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エッセイ

MIRANDA ASSOCIATION

刑事弁護の体験談、刑事司法改革について意見

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ミランダの会活動報告7
誰の利益を守るのか? 「私のミランダ日記」

季刊刑事弁護11号144頁、現代人文社の許可の下に転載しました。


はじめに

本レポートも七回目を迎えるが、ミランダの会方式の弁護はまだまだ一般的なものにはなっていないことを考え、今回は、筆者が一昨年の年末から年始にかけて担当した複数の事件に関する取組みをもとに、普通の弁護士が日常の刑事弁護活動の中で、ミランダの会方式による弁護活動をどのように実践しているかを、紹介することとする。

一二月二一日(木)

夕方、あるボランティア団体から外国人男性Aの弁護を依頼する電話が入る。
 夜、Aが外国人の恋人と来所。現在、警察が逮捕状を持ってAの所在を探しているようだが、何の容疑かがはっきりしないとのこと。考えられる可能性・今後の対応について三人で議論した結果、翌日筆者が付き添って警察に出頭することになった。この時点でAはオーバーステイだったので、刑事事件の結果にかかわらずAは退去強制になることを説明し、そのうえで今後予想される手続について説明した。そして、ミランダの会の弁護要領を進めるうえで説明が必要不可欠な事項(Aには黙秘権等の権利があること、刑事裁判における調書の意義、弁護人の取調べへの立会や調書確認の必要性、取調べの際の注意事項等)を説明した。
 これだけのことで随分時間がかかったが、Aもその恋人も、他の外国人と同様、これらの説明に対する理解が日本人以上に早いので助かった。Aは、どうせ日本にいられないなら、できるだけ早く帰国することを強く希望したため、取調べ自体には応じるミランダBの対応をすることとした。取調べを拒絶することで手続がいたずらに長期化するのをおそれたのである。外国人であるため、通常の申入書に、通訳者として恋人の氏名を記載し、実際の立会はまず認められないとは思ったが、その時点から年末にかけて筆者が取調べに立会可能な日時を六日程度記載した。

一二月二二日(金)

早朝、所轄の警察署に連絡をとり、Aに対する逮捕状が出ていることを確認した。当該警察署は筆者の事務所から二時間はかかるので、筆者の事務所の最寄りの警察署に被疑者を出頭させると告げたところ、所轄の警察署の捜査担当者が到着するころに出頭させてほしいと頼まれた。その後Aと恋人が筆者の事務所を訪れ、捜査担当者が警察署に到着したとの電話が入ったので、警察署に出頭した。
 このことからもミランダの会の会員が巷で言われているのとは異なり、警察に協力的であることがわかっていただけると思う(冗談)。示された逮捕状によると、被疑事実は共犯事件であり、住居侵入窃盗とその際盗んだ通帳の引出しに関する私文書偽造同行使詐欺の二件であった。捜査担当の警察官に、申入書を交付して趣旨を説明したところ、取調べへの立会は認められないが、申入書は受け取っておくということであった。被疑者を自発的に出頭させたためか、この時点では弁護人に対する警戒心はまったく感じられなかった。

一二月二四日(日)

勾留決定(接見禁止付)。この日以後、年末年始にかけて五回ほど接見した。当初、捜査官はそれほど厳しい取調べはしていなかったようであるが、被疑者が弁護人の事前の調書確認を求め、それが受け入れられないため署名指印を拒否するということを繰り返しているうちに取調べは過酷になっていったようである。それでもAは、員面調書については署名指印拒否を最後まで貫いた。

一月一二日(金)

