刑事司法改革に関する決議
―司法制度改革審議会中間報告を受けて―
2001年2月6日
司法制度改革審議会
会長 佐藤 幸治 殿
2001年2月6日 埼玉弁護士会臨時総会
[決議の趣旨]
司法制度改革審議会が、その最終答申にあたり、以下の改革案に踏み出すことを強く求めます。
- 刑事司法の使命について、実体的真実の発見に比して適正手続の保障の優位性を明確に宣言すること。
- 証拠開示制度が、被告人の憲法上・条約上の権利であることを明確にし、検察官手持ち証拠の事前全面開示制度を提案すること。
- 被疑者・被告人の公的弁護制度が、憲法上の弁護権に根拠を有することを明確に宣言し、弁護活動の自主性・独立性が強く保障され、その質の確保もあくまで弁護士と弁護士会に委ねられるべきとの立場を堅持すること。
- 代用監獄の廃止を提案すること。
- 現行の保釈制度の運用改善を計ると共に、起訴前保釈制度の創設を提案し、権利保釈の除外事由としての「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」を削除するとの法改正を提案すること。
- 被疑者取調べの可視化の制度として、{1}取調べ全過程のテープ録音ないしビデオ録画、(2)取調べへの弁護人の立会、を提案すること。
[提案理由]
■はじめに
中間報告は、刑事司法改革の視点・方向性について、「4 制度的基盤の整備」の一課題として「(3)国民の期待に応える刑事司法の在り方」という項目を立て、「ア
刑事司法に対する国民の期待―その使命・役割―」「イ 刑事裁判の充実・迅速化」「ウ 被疑者・被告人の公的弁護制度の在り方」「エ新たな時代における捜査・公判手続の在り方」について順次論じている。
そして、さらに「5 国民の司法参加―国民的基盤の確立―」という課題の中で、欧米諸国の陪審・参審制度等を参考にして刑事事件についての国民参加を検討するものとしている。
以下順次提案理由を述べる。
1 実体的真実発見(事案の真相の解明)と適正手続の保障
まず、中間報告は、前記アにおいて1999年12月の「論点整理」の中で刑事司法の使命について「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を全うしつつ、的確に犯罪を認知・検挙し、公正な手続を通じて、事案の真相を明らかにし、適正かつ迅速に刑罰権の実現を図ることにより、社会秩序を維持し、国民の安全な生活を確保することにある」と指摘したことを前提として、「適正手続の保障の下で実体的真実の発見(事案の真相の解明)が求められているのであり、両者を相互に排斥し合うものと位置付けたり、それを前提としていずれか一方のみを強調するような考え方は相当とは言えない」とした上、「刑事司法には、前記のとおり、今後の自由かつ公正な社会を支えるため、公正な手続を通じて、ルール違反に対する的確なチェック、効果的な制裁を科すことが一層強く求められることとなる。そうした時代・社会の要請を見定めながら、刑事司法を支える具体的諸制度につき、現状の問題点を冷静かつ公正な視点から点検した上、被疑者・被告人の防御権の保障等憲法の人権保障の理念を踏まえ、国民の期待に応える適切な制度の在り方を検討するという姿勢を有することが最も必要なことと考えられる」と結論付けている。
この部分では、刑事司法の使命について、実体的真実発見(事案の真相の解明)と適正手続の保障の観点から両者の関係について論じている。結論的に「被疑者・被告人の防御権の保障等憲法の人権保障の理念を踏まえ」た制度設計を求めている点は評価できるものの、「一方のみを強調するような考え方は相当とは言えない」として、両者のバランスを図るように主張しているようにも思われ、適正手続の優位性を曖昧にしている点は不当である。
そもそも、中間報告は、冒頭の「2 今般の司法制度改革の基本的理念と方向」の部分で「司法部門にあっては、具体的事件(争訟)の提起を受けて、当事者の主張に最大限配慮しつつ、当該具体的事実関係と法原理に基づきこれを適正に解決することを通じて秩序形成を図ろうとするところに特徴がある。法の下においてはいかなる者も平等、対等であるという法の支配の理念は、すべての国民を平等・対等の地位に置き、公平な第三者が適正な手続を経て公正かつ透明な法的ルール、原理に基づいて判断を示すという司法の在り方において最も顕著に現れていると言える。それは、ただ一人の声であっても、真摯に語られる正義の言葉には、真剣に耳が傾けられなければならない、そして、そのことは、我々国民一人ひとりにとって、かけがえのない人生を懸命に生きる一個の人間としての尊厳と誇りに関わる問題であるという、憲法の最も基礎的原理である個人の尊重原理に直接つらなるものである」と述べ、憲法的理念である法の支配が「この国の血肉と化し、この国のかたち」となることを高らかに歌いあげている。
