困な人々に対するリーガルサービスの不可欠の一翼を担っています。私が学んだロースクールのクリニック担当教授は「クリニックの方が普通の法律事務所よりも無罪率が高い」と言ってました。これは確かに教育の一環ではありますが、こうした実践的な活動によって社会が恩恵を被ってはいけないという理由はないと思います。取調べ修習に参加することで修習生が様々なことを学ぶのと同時に、丁寧な取調べや調書作成によって被疑者の黙秘権の保障に少しでも寄与すること、そして人員不足の検察の手助けをすることは決して悪いことではないと私は思います。
 問題の根源は、現実の検察は決して「強制のバッジ」を払拭しようとはしないし、そのようなことをしようとする修習生を決して受け入れようとはしないだろうということにあります。検察修習とはすなわち「取調べ修習」であり、黙秘権をなし崩しにする取調べ技術を修習生に身に付けさせることに主眼があると言っても決して言い過ぎではない。こうした現実の中では「参加しない」という選択も確かにありえるだろうとは思います。現実と妥協することを強いられているうちに、それが自然なものとして身に付いてしまうというのが人間の特性でもあるからね。そうなるよりは「純潔」を保っていた方が良いとも言える。
 だけど私は20年前には「参加」する方を選びました。渥美東洋教授ほどの勇気はなかったけれども、指導担当検事と議論はしましたし、「少なくとも自分の方が検事よりはましだ」と思った(開き直った)からです。妥協ではありましたが。

修習生とは何者か 投稿者:岩井信
投稿日:11月10日(金)02時38分47秒

 萩原さん、高野さん、早速の素早い反応ありがとうございました。
 確かに、あるべき被疑者取り調べを考えるべきですし、考えたならば、それを実践すべきともいえます。しかし、それを「修習生」という身分で「実力行使」していいのか、やはり迷います。修習生はあくまで自己の「修習」「研鑽?」のためにあるのであって、紛争解決や判決や有罪判決のために、修習生だけでの独自の貢献をすべきことは基本的に想定されていないと思います。(アフター5で、独自の活動をすることは修習生」という身分ではないので、別問題です。)
 弁護修習のときに、指導弁護士は私が修習生であることを告知して同席することの承認を求めるのですが、民事の法律相談で、一回だけ「拒否」されたことがありました。「同席していいですね」というあっさり押し切り型の質問と、「嫌なら退席させますが、同席していいですか」という質問で、相当相手方の答えは左右される気がします。任意性は「つくる」ことができると思います。その意味で、取調修習の任意性には疑いがどうしても残るような感じがします。あるべき調書作成に向けては修習生が主導的に努力することができても(それ自体チョー大変だと思いますが。)、その前提である取調の任意性の確認と任意性環境の確保においては、修習生が主導権を取ることはきわめて困難なのではないでしょうか。
 「問い答え」方式で、被疑者の言ったことを忠実に実現し、被疑者に調書案を渡し、調書の記載の正確性を十分確認してもらった上で、調書作成者として修習生が署名することによって、つまり、実体としてあるべき調書になっているから、被疑者のためになるとして不問ないし無視していいのでしょうか。任意性の疑いという手続面での瑕疵の疑いを、あるべき調書という実体面で治癒させてしまっていいのだろうか、ということです。
 確かに、検察官に証拠申請されれば、私人への告白も証拠になるわけですが、私人への告白は検察庁用箋には書かれませんし、私人は訴追権限や証拠申請権限を持っておらず、実際に検察官に証拠申請されるかどうかの確率もわかりません。それに対して、捜査・訴追機関の一体として、捜査・訴追機関の名の下で作成された調書は、きわめて高い確率で証拠請求されると思いますが、一般には捜査・訴追機関の名でアプローチされれば、それを断るのは難しいのではないでしょうか。
 私人として被疑者にアプローチすることと、捜査訴追権限を持った機関の名の下で被疑者にアプローチすることは、やはり、歴史的経験から訴追機関が濫用する危険性を考慮して、類型的に異なる規制をすべきだと思うのです。
 掲示板らしくなく長文になってしまいました。スイマセン・・・。

取調修習をしよう! 投稿者:萩原猛
投稿日:11月10日(金)00時20分36秒 

 高野さんが見事に整理してくれましが、修習生の皆さんに私からのアピールです。
 取調に問題があると思っている修習生諸君、取調修習拒否なんて退嬰的なことは止めて、あるべき被疑者取調を実践しよう!
 どういう取調が、あるべき被疑者取調かを皆で考えよう!
 ミランダルールを実践して、取調をしよう!
 調書は、全て「問い・答え」式の調書にして、被疑者の言ったことを忠実に記録しよう!(中央大学の渥美東洋教授は、修習生の時、指導検事から注意されても、このような調書しか作成しなかったそうです。)
 修習生は、作成者として、調書に署名をしよう!