窃盗で起訴。結局、通帳の換金の件は起訴されなかったが、これはミランダの会方式をとった成果であろう。ただ、起訴時に出入国管理法違反(オーバーステイ)と偽造有印公文書行使(入国管理局の偽造印影のあるパスポートをかつての雇い主に提示した件)で再逮捕された。偽造パスポートの件もオーバーステイの件も数日前から取調べでは話題になっており、被疑者の話からするとオーバーステイは当然同時に起訴されると思っていたので、わざわざ再逮捕されたことは意外であった。
 このころになると、Aは精神的疲労が極限に達し、もともと胃腸が弱かったこともあって投薬を受けていたものの、肉体的な苦痛をたびたび訴えていた。Aの事実関係についての説明は微妙に揺れ動き、筆者に対しても前に話したことと違うことを述べたり、事実を認めたほうが早く出られるのかと悩んだりしていた。
 筆者は、接見のたびに、真実に反して事実を認めることは決してAの利益にならないこと、事実を争う場合には当初の予想よりも裁判に時間がかかることは仕方がないこと、それでもできるだけ早く裁判を進める努力をすること、どのような動機に基づくものであれ捜査機関に対しても真実と異なる供述をした場合には捜査機関を混乱に巻き込むことになり、結果的に事実の解明に時間がかかってしまうこと等を何度も説明したが、この時点でのAの最大の関心事は、彼女は今どうしているか、彼女は自分のことをどう考えているかということであった。接見の際もその訴えを聞くことに時間をとられて、肝心な点について十分な説明をする時間が確保できなかったり、必要な打合せができないこともしばしばであり、果たして筆者の言うことが理解されているかどうか心許ない状態であった。

一月一三日(土)

早朝、数年前に少年事件を担当したBの親から連絡が入る。警察からこの日の午前一時に繁華街でBが公務執行妨害により逮捕されたとの連絡を受けたが、事情がよくわからないので接見に行ってほしいと頼まれる。午後三時ころ警察署でBと接見する。Bによると、昨日親しい友人たちと車で繁華街に来たが、自分が友人と離れた隙に、友人たちが派出所で警察官と揉めていたので、自分が友人たちと警察官の間に入ったところ、警察官からいきなり胸ぐらをつかまれ服のボタンが飛んでしまったので、自分もかっとなってしまい相手のネクタイのあたりに手をかけようとしたところ、公務執行妨害で逮捕されたとのことであった。
 ここでも黙秘権、調書の意義、取調べの注意点等についてAと同様の説明をした。Bは以前の事件の際、取調べを受けていたので、なかなか理解が早い。Bは、成人間近の一九歳になっていたこともあって、前の事件のときとは比べものにならないくらいしっかりした応答をするようになっていた。今回の事件については相手の警察官の行為が直接の原因であるが、自分もかっとなって相手に手をかけてしまったことはよくなかったと冷静に当時の行動を振り返っていた。Bについてはまじめに仕事をしていることは聞いていたが、予想以上に成長した姿をみたことは、筆者にとってうれしい驚きであった。
 Bはミランダの会方式の説明についても十分理解したが、この件も早期釈放を第一の目標に考えたので、ミランダBの方式を選択した。少年事件であることから少年警察活動要綱九条三号も根拠条文に加えた申入書に署名指印をしてもらい、接見後直ちに担当警察官と面会したところ、取調べへの立会について拒否されたばかりか、申入書の受取り自体も拒絶された。
 この日夜遅く、事務所でBと一緒にいた四人の友人から事情聴取したところ、四人と警察官とのトラブル自体、警察官の側に非があること、警察官が興奮してなんにも落ち度のないBの胸ぐらを一方的につかんだことが事件の原因であること、友人のうち二人は警察官に軽い怪我を負わされており、この事件に関する取調べも受けていないこと等が判明した。Bの早期釈放を実現するためには、翌日、検察官に面会して勾留請求を断念させるしかないと考え、友人四人の供述を書面化し、親とBの雇い主の陳述書を準備することとした。

一月一四日(日)