そうであるなら、刑事司法改革においても、まずもって宣言すべきは我が国の憲法が求める刑事司法とは如何なるものなのか、憲法的理念を体現した憲法的刑事手続きはどうあるべきか、でなければならない筈である。黙秘権、弁護人の援助を受ける権利等の刑事手続きに関する憲法上の人権が充分に保障されなければならないこと、その上での真相の解明であり、刑罰権の実現なのである。憲法の意図は、国家権力を監視することにあり、そのために国家権力を手続的に拘束し、他方で国民に対して手続的保障の請求権を与えているのである。憲法31条以下の手続的要件を踏まない限り、国家権力は国民の身辺へは一歩も近づけないということを、憲法はぎりぎりの最低限の手続的保障として規定したのである(奥平康弘「憲法Vム憲法が保障する権利」298頁以下参照)。国家機関をも国民の手による法的統制の下に置くというのが「法の支配」の理念なのである。このような憲法の構造からするなら、刑事司法の使命・役割において、実体的真実発見に比し、適正手続の保障に重点があることは明らかである。
中間報告は、刑罰権の実現が「適正な手続を経ることにより(憲法31条以下の刑事手続に関する諸規定)、はじめて正当化されるものである」と述べる一方、「両者を相互に排斥し合うものと位置付けたり、それを前提としていずれか一方のみを強調するような考え方は相当とは言えない」とも述べ、その後の「効果的な制裁を科すことが一層強く求められることとなる」といった表現と相まって、適正手続の優位性が曖昧となっていると言わざるを得ない。
この総論部分は、憲法的視点から説き起こし、適正手続の理念の優位性を明確に宣言すべきである。そして、そのことによって、審議会は、刑事司法の究極的な価値が一人の冤罪者も出さないこと、無罪の発見にあることを説得的に国民の前に提示すべきである。
2 証拠開示
次ぎに、中間報告は、前記イの中で「刑事裁判の遅延は国民の刑事司法全体に対する信頼を傷つける一因ともなっていることから、刑事裁判の充実・迅速化を図るための方策を検討すべきである」とし、この方策の一つとして証拠開示を捉えている。そして「その検討に当たっては、充実した審理の実現という見地から争点整理と関連付けたものとすること」とされている。
しかしながら、このように争点整理の実効化に資することを目的として証拠開示を捉えるという発想は、本末転倒と言わざるを得ない。証拠開示は、あくまで被告人の防御権の実効化の観点から保障されるべきであり、それは個人の憲法上(憲法37条2項反対尋問権等)・条約上の権利(ヨーロッパ人権条約6条3項bの「便益」〔自由権規約14条3項bと同文〕に関するヨーロッパ人権委員会1981年12月14日ジェスパー対ベルギー事件決定参照)によって基礎づけられているのである。
中間報告は、「早期に事件の争点を明確化することが不可欠」とし、「第一回公判期日前から裁判所が主体的に関与する新たな争点整理手続の仕組みを構築することが必要である」としているが、安易な争点整理の強化は、被疑者・被告人と捜査・訴追機関との圧倒的な力の差を考慮したとき、有罪獲得に向けた検察官の主張に引きずられた争点整理に陥る危険性が高いと言わなければならない。このことに、前述した被告人の憲法上・条約上の権利性に無自覚な証拠開示制度の把握が加味されたとき、検察主導の証拠開示が現出し、被告人の防御の観点から有益な証拠が隠蔽されるという懸念も払拭し得ないというべきである。
松川事件の被告人達は「諏訪メモ」が、徳島ラジオ商事件の富士茂子氏は敷布団のシーツ上に残存した靴跡の写真が、検察官によって早期に開示されていたなら、かけがえのない人生に無為の時を刻まずに済んだのである。
審議会は、証拠開示が、被告人の憲法上・条約上の権利であることを明確にし、検察官手持ち証拠の事前全面開示を提案すべきである。
3 被疑者・被告人の公的弁護制度