「取調べ権限」について(2) 投稿者:野隆
投稿日:11月 9日(木)16時12分33秒

自白と異なり、第三者の供述に関しては、わが国の証拠法は、その供述が誰に対してなされたかによって、明白な差別をしています(321条)。とりわけ「検察官の面前における供述を録取した書面」(321条1項2号)については決定的とも言える地位が与えられています。私は刑訴法321条1項2号は憲法違反だと思っていますが(ミランダの会の書式例を参照)、修習生が参考人を取調べて作成した供述調書については、憲法論以前に、「検察官の面前における供述を録取した書面」に該当しないことが明白だと思います。吉田さんの例のように検察官が「覗き」にすら来ない場合は勿論、田中さんの例のように「覗き」に来たり読み聞けに立ち会っただけでその人の「面前における供述」に当ると言えないことは明らかだと思います。
 しかし、これは修習生に「取調べ権限」がないからそうなのではなく、単純に証拠法の伝聞例外の要件に該当しないからだと思います。「取調べ権限」がない点では、検察官も修習生も変りません。

「取調べ権限」について 投稿者:野隆
投稿日:11月 9日(木)15時51分20秒
ミランダが取調室の中で警察官に対してした自白については、連邦最高裁は許容性を否定して、彼に対する有罪判決を破棄しました。その後の再公判で、検察側は、ミランダの元愛人を証人申請し、ミランダが彼女に対して自白したことを証言させました。この証言が決定的となり、結局ミランダは有罪を宣告されました。要するに自白は、罪の告白である限り−−そして、ミランダルールに違反せず、任意になされたものである限り、証拠となるのです。
 日本の刑訴法によると、「自白」は誰に対してなしたものであれ、任意性に疑いがない限り証拠となります(324条1項、322条1項)。この点では捜査官を特別扱いしていません。それではなぜ刑訴法198条1項は捜査官に対してだけ「被疑者の出頭を求め、これを取調べることができる」と規定しているのか?私は、この条文は捜査官の被疑者取調べの方法を規定したものだと思います。捜査官は、被疑者取調べのやり方として自分のオフィスに被疑者を呼び出すことができるということを書いたに過ぎません。これは呼出を求められた人に何らかの義務を課すものではない--呼出を求められた者はそれを拒否できるし、一旦求めに応じて出頭した後もいつでも退去できる(198条1項但書)のです。これは捜査官の取調べ「権限」を定めたものではないのです。
 学者の中には、この規定は捜査官の「取調べ権限」(取調室に出頭させ滞留させる権限)を定めたものであり、同項但書の読み方として、逮捕勾留された被疑者には「取調室に出頭し滞留する義務はあるが、取調べ受忍義務はない」などという人がいますが、しかし、これは全く実態を反映していない机上の空論です。取調室の中で捜査官が黙って被疑者を見つめているだけでも、それは立派な取調べです。ちなみに連邦最高裁のイニス判決(1980年)は、「帰罪的な供述を引き出す合理的な蓋然性のある行為」は「取調べ」に該当すると言いました。取調べ室に滞在することを強要する行為は「帰罪的な供述を引き出す合理的な蓋然性のある行為」以外の何物でもないと私は思います。
 だからこのような要請に対しては、身柄拘束の有無にかかわりなく、拒否権が認められなければならないのだと思います。そうだとすると、被疑者は、私人に対しても捜査官に対しても出頭・滞在の要請を拒否できるのですから、捜査官には、私人以上の権限は何も与えられていないといわなければなりません。修習生であれ、検察官であれ、警察官であれ、誰も被疑者に対して出頭滞在義務を課すことなどできないのです。被疑者がこれに対する拒否権を任意に放棄して出頭滞在に応じたときのみ、彼/彼女から話を聞くことが許されるという点では、検察官も、修習生も、恋人も全然違いがない。私はそう考えるべきだと思います。

検察修習 投稿者:吉田和男(仮名)
投稿日:11月 9日(木)02時46分49秒

54期修習生です。
T 指導担当検事に、「被疑者の取調べをしながら調書を作りたいのですが」と申し出たところ、
「そうすると、取調者がパソコンの方ばかりを向いてしまうことになる。それでは供述者が『自分の話をちゃんと聞いてくれていない』と思ってしまうため、よくない。」と言われ、後日の「作文」を強要されました。その時は一理あるな、と思い引き下がってしまいましたが・・・
U 下の方の報告では、修習生による取調べの際には事務官が立会うだけで、検事は時々覗きに来るだけ、と言う運用が紹介されていました。しかしながら、私の庁では事務官の立ち会いさえ全くなく、検事が「覗き」に来ないこともあります。いわゆる「相島原則」に反していると思うのですが・・・。検事に言うと、「忙しいから」ということでした・・・