友人四人の供述録取書の作成にとりかかったのが前日の夜遅くだったので、完成は明け方になってしまった。少年四人は事件のあった金曜日の夜からほとんど一睡もしていなかったので、事情聴取の合間に交代で仮眠していたが、Bをなんとか早く救いたいという気持ちから、嫌な顔ひとつ見せずに協力してくれた。
 筆者は、この日午前中から出張の予定があったため、午前九時頃、意見書と資料を検察庁に持参のうえ、勾留当番の検察官との面談を求めたが、検察官の登庁が遅れたため面談はできず、検察庁の職員に資料を手渡すよう依頼するにとどまった。夕方、出張先から連絡したところ、勾留請求はなされたとのことであった。
 争いのある事件の場合、その後の弁護活動への支障を考えて、手持の証拠を早期に検察官に開示することにはどうしても消極的になりがちであるが、本件については、事実関係を早期にはっきりさせれば、そもそも身柄拘束すること自体が不当な事案であることは自ずと明らかになり、早期の解放が実現できるのではないかと考えたので、この段階で証拠を提出するやり方をとったのである。いわば検察官の「良識」に期待したのであるが、その期待は実らなかった。

一月一五日(月)

Bが勾留請求されたので、祝日であったが、前日と同様の資料と意見書を持って、勾留担当裁判官に面談を申し込んだ。担当裁判官は「調書への署名押印を拒絶しているからといって不利に扱うことはしませんから」などと当たり前のことについて言い訳じみた説明をする人で、勾留質問への立会はやんわりと断られた。意見書では、主位的には勾留請求の却下を、予備的には勾留に代わる観護措置あるいは勾留場所を鑑別所とすることを要望し、警察官が申入書を受け取らないこと自体、Bに対し自白を強要するような違法な取調べをする可能性が高いことを示していると指摘しておいた。しかし、Bは結局勾留され、予備的請求もすべて退けられた。ただ、さすがに違法な取調の可能性について若干配慮したのか、公務執行妨害の被害者とされる警察官の所属とは異なる警察署が勾留場所として指定された。

一月一六日(火)

AとBに関する二つの事件でバタバタしているうちに当番弁護士の担当日が回ってきた。何事も起こりませんようにとの祈りもむなしく、夕方出動要請が来たので、午後七時頃Cと接見した。
 Cは前科のない普通の会社員であったが、友人のDが外国人から手に入れた偽造パッキーカードをDと一緒にパチンコ屋で試しに使用してみたところ、その日のうちに変造有価証券行使および窃盗で逮捕されたとのことであった。Cは長期間の拘束を予想していなかったが、この日勾留されてしまったので、当番弁護士の出動を要請したとのことであった。Cから同じ警察署に勾留されているDとの面会も依頼されたので、引き続きDとも面会し、両名から弁護人に選任された。この時点で二人とも仕事の関係等からできるだけ早期の釈放を希望していた。二人に対し、それぞれ黙秘権の意味等について説明したものの、後述するような理由からミランダの会方式をとることはあえて勧めなかった。
 同日、Bと接見。警察官から身上経歴関係の調書を取られたが、間違いがなかったように思ったので署名指印したとのことだった。そこで、再度、自分の判断で署名指印してしまうことの危険性を指摘したところ、Bは自分が判断できないような場合は署名指印を拒絶しますと約束した。実際には、その後もBは、いくつかの調書については署名指印を拒んだものの、いくつかの調書には自分の判断で署名押印していた。ただ、署名指印した調書については、後から筆者が見ても、筆者が当初危惧したようなひどい内容の調書が作られることはなかった。筆者の数少ない経験からしても、ミランダの会方式の申入れをした後に作成される調書は、何の申入れもしない場合よりも、被疑者の言い分をより忠実に反映したものが作成されることが多いように思われるので、右の結果もミランダの会方式をとったことの一つの成果といえるかもしれない。

一月一七日(水)

午前中C、Dの家族にあって示談金を用意してもらい、午後、被害にあったパチンコ店を訪問し、示談の内諾を得た。夜、示談書を持参して、正式に示談契約を締結した。

一月一八日(木)