中間報告が、前記ウにおいて「少年事件をも視野に入れつつ、被疑者に対する公的弁護制度を導入し、被疑者・被告人の弁護体制を充実させる方向で、具体的な制度の在り方とその条件につき幅広く検討すべきである」と述べ、公的被疑者弁護制度創設の方向が示されたこと、また具体的な制度設計に際しては「個々の弁護活動の自主性・独立性が損なわれないようにすること」「弁護士会は、弁護活動の質の確保について重大な責務を負うこと」が確認されたことは評価できる。
しかし、ここにおいても、身体拘束された被疑者について公的弁護人の援助を受ける権利が、憲法上の権利であることの認識が弱いと言わざるを得ない。憲法34条は、身体拘束された全ての個人に弁護人の援助を受ける権利を保障しているのであり、公的被疑者弁護制度の創設は憲法上の要請であるということを明示すべきである。
刑事弁護人は、常に国家刑罰権と対峙して、被疑者・被告人という少数者の権利・自由を擁護するという職責を有している。このような刑事弁護人の職責を全うするために、弁護人と被疑者・被告人との間のコミュニケーションに如何なる第三者も介在し得ないことが権利
(attorney-client privilege)として保障され(刑事手続きにおいては憲法上の弁護権の内容として保障されている)、弁護人はこの自由かつ秘密のコミニュケーションに基づき具体的弁護方針や弁護戦略を決定し弁護活動を遂行するのである。公的弁護人であってもこのことに変わりはない。
従って、弁護権の保障のために公的資金が導入されるにしても、弁護活動の自主性・独立性が強く保障されなければならないと共に、その質の確保もあくまで弁護士と弁護士会に委ねられるべきである。審議会は、公的弁護制度の創設が憲法上の弁護権に根拠を有することを明にすることにより、以上の憲法的原理を強調すべきである。
4 被疑者・被告人の身柄拘束に関連する問題
次に、中間報告は、前記エにおいて、「被疑者・被告人の身柄拘束に関連する問題」を指摘し、その中で「a被疑者・被告人の身柄拘束に関連して指摘されている問題への対応」として、指摘される代用監獄・起訴前保釈制度・接見交通・令状審査・保釈判断の在り方等について、「そうした指摘をどのように受け止めるかについては、現状についての評価の相違等に起因して様々な考え方があり得ることから、直ちに具体的結論を得ることは困難である」と述べ、具体的な措置を提案するに至っていない。
また、被疑者取調べについては、「b被疑者の取調べの適正を確保するための措置について」と題し、「被疑者の自白を過度に重視する余り、その取調べが適正さを欠く事例が実際に存在することも否定できない」とし、取調べの適正さを確保する方策として「取調べ過程・状況の書面による記録を義務付けることは、最低限必要な措置と言え、記録の正確性、客観性を担保できるような制度的工夫が施されるよう、更なる検討をすべきである」といった最低限の具体的措置を提案しているにすぎない。
以上の極めて消極的な改革姿勢については、根本的な批判を免れないというべきである。我が国においては1970年代後半から80年代を通して死刑確定囚4名を含む多くの誤判事件が再審で救済され、誤判原因が我が国の刑事司法の構造的な欠陥にあることが明らかにされた。即ち、密室での自白追及を可能とする長期の身柄拘束制度、代用監獄、公的被疑者弁護制度の欠如等である。
近時の裁判所による保釈実務は、憲法と国際人権法の理念から乖離し、無実を争う被告人に対しては、検察側請求の証拠調べが終了するまで「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」(刑事訴訟法89条4号)が払拭されないとして、保釈を拒否し続けるという運用が定着している。そのため、無実を争う被告人は、身体の拘束という苦痛と不利益の中で裁判を受けなければならず、これに打ち勝たない限り、自己の主張を貫くことは困難な状況に至っている。この苦痛と不利益に耐えきれない者は、自白に追い込まれるのである。まさに、裁判所が捜査機関と一体となって自白強要に手を貸しているも同然であり、人質司法と評される所以である。こうした実務が虚偽の自白を誘発し、幾多の冤罪を生み出してきたのである。
以上の我が国刑事司法の構造的欠陥は、各方面からの強い批判にも関わらず制度的には全く是正されてこなかった。その最大の原因が、法務・検察、最高裁の消極的姿勢にあったことは明白である。唯一改善が見られたのが、弁護士会が自主的に始めた当番弁護士制度である。司法制度改革審議会設置に伴う衆議院の附帯決議4項が、十分に論議すべき事項として「人権と刑事司法との関係」を取り上げたのも、以上のような現状認識を踏まえていたと考えるべきは衆目の一致するところであろう。
