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エッセイ

MIRANDA ASSOCIATION

刑事弁護の体験談、刑事司法改革について意見

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刑事弁護ガイドラインをめぐる議論の整理のために
日弁連刑事弁護センター委員 弁護士 村岡 啓一

2001年2月7日


はじめに


刑事弁護ガイドラインの策定の是非をめぐって日弁連を二分するかのごとく賛否両論が唱えられている。大局的に見れば、日弁連において初めて「刑事弁護のあり方」について真剣な議論が戦わされているわけで、刑事弁護の発展のためには歓迎すべきことである。

しかし、策定反対論の中には「刑事弁護の国家管理化」を危惧する余り、議論の出発点となるべき原理論ないし憲法論を全く顧慮していないものが見受けられる。そのため、反対論の帰結が、これまで一貫して日弁連の主張してきた「国費による被疑者弁護制度」を否定するという誤った方向に行きかねない危険性を孕んでいる。

そこで、議論の整理のために、今確認しておかなければならない原理論ないし憲法論を明らかにしたうえで、真に議論しなければならない論点がどこにあるかを示すことにする。

第1 原理論の観点から


1 弁護士自治に伴う倫理規範の必要性

我が国の弁護士会には世界でも稀に見る広範な自治権が与えられている。ヨーロッパでは弁護士のギルドが国王との熾烈な闘争を経て漸進的に弁護士自治を獲得してきたという歴史を持つが、我が国にはこうした歴史がない。そのため、ともすれば弁護士自治が所与の特権であるかのように錯覚され、無条件で国家権力からの完全な自由が保障されているかのように誤解される。周知のとおり、弁護士自治が認められることの意義は、時には国家権力と対決してでも市民的自由及び基本的人権を擁護しなければならないという「在野性」を保障することにある。弁護士が弁護士自治の下「在野性」を発揮することによって「法の支配」が貫徹され、国民一般の権利が擁護されると考えられているのである。しかし、このことは、弁護士が何らの倫理や規範から自由であるということを意味しない。弁護士自治の本旨は、弁護士という法律専門職が自らの高い見識と経験に基づいて、自律的に、その職能集団に相応しい倫理と規範を備えることを当然の前提にしているからである。これは弁護士に限ったことではなく、一定の裁量が委ねられる専門家集団に「自治」が認められる場合の本質的な要件である。それゆえに、専門家集団の自治が広範であればあるほど、むしろ、専門家集団内部の倫理的規範を定立すべき責務は重くなるのである。

2 日弁連の倫理規範

こうした観点から我が国の弁護士自治に伴う倫理規範を眺めてみれば、わずかに弁護士倫理が存在するにとどまる。弁護士倫理は必ずしも民事・刑事を峻別して作成されたものではないため、本来民事事件に適用されるべき弁護士倫理を根拠に刑事弁護の批判がなされるといった弊害すら招くに至っている。本来的には、新憲法が制定された直後から、刑事手続の担い手として、刑事弁護に焦点を合わせた倫理規範が弁護士会自身の手によって制定され、私選弁護及び国選弁護を通じた倫理上の指針として機能すべきであったといえる。しかし、現実には、その作業が実施に移されることはなく、今回の「刑事弁護ガイドライン」策定の端緒となった刑事弁護センター刑事弁護実務小委員会ガイドライン研究会の検討開始まで放置されたのである。

こうした歴史を踏まえれば、今回のガイドラインの策定は、何も必要のないところに新たな倫理規範を制定しようとするものではなく、本来、存在していなければならない倫理規範の欠如を、刑訴法50年を経過した現在、遅まきながら補おうとするものであることが理解されよう。

3 原理的ガイドライン策定反対論について

諸外国に眼を転ずれば、同じ当事者主義構造の刑事司法モデルを採用している英米法系の国々において、刑事弁護に関する倫理規範が累次の改正を経ながら、厳然として刑事弁護実務の倫理上の指針として機能している。無論、後述するとおり、倫理規定の解釈をめぐってそこに「刑事弁護人のあり方」をめぐる見解の対立が反映され、常に価値観の相克が見られるが、法律専門職に相応しい一定の倫理規範が必要であるとする大前提を否定する議論はなされていない。

これに対し、現在のガイドライン策定反対論の中には、そもそも刑事弁護は千変万化であり一律の倫理規範にはなじまないという見解がある。しかし、刑事弁護の戦略及び戦術が多様であり、その選択に高度の専門性が要求されることと対依頼者との関係で刑事弁護人がどのように対処すべきかという基本的姿勢の問題とは次元の異なるものである。上記反対論の根底には、弁護士こそが防御の主体であり、依頼者の意思決定と離れて刑事弁護の戦略及び戦術を決定しうるという思想が潜んでいる。こうした考え方は、依頼者を防御の主体としてその意思決定の下で弁護人の倫理規範がどうなるかを検討しようとする現在のアプローチとは原理的に異なっている。その意味では、いずれの基本的姿勢を選択するかの態度決定の問題に帰着するから、議論の深化によって対立が解消されるという関係には立たない。