(無題) 投稿者:萩原猛
投稿日:11月 9日(木)02時42分43秒

岩井さん、黙っていられなくなって発言しましたね。修習生が取調をすることに何の問題もないと書けば、誰かが何か言ってくると思って挑発しました。勿論、現行刑訴法を前提とすれば、取調は任意なものしか許されていないと言ってみたところで、修習生が取り調べて作成した検面調書であっても刑訴法上の特別の証拠能力を持ったりするわけですから、問題ないことないじゃないかとも言えるわけです。とにかく、実務において検面調書の効力は絶大です。同じ法律家が作成したものでありながら、証拠能力において、弁護人面前調書との差別的取扱は歴然としています。岩井さんは、捜査官の取調は、「素人探偵の取調や新聞記者の取材とは違う」、被疑者等には「資格を有する捜査官」を要求する権利があるのでは、と書いていますが、そうでしょうか。私は、そんな風に捜査官・検察官を特別扱いする発想に根本的に疑問を持ちます。その発想は、現行刑訴法の差別的取扱に毒されているのでは?取調というものは、被疑者が黙秘権を熟慮のうえで、知的に放棄して、初めて可能となるのです。その意味で、取調「権限」や取り調べる「資格」のある者など、存在しないのです。被疑者が黙秘権を放棄して供述するという選択をして供述した時に、その相手方が検察官であろうが、弁護士であろうが、修習生であろうが、新聞記者であろうが、被疑者の供述を忠実に記録するなら、何の問題もないでしょう。そうやって作成された供述調書の価値に優劣をつけるのは本来おかしいのです。私の言いたかったことはそういうことなのですが、ちょっと舌足らずですね。もう眠いので、この続きはまたの機会に。

取調修習について 投稿者:岩井信
投稿日:11月 9日(木)01時50分19秒

私も54期の修習生です。検察修習はまだしていませんし、まだ突き詰めて考えていないのですが、私は、取調修習については、やはり問題があると思っています。
萩原さんは、取調は任意だから、任意である以上修習生による取調も何ら問題ないと書かれていたと思いますが、そうすると、なぜ刑訴198条で「検察官、検察事務官又は司法警察職員」は「出頭を求め」「取り調べることができる」と規定されているのかが問題になると思います。私は、萩原さんと同じく被疑者に取調受認義務があるとは考えませんが、むしろ、任意処分であっても、出頭を求めたり、取調をすること自体が「検察官等」以外には認められないということを規定している条文だと思います。「認められない」と言っても、事実上、野次馬が取り調べたり、新聞記者が取材することもあるではないかという反論があると思いますが、私がここで言っている「出頭の要求」とか「取り調べ」というのは、あくまで、捜査・訴追に直接使用される資料作成のために被疑者にアプローチすることという意味で(高野さんが書かれていた直接有罪のための資料として使われるという意味です)、素人探偵の取調や新聞記者の取材は、その意味では訴追資料として「直接」使用されることが主目的ではないという意味において、根本的に性格が違うと思います。実務家が参照すると言われている「条解刑事訴訟法」でさえ、「これは強制処分ではないが、一方ではこのような権限の存否に関する疑いを避けるために、他方では手続を厳格に規定することによって任意処分に藉口する濫用を防ぐために、特に規定を設けたのである」(317頁)とあります。このように考えると、たとえ被疑者が承諾して真に任意であっても(現実にそのような雰囲気があるかという実態論は混乱するので省きます)、適正手続確保のために、あえて捜査訴追のための直接資料を作成するために「被疑者にアプローチする権限」を法定で定めている以上、法定されていない修習生による取調は根本的に問題があると思うのですが、いかがでしょうか。実際問題、捜査・訴追資料を作成されるに当たっては、被疑者や被害者・参考人に「資格を有する捜査官」を要求する権利があるのではないでしょうか。理論的には、たとえ任意捜査であってもいつでもどこでも好き勝手に捜査できるのではなく、合理的嫌疑がない以上はみだりに捜査機関に捜査されない権利が憲法上保障されていると考えれば(13条)、資格のある捜査・訴追機関によるアプローチを要求できる権利が被疑者(被害者・参考人も同じ)にあると解すべきだと思います。
 刑事手続きにおいては、手続参加者が「資格を有すること」(何が「資格」なのかはまた大問題ですが・・・)がその手続結果である処分を「受け入れる」上できわめて重要だと思います。
 なお、犯罪捜査規範かどこかに、取り調べに立ち会った人の名前を調書に書かなければならないという条項があったと思うのですが。