2000年5月に松山地裁宇和島支部が無罪判決を言い渡した窃盗誤認逮捕事件も、たまたも真犯人が発覚したから救われたものの、そうでなければこの冤罪は闇に葬られたままであったろう。我が国の自白追及的捜査実務は、牢固に存在しているのである。警察も検察も裁判所も、現に冤罪者を生み出し続けていることに加担していると自覚すべきである。
このような現状に対する批判の内とりわけ真摯に受けとめるべきは、国際社会からの批判である。それはこの中間報告自体が随所で強調している国際的視野の重要性に照らしても当然であろう。国連の規約人権委員会は、1993年の人権規約実施状況の第3回審査に引き続き、1998年10月に日本政府の第4回報告書を審査したが、全く改善が見られないとし、国選弁護人や保釈の保障を欠く起訴前勾留とその下での取調べ、代用監獄の利用、証拠開示制度の不備などについて改善を勧告している。加えて、同時に日本の裁判官・検察官等に対し、規約で保障された人権についての研修を受講するよう強く勧告しているのである。国際機関から日本の裁判官や検察官がこのような指摘を受けることは、極めて重大かつ恥ずべき事態と認識しなければならない。国際人権法に根ざす国際的改善要求を無視するという我が国政府の対応は、徹底的に批判されなければならない。それが出来るのは、審議会であった筈である。
しかるに、中間報告におけるこの部分の結論は、如何に刑事司法を巡っては鋭い対立が避けられないとはいえ、大方の失望を招くものであると言わざるを得ない。中間報告は、「法の支配」という憲法的理念から筆を染めた以上、刑事司法においても、人質司法・糾問的司法との現状認識を踏まえ、憲法的理念、さらには国際人権法的理念を具体化する方策を果敢に提起すべきであった。
審議会は、現在の身柄拘束制度改善の方策として、代用監獄の廃止、そして、起訴前保釈制度の創設を提案すると共に、権利保釈の除外事由としての「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」を削除するとの法改正を提案するべきである。さらに、審議会は、取調べ可視化の方策として、被疑者取調べ全過程のテープ録音ないしビデオ録画(小坂井久「取調可視化論の現在」大阪弁護士会会報11号以下参照、規約人権委員会は前記第4回報告書審査の結果「代用監獄における被疑者の取調べが厳格に監視され、また電気的な方法により記録されることを強く勧告する」との最終見解を発表した)、取調べへの弁護人の立会の各制度化を提案すべきである。
5 陪審制
中間報告は、「3 人的基盤の拡充」「4 制度的基盤の整備」と並ぶ課題として「5 国民の司法参加―国民的基盤の確立―」という項目を取り上げ、その中で「陪審・参審制度にも見られるように、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、訴訟手続において裁判内容の決定に主体的、実質的に関与していくことは、司法をより身近で開かれたものとし、裁判内容に社会常識を反映させて、司法に対する信頼を確保するなどの見地からも、必要であると考える。今後、欧米諸国の陪審・参審制度をも参考にし、それぞれの制度に対して指摘されている種々の点を十分吟味した上、特定の国の制度にとらわれることなく、主として刑事訴訟事件の一定の事件を念頭に置き、我が国にふさわしいあるべき参加形態を検討する」と述べている。 裁判手続への参加として「広く一般の国民が」「裁判官とともに責任を分担しつつ協働し」、しかも「裁判内容の決定に主体的、実質的に関与していくこと」が確認されたことの意義は大きい。このことによって、最高裁の提案した「評決権なき参審制」は明確に否定されたと言えるだろう。
ところで、2001年1月6日の朝日新聞・14日の読売新聞等の報道によれば、法務省は市民に評決権を与えた参審制導入を支持する方針を固め、最高裁と意見交換を始めたとのことである。法務省は主張する。参審制は、職業裁判官の経験を生かしつつ、市民の意見も反映できると。
しかし、素人である参審員が職業裁判官と合議した場合にどれほどの影響力を持つことが可能だろうか?参審員は単なるお飾りとして扱われてしまうだろう。竹下守夫審議会会長代理も、海外実情調査報告の中で「どうも参審員の審理関与は余り積極的であるという印象を受けませんでした。……ミュンヘンの陪審裁判所(名前はこう呼ばれるが参審裁判所である)で傍聴いたしましたときにも、参審員は2人おりましたが、ほとんどというか、全く発言しないで、専ら職業裁判官が審理を取り仕切っているという感じでございました。」と述べ(審議会第19回議事録)、このことを裏付けている。