C、Dに関し、検察庁に勾留満期を待たずに直ちに釈放してほしいとの意見書を、示談書の写しとともに提出した。
 一三日の起訴後、初めてAと接見した。Aの状態は相変わらず不安定で、起訴の前後にとうとう二通の検面調書に署名指印してしまったとのことだった。公判廷で請求された二通の検面調書は、決定的に不利であるとまではいえなかったが、微妙に犯意を認めるかのような記載があるなど、Aにとって不利なものであることには間違いはなかった。

一月一九日(金)

C、Dの件で検察官に電話で確認したところ、勾留延長はしない予定であるが釈放は勾留満期の当日まで待ってほしい旨の話があった。

一月二二日(月)

Bについてはこの日まで二、三日おきに接見しており、検察官にも連絡をとらねばと思っていながら忙しさのあまり連絡をとるのを怠っていた。週明けになっていよいよ連絡しなければと思っていたところ、突然Bの親から「今釈放されました」との連絡が入った。結局、検察官が勾留満期前に身柄つきで家裁送致したところ、家裁が観護措置をとらなかったため、Bは釈放されることになったようであった。少年事件では、勾留の満期前に家裁送致されることは時々あるにもかかわらず、筆者は否認事件であることもあって、こういう事態をまったく予測せず、てっきり勾留満期まで勾留されるものと思い込んでいたが、検察官は先に提出していた資料などを見て、早めに送致したほうがよいと判断したのかもしれない。弁護士としてはまったく恥ずかしい限りであったが、Bたちは前回の事件の経験(二〇日間の勾留に四週間の観護措置)からもっと長期の身柄拘束を予想していたのか、この日の釈放を大変喜んでいた。

一月二四日(水)

C、Dが勾留満期で釈放される。

二月五日(月)

Aが入管法違反、偽造有印公文書行使(二件)で追起訴される。
 追起訴の後も事情があってAの恋人はなかなか面会に来ることができなかった。その後、いくつかの行き違いがもとで、Aと恋人の仲は決定的に破綻してしまった。筆者は、双方の誤解を解くための努力をするため、一時期は事件の打合せよりも両者の間をとりもつための接見をしているような状態であった。しかし、Aは、恋人との仲がうまく行かなくなったのは通訳人のせいだと言い出すなどして、これまで献身的に対応してくれた通訳人がいったん交代せざるをえなくなったり、裁判に対し半ば自暴自棄な態度をとったりしはじめたため、その後のAの弁護活動には大変な苦労を強いられることになったのである。

事件を通して考えたことなど

ここで紹介した各事件をきっかけに筆者が考えたことや右の各事件のその後の経過を紹介する。
 この頃はどの事件についても必ず数日おきに接見することを心がけていたが、本来は毎日接見すべきであったと思う。今振り返ってみての最大の反省点としては、勾留等に対する準抗告等の手続をもっと積極的に行うべきだったということである。また、現実に余裕はなかったのであるが、少なくともAとBの事件については、後の裁判・審判に備えて、各被疑者の言い分を調書化しておくべきだったと思う。

C、Dに関する事件は、当初の段階で、ミランダの会方式をとるかどうかで非常に悩み、結果的にはミランダの会方式をとることを断念した。筆者は、被疑者両名の話を聞いた時点で、この事件はできるだけ早く釈放を求めることが被疑者の最善の利益であると判断したのであるが、筆者が本件でミランダの会方式をとらなかった最大の理由は、ミランダの会方式を貫いた結果、C、Dが起訴されることになっては困るということよりも、ミランダの会方式を採用して警察官や検察官に各種の申入れをしたり、被疑者とそのための打合せをする時間があるならば、その時間を使ってできるだけ早く示談を済ませることのほうが重要だと考えたことである。