RE:修習生を証人申請しよう 投稿者:田中一郎
投稿日:11月 8日(水)23時20分41秒 

> 田中さん、質問にお答え頂いてありがとうございました。お答えを読んで、思いつき
> ました。修習生が検察修習の過程で作成した「検察官面前調書」には、作成者を明確
> にするために、作成した修習生の署名を必要とすべきではないでしょうか。修習生
> は、取調修習拒否なんてことはしないで、自分が作成した調書には、自分が作成した
> ということを明確にしておきたいから、また、将来、調書の作成について、供述者や
> その弁護人から疑義が出された時には争える機会を保障すべきであるので、自分に
> 署名をさせて欲しいと、指導検察官に要請すべきではないでしょうか。修習生の作成
> した供述調書には、修習生の署名を必要とすべきであるという運動を展開すべきでは
> ないでしょうか。そして、弁護人は、修習生の作成した供述調書が任意ではない
> など、疑義がある時には、どんどん修習生を証人申請すべきではないでしょうか。
 修習生が証人申請されるのではないか、という点については、疑問を持ち、検察教官
に聞いたことがありますが、かかる前例はなく心配はいらないという話でした。但し、
修習生が作成した調書であるという理由で調書の任意性が争われたことはあるらしい
です。その際に修習生が証人として申請されたのかという点についてまでは不明です。
自分から署名するように要請しても、建前としては修習生は直接的に関与していないと
いう前提でシステムを運営している以上、拒絶されると思います。まあ、それ以前に僕
にはそういう申入れをするだけの勇気は残念なことにないです。


修習生を証人申請しよう 投稿者:萩原猛
投稿日:11月 8日(水)01時29分40秒

田中さん、質問にお答え頂いてありがとうございました。お答えを読んで、思いつきました。修習生が検察修習の過程で作成した「検察官面前調書」には、作成者を明確にするために、作成した修習生の署名を必要とすべきではないでしょうか。修習生は、取調修習拒否なんてことはしないで、自分が作成した調書には、自分が作成したということを明確にしておきたいから、また、将来、調書の作成について、供述者やその弁護人から疑義が出された時には争える機会を保障すべきであるので、自分に署名をさせて欲しいと、指導検察官に要請すべきではないでしょうか。修習生の作成した供述調書には、修習生の署名を必要とすべきであるという運動を展開すべきではないでしょうか。そして、弁護人は、修習生の作成した供述調書が任意ではないなど、疑義がある時には、どんどん修習生を証人申請すべきではないでしょうか。

 

RE:供述調書というものはA 投稿者:田中一郎
投稿日:11月 8日(水)00時34分46秒 

萩原先生へ
 先生のお名前を打ち間違えてしまいました。大変に申し訳ありません。
 @の続きです。

>  もしそうだとすると、そのようにして作成された調書は、検察官「面前」調書とは
> 言えないという考え方もできる気がしますが、いかがでしょう。最も、条文には「『
> 検察官の面前における供述』を録取した書面」(刑訴321)とありますから、現実
> に調書を作成する場に被疑者が立ち会っていることまでは要求されていないという解
> 釈もあり得るんでしょうかね。何れにしても、被疑者を取調室から退出させてから後
> で1人で捜査官が調書を作成して良いとすると、調書というものが捜査官の作文であ
> るという度合いは一層高まると言えるでしょう。調書とは本来そういうものなの
> です。弁護士も民事事件の際に、陳述書というものを作成しますが、あれなども捜査
> 官の供述調書に優るとも劣らない弁護士の「作文」ですね。
 萩尾先生の展開されている刑訴321 条の解釈論の前提には、取り調べに際して、検事
が立ち会っているということがあると思いますが、検事自身ではなく、事務官が取調に
立ち会っていることの方が多いです。検事は、取調の最初に「自己が事件処理を担当し
ているが、事情の聴取は司法修習生にやらせるということ、黙秘権という権利がある
こと(被疑者取調の場合)」を告知して、あとは、時々覗きに来るだけという運用が
しばしば存在します。なお、読み聞けは、検事が行っています。
 故に、修習生の作成した調書は、そもそも、「『検察官の面前における供述』を録取
した書面」とは言えない代物なのではないかというのが実感です。

 