第2 憲法論の観点から


1 憲法上の権利としての被疑者段階の国選弁護制度

日本国憲法の解釈として、政府及び最高裁判所は、起訴の前後で「被疑者」と「被告人」とを区別する日本の伝統に従い、憲法37条3項の国選弁護制度の要請は起訴後に限定されるとして、起訴前の国選弁護制度は憲法上の要請ではなく、専ら立法政策の問題だとしてきた。これに対し、日弁連は、「人身の自由の問題」と「公正な裁判の問題」とを区別して考える国際人権(自由権)規約の考え方に基づき、憲法34条は身体を拘束された被疑者・被告人に共通して適用があり、同37条3項も被疑者を含む趣旨であるとして、起訴前の国選弁護制度は憲法上の要請であると主張してきた。

また、国際的には、国際人権(自由権)規約に基づき提出された第4回日本政府報告書に対する日弁連報告書(いわゆるカウンターレポート)において、起訴前の被疑者に国選弁護人を付する制度が存在しないことは、規約14条3項(b)(d)及び9条4項に違反する旨を指摘し、日本政府が直ちに起訴前の国選弁護制度を創設すべきことを要求した。その結果、規約人権委員会は、1998年最終見解において、規約に適合するように「日本の起訴前勾留制度を直ちに改革するよう強く勧告」するに至った。

こうした流れをうけて、司法制度改革審議会は中間報告において、国費による被疑者弁護制度の導入を明確に打ち出した。これは、日弁連の要求の正当性が公的に認められたと同時に、防御の主体である被疑者・被告人の観点から眺めるならば、半世紀以上に渡って放置されてきた制度の欠缺という違憲状態を解消することを意味している。よく日弁連の悲願の実現という表現がなされるが、正確に言えば、身体を拘束された被疑者にとっての悲願の実現というべきであろう。

2 制度実現のための弁護士会の責務

国連決議である「弁護士の役割に関する基本原則」によれば、実効的な法的援助を市民に与える責務を負っているのは第一次的には政府である。しかし、弁護士会も「すべての人が実効的で公平なリーガル・サービスにアクセスできるよう保障するために、政府と協力する」ことが求められている。すなわち、防御の主体である被疑者のために、国費を投じて「武器」である弁護人の援助を受けられる体制を整備するのは国家であるが、実際に、法的援助を提供するのは国家から独立して自治を認められている弁護士会なのである。

司法制度改革審議会は、前記中間報告において、「弁護士会は、弁護活動の質の確保について重大な責務を負うことを自覚し、主体的にその態勢を整備すること」を指摘した。この指摘がなされたのも、国費による被疑者弁護制度の担い手が正に弁護士会であるからにほかならない。

国費を投入するということは、国家財政の一環として、被疑者段階の弁護制度を運営することにほかならないから、その監督官庁が最高裁判所であれ、法務省であれ、はたまた厚生省であれ、「国家の管理下」にあることは否定できない。我が国に限らず、国費による弁護制度の運営とは常に「国家管理下の刑事弁護」を意味するのであり、いずれの国においても国家資金の導入に伴う弁護の国家管理の危険性を潜在的に持っているのである。ここで峻別されなければならないのは、運営費用に関わる国家管理と刑事弁護の内容に関わる国家介入との違いである。いずれの国においても、国選による弁護制度を担う運営主体は、前者において最大限の費用を国家に求めるのと同時に、後者において刑事弁護の自主性・独立性を確保するために国家との絶えざる緊張関係を維持しているのである。国家が資金だけを無制限に拠出し、刑事弁護の内容に全く介入しないという理想国家を思い描くことは非現実的である。むしろ、刑事弁護は被疑者・被告人の立場に立った国家権力との対抗関係を本質とするから、常に、刑事弁護への国家介入がありうるものと考えなければならない。

ここにおいて初めて二つの道の分岐点が現れることになる。一つは、刑事弁護の内容に国家介入の危険性があることを承認しつつ、いかにその危険性を極小化していくかを考え、危険を克服していこうとする道である。もう一つは、刑事弁護の内容に対する国家介入の危険性があることを根拠に、危険に立ち向かうのを回避する道である。後者の考え方は、必然的に国家資金の投入による制度化を断念することを意味する。つまり、この分岐点における選択基準は、実は、「国家管理下の刑事弁護」を容認するか否かではなく、「国費による被疑者弁護制度」を容認するか否かにこそあるのである。