筆者にとっては、可能な限り迅速な対応をすることがミランダの会方式をあえてとらないことを正当化しうる唯一の根拠であるように思われたので、実際にも、当番弁護士として出動した翌日に示談を完了させたのである。このことがC、Dの早期釈放につながったことは間違いないと思うので、このときの選択は今でも正しかったと考えている。釈放後、検察官から「実はこの事案は起訴するかどうか微妙な事案だったんですよ」と言われたが、筆者はそれを聞いて早めに示談をしておいて本当によかったと思ったものである。
 聞くところによると、筆者とは比べものにならない程の経験と実績をお持ちの諸先輩方の中にも、「争いのない事件も含めてどのような事件でも」ミランダの会方式を実践する自信はないという理由でミランダの会への入会を躊躇される方がおられるとのことである。このような方は、極めて誠実な方だと思われるが、実際には、C、Dに関する事件に限らず、この「どのような事件でも」という点については、ミランダの会の会員であっても必ずしも実践できているわけではない。したがって、この点だけが入会に際しての障害になっている方がおられるならば、筆者としては安心してミランダの会に入会していただきたいと思う。
 ミランダの会の活動は依頼者を犠牲にしてでも弁護士としての信念を貫くことが目的なのではなく、あくまで依頼者の最善の利益に資する弁護活動を追求するのが目的なのである。なお、この点については、これまでの例会でも何度か議論になっているが、筆者の印象では例会に出席した会員は皆筆者と同様の意見であるように思われる。

Bの事件については、在宅事件に切り替わり、少年は元の職場に復帰した。三月に入って調査官の調査がなされることになったが、そのときBは調査官の調査にも付添人である筆者の立会を求め、立会がなければ調査に応じたくないという意向を示した。これは筆者にも予想外のことであり、少年の意向をあらためて確認したところ、調査官から何を聞かれるかわからず不安なのでぜひ立ち会ってほしいとはっきり言われたのである。これには裁判所も対応に困ってしまい、審判官は筆者と面談のうえ、立会なしの調査に応じるようにBを説得してくれないかということをそれとなく依頼してきたが、筆者は、調査について付添人の立会を要求すること自体一般的に正当な考えであるともいえるし、本人が自分で考えて決めたことを付添人が説得して変えさせるつもりはありませんとはっきり答えることとした。

結局、これについては、調査官がBに対し、まず立会なしで調査を始めさせてもらって、少しでも不安や納得できない点があれば調査をその時点で打ち切っても構わないからという条件でBの同意を得て調査を始めることとしたのである。筆者は、調査のなされている間、家裁の待合室で待機していたが、一時間程度でBの調査は終了した。Bによると「調査官は警察と違って自分の言うことをよく聞いてくれたから、安心して最後まで自分一人で応対できた」とのことだった。

その後、審判官から、審判の進行について、この事件は証拠調べをしても結局少年側と警察側の証言が対立したままに終わることは確実に予想されるので、わざわざ時間をかけて関係者の証人尋問をする必要性は乏しいのではと言われ、事件の進行についての付添人としての意見を求められた。筆者は、確かにこの事件ではBの要保護性はほとんどないので(この点は審判官、調査官とも筆者と同意見であった)、非行事実の存否にかかわらず本件は不処分が相当であると思うが、警察官から一方的に暴行を受けたことにBが納得できないのならば、事案の真相解明のために十分な証拠調べをするべきであると考えるので、最終的にはBの考えにしたがって決めたいとの意見を述べた。

審判官もBの意向を尊重する姿勢を示したので、その後直ちにBの希望を聞いたところ、たとえ非行事実が認められることになっても早く審理から解放されるほうがありがたいとのことだったので、筆者は本件はBの弁解を聞くだけの簡単な審理で終わらせて構わないとの意見を述べることとした。結果は、予想通り非行事実あり不処分だった。

このような対応の是非については議論もあろうが、筆者にとって、この事件を通じて最も印象的だったのは、Bが調査について筆者の立会を求めるまでに自分自身で自分の事件に主体的に関われるようになったことである。調書についての署名指印をするかどうかについても、筆者の言うことに盲目的に従うのではなく、自分自身の判断で行っていたわけであり、それ自体は多分に危険性を含んだ行為であるものの、自分の事件に主体的に取り組んでいるという意味では筆者は大いに好感をもった。