RE:供述調書というものはA 投稿者:田中一郎
投稿日:11月 8日(水)00時29分17秒

@の続きです。
>  もしそうだとすると、そのようにして作成された調書は、検察官「面前」調書とは
> 言えないという考え方もできる気がしますが、いかがでしょう。最も、条文には「『
> 検察官の面前における供述』を録取した書面」(刑訴321)とありますから、現実
> に調書を作成する場に被疑者が立ち会っていることまでは要求されていないという解
> 釈もあり得るんでしょうかね。何れにしても、被疑者を取調室から退出させてから後
> で1人で捜査官が調書を作成して良いとすると、調書というものが捜査官の作文であ
> るという度合いは一層高まると言えるでしょう。調書とは本来そういうものなの
> です。弁護士も民事事件の際に、陳述書というものを作成しますが、あれなども捜査
> 官の供述調書に優るとも劣らない弁護士の「作文」ですね。
 萩尾先生の展開されている刑訴321 条の解釈論の前提には、取り調べに際して、検事
が立ち会っているということがあると思いますが、検事自身ではなく、事務官が取調に
立ち会っていることの方が多いです。検事は、取調の最初に「自己が事件処理を担当し
ているが、事情の聴取は司法修習生にやらせるということ、黙秘権という権利がある
こと(被疑者取調の場合)」を告知して、あとは、時々覗きに来るだけという運用が
しばしば存在します。なお、読み聞けは、検事が行っています。
 故に、修習生の作成した調書は、そもそも、「『検察官の面前における供述』を録取
した書面」とは言えない代物なのではないかというのが実感です。

 

RE:供述調書というものは@ 投稿者:田中一郎
投稿日:11月 8日(水)00時25分58秒

 萩尾先生、初めまして。お名前は、ミランダの会のブックレットや、季刊刑事弁護の
方で度々拝見させていただいております。

> 54期修習生の田中(匿名)さん、検察での取調修習の現況を書き込んで頂き、
>ありがとうございます。田中さんに質問があります。田中さんのご報告によりますと、
>修習生の場合、「後で手控えを見ながら起案する」と報告されておりますが、そうする
>と、現実に被疑者を目の前にして取調をしている際にはメモを取るだけで、取調が
>終わり、被疑者が退出した後で、つまり被疑者の居ないところで供述調書を作成して
>いるということなんでしょうか?
 その通りです。弁解録取など簡単に出来る場合、身柄で満期ぎりぎりの場合や参考人の取調などで参考人の都合上、もう一度、読み聞けと署名捺印のために再び出頭してもらうことが不可能な場合を除いては、調書を起案した後に再出頭して貰うという運用になっています。なお、再出頭が不可能な場合には、修習生が質問して、被質問者が解答し、これを検事が事務官に口授して、その場で調書を作成するという運用になっています。なお、修習の初めの段階で、その場で口授して調書を作成するのが原則であるという注意は、なされています。ちなみに、調書の日付は、実際に取調べをした日ではなくて、読み聞けと署名指印をした日となっています。

 

調書 投稿者:野隆
投稿日:11月 7日(火)21時38分38秒

確かに、萩原さんが言うように弁護士の作る「陳述書」は弁護士の作文ですが、これによって有罪にされたりする心配はないですね。そもそも民事事件の場合、相手方の弁護士がこちらの依頼人の陳述書を作る−−しかも、当方の立会いなしに作る−−なんてことはありえないでしょう。もしもそんなことをすれば懲戒の対象になります。

 

供述調書というものは 投稿者:萩原猛
投稿日:11月 6日(月)23時25分23秒

54期修習生の田中(匿名)さん、検察での取調修習の現況を書き込んで頂き、ありがとうございます。田中さんに質問があります。田中さんのご報告によりますと、修習生の場合、「後で手控えを見ながら起案する」と報告されておりますが、そうすると、現実に被疑者を目の前にして取調をしている際にはメモを取るだけで、取調が終わり、被疑者が退出した後で、つまり被疑者の居ないところで供述調書を作成しているということなんでしょうか?もしそうだとすると、そのようにして作成された調書は、検察官「面前」調書とは言えないという考え方もできる気がしますが、いかがでしょう。最も、条文には「『検察官の面前における供述』を録取した書面」(刑訴321)とありますから、現実に調書を作成する場に被疑者が立ち会っていることまでは要求されていないという解釈もあり得るんでしょうかね。何れにしても、被疑者を取調室から退出させてから後で1人で捜査官が調書を作成して良いとすると、調書というものが捜査官の作文であるという度合いは一層高まると言えるでしょう。調書とは本来そういうものなのです。弁護士も民事事件の際に、陳述書というものを作成しますが、あれなども捜査官の供述調書に優るとも劣らない弁護士の「作文」ですね。
 それから、取調修習の拒否の問題ですが、修習生の中には、修習生には「取調権限」が無いので、修習生の取調は違法であり、従って、取調修習をしないという方がおられるようです。ある人に「取調権限」があると言えるには、その人の取調を受ける者にそれを受忍する義務があり、供述する義務があるという場合でなければならないでしょう。供述義務の無い者を取り調べる権限がある者など、存在しないのです。被疑者には黙秘権あり、取調受忍義務はありません。取調は全て任意であり、取調権限というものを有する者は存在しません。従って、修習生も取調をして何の問題も無いわけです。勿論、取調は、真に任意でなければなりませんが。私は、そう思います。