また、参審制の場合、狭い母体から選抜される参審員が市民の代表と言えるのか根本的な疑問がある。中間報告は、「『広く一般の』国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し」と述べているが、その趣旨に合致し、より民主的である制度が陪審制であることは、多言を要しないであろう。
さらに、陪審制の利点は、陪審員の選任過程にある。陪審員候補者から12人の陪審員を選出する選任手続の意義は、単に偏見を有する候補者を排除することだけにあるのではない。裁判官、検察官、弁護人がそれぞれの立場から事件の概要を説明し、いかなる心構えで陪審員の職務を遂行しなければならないかを、候補者達に語りかける。そのことによって、「全くの素人」が「大いなる心構え持った陪審員」に成長する。まさに、中間報告が言うところの「国民が、法曹とのコミュニケーションを通じて訴訟手続に参加していく中で、その主体性を〔いかにして〕確保していく」という課題が生き生きと実現されるのである。
4回にわたって実施された地方公聴会においても参審制の導入を切実に訴える意見は皆無であり、多くの市民が陪審制度の導入を求めていた。冤罪・甲山事件の被告人であった山田悦子氏は、公聴会でこう訴えた(第1回地方公聴会議事録より)。
法の精神は、私たち市民が享受するわけです。法はごく普通に生きている市民の手の中に絶えずないと、法の精神は維持できません・・・。確かに私たち素人は、法律には本当に無知です。しかし、正義が何であるか、法の精神が何であるかということは、感覚としてわかります。感覚というのはまた、理性とともに共存する、私たちの理性にほかならないと私は思っております。この冤罪を作り出して止まない司法、荒れた司法に本当に豊かな、緑豊かな大地のような司法にしていくために、最初のクワ入れが私は陪審制度だと思います。
審議会は、「国民一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画していくことが、21世紀のこの国の発展を支える基盤であるという認識を共有する」と述べている。そのための国民の司法参加である。その形態として、より民主的な制度が陪審制であるなら、セカンドベストである参審制を提案するのは説得力がない。最初のクワ入れのクワを創造する力を有する者、それは審議会以外にない。審議会は、21世紀を見据えて陪審制の提案を行うべきである。
■最後に
この度の中間報告は、司法制度改革の要諦を「21世紀への展望を視野に入れつつ、法の支配の理念を基軸として、国民の期待に応え得る司法の人的、制度的基盤の抜本的拡充・強化を図ることにある」としており、トータルに見れば、利用者である国民の視点に立って改革へと大きな一歩を踏み出したと評価し得よう。
しかしながら、刑事司法改革に関しては、「国民の期待に応える刑事司法の在り方」という項目の中でこれを論じているのであるが、そこでいう「国民」の中には、当然に被疑者・被告人も含まれているということが明確に意識されていないように思われる。寧ろ、被疑者・被告人こそ、刑事手続きの最大の利用者である。従って、彼らが、刑事手続きにおいて「かけがえのない人生を懸命に生きる一個の人間としての尊厳と誇り」を持った存在として取り扱われているかにこそ、最大の関心が払われなければならない筈である。
捜査・訴追機関は、実体的真実の発見(事案の真相解明)は、被疑者・被告人による権利行使の意欲を減退させる環境を容認・温存し、捜査官が自白追及を容易にすることで、可能になるとの俗耳に入りやすい幻想を振りまいている。しかし、それが誤りであることは刑事司法の歴史が証明している。
当事者主義のシステムこそ、この幻想を払拭する人類の英知である。対立する当事者である捜査・訴追機関と被疑者・被告人及び弁護人が、それぞれ当事者的な熱心さをもって捜査・訴追活動、防御・弁護活動を行う。そのことによって、初めて「真実」が浮かび上がるのである。
審議会が真に利用者である国民の視点に立つならば、この刑事司法における正義のメッセージを、理を持って、全ての国民に向かって発することこそ、今求められているものであろう。
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