実は、筆者は最初にミランダの会方式の弁護をした少年事件で、調書の事前確認がない場合の署名指印拒否の申入れをしておきながら、すべての調書に少年が署名指印してしまったという苦い失敗の経験があったため、成長発達の途上にある少年についてはミランダの会方式の弁護を実践できるかどうか疑問をもっていたのであるが、この事件によって、少年であってもここまで主体的に行動できるのなら、少年であることを理由としてミランダの会方式の弁護がふさわしくないとはいえないということを感じさせられたのである。またB少年のこのような態度があったからこそ、筆者としては審判の最終的な進行自体をB自身の意向にしたがって進めることにもなんのためらいも感じなかったのである。

なお、少年事件の場合、すべての証拠を検察官が家裁に送致する関係で、本件でもBの署名指印のない調書まで審判官が読んでいたが、それについては、審判官といえども刑事訴訟法に照らして明らかに証拠能力が認められない証拠を見てよいものかとの疑問をもった。

Aは、公判段階ではすべての事実についてはっきり否認したが、最終的な弁解の中には客観的には不自然に思われるようなものもないではなかった。筆者は、できるだけ早期に帰国したいというAの希望を生かすため、検察官の請求証拠については可能な限り同意することとし、問題のある証拠についても一部同意するなどして対処したが(署名指印のない被告人調書についても身上経歴に関するものについては同意した)、検事は、窃盗については共犯者の、偽造有印公文書行使については、Aの元の職場の同僚と取調警察官の証人尋問をそれぞれ請求し、いずれも採用されることとなった。

このうち、取調警察官の証人尋問には大きな問題があった。検察官の立証趣旨は、被告人が捜査段階では偽造有印公文書行使の事実を認める供述をしていたことというものであったが、検察官は尋問前に刑事訴訟法三二四条一項とそれが準用する同法三二二条一項によって、取調警察官の証言によってAの捜査段階の供述内容を立証するとの意向を示した。

これはまさに本誌九号で、古賀康紀弁護士が「取調検察官の証言」、井戸田侃弁護士が「取調官証人による被疑者供述内容の立証」という論稿でそれぞれ述べておられた問題である。本件での特徴は、署名指印はされていないもののAの調書が作成されているという点であろう。そして調書には、確かに偽造有印公文書行使の故意を認めるかのような記載がいくつか存在していた。

筆者は当然それまでにこのような証人尋問に対処した経験はなく、文献等を調べても適切な対応を書いてあるものは見当たらなかったので、当日までにとりあえず準備できたのは、検察官がAの署名指印のない供述調書を示して尋問しようとした場合に刑事訴訟規則一一一条の一一第一項の括弧書きを理由として異議を述べようと心がけたことぐらいであった。実際の証言は、二回の期日にわたってなされたが、一回目は供述調書の「予習」が不足していたのか、証人である担当警察官は、検事の質問に対してちぐはぐな応答をする場面が何度も見られ、質問自体を聞き返すこともたびたびあった。

二回目の尋問期日には、警察官も相当予習してきたと見えて、供述調書の記載を完全に逐語的に述べたとまではいえないものの、内容ごとに、「これについて、被告人は何と言いましたか」「○○と言いました」というようにほぼ供述調書の内容をなぞるような証言をしていた。ただ、いずれの場合も検察官がAの署名指印のない供述調書を示して尋問することはなかった。

筆者は、二回目の尋問中に、そもそも調書を事前に読んで準備してくることも、刑訴規則の趣旨を潜脱することになるのではないかということを思いついたので、反対尋問で、証人が二通の供述調書を公判期日の前に読んだうえで証言に臨んでいること、証人は調書に書かれていることに関する証言についてはほぼ調書通りに証言したこと、証人は検察官から事前に供述調書のコピーを渡されていたことをそれぞれ証言させた。そのうえで、筆者は、本件で警察官の証言を採用することは、刑訴規則の趣旨を潜脱する(当日尋問の際に供述調書を提示されて尋問を受ける場合と、事前に検察官から供述調書を十分閲覧させたうえで尋問を受ける場合とは、結局同様に評価しうる)という理由で、すでになされた二回目の証言の一部を証拠として排除する旨の申立てを口頭で行った。