 

検察修習現況報告 投稿者:田中一郎
投稿日:11月 6日(月)20時46分59秒

54期司法修習生の田中一郎(匿名)です。現在、検察修習中ですが、現況を報告いたします。
 検察修習では、取調修習が中心となるわけですが、修習生の場合には検事のようにその場で口説(くぜつ)して事務官に書かせるわけにはいかないのであとで、手控えを見ながら起案するのですが、調書とは調査官の「作文」であるということを痛感しています。結構、聞いてもいないことを付け加えてしまったり、ニュアンスの違う言葉に変えてしまうことはよくあります。全面的な自白事件ならばともかく、こんなものを裁判の判断材料にされてはたまったものではありません。検察官は取調は真実発見のために必要といいますが、仮に、真実が取調べにおいて語られたとしても、それが忠実に調書に反映されるとは限らないし、第一、全面的な否認の場合には、調書化されない場合すらあるのです。ミランダの会が真実発見を阻害しているという批判はまゆつばものだということが分かりました。
 取調修習については、書いているとおり、拒否はしてはいませんが、拒否しないで正解でした。検察庁の方では、取調修習拒否者を出さないように神経質になっているようで、検察教官がわざわざ(地名略)に来たりもしました。初めから、こちらにはそんなつもりはないのに、検察は相当神経を尖らせていたようです。実態的には、自分で言うのも何ですが、取調べを含めて検察修習に熱心なことでは、1,2を争っています。中では、公然たるスパイのように扱われていますが、見たいものは何でも見せてくれています。なお、修習生の中では、全体的に見て、刑事弁護に対する関心は低いのは残念なことです。

ここ2―3日のこと 投稿者:高島 章(新潟)
投稿日:11月 2日(木)18時47分01秒

 10月31日、否認事件(現住建造物・非現住建造物放火 少年の逆送事件)で、東京高裁第4刑事部(高木俊夫裁判長)の判決を受けました。もちろん、有罪でした。
 共犯者の自白・被告人の自白だけが証拠の事件でした。
 1審で調べた共犯者を2期日に渡り尋問し、被告人質問もして、検察・弁護側双方で、弁論要旨まで提出したので、期待は大きかったのですが、何というか、恋人にさんざん思わせぶりな態度を示され、最後に振られた気分です。
 翌11月1日は、日弁連臨時総会。高野さん・木村荘さん、(会員外では)刑弁センターの竹ノ内さん、李宇界(田鎖さんのお友達)などお見えでした。新聞報道のとおり、荒れる総会でしたが、執行部提案の採決集計以降は、反対派の抵抗(動議作戦等)もなくなり、幕切れは、静かなものでした。終了は、午後10時前で、結局東京に2泊しました。疲れた。

(無題) 投稿者:萩原猛
投稿日:10月28日(土)10時45分48秒

岩田さん、埼玉弁護士会のイベントを宣伝して頂き、ありがとうございました。
この掲示板では、私が、ちょっと強引に「刑事弁護ガイドライン」の方向に話を持っていってしまったので、山下さん、高野さん等ガイドラインの話が続いておりました。また、エッセイのコーナーでもガイドラインに関する意見が掲載されています。おそらく、このミランダの会のホームページを御覧になっているのは弁護士だけではなく、多くの市民、学生、研究者の方々がおられると思います。初めてガイドラインの議論を見聞された方には、その意味するところが解りにくいとは思いますが、疑問・質問なども含めて、気楽にこの掲示板に書き込んで頂ければありがたいと思います。
その他、ガイドライン問題に限らず、ミランダの会・被疑者弁護・被害者支援・司法改革等に関するご意見など、市民の方々のご意見をお待ちしています。


ご挨拶 投稿者:岩田和晃
投稿日:10月23日(月)17時18分38秒

>萩原先生
先日、当番弁護士制度を支援する市民の会ミーティングに参加させていただいた岩田です。
下記URLに埼玉弁護士会のイベントを告知させていただきました。
この掲示板を初めて見させていただきましたが、お会いしたことがある方がいらっしゃいますね。
高島先生、ILCの岩田です。プライバシーシンポではお世話になりました。
山下先生も、先日、牧野法律事務所のパーティでお会いしました。
すみません、ここだけ雑談になっていますね…
では今後ともよろしくお願いいたします。

 

二次案について 投稿者:野隆
投稿日:10月14日(土)16時01分42秒

山下さんへ
「『刑事弁護ガイドライン第2次案』の出来があまりにも悪すぎる」というのは、具体的にはどの部分でしょうか?