このように見てくるならば、弁護士会の採りうる道は一つしかない。従来から主張してきたとおり、憲法及び国際人権(自由権)規約に従う限り、被疑者・被告人の視点に立って喜んで国費による被疑者弁護制度を創設し、その一方で、刑事弁護の内容に関する国家介入の企てと敢然と戦うほかないのである。弁護士会が英知を集めて真剣に議論すべきは、いかにして国費による被疑者弁護制度に参加する弁護士の身分保障を守るかであり、また、いかにして刑事弁護活動の自主性・独立性を確保するかについてである。もし、日弁連において本当の意味で弁護士自治が確立されているならば、この議論においては、深化こそあれ、対立はありえないはずである。この意味で、現在、日弁連の真価が問われているのであり、今後、本当の意味での弁護士自治が試されつづけることになる。

司法制度改革審議会は、国費による被疑者弁護制度を導入するにあたって、次のような指摘をしている。「運営主体やその組織構成、運営主体に対する監督などの検討に当たっては、公的資金を投入するにふさわしいものとするとともに、個々の弁護活動の自主性・独立性が損なわれないようにすること」。この指摘は、刑事弁護の質の基準とその確保を弁護士会に委ねたものであり、逆に言えば、運営主体が弁護の質の基準を策定するという選択肢を否定した点に重要な意義がある。すなわち、司法制度改革審議会は、日弁連と同様に、国費による制度化に伴い刑事弁護の国家管理の危険性がありうることをも想定したうえで、それを防止する対応策として弁護士会による弁護の質の基準策定を制度的に要求したのである。

したがって、弁護士会は国費による被疑者弁護制度の担い手として、一層具体的な倫理規範の制定義務を負担したことになる。

3 政策的ガイドライン策定反対論について

今回の刑事弁護ガイドラインをめぐる議論において、多くの弁護士が、その策定により刑事弁護の国家管理を招来するのではないかという危機感を抱いたことは、弁護士の「在野性」が健在であることを示すものとして大いに評価されるべきである。しかし、反対運動の帰結が、弁護士自治を強調する余り、いかに刑事弁護の国家管理の危険を克服するかという方向ではなく、むしろ、現状維持にとどまり、その結果として、身体を拘束された被疑者の憲法上の権利である国選弁護人の援助を受ける権利を否定することは、決して正当化されるものではない。反対論を徹底するならば、身体を拘束された被疑者のために、国家資金に依存しない刑事弁護制度、すなわち、現行の当番弁護士制度を恒久化することの提案につながるはずであるが、現在のところ、その具体的提案と展望は示されていない。

反対論の根底には、国家との対抗関係を本質とする刑事弁護にはそもそも国家から資金援助を受けるべきではないという思想が存在するが、そうであれば、現行の被告人段階の国選弁護制度も廃止すべきことになるし、「公正な裁判」の実現のために国家が対立当事者に武器を供与するという刑事弁護の本質についても疑問が投じられることになろう。(同様に刑事弁護の本質は対国家権力という「在野性」に尽きるという反対論の考え方を推し進めていくと、法曹一元の否定につながるはずであるが、こうした主張はなされていない。)

アメリカ法曹協会ABAの模範規範(いわゆるモデル・コード)及び模範規則(いわゆるモデル・ルール)を見ても、倫理規範の各条項の解釈をめぐって常に、弁護士を「裁判所の職員」としての視点から見るか、「依頼者の援助者」としての視点から見るかの対立があり、前者を支持する国家と後者を支持する弁護士との間で、常に「闘争」が繰り広げられている。換言すれば、弁護士自治を支える弁護士の「在野性」は、国家との間の不断の闘争によってのみ獲得され、強化されるものであって、目に見える形で倫理規範が存在するか否かによって左右されるものではない。こうしたアメリカとの対比で言うならば、我が国の弁護士の「在野性」とは国家との間の熾烈な闘争を経ずして与えられている「甘え」でしかなく、新憲法制定後50年間、単に放任されてきたことの裏返しの表現のように思われる。もはや、こうした弁護士自治に安住することは許されないのではないか。刑事弁護の国家介入の危険を意識しつつガイドラインを制定しようと考える賛成論者は、本当の意味での「弁護士自治」が問われる時代に突入したと考え、真価を問われる戦いに乗り出そうとしているのである。

第3 結論


今回のガイドラインをめぐる議論で示された弁護士会内部の自治意識の高揚は十分に日弁連が刑事弁護の国家管理化に対抗しうる集団であることを示したものと理解できる。

したがって、今後の議論は、いかに日弁連が刑事弁護の国家介入の危険を防止しつつ国費による被疑者弁護制度を担うかに収斂すべきと考える。

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