それに対し、裁判所が排除する部分を特定してほしいというので、次回期日に、排除すべき証言を特定し、右証言は、実質的には刑事訴訟規則一九九条の一一第一項が禁じる供述を録取した書面を示したうえでの尋問に該当するとして、証拠から排除する旨の決定を求める書面を提出した。裁判所は右申立てを証拠調べに対する異議として取り扱って判断したが、筆者の異議はまったく受け入れられなかった。
 求刑は、懲役三年であったが、筆者は、窃盗に加えて、出入国管理法違反と二件の偽造有印公文書行使が追起訴されたため、実刑もありうるかとやや悲観的に考えていた。結果は、懲役三年、執行猶予三年であった。

Aの弁解はまったく受け入れられず、結果的に早期に帰国するという目的も実現できなかったが、前述したように二月以降は、十分な弁護活動をすることが非常に困難な状況に直面していたので、率直にいって実刑にならなかっただけでもほっとした気分であった。
 ただ、右の証人尋問の経験を通じて気になったのは、今後、ミランダの会の活動が広がって、取調べの際に弁護人の立会あるいは調書の事前確認を求め、それが認められない場合に調書への署名指印を拒否するという弁護活動が一般的になっていった場合、今回のように取調担当官の証人尋問により被疑者の捜査段階での供述内容を証明するといった方法もまた一般化する可能性があるのではないかということである。
 検察側がこのような手法を多用し、裁判所が事実認定に捜査官の供述を利用することが多くなれば、必然的に被疑者側の対応としては、黙秘ないしは取調べ拒否という手段をとることが多くなるのではないかと考えたのである。

このような方法に対し弁護側として考えられる主張については、古賀弁護士や井戸田弁護士の前記論稿が参考になるが、ミランダの会の例会でもさまざまな意見が出された。そのすべてを詳細に紹介する余裕はないが、@三二二条の要件である任意性で争うことができる(被疑者が明白に取調べへの弁護人の立会を求めているにもかかわらず、捜査官が無視して取調べを強行したら、原則として任意性がないという主張)、A捜査段階の被疑者の供述を調書化して捜査官の証言の弾劾証拠として使用することができる、Bそもそも外国人証人の供述調書は通訳が介在している点で二重の伝聞であり(外国人証人の法廷での証言も常に伝聞証拠ということになる。厳密にいうと、外国人の証言という生の事実に対する専門的な知識・評価が入り込むという意味で鑑定であるという意見があった)、二重の伝聞の場合には、警察官に被疑者の供述を聞いた状況について反対尋問したところで、警察官には被告人の話を直接聞く能力はないので意味がなく、このような場合には、被告人以外の者の公判期日における供述で「被告人の供述をその内容とするもの」について三二二条の要件のもとに証拠能力を認める三二四条一項の適用がされるべき事案ではない、という理屈が成立するなど、いろいろな興味深い議論がなされた。

おわりに

いろいろ迷いながらの弁護活動をそのままのかたちで取り上げたので、かなり冗長な報告となってしまったが、ミランダの会員が常に完璧な弁護活動をしているわけでもなく、また、硬直した方針を貫くだけの存在でもないこと、それでも具体的事件の中でミランダの会方式をとることには利点があることについて、理解していただけたのではないかと考えている。
 筆者としては、新人・中堅・ベテランの弁護士を問わず、自分の日常の刑事弁護の活動にさまざまな悩みを抱えている人こそ、ぜひミランダの会に参加し、筆者たちと問題意識を交流してほしいと思う。きっと何か得るものがあるはずである。

(森野嘉郎/東京弁護士会)

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