 

RE;それでもガイドラインは必要だ 投稿者:山下幸夫
投稿日:10月14日(土)12時41分37秒 

萩原さんの意見を拝見しました。
 実は、ガイドラインを萩原さんの言っているような意味に捉えるのであれば、僕もあっても良いと思うし、あるべきだと思っています。ただ、今の日弁連の刑事弁護センターが策定を進めようとしている「刑事弁護ガイドライン第2次案」の出来があまりにも悪すぎるために反対することになっているのです。
 弁護士会の中で、また、研究者や市民の意見もある程度聞きながら、倫理基準やマニュアルを持つことは大事なことだと思います。いつまでも、弁護士会だけが、外からの批判に晒されない存在だと思っている時代ではなくなっています。その意味でも、倫理基準やマニュアルを持つことは必要だと思います。
 ただ、今の日弁連の刑事弁護センターが進めている「刑事弁護ガイドライン」については、あまりにも議論の機会が少なすぎて拙速だと思います。もっと、徹底した議論をして、よりよい「ガイドライン」を作るべきだと思います。

 

RE;なぜ異議申立てしないか 投稿者:山下幸夫
投稿日:10月14日(土)12時36分37秒

 高野さんの意見は確かにその通りだと思います。
 今の弁護士に、倫理感が不足しているのは大きな問題だと思います。
その倫理感をどうやって養うのか。最近、弁護士会でも、弁護士の不祥事続きで、ようやく、弁護士倫理研修が義務づけられるなどしてきましたが、まだまだ不足でしょう。
本当は、大学や司法研修所で、倫理について徹底的に勉強する必要があるのだと思います。もっとも、こういうことを言うと、ロースクール論者は喜んでしまいそうですが。
 それから、弁護士が市民から孤立しているという問題については、もっともっと、弁護士と市民とが議論しあう機会を持つことが必要だと思います。ここのHPなんかもそういう場になればいいなと思いますが、弁護士が市民に対して、どういう仕事をしているのかということをもっと知らせていく必要があると思いますね。

 

それでもガイドラインは必要だ 投稿者:萩原猛
投稿日:10月14日(土)00時55分10秒

山下さん、異議申立の意味を理解していない→法曹教育の問題、それはその通りと思います。私も、大学では刑事訴訟法のゼミに入り、刑事弁護士を目指して司法試験を受けましたが、実務修習の過程で、刑事事件・刑事弁護に対する魅力を喪失し、弁護士になってから5年間くらいは殆ど刑事事件をやりませんでした。もっとまともな弁護士養成教育を受けていたら、もっと早く目覚めていたのになあ、と思いますね。われわれが必要だと考えるガイドラインは、刑事弁護士の弁護活動の準則であり、倫理規準です。それは憲法が要請する「資格を有する弁護人」の意味を具体化するものです。こういうガイドラインができれば、世間に対し、刑事弁護の意義、刑事弁護人の活動をアッピールすることができ、自由な社会を守るとはどういうことかといったことに対する世論喚起になるでしょう。また、ガイドラインは、刑事弁護士養成教育の目標となり、指針となるでしょう。しっかりした刑事弁護士養成教育の実現のためにもガイドラインが必要なのです。

 

なぜ異議申立てしないか 投稿者:野隆
投稿日:10月10日(火)21時01分56秒

 問題の局面は二つあると思います。一つは裁判官が我々の異議申立てに対して法に則って正面から答えようとせず、現状を追認しつづけていること。もう一つは、異議申立てを行う弁護士が孤立していること。前者と後者の関係は複雑で、どちらか一方が原因で他方が結果だと言い切ることもできません。裁判官が変れば異議申立てをする弁護士が増えるとも言えるし、異議申立てをする弁護士が増えれば裁判官が変るとも言えます。
 弁護士の孤立について言えば、私は、山下さんが指摘する「弁護士の意識」の問題の背後にわが国の弁護士倫理の弱体が潜んでいるような気がしてなりません。弁護士が誰のために、何を目指して行動するのか、何が許されないのか、この基本的な倫理が業界内部ですらも曖昧であり、検察官や裁判官も良くわかっていない。まして普通の市民は何もわかっていない。このようなことを背景に「被疑者に黙秘を勧めるような弁護士はけしからん」という意見が大手を振るい、結局「異議申立てを行う弁護士」が孤立するのではないでしょうか?

 

「ガイドライン」問題について 投稿者:山下幸夫
投稿日:10月10日(火)10時02分58秒

萩原さんの意見拝見しました。
確かに、圧倒的多数の弁護士が、ほとんど異議申立をしていないことも大事かと思いますが、それは「ガイドライン」がないからではなくて、そうあるべきだという認識を持っていない、つまり、刑事訴訟法における異議申立をする意味を十分理解しないからであって、「ガイドライン」でそのように定めたから弁護士が異議申立をするようになる、という問題でもないと思います。
 異議申立をすることの意味をきちんと学ぶ機会がないこと、これはある意味では法曹教育の問題なのかもしれません。私の場合には司法試験受験の中で刑事訴訟法を勉強して、異議申立をすることの必要性を学んだと思いますが、そのような機会を作れば、「ガイドライン」など必要ではないように思います。

 

ガイドラインは必要です 投稿者:萩原猛
投稿日:10月 5日(木)14時21分14秒

山下さん、お久しぶりです。多くの弁護士が高野さんのような経験をして、やっても無駄だと諦めて、特別抗告等の異議申し立てをしなくなるとの認識は違うと思います。多くの弁護士は、初めからやりもしないのです。高野さんのように徹底的にやりきって、ついに諦めの心境に至りながらも、再度頑張ろうと自分にむち打ち気持ちを奮い立たせている弁護士は圧倒的に少数だと思います。大多数の初めからやりもしない弁護士の意識改革が必要です。だからこそ、刑事弁護ガイドラインが必要なのです。山下さんは、ガイドラインに反対でしたっけ?

 

最高裁の特別抗告棄却 投稿者:山下幸夫
投稿日:10月 5日(木)09時22分27秒

高野さんの記事、拝見しました。
私も「実質は法令違反の主張に過ぎず」としてあっさりと特別抗告を棄却されることがしょっちゅうですので、高野さんの気持ちはよく分かるつもりです。ただ、多くの弁護士はそういう経験をして、「だから最高裁に特別抗告なんかしても無駄だ」と思って特別抗告などの異議申立をしなくなる・・・ことは悪循環になっていると思います。もちろん、まともに答えない最高裁にも問題があると思います。でも、諦めずに特別抗告をし続ける、ということが必要だと思います。

 

裁判所は何のためにあるのか 投稿者:野隆
投稿日:10月 4日(水)18時54分31秒

今日1ヵ月半待たされた特別抗告の棄却決定が最高裁から送られてきました。例によって「実質は単なる法令違反の主張に過ぎず……」という三行半の門前払い決定です。睡眠時間を削って様々な判例を引用し学説を検討して書き送り、1ヵ月半も待たせてこのありさまです。私には最高裁が考える「憲法違反の主張」とは何なのかさっぱりわかりません。そして、「特別抗告」という制度がなんのためにあるのかも。最高裁判事には少なくとも憲法判断ができる人が選ばれるべきだとつくづく思います。

 

(無題) 投稿者:高島 章(新潟)
投稿日:10月 3日(火)11時01分00秒

 萩原さん こんにちは
 私も同様の経験があります。拘置所の中で、私を宣伝してくれる人がいるらしいのです(笑)。
 その種の業界の人の中には、季刊刑事弁護の愛読者がいるようです。
 愛読者の声とかやると面白いと思います。>現代人文社

 

弁護依頼 投稿者:萩原猛
投稿日: 9月30日(土)15時11分06秒

萩原です。このところ、2件立て続けにミランダの会に対する弁護依頼がありました。某警察署留置管理係の警察官から、弁護士会で聞いたということで、私の事務所に電話があり、「被疑者がミランダの会の弁護士をお願いしたいと言っているんですが」とのこと、早速面会に行ったところ、「ミランダの会という刑事弁護を一生懸命やってくれる弁護団がある、ということを仲間から聞いたことがあった」というわけです。市民の期待を裏切らないようにしなければね。皆さん!刑事専門事務所を作ろう!

 

ご挨拶 投稿者:高島 章(新潟)
投稿日: 9月25日(月)18時04分46秒

 ミランダの会正会員、高島です。高野さんからメールを受け取り、さっそくアクセスしました。
 現在、県弁護士会の副会長でもあり、ガイドラインの件は、いろいろやっております。
 直近の、常議員会で「策定反対」の議決がありましたが、この間の経緯は、暇を見つけて投稿しようと思います。
 では、よろしく。